新潮新書
テレビにブツブツ言う

バラエティ番組などを評して「電波のムダ」などと言う人がいますが、私はそう思いません(お笑い好きなので)。しかしテレビを見て、うーむと思うことはよくあります。特にニュースや情報番組。思いつくままに並べてみます。
●映像が衝撃的というだけで、ほとんど日本と関係ない事件をトップ扱いするニュース(←こういうのは「びっくり映像」等の番組でやればいい)
●若い女性タレントがウエディングドレス姿を披露したときの不毛な会話(←そいつが「いい恋」をしてようがしてまいが、着る予定があろうが無かろうが知ったことではない)
●「激安極旨グルメ」の類の話(←激安で旨いものは、滅多にない。あったらメシ屋は苦労しない)
●キャスターが応援する野球チームについてあれこれはしゃいで語る様(←さっきまで悲惨な事件を沈痛な面持ちで伝えていたのに。本当に同じ人間なのか)
●「自民党と民主党の政策の差が見えない」といった、もっともらしいコメント(←それを調べるのが、そっちの仕事だろう、と突っ込みたくなる)
きっと「そんなブツブツ言いながらテレビを見ても仕方ないでしょう」と呆れられたと思います。その通りで、だから私はあまりテレビの情報番組やニュースを見なくなりました。「めちゃイケ」を見て笑っているほうが精神衛生によいと本気で思うのです。
8月新刊『テレビの大罪』(和田秀樹・著)は、こういう偏屈爺の愚痴みたいなものとは違って、精神科医であり教育者でもある著者による、本格的なテレビ批判です。現在のテレビがどれだけ人々の心身を蝕み、社会に悪影響を与えているかがよくわかります。日本のテレビ局はWHOが定めた自殺報道のルールをまったく守っておらず、それが自殺を増やしているのでは、といった指摘にははっとさせられました。
大相撲の話

毎回そうですが、今回も以下に書くことは、あくまでも私個人の見解で、新潮社や編集部の意見ではありません。
何のことかといえば大相撲です。どうも私にはよくわからないのです。身内で花札をやっていた程度の人まで、会見に引っ張り出して謝罪させる必要があるのか。
報じているメディア(特にテレビ)の伝え方も理解できません。テレビ局に麻雀や賭けゴルフをやった人がいないはずがありません。ある有名なキャスター氏は、賭け麻雀が大好きだったと聞きました。仄聞するところでは数十万円が動いていたとのことでした。
身内の賭けはともかく、野球賭博はいかんだろう、暴力団の資金源だ、と怒られるかもしれません。それはそうなのでしょう。これまたテレビを見ていたらご意見番と称するタレントが「芸能界ならこんな不祥事を起こしたら一発でクビだ(だから処分やむなし)」という旨のことを言っていました。うそつけ、と思いました。確かに「一発でクビ」になるが、すぐに戻ってくるじゃないか、と。長年芸能界にいて、まったく暴力団の影も見たことがないなどという話は全然信用できません。
大体、素人にはこんなに早く処分を決めてしまう必要があるのかがわかりません。黒とか灰色の人は出場停止にしたうえで、徹底的に調べて、どういう処分がいいのかをじっくり考えても誰も困るまいにと思うのです。「膿を出す」というのは、あくまでもたとえです。本当に体内に膿がある場合はすぐに出したほうがいいのでしょう。が、今やっているのは「厄介払い」じゃないかという気がします。
報道によれば、貴乃花親方は「最下位から再出発させたらどうか」というアイデアを出していたそうで、これはいい思い付きだなあと思いました。きっと盛り上がるし、本人も必死でやるだろうし、なぜもっと検討しなかったのか不思議です。日頃は「再チャレンジの重要性」を説いている人たちが黙ってしまうのも不思議です。ちょっと前の大物政治家の疑惑については「推定無罪だ」と一所懸命弁護していた人たちが、力士や親方に対して同様の弁護をしないのも不思議です。
私が好きなタイプの小説や映画では、悪事に手を染めて追放されたボクサーは、大抵、その後食い詰めてマフィアの用心棒になっています。そういうことにならねばいいが、と心配になります。
処分するなというのではありません。とにかく急いで結論を出そうとすることに、なんだか嫌な感じがしてしまうのです。
7月の新刊『即答するバカ』(梶原しげる・著)のタイトルの由来も、このへんの感じと関係があります。とかく急いで結論を出して答えるのが望ましいような風潮に対して、「本当にそうなのか?」と著者は疑問を投げかけています。それで人間関係がうまくいくのかね、と。タイトルから誰か身近な人の顔が浮かんだならば、ぜひ開いてみてください。
ブラック・ジャックと島耕作

ルックスに難がある(と自分で思っている)人の顔を美容整形で加工するテレビ番組があります。野次馬気分で見てしまうと、大抵の場合「前のままでいいじゃん」という感想を持ちます。
これで思い出すのは、漫画『ブラック・ジャック』の整形に関する回です。田舎から出てきた地味な顔の少女が、芸能人になりたいといって天才外科医、ブラック・ジャックに整形を依頼します。最初は断った彼も、少女に押し切られて手術に踏み切る。その結果「美人」になった少女は本当にスターに。その彼女が久しぶりにブラック・ジャックのもとを訪ねると、そこには整形前の自分の顔写真が飾ってあります。ブラック・ジャックは「その顔の少女は死んだ。魅力的な子だった」というようなことを言い、彼女はショックを受ける、というストーリー。
このエピソードはかなり印象的なもので、同年代の人と話すと、かなりの人が覚えています。「前のままでいいじゃん」と思う気持ちの何割かは、子供の頃に読んだこの漫画に影響されているのかもしれません。
改めて考えると、子供の頃に読んだ漫画の影響は相当なものだと思います。たとえば『課長 島耕作』。敵役の同僚社員、今野輝常みたいなサラリーマンは嫌だなあと思ったものです。上にひたすらゴマをすり、下に理不尽に威張り散らす今野は、漫画界での歴代「嫌なサラリーマンキャラ」の中でも上位に入る強烈な人物でした。
むろん実際に今の自分がどう思われているかはわかりません。島耕作のように社内でモテたこともありません。それでもまあ今野みたいにはなるまいという戒めは心のどこかで生きているように思います。
6月の新刊『気にするな』は、その島耕作の生みの親、弘兼憲史さんの体験的人生論です。生い立ちからヒット作の裏側、超多忙な仕事ぶり等、秘話満載。一年を通してほぼ休日がゼロでも「仕事が楽しくて仕方がない」という著者の超前向きな思考に触れるうちに、読み手も元気になること請け合いです。
その島耕作(今は社長)が最近、首相に物申しに行くというエピソードがありました。現政権の環境政策は日本の産業を破壊する、と言うのです。新刊『エコ亡国論』(澤昭裕・著)は、このテーマを正面から扱った一冊。今の環境政策がいかにデタラメで、国民に負担を強いるかをこれでもかというくらいのデータと論理を元に徹底的に批判しています。
ツイッターのこと

うまく説明できないのですが、何となく苦手な言葉というのがあります。多いのは、日本語でいえば済むのに、わざわざカタカナで言うというやつ。
「ゼロベースで」じゃなくて「いちから」って言えよ。「FREE戦略」って、この場合そんな大層なもんじゃなくて「試食」じゃないのか。
自分でも問題があると思うくらいに、テレビや新聞を見ながらブツブツ言っています。このままもう少し年を取ったら明らかに厄介な人になるので気をつけなくてはいけません。
最近、どうも馴染めなかったのが「なう」という言葉でした。ツイッター用語だと思うのですが、その字面が何となくしっくりこないのです。「NOW」や「ナウ」なら気にならないのに「なう」は気になってしまう。そういえば昔から「ぬた」という字面も見ていて何となく気持ち悪く感じていました。食べるのは好きなのですが、名前が苦手なのです。
「なう」のおかげで、ツイッターというものにもちょっと距離を感じていたというか、敬遠しておりました。しかし時代の波は部員を通じて伝わってきて、新潮新書編集部でも、試験的にツイッターを始めてみることにしました。
もちろん、仕事の一環ですので、「会議なう」とかつぶやくこともないですし、「社内でけん責処分が!」と速報することもありません。新潮新書編集部からのお知らせが、ちょこちょこと出ているだけです。
それでもありがたいことに、書店や読者の方からあれこれとご意見、ご感想をいただいています。「4月刊の新潮新書『ヤフートピックスを狙え』と光文社新書『ヤフー・トピックスの作り方』は並べて売るべし」といった書店さんからの意見を読み、「さすが鋭い」などと思ったりもしています。興味のある方は覗いてみてください(http://twitter.com/shincho_shinsho)。



