新潮社

TRY48中森明夫

[第三回 2/5]

「寺山修司が子供時代に引き取られたのが、劇場だったんでしょ? で、浅利慶太と仲良くなって『血は立ったまま眠っている』を書いたと。その戯曲が載った雑誌を、わざわざ長崎まで持ち帰った大学生がいて、それを読んだ中学生の弟クンが感激する。上京して、5年後に上演して、寺山とつながって……天井棧敷ができたわけでしょ?」
「うんうん」
「すっごい偶然の連続だよね~。ちょっとでも狂ったら、そうはなってない。たとえば大学生の兄貴が「文學界」を読まなかったら、故郷に持ち帰らないわけだし、弟クンも寺山の戯曲を読まない。5年後、早稲田で『血は立ったまま眠っている』は上演されないし、東由多加と寺山修司の出会いもない、天井棧敷も結成されていない……」
「うんうん」
 サブコは神妙にうなずき、ふうふうと息を吹きかけて冷ましたお茶をひとすすりした。
 喫茶・銀河鉄道だ。
 例の列車の座席のような椅子に、二人は並んで座っている。
 百合子は疑問点をぶつけていた。
 隣席の赤縁メガネがきらりと光る。
「いいところに気づいたね、ユリコさん。あのさ、寺山は自らの演劇について、こう言ってるよ。出会いの偶然性を想像力によって組織すること……」
「偶然性を……組織する?」
「うん、そう。寺山にとっちゃ、出会いとか偶然とかって、もんのすごい大きなテーマなんだ。最初、俳句や短歌を詠んでたってのは、ほら、寂しい子供が一人遊びしてたわけでしょ? そっから出会いを求めて演劇を始めたと。モノローグからダイアローグへ――って本人は言ってるけどね」
 ふーん。
「父親が戦死したのも、母親が自分を捨てたのも、引き取られ先が劇場だったのも、みーんな偶然でしょ? 自分は無力な子供にすぎない。けど、その偶然の出会いを想像力によって転化すること、それが彼にとっての演劇だったんだ」
 うーん。
「もし、東由多加と出会わなかったとしても、ま、寺山のことだから、なんらか演劇的なことはやったと思うよ。けど、天井棧敷みたいなカタチにはならなかったんじゃないかなあ」
 サブコは例によってサクサクとスマホを操作すると、次々とモニターの画像を見せる。いつか百合子も検索したテラヤマ演劇のステージ写真だ。なんともおどろおどろしい。
「天井棧敷の旗揚げ公演は1967年4月、『青森県のせむし男』だ。〽さあ、さあ、お立ち会い! これからお目にかけまするは、悲しい男の物語。親の因果が子に報い……と、少女浪曲師が口上をうなり、せむし男が舞台に現れ、シスターボーイの丸山明宏が舞い踊り、ラストで駆け廻るはずの百匹の光るネズミの群れはバタバタと死滅して、も、大騒ぎ。続く『大山デブコの犯罪』では寄席の新宿・末広亭の高座を百貫デブ女の巨体が占拠して、ピンク映画のヒロイン新高恵子が舞台女優に転身して花開き、ジンタの奏でる『天然の美』が流れ、さながらサーカス、見世物小屋の復権だ。〽愛することは、肥ること。大山デブコのおでましよ。人生はお祭りだ! 大入り満員の観客たちは度胆を抜かれたってさ」
 サブコは朗々とうたい、うなり、語っている。ノートをちぎって折り曲げた、ちっちゃなハリセンをパパンパンとテーブルに叩きつけ、調子と勢いをつけながら。
「時あたかも60年代末、ゲバ棒、投石、ヘルメット、反体制運動の東京战争、学生闘士らで市街は騒然とし、新宿西口広場はフォークゲリラに占拠され、〽友よ、戦いの炎をもやせ、夜明けは近い、夜明けは近い~(パパンパン)……花園神社にゃあ唐十郎の紅テント、佐藤信の黒テント、鈴木忠志や別役実の自由舞台、蜷川ミカミカのおっつぁん幸雄と清水邦夫の真情あふるる軽薄さっ! 現代人劇場……とアングラ演劇まっ盛り、とりわけ寺山修司の天井棧敷は演劇であるより、やっ、一大スキャンダルだった! (パンパンパパンパン)……丸山明宏、〽父ちゃんのためならエンヤ~コ~ラ~、後のヨイトマケ美輪明宏サマ主演の『毛皮のマリー』は記録的な大当たりとなる。アートシアター新宿文化をぐるりと取り囲んだ入りきらなかった客たちは、マリー! マリー! のシュプレヒコールで、たまらず楽屋に駆け込んだ寺山は「丸山さん、もう一回ってください!」、真夜中の再演と相成った次第。
 ああ マリーよ
 聖なるおかま 監獄の天使
 味噌汁の地中海にうかべた漕役船の
 魂の航海図よ どうか
 塩の木からおりてきて
 かなしみの少年のこうがんを洗ってやっておくれ
(パパンパンパンパンパパンパン)」

 ふ~、とひと息ついて、サブコは冷めたお茶をぐびりと飲んだ。
「入口から入りきらないばかでかい舞台装置を作った横尾忠則に、ノコギリで切って入れろと寺山、冗談じゃあない! ボクの芸術作品に刃物なんか入れさせない……とキレて横尾が去り、苦悩して若き東由多加は逃亡し、「寺山サン、ボクに丸山明宏クンを貸してくれ」と三島由紀夫、人身売買よろしく勝手な男たちの密談で、美輪サマは『黒蜥蜴』の舞台へと去ってゆく、〽ああ、歴史はみんなウソ、去ってゆくものはみんなウソ、あした来る鬼だけがホント! (パパンパン)……スターなき天井棧敷の舞台にゲイボーイやレズビアン集団、ヒッピー、フーテン、フリークスらがうごめき、『家出のすすめ』にあおられた家出少年少女らが大集結、『書を捨てよ、町へ出よう』、受験雑誌の投稿欄――そう、“言葉の暴力教室”にして“魂のグループサウンズ”、“思想のボクシング・ジム”に集うハイティーン詩人たちが、わっとステージに駆け上がり、自らの詩を唱い叫ぶ……私が娼婦になったら いちばん最初のお客は おかもとたろうだ/ぼくは性典 きみたちのお抱え哲学者 気弱者の味方 くらまてんぐさ/とびたい人には、とび方を教えますよ 人力飛行機、なみだエンジンまわして みなさん、空を見あげて下さいあの空を! とびましょう! とぶことは、すばらしい さあ、みんな、両手がつばさです こうやってひろげて下さい いいですか? 手はひろげましたか? ……大地を力一杯蹴って、はるかなはるかな、はるかな青空めざし、思想への離陸! 一、二の三!/そしてぼくはニッポンの若い―― そしてぼくはニッポンの若い――/東京! 東京! 東京! 東京! 東京! 東京! サンドイッチ赤シャツよ単語帳繰返す予備校生浄土真宗に焦る色白のアキラヘルメット反戦唱える放蕩息子国分寺に本拠置く「部族」よ里帰りの船酔いに困惑する新妻よ高速道路つっ走るミニスカートよ塵箱漁る黒猫金の眼よまだ恋人のいないあご髭よ蝶ネクタイスタイルの男よ破けた看板キック・オフ擦切れた青空キック・オフああひとたちひとたちキック・オフキック・オオフ!
 新宿駅 東口からキック・オフ!
 新宿駅 東口からキック・オフ!
(パパンパンパンパンパパンパン)」
 一気に叫び終えると、「だーっ」とうめき、テーブルに倒れ伏した。さすがに力尽きたようだ。ぜいぜいと息を切らし、赤縁メガネのレンズが熱気で曇っている。
「わしゃ死んだ……60年代テラヤマ演劇を生きるのは、ちかれるの~」
 その言葉にハッとする。
 評する、でも、紹介する、でもなく、生きる! なるほど、サブコちゃんは今、テラヤマ演劇を全力で生きているのだ。尋常ではないそのパワー、いったい、このエネルギーや情熱は何なんだろう? 百合子は首をひねる。
 むくり、とまた起き上がると、よっしゃあ! とこぶしを握り締め、ぱんぱんと両頬を叩いて「もういっちょ、やったるかあ」とサブコは自分に気合いを入れた。
 スマホのモニターには奇っ怪な建物が映し出されている。
「天井棧敷館……テラヤマ演劇の本拠地だよ。1969年春、渋谷の並木橋にできた」
 巨大な口裂けピエロの顔の看板、鼻が時計になっている。その周りには、バラバラのマネキン人形の頭やら腕やら脚やら胴体やら、さらには車輪やら開運吉兆方位図やら何やらかにやらガラクタ・オブジェが一面にちりばめられている。デザインは粟津潔。紅白の縦縞のオーニング、地下に劇場があり、アンダーグラウンド――まさにアングラ劇場だ。
「一階が喫茶店でね、和服姿のおばちゃんがレジにいるんだけど、なんとこれが寺山修司の母親なんだ! 天井棧敷館を作るお金を寺山ママに出資してもらって、こうなった。家出のすすめとか、母親を捨てろとか、けっこう過激なこと言ってるけど、自分は家出なんかしたことは一度もなく、実は寺山はひどいマザコンなんだ。まったく母親に逆らえない。九條映子との結婚に猛反対され、逃げ出すように二人で挙げた結婚式にも、恐くて母は呼べなかった。この母親の寺山はつさんってのが、まあ、強烈な人でね、ことに息子の修司に対する執着は異様で、さまざまなトラブルを引き起こす。心理学者が「精神病院に入れていい状態だ」と進言したが、とても寺山にそんなことできっこない。九條映子に息子を奪われて怒り狂った、はつさんは真夜中に何度も新婚夫婦の家に訪ねてきて、窓ガラスに石をぶつけて割るわ、火のついた衣類をリビングに投げ込み、大火事になる寸前だわで、も、大変! 大慌てで寺山夫婦が水をぶっかけて消火すると、それは若き日の息子・修司が入院時代に着ていた浴衣に火をつけたものだった……」
 唖然とする。
 サブコのたくみな語りにいざなわれて、いつしか百合子は1969年、渋谷の天井棧敷館の前に立っていた。
 巨大な口裂けピエロの看板が笑っている。金髪のアフロヘアでサスペンダー、絞り染めのTシャツに金ラメのショートパンツ、カラータイツの女の子がくるりと振り返ると……なんと赤縁メガネ! サブコちゃんだ。
 百合子は目の前の大きなウインド、ガラスに映る自分の姿を見た。
 真っ赤なショートヘアにハートのヘアバンド、長いまつ毛、きらきら星のスカーフをなびかせ、色とりどりのボーダーの超ミニのワンピから素脚をさらしてすっくと立つ。
「イカスゥ~、ユリコさん♡ 宇野亜喜良のイラストの女の子みたい、イエイエ娘♪ おサイケだね~っ!!」
 サブコは虹色の渦巻きのペロペロキャンディをなめながら、けらけらと笑っている。
 二人は、目の前の天井棧敷館へと入っていった。一階は喫茶店だ。レジの女性がジロッとこちらをにらむ。恐い~、和服姿のおばちゃん……ああ、寺山修司の母親だ。背後の窓には、その寺山はつさんとまったく同じ姿の絵が描かれている。そばの芝犬がワワンと吠えた。
(タロウだよ、はつさんの愛犬さ)
 サブコの心の声が、百合子に聞こえる。赤縁メガネがにんまりと笑った。
 店内には巨大な大山デブコの人形がデンと置かれていて、目を惹く。壁面には、逆立ちしたピエロやらゴリラの顔やら目玉の曼陀羅図やらがちりばめられていて、なんとまあ、にぎやかな昭和のウルトラポップだ。
 けれど客は……くたびれた感じのおっさんたちばかり。コーヒーをすすりながら、みんな手元の新聞に赤エンピツで何やら書き込んでいる。
(競馬の馬券買いのおじさんたち。ほら、店の真後ろに場外馬券売り場があるでしょ?)
 なるほど。
 二人は階段を降りていった。
 あたりは薄暗い。地下劇場である。狭い空間がぎっしりの観客で埋めつくされていて、異様な熱気だった。
 中央にはロープが張られて、さながらボクシングのリングのよう。その向こうに巨大な筋肉ムキムキの裸の男のオブジェがそびえ、力こぶを作っていた。星条旗が肩に掛けられている。
 薄暗さに目が慣れると壁のポスターが見えた。
 〈時代はサーカスの象にのって〉
 裸女のイラストが戦車の上にまたがって大砲をつかんでいる。
 ◉アメリカ! アメリカ! アメリカ! アメリカ! アメリカ! アメリカ!
 ◉星条旗よ永遠なれと叫びながら狂っていった父への挽歌
 ◉観客にも与える一分間に百万語
 ◉詩とエロチシズムと狂気のドキュメンタリー

 真っ赤な文字が躍っていた。
 ふいに目の前が真っ暗になる。何も見えない。完全暗転だ。
 カ~ンとゴングが鳴った。
 ロープを張ったリングのステージがスポットライトに浮かび上がる。
 リズム・アンド・ブルースが聴こえてきた。なんともデカダンな調べだ。
〽ハロー ハーロウ
 ジーン ハーロウ
「お休みの時は何をかけて寝ます?」
「目覚まし時計をかけて寝るわ」
〽ハロー ハーロウ
 ジーン ハーロウ
 愛さないの
 愛せないの
 愛さないの
 愛せないの

 音楽に乗って、らせん階段を女が降りてくる。肌もあらわな白いドレスで、毛皮を巻きつけ、真っ白に塗りたくった顔に、しどけない仕草で。往年のハリウッドのセックスシンボル、地獄の天使、グラマラス女優……ジーン・ハーロウを真似た、まぎれもない日本産ぽっちゃり女子だ。
 和製ハーロウはリズムに乗り、しなを作ってリングをひと廻り、ゆるりと舞い踊り、やがて中央の椅子に腰掛ける。セクシーに脚を組み、長いタバコに火をつけて一服した。
「ハーロウさん、あなたの下着の色は何色ですか?」
「トイレは一日、何回行きますか?」
「バスルームではどこから洗いますか?」
「尺八って何ですか?」
「知ってる体位はいくつありますか?」
 リングサイドから盛んにエッチな質問が飛び、そのつどニセハリウッド女優は意味ありげに笑い、身をくねらせる。何やらむにゃむにゃと答えている。
「みんなであなたをくすぐってもいいですか?」
 和製ハーロウは自信たっぷりに「ふふふ、できるもんならね」と応じると、わっとリングの下の男たちが駆け上がる。寄ってたかって取り囲んで、くすぐりまくる。女のカン高い悲鳴、嬌声が響き渡った。やがて男たちは、ぽっちゃりハーロウをかつぎ上げて、わっしょいわっしょいとリングを降りていった。
 観客たちは拍手喝采で沸いている。
 リングサイドに、すらりとした長身の青年の横顔が見えた。茶色いタートルネックのセーターを着て、にこりともしない。長い髪で、端整な顔立ちだ。
(……萩原朔美だよ。この芝居を演出してる。23歳。そう、萩原朔太郎の孫、『月に吠える』の詩人のさ。イケメンだよね~)
 サブコの内心の声が、解説してくれる。
 また場内が真っ暗になり、ゴングが鳴ると、スポットライトがともされる。
 長い黒髪で大きな瞳、エキゾチックな顔立ちの美少女が、リングの真ん中にぽつんと一人、立っている。の花を一輪、胸に握り締めていた。
 波の音、ギターの爪弾き、ハーモニカの調べが哀愁を帯びている。
 〽時には~母のない子のように~
(カルメン・マキだよ。18歳。寺山作詞の曲がミリオンセラーになった。この年の紅白歌合戦にジーンズに裸足で出演する)
 カルメン・マキがしんみりと唄い終えると、また真っ暗になって、ゴングが鳴る。
 明かりがともると、シャツの前をはだけた伊達男が、リングのロープに片足を掛けていた。
 真っ暗な闇の中、スポットライトに浮かび上がる、鋭い眼光。彫りの深い面貌……どこかで見たような顔立ちだ。