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私の体を通り過ぎていった雑誌たち

坪内祐三/著

607円(税込)

発売日:2008/06/01

書誌情報

読み仮名 ワタシノカラダヲトオリスギテイッタザッシタチ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-122632-3
C-CODE 0195
整理番号 つ-18-2
ジャンル 本・図書館、人文・思想・宗教、マスメディア
定価 607円

「少年画報」「COM」「宝島」「ローリングストーン」「面白半分」「カイエ」「ブルータス」……雑誌の記憶が呼び起こす60's~80's青春回顧録。

古い雑誌を眺めれば、その頃の記憶が、時代の空気が、甦ってくる。小学生時代、夢中になったプロレス雑誌。中学ではじめて定期購読を経験した映画雑誌。高校ではロックに目覚め音楽雑誌を読みふけり、大学ではついにミニコミ誌でライターとしてデビュー。1960年代から80年代。雑誌が一番面白かったあの頃の全34誌を思い出と共に振り返る、資料としても貴重な極私的青春クロニクル。

目次
小学校時代(一九六五―一九七一)――雑誌が私の学校だった
初めて買った雑誌は『冒険王』と『少年画報』だ
あの頃の『少年マガジン』は素晴らしい“総合雑誌”だった
『別冊ゴング』の「ゆずってください」欄に名前が載った
『ゴング』の「読者の誌上会見」を毎号熟読玩味した
『漫画讀本』を知ったのはジョン・F・ケネディの暗殺の日だった気がする
祖母が愛読していた週刊『TVガイド』
中学校時代(一九七一―一九七四)――いよいよ雑誌にはまっていった
『週刊ベースボール』でヤクルトアトムズのペピトーンの顔を知った
『スクリーン』に載った幻の「荒野の七人」(第四作)の予告
生まれて初めて定期購読したのは『キネマ旬報』だった
日比谷の不思議な「三角洲」で見つけた二つの映画雑誌
『平凡』より『明星』の方が垢抜けていたような気がする
昼休みによく相撲をとった私は『相撲』を愛読した
高校時代(一九七四―一九七七)――いわゆる「雑誌の時代」にリアルタイムでドキドキ
出来たばかりのBIGBOXの古本市で買った『COM』のバックナンバー
林静一が表紙デザイン担当だった『ガロ』が忘れられない
高校一年生にはレベルが高過ぎた『宝島』を何度も眺めた
ディランに目覚めて手にした日本版『ローリングストーン』
『ニューミュージック・マガジン』の内田裕也の文章にガツンとやられた
一見ミーハーな『ミュージック・ライフ』のインタビュー記事はロックしていた
『週刊読売』の横尾忠則のアヴァンギャルドな表紙
エロだけでなく読物も充実していた『週刊プレイボーイ』と『平凡パンチ』
『月刊PLAYBOY』に日本版「ニュージャーナリズム」を感じた
予備校時代(一九七七―一九七八)――いつのまにか読書家になっていた
いかにして私は文春小僧となりしか
実は『面白半分』を愛読していたわけではない
時代の新しさに対応していた『本の雑誌』のアマチュアリズム
『マスコミひょうろん』から『噂の眞相』へ
大学時代(一九七八―一九八三)――チッと思いながらも実は新しいものも好きだった
“たしかに冬樹社という時代があった”『50冊の本』
『カイエ』『海』『ユリイカ』の三誌鼎立に何かが始まる予感があった
一九七九年の『ハッピーエンド通信』
『ブルータス』の読書特集号は読み応えがあった
出版社のPR誌のことも忘れてはいけない
現代版『洋洒天国』としての期待に応えた『サントリークォータリー』
「新言文一致」時代のインタビュー誌『スタジオ・ボイス』が新鮮だった
就職試験を受ける頃に創刊された『BOOKMAN』
私は学生ミニコミ誌『マイルストーン』編集部にいた
あとがき
解説 群ようこ

まとめテーマでくくる 本選びのヒント

著者プロフィール

坪内祐三

ツボウチ・ユウゾウ

(1958-2020)1958(昭和33)年5月8日東京都渋谷区生まれ、3歳から世田谷区育ち。早稲田大学第一文学部人文専修卒、同大学院英文科修士課程修了。1987(昭和62)年から1990(平成2)年まで「東京人」編集部員。1997(平成9)年、『ストリートワイズ』(晶文社)でデビュー。2001(平成13)年9月、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)で講談社エッセイ賞を受賞。2020(令和2)年1月13日、心不全のため急逝。主な著書に『靖国』『古くさいぞ私は』『変死するアメリカ作家たち』『探訪記者 松崎天民』『昼夜日記』など。「小説新潮」に連載中だった『玉電松原物語』が遺作となった。

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