父と暮せば
539円(税込)
発売日:2001/01/30
- 文庫
- 電子書籍あり
世紀が変わってもヒロシマを忘れない。
「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」愛する者たちを原爆で失った美津江は、一人だけ生き残った負い目から、恋のときめきからも身を引こうとする。そんな娘を思いやるあまり「恋の応援団長」をかってでて励ます父・竹造は、実はもはやこの世の人ではない――。「わしの分まで生きてちょんだいよォー」父の願いが、ついに底なしの絶望から娘をよみがえらせる、魂の再生の物語。
書誌情報
読み仮名 | チチトクラセバ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 128ページ |
ISBN | 978-4-10-116828-9 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | い-14-28 |
ジャンル | 文芸作品、戯曲・シナリオ、文学賞受賞作家 |
定価 | 539円 |
電子書籍 価格 | 407円 |
電子書籍 配信開始日 | 2013/11/01 |
コラム 新潮文庫で歩く日本の町
昨年秋に東京から始まった舞台「三匹のおっさん」は名古屋、大阪、博多、広島、高松と全一〇八回の公演が終わりました。私はおっさんの一人、中村梅雀さんの娘役。
長崎生まれの私にとって、広島は何よりもまず、原爆が落とされた〈もう一つの街〉です。ばたばたの旅公演では原爆ドームなどへ行く時間が取れなかったのですが、東京へ戻ってから井上ひさしさんの戯曲『父と暮せば』を読みました。
一九九四年の初演以来、繰り返し上演され、宮沢りえさんと原田芳雄さんの主演で映画にもなった名作ですから、粗筋はみなさんご存じでしょうが――。
あの日から三年たった広島で、美津江は愛する者たちがみんな亡くなったのに、一人だけ生き残ったことを負い目に感じながら暮らしている。気になる男性が現れたのに、恋愛に積極的になれない(「恋はいけ
美津江の「あんときの広島では死ぬるんが自然で、生きのこるんが不自然なことやったんじゃ。そいじゃけえ、うちが生きとるんはおかしい」というセリフに、広島でどんな地獄があったか、酷い亡くなり方をした人たちばかりでなく、生き残った方もどれだけ辛かったかと胸が抉られます。
原爆という巨大な、悲惨な、歴史的な出来事を描くやり方は幾通りもあるでしょうが、この芝居はごく普通の父娘だけ(二人芝居です)に焦点を絞っています。そのことで、美津江たち以外にも、どれくらい多くのこんな親子が、平凡な一家が、日常の暮らしがあったろうか、と気づかされます。また、美味しそうな
長崎では小学校から平和教育があって、原爆を忘れないようにしています。八月九日は夏休み中だけど、登校日になっていて、十一時二分には黙祷をしました。中学生になり高校生になると、日本はただ原爆を落とされたというだけではなくて、自分たちも戦争をしていたと知るようになります。でも、じゃあ原爆で死んだ人たちのことをどう祈ればいいのか、どこかモヤモヤした気持ちでいました。それがこの本の最初に掲げられた「前口上」ですとんと腑に落ちたのです。井上さん曰く「被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、『知らないふり』することは、なににもまして罪深いことだと考える」(短いものなので、「前口上」全文を読んでみて下さい)。
東京の友達に「八月九日って登校日だったんだよ」と言っても「へえー」、下手をすると「何の日だっけ?」と言われます。私も、東京大空襲の日を「三月九日の深夜だっけ、十日の夜?」とアヤフヤでした。知らないのは仕方ないけど、やはり知るべきことってあるなというのがまず読後に湧いた思いです。
(みやざき・かれん 女優)
波 2016年3月号より
コラム 映画になった新潮文庫
古沢良太さん脚本、行定勲さん演出の舞台「趣味の部屋」の公演で、全国を廻ってきました。土地によって反応がまるで違うのが刺激的。大阪では笑いの数がぐんと増えたり、函館では思わぬところで大きな拍手が来て感激したり。
土地ごとのおいしい食べ物の話(高松のうどんとか)もあるのですが、何より心に残ったのは、広島での公演前に主演の中井貴一さんたちと出かけた原爆ドームと平和記念資料館でした。あまりに悲惨なあの日(とそれ以後)の展示は強烈で、声をのみ、胸ふたがれ、目を背けたくもなったけれど、やはり行ってよかった。学校その他での知識はあるにせよ、行くのと行かないのとでは原爆への実感が全然違ってきます。例えば、井上ひさしさんの『父と暮せば』の印象も変わっていたかもしれません。
広島から帰京した直後にこの戯曲を読み始めたので、切ないほど感情移入ができました。資料館で見た、顔の溶けたお地蔵さんの首が、終盤の大事な場面で出てきます。
と同時に驚いたのは、全篇にユーモアが溢れていること。テーマは原爆で、設定は昭和二十三年夏の広島、竹造と美津江の父娘しか出てこない二人芝居なのに(ネタバレになるので、読んでいない人はこのカッコの中を読まないで下さい――竹造は三年前の原爆で死んでいることが少しずつ分ってきます)、会話はおよそ重苦しくならず、スピーディで、笑わせ、時折しんみりさせて、大いに泣かせます。
私の心が痛くなったのは、原爆で死んだ人たちを思って、美津江が「うちはしあわせになってはいけんのじゃ」と告白する場面。でも、木下さんという青年が現れて、恋ごころが芽生えている。そこで竹造は、美津江の「恋の応援団長」になる……。
ここはどうしても自分の父を思い出します。無論私は父に恋愛の相談をしたことなどないし、父から訊いてくることもありません。ただ父は、私が芸能界へ入るオーディションを受けるのに猛反対していたくせに、何次選考かまで残って、次は芝居や歌の審査があることを知ると突然「カラオケボックスへ行こう!」と言い出しました。それまで一緒にカラオケなんかしたことないのに。以来どんな時でも一番の応援団長になってくれています。そんな父を持つ娘として、竹造の姿はリアルです。
きついイメージのある広島弁ですが、竹造の操る言葉は何とも可愛らしく、ほっこりします。父娘が何度か「ありがとありました」と礼を言い合うのが心へ残るうちに、それが伏線となって、胸を打つ明るい結末が来ます。ラスト近く、二人の「ちゃんぽんげ」(じゃんけん)も、ほっこりした言葉遣いなのに、悲しくて、感動的で、一言では括れない感情に捕らわれる名場面。あの夏から七十年たった今年、ぜひ読んで(舞台を見て、映画を見て)下さい。
映画版はほぼ戯曲通りですが、音楽やムードが少し重く、広島のあの日の光景を絵などで見せるので、DVDを見ながら少し目を伏せてしまいました。けれど、美津江役の宮沢りえさんは実に素晴らしく、とりわけ浴衣姿で鏡台へ向って、夏休みの子どもたちに昔話を語る練習をする場面(ここは映画オリジナル)の可憐さと言ったら!
(はら・みきえ 女優)
波 2015年6月号より
著者プロフィール
井上ひさし
イノウエ・ヒサシ
(1934-2010)山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後、「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同執筆する。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『腹鼓記』、『不忠臣蔵』(吉川英治文学賞)、『シャンハイムーン』(谷崎潤一郎賞)、『東京セブンローズ』(菊池寛賞)、『太鼓たたいて笛ふいて』(毎日芸術賞、鶴屋南北戯曲賞)など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍した。2004(平成16)年に文化功労者、2009年には日本藝術院賞恩賜賞を受賞した。1984(昭和59)年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行った。