| 波 2007年4月号より |
上橋菜穂子『精霊の守り人』 大森 望
上橋菜穂子『守り人』シリーズがついに完結した。 昨秋出た『獣の奏者』も各所で絶賛を博し、現在ベストセラー街道を驀進中だが、上橋菜穂子の代表作と言えばやはりこちら。十年余にわたって書き継がれ、野間児童文芸新人賞、路傍の石文学賞、巌谷小波文芸賞、小学館児童出版文化賞など、児童文学界のあらゆる賞を総ナメにしてきた大河小説だ。 完結を機に全十巻を一気に読み通して、今さらながら、つくづく凄いとため息をついた。J・R・R・トールキン『指輪物語』やアーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の日本版――とまで言うとさすがに贔屓の引き倒しになりそうだが、児童文学の枠を超えて、日本語で書かれた異世界ファンタジーを代表するシリーズであることはまちがいない。 その第一巻『精霊の守り人』が、単行本初版刊行から十年余を経て、初めて文庫化される。さらにこの四月からは、NHK-BS2の衛星アニメ劇場枠でアニメ版(神山健治監督)の放送がスタートする。この二十年間にTVアニメ化された国産ファンタジー小説は山ほどあるが、そのほとんどがライトノベル系。児童文学は非常に珍しく、衛星アニメのファンタジーも、これまでは小野不由美『十二国記』、喬林知《まるマ》シリーズ、雪乃紗衣『彩雲国物語』と、ライトノベル発の原作ばかりだ。プロダクションIGにとっても児童文学は初挑戦で、この原作が持つポテンシャルの高さが窺える……と言ってもピンと来ない人には全然ピンと来ないでしょうが、とにかく大変な注目作なのである。 物語の舞台は、名前のない異世界。登場人物たちにとってはそこが世界なので、固有名詞をつけたりはしない道理。呼びにくくてちょっと不便だが、こういうリアリズムがシリーズ全編を貫いている。技術文明のレベルは中世初期の西洋程度。ただし、固有名詞や風土はなんとなくアジア大陸風だし、社会体制もオリジナル(古代日本を思わせる国も出てくる)。欧米型ハイ・ファンタジーの亜流ではない独自の世界が存在感をもってしだいに立ち上がってくる。 主役は、三十歳の女用心棒バルサと、十一歳の第二皇子チャグム。児童文学だというのに、修羅場をくぐってきた大人の視線から語られるのが大きな特徴だ。著者いわく、〈若さの名残を残してはいるけれど、もう若い娘ではない、世間の裏の裏まで見てきた、経験豊かな大人の女が、閉じた宮のなかで神の子孫として育てられていた、無垢な少年を守って闘う、そういう話が心に浮かんできて、その物語を書きたいという衝動に突き動かされるようにして、一気呵成に書き上げた物語なのです。〉 (http://www.kaiseisha.co.jp/moribito/message.html) 母親のような年齢の“守り人”(ボディガード)でありながら、バルサは母性の象徴ではないし、恋人や娼婦の役回りでもない。彼女のような自立した職業女性が違和感なく受け入れられる世界(ジェンダー観からして違う世界)がリアルに構築されている。新ヨゴ皇国だの、サグとナユグだの、ニュンガ・ロ・イム〈水の守り手〉だの、見慣れない言葉に最初はとまどうかもしれないが、心配無用。そういう読者のための羅針盤として、最後に恩田陸の文庫解説から引用しよう。 面白い。下品な言い方だが、「モノが違う」。それが率直な感想だった。(中略) 偶然の縁で、女用心棒バルサが命を狙われる皇子を救うことになる見事な導入部。(中略) この場面を読んで、作者は「私たちの世界」を描こうとしているし、この作品が「私たちのための」物語であると確信したのだ。 しかも、新潮文庫で初めて読む読者には、これから十巻分の長い楽しみが待っている。今までファンタジーが苦手だと思っていた人も、じっくりつきあってみる価値があることは保証する。すぐれた異世界ファンタジーの醍醐味を心ゆくまで堪能してほしい。 (おおもり・のぞみ 書評家)
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