新潮社

TRY48中森明夫

[第一回 2/4]

「寺山、寺山……寺山修司ねえ」
 えっ! と声がもれて、小山田の背後の後ろ向きになったソファーから、むくりと影が起き上がった。影はソファーの背を乗り越えると、目の前に着地する。
 大男だった。背が高い、というより、ガタイがいい。肉がたっぷりとつまってそう。長髪で、馬のように長い顔、目が細く、鼻の下にぶしょうヒゲ、制服を着ていない。赤い蝶ネクタイで、どこかのブランドのエンブレムらしきものをちりばめたドテラ? をはおっている。
 オシャレだか何だか意味がわからない。
「チビッコ部長くん、君はあっちへ行ってなさい」と小山田を押しのけると、前に座った。小山田はぶつぶつ言いながら、奥へと去る。
「えー、何? 君、寺山修司のこと知りたいの?」
 馬面の大男は、細い目をさらに細めた。
 百合子は、ぶるって声が出ない。
「あ、失敬……俺、宇沢健二。ほら、小沢健二……そう、オザケンをリスペクトしてるんで、ま、芸名ってことで、ははは」
 芸名? なんだそれ。
「このサブカル部の顧問みたいなもんっすよ」
「顧問? 先生ですか?」
「や、そうじゃない。卒業生、ま、OB」
 いったい何歳なんだろう? 年齢も正体も不明だ。
「このサブカル部って、俺が作ったんだ。もともとは社会学研究部だったんだけどさ。すっかり時代が変わってね。ほら、俺があっちへ行ってるあいだに……」
 あっち?
「そう、留学。フランスとかいろいろ。でね、帰ってみると、部員はダッレもいやしない。あ~、ゼロ年代は遠く去りにけり。今の若い奴ぁ、社会学……宮台真司の本なんかまるで読まないしね。わかる、ミヤダイ? そう、終わりなき日常を生きろっ!」
 さっぱり意味不明だった。
「ま、いいや。でね、社会学研究部を、サブカル部って変えたわけ。そしたら、ほら、部員もちらほら集まってさ。なはははは」
 馬面のウザケン先輩が歯をむき出して笑っている。
「あ~、そうだった。君が寺山修司に興味を? へぇ、意外ぃ~。そう見えないね」
 細い目を光らせて、じっとりと百合子をねめまわした。
「何、君、もしかしてメンヘラー? ゴスロリ? 摂食障害? 自傷系? 球体関節人形がいっぱいの部屋に引きこもって、抗うつ剤を飲んで、自分探しして、毎日、リストカットしてる?」
 絶句した。
「あ~、時代が変わったんだなあ。令和よの~。こんなニュートラルな感じのが、今や寺山ギャルとはねえ」
 寺山ギャル? 違います! バイトで寺山修司のこと調べていて、よくわかんないんで訊きにきたんです、と伝えた。
「ははあ、なるほど、そういうわけかあ。納得。ま、いいや。俺が教えてあげるよ。こう見えて、俺ってさ……寺山修司ハカセだから」
 なんだか調子がいい。
 ウザケン先輩は、えへんと一つ咳払いをして、講義を始めた。
「ま、あれだな、寺山修司ってのは……サブカルホイホイだな」
 サブカルホイホイ?
「うん、ゴキブリホイホイってあるじゃん。ゴキブリが入り込んで、出れなくなるやつ。入口がたくさんあって、ゴキブリが好きなエサの匂いで引き寄せる。原理としては、あれとおんなし。サブカル少年少女を引き入れて、出れなくさせる。入口がいっぱいあるわけだよ」
 ふーん。
「詩、俳句、短歌、演劇、映画、写真、競馬、ラジオやテレビドラマ、ドキュメンタリー、エッセイ……まあ、いろいろやって作品も膨大にある。入口がいっぱいあるわけだ。ちょっとしたセンシティブな少年や少女なら、どっかの穴から入ってくる。しかも、作品がどれも個性的……つうか、異端でしょ? サブカル好きのエサの匂いがぷんぷんするよ。サブカルってのは、メインカルチャー……正統じゃない。ま、落ちこぼれだな。けど、若いから自意識があるでしょ? ボク、アタシは正統なお勉強はできない……や、やんない、やりたくない。だって、ちょっと変わってるしぃ、普通と違うからぁ、なんてね。そんなサブカルなボク、アタシが、寺山が仕掛けたエサ……つうか、変テコな作品に触れたら、そりゃ、あっ、これわかるのジブンだけだ! って、ホイホイ落っこっちゃうってわけさ」
 ウザケン先輩は細い目を光らせて、まくしたてた。
「まあ、一番引っかかりやすいのは『家出のすすめ』や『書を捨てよ、町へ出よう』なんかの青春論だな。角川文庫でもう40年以上も、版を重ねてるしね。若い奴って、父親とか母親とか嫌じゃん。家にいると、うるさく言われて、うざいしね。そういう奴らに、家を出ろ、町へ出ろ……って、はっぱかけるんだから、そりゃ共感されるよな。『家出のすすめ』を読んで、実際、田舎から家出して上京してきた若い奴らを集めて、寺山は演劇を始める。劇団・天井桟敷を結成した。みんなで共同生活してね。けど、変だと思わない? 『家出のすすめ』を説いて、家出してきた若者たちで、また新しい“家”を作る。『書を捨てよ』っていう自分の本は読めという……矛盾だよねえ」
 にやりと笑った。
「そもそも、なんでまた寺山修司ってこんなことするんだろう? あのね、寺山って幼くして戦争で父親を亡くしたんだ。で、母一人子一人になった。その母親も米軍キャンプに仕事に行ってね、アメリカ軍の将校の愛人になったとの説もある。オメの母ちゃん、パンパンでねえの……っていじめられた。あげくにその母親は子供を置いて、米軍将校について遠い九州へと行っちゃう。寺山少年は掘立て小屋みたいなボロ家で、いつも一人ぼっちでね、寂しかった。で、友達を集めて、家へ呼ぶため、いろんなゲームや遊びを考えたっていうよ。ま、これが寺山修司の行動原理だな。85歳の現在に至るまでね。
 かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
 寺山の短歌だ。子供の頃、引っ越し少年だった寺山は、よそ者だってんで、ずっとかくれんぼの鬼にされてたっていうよ。もういーかーい。まーだだよおー。もういーかーい。まーだだよおー。そうしてやがて、やっと目隠しを取ると、誰もいない。夕暮れ、家のほうへ帰れば、かくれんぼで遊んでいた子供たちは、みんな大人になっている。自分一人だけが子供のままで。
  ひとの一生かくれんぼ
  あたしはいつも 鬼ばかり
  赤い夕日の 裏町で
  もういいかい まあだだよ
 日吉ミミに書いた歌詞だ。寺山修司は、実は今でもかくれんぼの鬼で、そう、ずっと遊び友達を探してるんじゃないかなあ……」
 ほう、と思う。なんだかシンミリした。
「……とまあ、ここまでが総論だ。さて、各論に移ろう」
ウザケン先輩は巨体をきびきびと動かし、ノートパソコンを持ってきて、それを開いて何やら操作して、機材を接続すると、薄暗い部室の壁にスライドを映写した。

 

◎寺山修司
新入部員用プレゼンテーション

 唖然とした。
 こういうものを用意しているのか!
 ウザケン先輩はスライドを操作しながら、解説を始める。

  ◎1954年(昭和29年 18歳)
 「チエホフ祭」50首を作り、第2回「短歌研究」新人賞を受賞する。

「まあ、これが寺山修司のデビューだな。十代の天才少年歌人、現る! “昭和の啄木”とも称され、華々しくデビュー……のはずだった。ところが……
  向日葵の下に饒舌高きかな人を訪わずば自己なき男
 これが受賞作の一首だ。で、こちらが……
  人を訪はずば自己なき男月見草
 著名な俳人・中村草田男の俳句だよ。“人を訪わずば自己なき男”――なんと下の句の七七が丸パクリ! すごいね。や、それだけじゃない。
  ◎莨火を床に踏み消して立ちあがるチエホフ祭の若き俳優(寺山修司)
  燭の灯を煙草火としつチエホフ忌(中村草田男)
  ◎かわきたる桶に肥料を満たすとき黒人悲歌は大地に沈む(寺山修司)
  紙の桜黒人悲歌は地に沈む(西東三鬼)
  ◎わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る(寺山修司)
  わが天使なるやも知れず寒雀(西東三鬼)
 ふ~。まだまだあるよ。なかには複数の自身の俳句を切り貼ったようなのまである。もともと俳句少年として出発した寺山だ。
  ◎この家も誰かが道化揚羽高し(俳句)
  この家も誰かが道化者ならん高き塀より越えでし揚羽(短歌)
  ◎桃うかぶ暗き桶水父は亡し(俳句)
  桃うかぶ暗き桶水替うるときの還らぬ父につながる想い(短歌)
 自身の俳句を引き伸ばしたと覚しき短歌も、いくつも受賞作に含まれていた。これは選考委員の「短歌研究」編集長・中井英夫が、「現代俳句についてまったく無知だった」ためだと釈明しているよ。当然、俳壇も歌壇も黙っちゃいない。
 “模倣小僧”と短歌雑誌は名指しで非難した。俳人・楠本憲吉は“言葉のクロスワードパズル”と斬り捨て、寺山は自身でその遊びを禁じるべきだと忠告した。天才少年歌人から盗作者、言葉泥棒へと一気に転落したんだ。模倣・剽窃・盗作・泥棒と罵詈雑言の嵐――スキャンダリスト・寺山修司の誕生だ。
 “盗作者”というレッテルは、その後、ずっと寺山について廻る。カルメン・マキが唄ってミリオンセラーとなった寺山作詞の『時には母のない子のように』なんて、黒人霊歌『Sometimes I feel like a motherless child』のまんまじゃないか! 『書を捨てよ、町へ出よう』だって、アンドレ・ジッドの『地の糧』の文中から拝借したって自白しているよ。大した言葉泥棒だな。これをコラージュだとかパロディだとか評するムキもあるようだけど、なんだかな~。
 現代の音楽用語で言えば、サンプリングやリミックスでしょ? 過去の音源の一部を拝借して切り貼ったり、複数の楽曲を再編集して新たな曲に仕立てたり、ヒップホップとかクラブDJとか、みんなやってるよ。つまりさ、寺山修司は……言語DJなんだ!」
 ドヤ顔で言い放った。馬面が興奮している。一着でゴールした競走馬みたい。
 百合子は圧倒されて目を丸くしていた。
 ウザケン先輩は、ふっと笑う。
「ま、ね。寺山修司は早過ぎた。誰も彼がやってることなんて、わからなかったんだよ。で、さ。音楽シーン、クラブカルチャーの発達によって、やっと時代がテラヤマに追いついた」
 細い目が、また光る。
「我がリスペクトするオザケン、そう、小沢健二ね。若き日の東大生時代に彼がやってたバンド、フリッパーズ・ギターの曲も、みんな元ネタがあるって言われるよ。シブヤ系と呼ばれて一世を風靡したもんだけど。うん、小沢健二は寺山修司の息子だ。血のつながらないね。二十歳の時の寺山の詩があるよ。