きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ
夏休みよ さようなら
僕の少年よ さようなら
(略)
二十才 僕は五月に誕生した
どう、まるでフリッパーズ・ギターの歌詞じゃないか。そうなんだ、寺山修司は元祖シブヤ系なんだ! ずっと渋谷のアパートに住んでるしね。ま、渋谷の路地裏でノゾキで捕まったけど……なははは」
カックンと脱力した。
百合子はおずおずと訊いてみる。
「あのー、宇沢さん……それで寺山修司は、今も短歌を作ってるんですか?」
ああ、いい質問だ、と応じる。
「1971年、35歳の時に彼は『寺山修司全歌集』を出版している。それまでに出した短歌集から未刊行のものまですべて収録してね。それで区切りをつけた。まあ、“歌のわかれ”というわけだ。『生きているうちに、一つ位は自分の墓を立ててみたかった』と本の跋文に書いているね。実は、その後もぽつぽつと短歌を作っているようなんだが、ほとんど発表していない。だけど、例外的な一首がある……」
ノーパソを操作すると、スライドが映し出された。
マッチ擦るつかのま皇居に霧ふかし
身捨つるほどの昭和はありや
1989年1月7日 寺山修司
「そう、昭和天皇が崩御した日に詠まれた歌だ。朝日新聞に発表された。寺山は53歳だ。けっこう物議をかもした歌でね、当時のインタビュー記事を読んでみよう」
――昭和最後の日に寺山さんが詠まれた短歌が話題を呼んでおります。
寺山 ああ、何かそうみたいですね。
――これは、かつて寺山さんが詠まれた歌……
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
寺山さんの代表作とも言われる、もっとも有名な短歌ですよね、そのー、アレンジというか、なんというか……。
寺山 なるほど、そうですね。
――どうしてまた、この今にご自身の過去の作品を模倣というか、反復のようなことをされたんでしょうか?
寺山 あの、それはですね、昭和という時代が……ま、模倣であり、反復であった、と。たとえば、明治と昭和の年表を見較べてみると、奇妙にも並行して見えるわけです。あたかも昭和が明治を模倣し、反復しているんじゃないか? そう、明治10年の西南戦争と昭和11年の2・26事件、それぞれ22年と21年の明治憲法と戦後新憲法の発布、43年の韓国併合・大逆事件と全共闘運動、そうして45年の乃木将軍殉死と三島由紀夫の切腹……と、ねっ、みごとに昭和は明治を模倣し、反復している。
――なるほど、本当だ。すごい!
寺山 ま、これは柄谷行人のパクリですけどね(笑)。
――えっ! 寺山さんの手クセというか、パクリ癖は直りませんねえ。
寺山 はは。でね、昭和という模倣と反復の時代を悼むのに、僕もまた自身の短歌を模倣し、反復することによって……ま、いわば“昭和を実践した”わけです。
「どうよ! ねっ、君ぃ、寺山修司って、すごいじゃないか!!」
馬面が興奮している。鼻息が荒い。
ハッとした。
テーブルの上に置いた百合子の手を、いつのまにかウザケン先輩の手が握っている。百合子はとっさに手を引っこめようとしたが、がっちりと握り締められていて、離れない。彼女はとまどい「あの、あの……」とあたふたするだけだ。
「浅いっ!」
「えっ?」
女の子の声がした。
時に“浅いユリコ”とも呼ばれる百合子は、びくっとする。
脇の長テーブルの前に座っていた後ろ姿が、くるりと振り返った。オカッパ頭の女子だ。メガネをかけている。赤いフレームの上部が無い、アンダーリムって言うのかな? アニメキャラがよくかけてるヤツ。生身の女の子がかけているのを初めて見た。
赤縁メガネの女子は、ニコリともしない。冷たい瞳で、ウザケン先輩をにらみつけている。
「な、なんだよ……サブコか?」
一瞬、うろたえる先輩に「ふん」と鼻を鳴らして応じた。
「な、なにが浅いんだよ」と反発するウザケンに「浅いったら、浅い!」と言い放ち、ダッと立ち上がると、ドーンと先輩に体当たりを食らわせる。
うわっ! とウザケン先輩は椅子ごと後ろにひっくり返った。「いててててっ、な、なにすんだよお」と涙声だ。
メガネ女子は百合子の手をむんずとつかむと「行こっ!」と引っぱって、駆け出す。ダダダっと部室を後にする。
「ま、待てよお、俺の子猫ちゃんを……ホイホイちゃんを返せーーっ」
ヒヒンヒンといななきながら、馬面が絶叫していた。
百合子はもうわけがわからない。メガネ女子に引っぱられるままに走る。ただ、走る。ひたすら走り続ける。
よく見ると、メガネ女子は、むっちゃ小柄だ。身長140センチ無いんじゃないか? 全体に丸っこい。で、馬力がある。豆タンクみたい。猛烈な勢いで引っぱられるままに、突っ走り、校門を出た。
学校前の通りにはマクドナルドとスタバがある。どっちに入るのかな? と思ったら、するりと脇の狭い道へと侵入した。真っ黒な建物の扉を開けると、からんころんとドアベルの音が鳴る。
えっ? 何? ここって、お店? 百合子は目を丸くする。
店内は薄暗い。そして、やけに細長い。カフェだろうか? 客は誰もいない。奇妙なことに、二人掛けのソファーが同じ方向にずらりと並んでいた。
メガネ女子に引っぱられ、百合子はソファーに座る。二人で横並びだ。何か変……あ、そうだ、列車に乗ってるみたい。
「おばちゃーん」と女子が声をかけ「はいはい」と返事があって、白いかっぽう着で和服姿の女性が現れた。髪が白く、シワだらけのおばあさんだ。笑顔がどこか白い大きな猫を思わせる。
「お茶、二つ、くださ~い」
「はいはい」とまた奥へとひっ込む。足音もなく、老いた白い猫の足取りで。
お茶が来た。湯呑み茶碗に入った日本茶だ。目の前の小さなテーブルに置かれ、湯気がふわりと浮かぶ。
「バカみたい」
メガネ女子はそう吐き捨てると、ふうふうと息を吹きかけ、お茶をひとすすりした。
百合子はもう何も言えない。だんまりだ。ただ、メガネ女子をコソッと横からチラ見する。
「あいつ、最悪。ウザケン……うえ~っ。あなたさ、ちゃんとググッたの?」
へっ?
メガネ女子は素早くスマホを操作すると、こちらに差し出した。〈学校名+サブカル部〉で検索したのだ。
すると、どうだろう。
ウザケン。宇沢健二。ヤリチン。インチキ。ウサン臭い。マウンティング。恋愛工学。女あさり。サブカル女食い……といった関連ワードがダーッと表示されたのだ。百合子はくらくらとめまいがした。
メガネ女子は、ため息をついている。
「あいつ、有名だよ。インチキ臭いサブカル知識で女子をたらし込んでさ。サブカル部を食いものにしてる。あんなのに、だまされてちゃダメじゃん」
首を横に振って、お茶をもうひとすすりした。
「だって、あなたさ」
赤縁メガネが光った。
「……アイドルになりたいんでしょ?」
えっ!
ど、ど、どーしてわかったの?
ちっちっちっ、と舌打ちして、メガネ女子は突き立てた人さし指を振った。
ふん、丸わかり、と言う。
「だってねえ、あなたみたいな娘が、寺山修司? おかしいじゃん。で、今、“寺山”でググッてみたら“TRY48”がヒットして、寺山修司がアイドルグループを作るってんで、むっちゃバズッてる。ははーん、これまで寺山になんの興味もなかった、そう、アイドル志望の女の子たちが、みんな急に寺山修司のこと調べてるってわけかあ。で、さ。いきなりサブカル部に黒髪、色白の、いかにも坂道系のオーディション落ちてます的な女子が訪ねてきて、寺山修司のこと教えてくださ~い♡ なんつったら、どーよ? 答えは明白、無言で自白、ねえ、ワトソンくん、初歩的な推理さ……証明、終わり」
やられた。ぐうの音も出ない。百合子は、あわあわするだけだ。
メガネ女子は薄笑いを浮かべ、お茶を飲んでいる。
「でもねえ、芸能界ってすごいんでしょ? インチキ臭い奴がいっぱいいて。ツイッターやインスタのDMにいきなりメッセージ送りつけてきて、うまいこと言ってさ、デビューさせてあげる、佐藤健や竹内涼真、横浜流星に会わせてあげる、なあんて美味しいエサで釣って、枕営業とかなんとか? アイドル志望の女の子たちをさんざん食いものにして……そんなハイエナどもがいっぱいいるんでしょ? あなたさ、ウザケン程度にだまされてたら、とてもやってけないじゃん」
グサグサやられた。この娘、きっつい。百合子は、しゅんとする。
メガネ女子は“寒川光子”と名乗った。あ、「子」がつくんだ。1年生だという。なんだ、歳下か。「寒川さん」と言うと「サブコでいいよ、みんなそう呼んでるし」と笑う。「サブコちゃん」「ユリコさん」とすぐにそう呼び合うようになった。
「浅いっ! てサブコちゃんに言われた時には、や、びっくりしたなあ」
「うん、でもねえ、ユリコさん、ウザケン程度のサブカル知識なんざ、ま、浅いっ! と言うしかないよ」
「ふーん、そっかあ。わっ、すごい、この人、けっこうくわしい! って感心しちゃった」
「だってさ、あいつ、俺のホイホイちゃんを返せーってゆってたでしょ。ほら、最初、寺山修司をサブカルホイホイって呼んで、サブカルのエサで少年少女らが穴にホイホイ落っこっちゃうって。ねっ、あいつ自身が寺山の真似っこで、ユリコさんをホイホイしようとしたんじゃん」
ぐぐぐ、なるほど。
「ウザケンってさ、いかにもレトロ好きのサブカル女子が落っこちそうな穴……つうか、エサ? それ系のキーワードをいっぱい検索してね、さっきみたいなパワポを作って“釣り”の準備してるんだ。寺山修司とか、小沢健二とか、澁澤龍彥とか、蜷川実花とか、岡崎京子とか、大人計画とか……海外だと、ソフィア・コッポラとか、ウォーホルとか……」
「ウォーホル?」