第2章
寺山修司、『デスノート』のLの葬式を開く
思わぬ味方ができた。
サブコちゃんだ。
チビで、丸っこくて、アニメキャラみたいなアンダーリムの赤縁メガネをかけ、豆タンクさながらの猛烈な馬力で突っ走り、猫舌で、熱いお茶にふうふう息を吹きかけ、ちびちびとすすって飲み、そして……そして……天才だった。
まぎれもなく。
少なくとも、百合子はそう思う。天才の天才たる内実、時折、口から飛び出す難解な言葉群は、正直、さっぱり理解できない。けど、自分程度の女の子に理解できたら、そりゃ、天才なわけないじゃん、ねえ、とも。
ともあれ驚異の16歳は、こう言った。
「寺山修司がこれから何やるか、わたしも興味あるし、うん、ユリコさんに協力するよ」
それから「ま、アイドルには、あんまくわしくないけどね」と笑う。
まずは、サブコが鍵つきアカウントでひそかに書いてるブログのパスワードを教えてくれた。アクセスして、ちらと覗いたが、いかにも超難解な意味不明の言葉群がずらずらと並んでいる。めまいがした。
そこに〈寺山修司研究〉のタイトルが加わり、〈F・ユリコ氏へ〉とある。〈あしたのために その1〉と続いた。
あしたのために?
「うん、知らない? 『あしたのジョー』……寺山修司が愛読していたボクシング漫画、そん中に出てくるんだ」
サブコはそう言った。百合子は首をひねるだけだ。
〈あしたのために その1〉
TRY48のオーディション、面接審査は寺山修司がやるわけでしょ? 寺山に選ばれなくちゃいけない。すると……
寺山修司の人となりを、知るべし! 知るべし! 知るべし!
人となり? ユーチューブでタモリが物真似やってる動画を見たよ。寺山すうじデシ……って、笑っちゃった。
「浅いな~、相変わらず、ユリコさんは」
サブコは、呆れたように言う。
「ま、タモリの物真似が浅いんだけどね。あのさ、タモリって……芸人じゃないよ」
何、それ? NHKの番組で散歩してる人……ってイメージあるけど。
「うん、40年以上前、タモリがデビューした時は、イグアナの物真似で話題になった。でもねえ、マルセ太郎の猿の物真似とは較べものになんない。四ケ国語麻雀だってさ、藤村有弘のインチキ外国語芸の亜流でしょ? マルセ太郎や藤村有弘は本物の芸人だけど、タモリはその表層の亜流にすぎない。けど、かえって“浅い”がゆえに“浅い”メディアであるテレビにぴたりとハマッて、テレビタレントとして有名になったんじゃん」
マルセ太郎? 藤村有弘? 誰それ……百合子は目を白黒させている。
「寺山修司の物真似だってさ、タモリのは、いわゆる声帯模写じゃない。ちゃんと聞くと、声も喋り方も、実は全然似てねーし」
ふーん。
「うん、思想模写。いかにも寺山修司が喋りそうなことを言う。つまり、その“思想”を真似てるわけ。だけどねえ……」
サブコはスマホを操作して、見せる。モニターには、坊主頭のおっさんがギターをかき鳴らし絶叫している動画が流れていた。
えっ、誰これ?
「……三上寛」
みかみかん?
「うん、フォーク歌手」
さらに別の動画が出た。さっきの坊主頭のおっさんが神妙な顔をして言う。
「あ、寺山すうじデシ。ま、このー……ラジオの高さというものがあるわけデシ。高い、高いとこにあるラジオから、しょうわにずうねんはちがつずうごにち……ま、天皇陛下の声が聞こえてきたわけデシ……」
絶句する。
「ねっ、そっくりでしょ、寺山に。声も喋り方もイントネーションもおんなしなら、その内容……思想も、タモリみたく浅い表層の物真似じゃない。ラジオの高さというものがあるわけデシ……しびれるよね~」
サブコは、にんまりと笑う。
「うん、ま、三上寛は寺山修司と同じ青森県の出身だから、なまりが似るのは当然かも。『家出のすすめ』を読んで上京したっていうし、映画『田園に死す』にも出てるしね。いまだに寺山と親交があるみたい。そういえば寺山修司が近年、詠んだ未発表の短歌――のふれこみでネットに流出した、こんな一首があるよ」
三上寛ひらがなで書き「みかみかん」
英訳すれば「オレンジレンジ」
吹いた。
「ねっ、キレッキレッしょ? あと、こんな短歌もある」
SPEEDを逆から読むとDEEPSで
直訳すれば「クスリとリスク」
「けどねえ、なんかちょい出来過ぎかな? 寺山短歌を偽装したフェイクかも。ま、寺山修司自身が〈石川啄木の未発表の短歌が見つかった〉なあんて、ぬけぬけと贋作短歌を発表してるけどね。
頬傷の
なぜかいとしき北上の
女給と今日も川を見にゆく
うまいもんだよねえ。でも、さっきの短歌はどうだろう。寺山自身も否定してないしね。真実の最大の敵は事実だ、とか、虚構と現実の境界を打ち破る、とか、かっこいいこと言ってるけど、ま、根っからの嘘つき修ちゃんだし(笑)。母親が生きてるのに“亡き母の”なんて短歌を詠んだり、一人っ子なのに“弟よ”なんて書いたり、〈私の少年時代は私の嘘だった〉なんて告白したり……それって先天的な虚言癖ですけど~。嘘つきは詩人の始まり、なんてね。うん、けど、あのー、流出したこんな未確認の短歌があってさ……」
一本の釘を書物に打ちこみし
三十一音黙示録
「これはどう考えても寺山修司だよね! 寺山以外、こんな歌を詠む人間がこの地球上に存在するなんて絶対に考えられない」
サブコの頬が上気している。赤縁メガネの奥の瞳がきらきらと輝いていた。百合子はただぽかんとして聞き入ってるだけだ。
〈あしたのために〉のブログに戻ろう。
〈あしたのために その1〉
寺山修司の人となりを、知るべし! 知るべし! 知るべし!
寺山は秋元康と口論になって、ケンカ別れした。結果、TRY48をプロデュースすることにしたわけでしょ。なんで、こうなったの?
人一倍の負けず嫌いで、ことに売れっ子に対するライバル意識は強烈だとか。
19歳の時にネフローゼという難病にかかった。その後、3年間も入院していたんだ。生活保護を受けながらね。重病で、一時は生死の境をさまよった。せっかく18歳で短歌の新人賞を取って、彗星のようにデビューしたのに。
入院中に、一橋大学の学生だった石原慎太郎が『太陽の季節』で芥川賞を受賞した。太陽族ブームを巻き起こす。「俺のほうが何倍も才能あるのに、病気で寝ていなけりゃならないなんて」とくやしがったという。
それでも入院しながら詩劇「忘れた領分」を書いた。河野典生が演出して、野中ユリが舞台装置を作り、寺山不在のまま上演される。これを見て「言葉の才能」に驚いた谷川俊太郎が病院に訪ねてきて、親交を持った。当時、寺山は早稲田の学生だったんだけど、同級生の山田太一と親友になる。なんとまあ、すごい才能たちが次から次へと磁石のように吸い寄せられてくるもんだよねえ。
22歳でやっと快復して、退院した。谷川俊太郎に紹介されて、ラジオドラマの脚本を書き、次々と賞を取る。当時は60年安保の前夜で、〈若い日本の会〉という若手文化人らの政治的グループがあった。江藤淳、石原慎太郎、大江健三郎、開高健、永六輔、黛敏郎、武満徹、浅利慶太……等がメンバーで、寺山もこれに入る。全員20代でね、会の名前どおりみんな若かった。つまり、たくさんライバルがいたんだ。
後に寺山は競馬に夢中になる。逃げ馬が大好きだった。逃げ馬ってのは、スタートからダッシュして先頭に立ち、レースを引っぱる馬のこと。うん、たいていは終盤にバテて、追い抜かれるんだけど。18歳でデビューした自分は、人生の逃げ馬だと思っていたんだね。
早く走らなきゃ、後ろから追い抜かれる。必死で走った。寺山が人一倍の負けず嫌いで、強烈なライバル意識の持ち主になった理由が、よーくわかるよね。
なんでも〈邪魔な人間のリスト〉ってのを、ひそかにつけてたそう。あいつも邪魔こいつも邪魔、早く死んでくれって。その筆頭には、三島由紀夫の名前があったそうな。
たとえば、対談を勝ち負けのある格闘技、言葉のボクシングみたいに考えていたんだってさ。無人のリングの写真を表紙にした『対論・四角いジャングル』という対談集もあるよ。そこには三島由紀夫との対談も収録されていてね、うん、そう、三島が自衛隊の市ヶ谷駐屯地を武力占拠する4か月前、1970年7月のもの。
寺山 ぼくは「言葉にすれば何でも自分のものになる」と長い間思ってたのです。ただ、言葉そのものの吟味が問題なんですね。(略)しかし政治的言語と文学的言語の波打際をなくしていくという、わけのわからない乱世の中におもしろ味があるわけですよ。
三島 でも、それをおもしろがっちゃいけないんじゃないのかね。それでは文学もダメになるし、政治もダメになると思うんだよ。
寺山 両方ダメになってもいいんじゃないかっていう感じがあるんですよ。(笑)
(略)
寺山 ステージの上に一人の男が立っていて、勃起したまえというと、イリュージョンを使って、パーッと勃起するというのが素晴しいわけですね。
三島 ボディビルの原理って、そこにあるんだよ。からだの中から不随意筋をなくそうというんだ。
寺山 つまり、肉体から偶然性を追放するんですか?
三島 そうなんだよ。たとえば、この胸見てごらん、音楽に合せていくらでも動かせるんだよ。(胸の筋肉を動かして見せる)あなたの胸、動く?
寺山 ぼくは偶然的存在です……。(笑)
三島 ある晩、突然動いたりしてね。
寺山 でも、たかが五尺七寸の体の中にどんな黄金がかくされているかという幻想でも残しておかないとたのしみがない。体の構造をすべて知りつくすと、中にあるのは水分とセンイだけですよ。三島さんの中にあるのは……。
三島 君の方が長生きするわ。不随意筋を動かすことは、何にも役立たないからおもしろい。
寺山 “三島由紀夫の上半身を動かす夕”なんてどうです?(爆笑)
(略)
寺山 三島さん。いつか胸をこうやって動かすんだよって胸張っても、自在筋の動かない日が、ある日突然やってくるわけですよ。
三島 そういう日は来ないよ。
寺山 いや、来ます。そういうときにエロティシズムが横溢する。
三島 そういう日は来ないよ、絶対に。
……今からおよそ50年前、三島由紀夫が45歳で寺山修司が34歳、二人の言葉のボクシング……ねぇ、なかなかにいい勝負じゃん!
その後に〈寺山修司、論争名場面集〉という動画のアドレスが貼りつけてあった。
クリックすると、ファンファーレが鳴って『朝まで生テレビ!』のタイトルが出る。1987年のテロップ、番組開始早々、34年前の映像だ。
司会の田原総一朗の髪の毛が真っ黒で、まだ随分と若い。サングラスの中年男と、和服姿で扇子をぱたぱたやってる黒縁メガネの男性が、何か言いあっている。作家の野坂昭如と映画監督の大島渚だ。