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追悼 瀬戸内寂聴

魂の原郷横尾忠則

追悼 瀬戸内寂聴

魂の原郷横尾忠則

 瀬戸内さんの最晩年の短篇「星座のひとつ」を読むと、すでに魂が肉体から出たり這入ったり、あの世とこの世の区別も逆転しながら、「今、私はどっちに居るのやろ」と朦朧とした迷妄の薄暮の中で茫然と立ちつくしている瀬戸内さんの姿が宙空に漂っている、そんな夢とも現ともつかない光景が頭の中をよぎる。
 この小説の中では飛行中に突然、冥界に飛行してしまった設定になっているが、この状況そのものがすでに宙空の中にいる。肉体の飛行と同時に魂の飛翔も起こっている。生きながら、死にながらその宙空の中を瀬戸内さんの霊魂が漂いながら、成層圏から外宇宙へと飛翔するその非重力の状態こそ、人間の本来の様相ではないのか。
 瀬戸内さんが常にしがみついている肉体小説は重力のせいか読んでいて重い。肉体的存在であるわれわれ人間の中に潜む煩悩は、瀬戸内さんの中で如何なる理由のためにあのような小説を書かせるのか、容姿こそ坊主頭にしてもその本性は煩悩一色ではないですか。世間を欺いていはしまいか。そんな罪多い汚れた肉体を脱ぎ捨てたい、然し、瀬戸内さんの元気な肉体はそれを許さない。「百歳、百歳」と念仏のように唱えれば唱えるほど肉体はその崩壊を許してくれない。あゝ、シンドイ。
 瀬戸内さんほど現世への執着が激しい僧侶はいまい。小説を書くという執着。「死んだら棺桶に万年筆と原稿用紙を入れないでェ」という一方、再び生まれ変ったら今生と同じ人生を反復したいという執着。この二つの矛盾した背反人生。肉体の求める人生に対して「星座のひとつ」を希求する魂の人生、その二つの人生に板ばさみされた生き方。その実体はそのまま「瀬戸内寂聴死す」の新聞記事が躍った11月11日。日本中を駆け巡ったこのフィーバーこそ瀬戸内さんが最も目撃したかった現実の光景である。本当は生きて、あの死の報道を見たかった!
「星座のひとつ」にはそんな騒動のカケラもない。肉体を脱ぎ捨てれば、あの騒動は何の価値もない。そんな価値を決めるのは脳の仕事で、霊魂はそんな世俗の煩悩には無関心だ。魂が目差すのは「星座のひとつ」でしかない。
 瀬戸内さん、今の気分は如何ですか。瀬戸内さんの一生はドンチャン騒ぎの波乱万丈の華やかで忙しい欲望だらけの一生だったですね。その欲望の衣装を全て脱ぎ去って、今、「星座のひとつ」、魂本来の原郷にロケットが成層圏を破って、「星座のひとつ」に向って飛行しています。如何ですか? 肉体の乗り心地と魂の乗り心地を比較して。
 袈裟を脱ぎ捨てた素っ裸の瀬戸内さんの魂が「星座のひとつ」を目差して飛翔を続けています。その光景を、まだ見たことのない彼岸を想いながら、大気圏内の地球から人工衛星を見るように魂の天体望遠鏡で後を追っています。裸だから風邪を引いて、また入院という心配はありません。まあ今度は現世の重い物質的肉体はないので心不全なんかになる恐れはありません。安心して冥土の旅をお愉しみ下さい。
 瀬戸内さんの死去は4時間後に秘書のまなほさんから知らされましたが、別に驚きもしませんでした。というのも、早朝、目覚めると同時に強烈な瀬戸内さんの不在感に襲われ、思わず妻に、「瀬戸内さんが亡くなった!」と告げました。それから2時間も経たない頃、うちの事務所の徳永が、黙って、自分のスマホの画面を僕に見せました。そこには瀬戸内さんの秘書のまなほさんが、「今朝、瀬戸内が旅立ちました。悲しい」と書いてありました。
 かといって瀬戸内さんとの50年が終ったとは思いません。特別な感情が込み上げてきて、悲しいとか、喪失感に襲われることもありませんでした。不思議と特別な感情も起こりません。すでに僕も死の領域に足を掛けている人間になっているからでしょうか。最近はこの現世の日常が心なしか見納め風景としてしか映らなくなりつつあります。描く絵もとっくに飽きています。描いても嫌々描いています。旅仕度のためには別に描かなくてもいいのです。ただ僕の中の業の残り火がチロチロしている間は描かされるでしょう。できればこの寸善尺魔な地上に戻るよりは不退の土で肉と無関係の霊としての永遠の命を呼吸したいと念ずるばかりです。
 そして、そこで瀬戸内さんとの邂逅を迎えるか、永遠の別離となるかどうかはわかりません。人と遭うことは、人と別れる運命でもあるのです。でなきゃ魂の進歩はありません。