
血も涙もある
649円(税込)
発売日:2023/08/29
- 文庫
- 電子書籍あり
不倫? 倫理が何かは自分で決める――。極上の料理と危険な恋愛を描く詠美文学の真髄!
不倫? 倫理が何かは自分で決める――。35歳の和泉桃子は当代随一の料理研究家・沢口喜久江の助手を務めつつ、彼女の夫・太郎と付き合っている。「人の夫を寝盗ること」を趣味とする桃子だったが、喜久江を心から尊敬してもいる。一方の喜久江は、太郎の女癖を受け流すのが常だったが……。“lover”と“wife”と“husband”三者の視点で語られる「危険な関係」の行方は。極上の詠美文学!
2. wife
3. husband
4. lover
5. wife
6. husband
7. lover
8. wife
9. husband
10. people around the people
書誌情報
| 読み仮名 | チモナミダモアル |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮文庫 |
| 装幀 | Juan Sanchez Cotan/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
| 雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
| 発行形態 | 文庫、電子書籍 |
| 判型 | 新潮文庫 |
| 頁数 | 272ページ |
| ISBN | 978-4-10-103627-4 |
| C-CODE | 0193 |
| 整理番号 | や-34-17 |
| ジャンル | 文芸作品 |
| 定価 | 649円 |
| 電子書籍 価格 | 649円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2023/08/29 |
書評
ピンク色に毒される前に
新しい家のカーテンはピンク色にした。上京を機に変わりたかった。私はピンク色が嫌いだ。いや、ピンク色を好きな人だと思われることが嫌いだ。私にとってピンク色は、色恋、ハート、女の子、パニエ、高い声と可愛い顔。ピンク色は可愛くて、魅力的で、目を離せなくて、生温くて、熟れすぎた桃に似た哀しさがある。私はずっと、ピンク色に侵されるまいと必死だった。小学校の頃、同級生に「声が高いね」と言われたときは自己嫌悪で眠れなかった。取材で私の放った言葉に“♡”を付け足されていたときは、焦るあまり全世界へ弁明したい衝動に駆られた。
ピンク色に毒される前に、こんな抵抗やめにして、いっそ私のモノにしたかった。当時はコロナ禍真っ只中。家から出られず生活リズムも逆さまな中、昼夜を問わず、たくさんの本を読んだ。「最悪な本」に出会う度、私は私を好きでいられた。

ピンク色のカーテンがかかる部屋。まだ多少の居心地悪さを拭えないまま、『ぬるい毒』を開いた。そこには自意識と闘う女の子がいた。彼女はあまりに残酷な彼を前に服従する日々だった。彼の退廃的で摑めない魅力に彼女はそうせざる他なかった。自分を支配する彼を、どうにかして出し抜きたいと闘う彼女はどこか私に似ていた。
特別でない描写なのに、なぜか頭を離れない一文がある。自尊心をズタズタにされた飲み会の後日、あらゆる地獄を封じ込めて、当たり障りのないメールを打つ。彼女は「全体としての文字のバランスを確認したあと、保存だけした。」私はこの一文に妙な共感を覚えた。自意識が許す人格を着実に形成していく自分と、どこかで本当は分かっている浅い自分。その間で葛藤する彼女が痛いほど分かる。どうにか彼女の背中をさすりたかったが、五年間の闘争の末、私の望む手助けなど遂には必要なかった。「私が必死で生きているところを馬鹿にするのは、もうやめてと叫びたかっただけだった。」「私は生きようとしているだけだ。」そんなことを素直に思えるようになっていた。彼女は、私は、「いまでもたまに、いろんなことを思い出す。」そしてまた、歳を重ねる。
歳を重ねるにつれ、純愛というものにハテナが浮かぶようになった。当人の思うままの純度は、どこへ行こうと誰かの耳に入る頃には多少の濁りが生じるような気がしてならない。それなら数十年の大恋愛も、回転数の多い不貞も、何が善と言いきれようか。倫理を除けば。

そんな理解をしていながらも、『血も涙もある』の書き出しには驚いた。「私の趣味は人の夫を寝盗ることです。」振り切った自己紹介に、どんな綺麗事にも勝る純粋さを見た。尊敬する先生の夫を淡々と我が物にするモモの前では、俗に言う“尊敬”という意味すら懐疑的になる。だがモモには血も涙もある。血も涙も自分の中にだけ流れるものなのだから、何が血で、何が涙かは自分で決めればいいんじゃない? 読み終わった頃には、私もそんなことを口にするのだ。

私の中でしか蠢かない罪悪感は、広い世界では悪とされないのか。私さえ素通りしてしまえば、無になってしまうのだろうか。考えても答えは出ないが、考え続けたいと思えた本がある。遠藤周作さんの『海と毒薬』という小説だ。福岡県出身の私には身近に感じていた“九州大学生体解剖事件”が、解剖に参加した医師の立場から語られている。
この小説は冷酷だ。救いは見当たらない。ゆっくりと地に足をつけて近づいてくる事実は、澱んだ空気とともに良心を蝕み、“仕方がなかった”と語りかけてくる。それは罪悪感を殺してくれる訳でもなく、安心したい私を放り投げて、事実の前に再び立たせるのだ。読む者の答えを静かに聴き、また問い、また聴く。私の中で生き続ける名状しがたい罪悪感を、私はたしかに憶えている。本の中でだったか、それとも。
たくさんの本に連れられて、たくさんの世界を見た。私を見つめた。気が付けばピンク色のカーテンがかかる部屋を飛び出て、広がる混沌の世界をどこまでも面白がってやりたくなった。
(きくち・ひなこ 俳優/モデル)
比喩通り
少し前の拙作にこんなことを書いた。「(飲み屋で)今は『恋バナ』の時代が終わり、代わりに皆が『推し』を語る」と。
(結婚を含めての)恋愛を人生の至上価値とせず「好きなこと」を標榜する生き方を謳う表現(著作でも映像でも)が増え、ヒットしている。「推し」は多くの人にとって、悪いことではない、開放的な言葉だ。たとえばアイドルグループに過剰に入れあげるなんて「いい年をした大人」が公言できるものではなかったのが、堂々としてよくなった。僕が学生時代から埋没したテレビゲームや漫画などの「ネクラ」なオタク文化もカジュアルに「推し」を公言する人が増え、ずいぶん風通しがよくなった。
一方、今や「推し」がないと人生を謳歌していないような、なんだかソワソワした気持ちになる。そして、あれだ。かつて飲みの席で常に盛り上がった、あの軽薄な「恋バナ」はどこにいったんだ?(単に僕が衰え、恋愛の「現場」から遠のいたせいで耳にしないだけかもしれないが)。
皆、どうしようもなく人を好きになることで生じる気持ちを、ときに冗談めかして、照れゆえに直截に、それでも吐露してみるという行いは、本当に下火になったのか?
山田詠美の最新作『血も涙もある』をめくり、まずはほっとする。よかった、ここでは老若男女、みんな恋愛の渦中だ。ちゃんと風通しよくなく、人間が見苦しくも勇ましく、つまり面白い様態である。
今作の作中人物たちは(これまでの山田作品の人物たち同様)言葉を大切にする。「言葉を大切に」という言葉は、丁寧で上品な言葉遣いをせよ、という意味に聞こえるが、そんなマナーのようなことでなく、もっと厳格に、言葉に厳密たらんとする。
昔、よその家に引き取られる子供を「もらわれっ子」と呼びましたが、差別的な悲しい響きがあり、使うのがためらわれる言葉です。
それなのに「良い奥さんもらった」はいいのか、と太郎はひっそり口をとがらせる。セレブの妻を持ちながら浮気を繰り返し、ついに妻の弟子との恋に溺れてしまう太郎。いつもは太平楽にしているが「痒いところに手が届くって、料理に使う言葉か?」などと、意味の正否だけでない、譬えの「似合う・似合わない」までを潔癖に考えている。
この御時世、年を取るのを「年齢を重ねる」なんて言う。年増を「熟女」なんて気持の悪い名称でもてはやしたりする。
十も年下の夫、太郎の浮気を黙認しているカリスマ料理研究家の喜久江も、たとえ「もてはやされて」いてさえ、世間に蔓延る言い換えを許さない。「不倫」という「メジャー」な単語にも、妻、夫、愛人が三者三様に言及をしてみせるが皆、通り一遍の定義には染まらない。
小説や戯曲では、章ごとに話者の代わる構成を音楽の輪舞形式に喩える。通常のそれは、妻の思う夫と、夫の本音に著しいズレがあったり、片方の隠し事を片方は見透かしていたりすることで「意外性」や「皮肉」が生じる(ことが面白みになる)。この作品にもズレや隠し事や見透かしはあるが、皮肉には感じない。三人の輪舞は恋愛の同一チームで言葉のラグビーボールを回しあっているかのようだ。三人が共有するリズムを読者は感じ取る。それはありきたりな輪舞形式で得られる皮肉よりずっと面白い。
この、リズムを伴って発揮される厳密さは山田作品を貫く基調のようなもので、読者はときに(言葉に縛られていた古い考え、先入観を打破してもらって)勇気づけられ、ときに(安直な言葉で片付けようとしていた気持ちを正されるから)ピリッと緊張させられることになる。
題名もそう。「血も涙もない」というお決まりの慣用句に対し、もちろんそれは比喩と分かっていつつ、からかってみせる。浮気に没頭して罪悪感など抱かぬ男女にも、血も涙もある、と。それは当初、生理の血と玉ねぎで出た涙という、慣用句への「おちょくり」として現れるが、終盤では大の大人の泣きじゃくりとなって現れる。
「喜久江は、情け深い人だね」という太郎の言葉に「深情けよ」と、ここでも徹底して言葉を正しく言い直す、その「訂正」が、圧巻だ(その差異の説明だけは書かれない)。そして無情ともいえる結末にあっても、飄々としなくていいのだ、と夫の重荷を下ろさせる作者には比喩の通り、血も涙もある。
本作には「推し」という「言葉」は出てこない。でもそれは、僕のような半端な中年が新しい価値観に反射的に反発しているのとは違うように思う。作者は言葉を大事にするゆえ、新たな語を簡単には取り扱わず、注意して観察し咀嚼しているのだろう。いつか作者なりの洞察とともに正しく面白く、取沙汰されるかもしれない。それも読んでみたい。
(ながしま・ゆう 作家)
波 2021年3月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
山田詠美
ヤマダ・エイミ
1959(昭和34)年、東京都生れ。1985年に「ベッドタイムアイズ」で文藝賞、1987年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。近著に『つみびと』『血も涙もある』『私のことだま漂流記』など。



































