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第1章
寺山修司・85歳、アイドルグループをプロデュースする
怪優奇優侏儒巨人美少女等、
アイドル大募集!!
アイドル実験室・TRY48
百合子は、目を見張った。
さっぱり意味がわからない。
ただ「アイドル」という言葉に脊髄反射したのだ。
百合子はアイドル志望だった……と言っていいのかな?
まあ、いいだろう。
これまで何度かアイドルグループのオーディションを受けた。そのつど第一次の書類審査で落とされているけれど。
彼女がどのグループのオーディションに落ちたかって?
それは言わない。
ただ、坂道を転がり落ちた――とのみ言っておこう。
さて、T R Y48だ。
ツイッターでその告知を見たが、何の説明もない。で、ググってみた。
TRYってのは、ⓉEⓇAⓎAMA=寺山の略、どうやら寺山修司のことらしい。
寺山修司?
寺山修司(てらやま しゅうじ、1935年(昭和10年)12月10日―)は、日本の歌人、劇作家。演劇実験室「天井桟敷」主宰。「言葉の錬金術師」「アングラ演劇四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表している。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になったほどである。
ウィキペディアには、そうあった。その後、ずらずらと長い経歴が記されていたが、ちんぷんかんぷんだ。百合子には、よく理解できない。ただ、職業欄を見ると……
歌人、劇作家、詩人、俳人、映画監督、脚本家、作詞家、評論家
とある。随分と多彩な才能の持ち主らしい。
昭和10年12月に青森県で生まれ、18歳にして短歌で認められ、その後、ジャンルを横断してさまざまな分野で活躍している。
それにしても、なぜ「TRY」、なぜ「48」、なぜ「アイドル」なんだろう?
1983年(昭和58年)、東京都港区三田の事務所「人力飛行機舎」で仕事中に肝硬変を発症し阿佐ヶ谷の河北総合病院に入院後、腹膜炎を併発し、5月4日に敗血症のため危篤状態に陥る。47歳だった。
その後、長い昏睡期間を経て、奇跡的に快復し、復活を果たす。
(本人談)「そう、あの時、ぼくは死んだんだ。47歳で。48歳以後の寺山修司は、生まれ変わった新しい人格だと思っている。“TRY48”というネーミングは、その意志の表れですよ」
なるほど、そういうことらしい。
すると、アイドルとは何の関係があるのか?
さらに〈寺山修司/アイドル〉でググッてみた。
……AKB48といえば、国民的アイドルグループだが、そのMV(ミュージック・ビデオ)の監督を多彩な顔触れが務めている。
蜷川実花、岩井俊二、是枝裕和、杉田成道、樋口真嗣、中島哲也、馬場康夫……等々、映画監督や写真家、CMやTVドラマのディレクターといった映像関連の世界で活躍する面々だ。
ことにメジャー30thシングル『So long!』(2013年2月20日発売)のMV監督を巨匠・大林宣彦が務めたことは、大きな話題を呼んだ。大林は1938年(昭和13年)生まれで、同MVをリリース時には、75歳だった。
このほど大林よりもほぼ二歳年長の鬼才・寺山修司が、AKB48の最新楽曲のMV監督として指名を受けた。寺山も乗り気で受諾するものと思われたが、総合プロデューサー・秋元康との打ち合わせの席で激しい口論となり、結果、この要請を拒絶した。
寺山の負けず嫌い、売れっ子に対するライバル意識の人一倍の強さは、よく知られている。
「秋元康とAKB48に対抗して、独自のアイドルグループを作る!」と宣言した。
その名も、“TRY48”である。
……そういうことだったのか!
この記事の大見出しには、こうあった。
寺山修司、85歳。
アイドルグループを
プロデュースする!!
……85歳!
そんな年寄りだったのか。
たしかに添えられた写真には、白髪頭でシワだらけの老人の顔が写っていた。しかし、ぎょろっとした大きなその瞳は、奇妙に若々しく、さながら青年のような光をたたえている。
百合子は、その大きな瞳に射すくめられたような気がした。
……うわっ、これが寺山修司か。
なんだか、いっぺんに興味が湧いた。その夜は延々とスマホで検索をして、寺山に関する記事や画像や動画をチェックしまくったのだ。
深井百合子は17歳、東京都内の私立高校に通う2年生である。
まず、自分の名前が気にいっていない。今どき「子」のつくクラスの女子なんて、ほとんどいない。あまりにも昭和っぽくて古めかしい。クラスメートに「東京都知事」とか「緑のたぬき」とか呼ばれるのも、げげっときた。なんだそれ?
深井という苗字も嫌だった。「深井は不快」とか「不快ユリコ」とか、さんざんいじられた。
「名前は深井なのに、おまえの考え、浅いな~」とクラスの男子に笑われ、その後、ずっと“浅いユリコ”と呼ばれていた。そう言われるたび、ムッときて、百合子は“不快”な顔になった。
名前のことは、まあ、いい。
超美人とは思ってないけれど、自分はそこそこ「かわいい」と感じている。
長い黒髪が自慢だ。肌も白い。顔が平面的で、目と目のあいだが離れているのが難点だという声もあったが、そりゃないっしょ~。小松菜奈だって中条あやみだって池田エライザだって、みんな目と目のあいだが離れてるじゃん、最近の人気モデル顔は! 紀平梨花だって坂本花織だって本田真凜だって、顔が平面的で、目と目のあいだが離れてるよ、最近の女子フィギュア選手は! と、思いっきり叫んでいた。
そう、心の中で。
「うっす、ユリコ、おはよう」
大世古ゆかりが、くっついてきた。クラスで唯一、そこそこ話す女子だ。
ぽっちゃり体型で、ペコちゃん顔なのに、なぜかこれが男にモテる。男性経験も豊富だという。
「どしたの、目の下、クマッてるよ。もしやセックスのやりすぎ?」
カックンときた。
ゆかりは、けらけらと笑っている。このあけっぴろげさが、モテる秘訣なんかな?
「うーん、あの、ゆかりはさ、寺山修司って知ってる?」
えっ、寺山、寺山……と呟いて、素早くスマホを操作していた。
「あ~、あれか、知ってるよ。元カレの大学生から、これ読めって文庫本を渡されたんだ。そのー、『家出のすすめ』とか『書を捨てよ、町へ出よう』とか、寺山修司のエッセイ? をさ」
「ふーん、どだった?」
「つまんねーよ、理屈ばっかでさ。家を出ろとか、町へ出ろとか、出ろ出ろ、出ろ出ろ、ゆってるけどさ、ただ出りゃいいじゃん。そんな、屁理屈ばっかこいてないでさ」
相変わらず、ざっくりだ。
「でも、ユリコ、なんで寺山?」
う、うん……と思わず、口ごもった。
「あのー、バイト頼まれてさ」
とっさに嘘をついた。自分がアイドルになりたい、だなんて、ゆかりにも話せない。
「バイト?」
「うん、なんか“現代の女子高生にとって寺山修司とは?”みたいなレポートを書けって……」
「ふーん」
「昨日、ずっとググッてたんだけど、よくわかんなくて」
「なーんだ、そんなことか」
使えそうな奴がいるから、とその場でLINEメッセージを送ってくれた。ゆかりは“大世古親方”とも呼ばれている、ちょっとした人脈横綱なのだ。
お礼にマクドナルドのタダ券を渡すと「ごっつぁんです!」と手刀を切って、大世古親方は懸賞金を受け取る仕草をした。
放課後、指定された場所へと向かう。
「へぇ、だけど寺山修司の芝居とかって、キモいっしょ?」
ゆかりは、そんなふうにも言っていた。
キモい。たしかに。
芝居そのものは見たわけじゃない。だけど、ネットで見た、寺山が演出した舞台の写真といったら……。
スキンヘッドで丸裸の人間たちが暗がりでのたうっていた。白塗りのオバケのような女が赤い着物でくねくねしている。巨漢の女相撲取りが裸にマワシ姿で立ち、恐山で奇怪な乙女が手マリをつく。フリークスや、ピエロや、軍服姿の男や、眼帯の女や、男装の麗人、女装の老娼婦、支那人形、山高帽にヒゲの怪紳士や……なんとも怪しげな輩が、次から次へと現れ、わさわさと天こ盛りにうごめいていた。くらくらする。
なんだ、これ!? 見たこともない世界だ。これが……アングラってやつ?
ぽかんと明るいアイドルの脳天気な世界に憧れる女の子にとっちゃ、刺激が強すぎた。
いわゆる、なんか、見ちゃいけない? おどろおどろしい見世物小屋のイメージだ。
対して、若き日の寺山修司の写真は、なかなかにイケメンだった。目鼻立ちがくっきりとして、すらりと背が高く、いつもパリッとした格好をしている。
マフラーをなびかせ、コートをはおって、こぶしを握り締め、ボクサーのようなポーズを取ったり、線路の上を疾走している写真もあった。なんだか昔の映画スターみたい。えーと、ほら、石原裕次郎? ちょっと似てるかな?
しゃべっている動画を見たら、これがまあ、なんとも強烈な東北なまりのイントネーションでね、「寺山修司」が「寺山すうじ」、「です」が「デシ」と聞こえる。「あ、ども……寺山すうじデシ」てな感じ。脱力した。
「ま、ここにそのー……コップがあるわけデシ」
タモリが寺山の物真似をしている動画もあった。
「ま、ボクはそのー……ノゾキと呼ばれているわけデシ」
1980年、渋谷の路地裏でアパートの一室をノゾいたとして逮捕され、大変な騒ぎになったらしい。その時、寺山修司がいかにも言いそうな言い訳を、タモリが寺山風にしゃべっている。
「ま、そのー……ボクがやっている演劇というのは、いつも観客に見られている……つまりノゾかれている、そう、ノゾキってのが日常的な空間なわけデシ……」
笑ってしまった。
それにしても、めちゃめちゃ多才で、ぎょろっとした目のイケメンで、出ろ出ろと屁理屈エッセイを書き、キモい芝居をやって、強烈な東北なまりで、ノゾキで逮捕された……寺山修司っていったい何者なんだ!?
校舎の裏のクラブハウスだった。よく陽の当たる南側には、運動部の部室がある。スポーツウェアに着替えた部員たちが、声を張り上げ、元気よく飛び出してきた。
対する北側は、暗い。どよ~んとしている。文化系クラブの部室群だ。ざわざわ、ざわざわっと嫌な妖気を漂わせている。なんだか、あまり近づきたくない。が、指定された場所だ。仕方がない。北の果て、一番奥のどんづまり、ひときわ暗い部屋の前に立つ。
〈社会学研究部〉の看板が大きく×印で消され、その脇に汚い字で〈サブカル部〉と殴り書きされている。
百合子は、どん引きする。しばし、ためらっていたが、ため息をつくと、意を決してノックした。
返事はない。
もう一度、ノックして、返事がないので、ドアを開ける。
薄暗い部屋だった。
えっ、異臭がする。なんだ、これ?
もわっとした、どこか饐えたような。
漫喫……漫画喫茶か、ネカフェ……ネットカフェのような臭いだ。
暗さに目が慣れると、いくつかの影が見えた。長テーブルがばらばらに置かれ、何人かの生徒が離れて座っている。本を読んだり、ノートパソコンを開いたり、スマホをいじったり……みんな無言だ。
あのー、と声をかけても完全無視。
部屋に足を踏み入れ、「あのー、部長さん、いますか?」と百合子は呼びかけた。
奥のほうで人影が立ち、こちらへやってくる。
「はい? 部長の小山田ですが」
ひょろっとした小柄な男子だった。色が白く、メガネを光らせ、なよなよとしていた。絵に描いたような“文化系男子”だ。
小山田啓――サブカル部の部長、あいつなら何か教えてくれるっしょ~、と言われた。
「あの、ゆかりに……あ、大世古さんに紹介されて」
「あ、はい」と小山田はうなずく。壁際に座らされ、さし向かいだ。
見ると、壁全面の本棚にはびっしりと本や雑誌が並び、漫画やエッセイや小説や……ちかちかとした俗悪な色彩の背表紙の群れは、いかにも“サブカル棚”といった感じだ。
ヴィレヴァン……そう、サブカル雑貨本屋のヴィレッジヴァンガードを思わせる。
窓際に女子が一人、立っていた。
よく見ると……人型の看板である。
広末涼子だ。
セーラー服を着ている。いったい、いつの時代のしろものなんだか。
目の前の小山田啓は、腕組みをして、う~んと難しい顔をしていた。
「ボクでわかるかなあ……」
自信なさげな表情だ。