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「沼田まほかるさんに聞いてみました」(後編)


 Yonda?Mail購読者の皆さま、こんにちは。

 前回に引き続き「沼田まほかるさんに聞いてみました」後編をお届けいたします。
 初めてお読みになる方は、ぜひ前編をお読みください。世にも恐ろしい小説を書く作家の、ちょっと意外な素顔を垣間見ることができます。

 さて、新潮文庫新刊『アミダサマ』も発売まもなく5万部が増刷され、“沼田まほかるブーム”はとどまることを知りません。
 巷に新たな恐怖を巻き起こしている『アミダサマ』はこのようなストーリーです。

幼子の名はミハル。産廃処理場に放置された冷蔵庫から発見された、物言わぬ美少女。彼女が寺に身を寄せるようになってから、集落には凶事が発生し、邪気に蝕まれていく。猫の死。そして愛する母の死。冥界に旅立つ者を引き止めるため、ミハルは祈る。「アミダサマ!」――。その夜、愛し愛された者が少女に導かれ、交錯する。恐怖と感動が一度に押し寄せる、ホラーサスペンスの傑作。

 今回はこの『アミダサマ』と「読者の反応」について、編集部から沼田まほかるさんに質問状を送ってみました。以下はその一問一答です。

「『アミダサマ』のことが聞きたい!」

――『猫鳴り』(双葉文庫)は世の猫好きを唸らせた小説。『アミダサマ』でも猫は重要な役割を担っています。沼田さんにとって猫とは?

沼田:いい猫と付き合ってみると、人間より猫の方がずっと、存在の根源みたいなものに近い場所にいるのだということがわかります。だから猫を撫でていると猫越しにそういったものの気配をおぼろげにせよ感じとることができます。猫は宝物です。

――『アミダサマ』の世界観を一言で表す宗教の言葉はありますか?

沼田:もちろん「南無阿弥陀仏」です。

――恐ろしさとエロチシズムにはとても近いものがあることを沼田作品でいつも実感させられます。この発想はどこからやって来たんでしょうか?

沼田:どうしてでしょう、書くうちに自然にそうなってしまいます。

――『アミダサマ』を書くに当たって念頭にあった小説とかはありますか。折口信夫の『死者の書』などと親近性があるような気もするのですが……。

沼田:『死者の書』は不勉強で読んでいませんが『遠野物語』(柳田國男)は頭にあったかもしれません。樹に恋する女や、馬に恋する女がいたり、正体が狐狸だとわかった女をなおも恋い慕う男がいたり、有り得べからざるところで求め合うそういう姿にとても惹きつけられます。

「読者の反応って楽しいですね」

――ご自分の作品がこれほど沢山の人々に読まれていることに対して、どう思われますか?

沼田:面映ゆく、ありがたく、びっくり仰天です。同時になんか映画を観ているみたいです。

――巷では沼田作品の「後味の悪さ」が逆に受けていると聞きます。ご自分ではそんな意図はないと仰るかもしれませんが、こんな反応についてどうお感じですか?

沼田:そんなに後味が悪いんですか。ハッピーエンドではないのはわかっているつもりですが、それは自分が読者としてハッピーなオチで丸めたふうな小説が好きではないからです。だって、そういうハッピーエンドの方がずっと後味悪いでしょう。

 前後編2回にわたって、沼田まほかるさんにご協力いただきました。ありがとうございます。

 それでは、このページをご覧の多くの皆さんが沼田ワールドに踏み入らんことを。

 恐怖の園でお待ちしております。

(K・Y)

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2011年12月20日   今月の1冊
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