狐笛のかなた
825円(税込)
発売日:2006/11/28
- 文庫
- 電子書籍あり
「本書の魔法は超一級品です。」――宮部みゆき。少女と霊狐の孤独でけなげな愛。野間児童文芸賞受賞。
小夜は12歳。人の心が聞こえる〈聞き耳〉の力を亡き母から受け継いだ。ある日の夕暮れ、犬に追われる子狐を助けたが、狐はこの世と神の世の〈あわい〉に棲む霊狐・野火だった。隣り合う二つの国の争いに巻き込まれ、呪いを避けて森陰屋敷に閉じ込められている少年・小春丸をめぐり、小夜と野火の、孤独でけなげな愛が燃え上がる……愛のために身を捨てたとき、もう恐ろしいものは何もない。
書誌情報
読み仮名 | コテキノカナタ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 400ページ |
ISBN | 978-4-10-130271-3 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | う-18-1 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 825円 |
電子書籍 価格 | 693円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/02/26 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2006年12月号より 獣と人が恋する話 上橋菜穂子『狐笛のかなた』
幼い頃から、私の心の底には、人も獣も虫も土くれも、実はたいして変わらないのではないかという気分があって、そういう気分が、ときおり、ひょいと頭をもたげてくる。『狐笛のかなた』は、そういう気分の中で、一気に書き上げた物語である(書籍版のあとがきのせいで、十年かけて書いたと思われた方が多いようだが、あれは『狐笛のかなた』の発想が頭に浮かんだのが十年前であったという意味で、「物語の種」が芽吹いてくれずに十年経ち、ある日、突如芽吹いてからは、三ヶ月程で書き上げたというのが実情である)。
人と獣はたしかに違う。違うが、結局は同じ地平にあるものだ、という感覚は、私ひとりのものではなくて、多くの日本人の心性の奥底に、昔から、脈々と息づいてきた感覚ではなかろうか。そうでなくては、人と獣が出会い、結ばれ、子までなすような昔語りが生ずるはずもない。
私は、祖母の膝に頭をつけて甘えながら、たくさんの昔話を聞いて育った。祖母が語ってくれたのは絵本になっているような昔語りではなくて、出生地の下関や、嫁いだ先の福岡で、耳で聞いて覚えたのであろう、いわゆる土地に伝わるお話の類であったが、その中にも、獣と人が同じ地平で触れあってしまう話があって、私の中にある気分というのは、この祖母の話によって培われた部分が多分にあるにちがいない。
「山猫に育てられた子どもの話」と、私が勝手に名付けていたお話も、そういう話のひとつだったのだけれど、あるとき父に、この話をしたとたん、「ちょっと待て、おまえが覚えている話は、まちがっているぞ」といわれて、驚いた。そして、父が覚えている話と、私が覚えている話をつきあわせてみると、確かに随分と違ったのである。
私が覚えていたのは、農家のお嫁さんが、農繁期に赤子を畑の傍において野良仕事をしている間に、山猫が赤子をさらっていき、山奥の岩屋で育てていた、というお話だった。大きな山猫が、かわいがって赤子を育て、その子はヨチヨチ歩きをするくらいにまで成長するのだが、山に入ってきた猟師が、山猫が幼子を抱いている姿をみて、「化け物め!」と撃ち殺してしまう……そういうお話として、心に刻まれていたのである。私はすっかり山猫の方に感情移入してしまっていたのだろう、山猫が撃たれてしまったとき、ワーワー泣いた記憶さえあるのだ。
ところが、父が聞き覚えていたのは、それとは随分印象の違うお話であった。なにしろ、それは「昔話」ではなく、「本当にあったお話」だというのである。畑の傍からいなくなった赤子を村の衆が鉦や太鼓を鳴らしながら探し、山奥まで探しまわった。すると、冬枯れの木々の、枝の上の方に、赤い着物の切れ端がみえたので、登ってみると、ごく普通の家猫が巣を作っており、その巣の中に、いなくなった赤子が眠っていた。いったい、どうやって猫がここまで赤子をひっぱりあげたやら、不思議なこともあるものだ……という、まるで『遠野物語』のような語り伝えだったのである。
日々の暮らしの中に、ふっと異界が立ち現れる瞬間があることを語り伝えてきた人の心がみえて、大人になった私にとっては、こちらの話の方が興味深い。
しかし、そうやって「興味深い」と思っている私は、すでに「お話」の外に立っているのだ。
子どもの頃の私は、話を聞くうちに、お話の中に入り込み、猫に育てられた子どもの気分になっていたのだろう。だからこそ、猫は自分を抱けるほど大きい山猫の姿となり、私はその猫の背にかばわれて、猟師が育ての親に向けた銃口をみていたのだ。
『狐笛のかなた』の最後の部分を書いていたとき、私は小夜となり、狐である野火をみていた。――あの物語のラストは、だから、小夜であった私が下した決断なのである。
人と獣はたしかに違う。違うが、結局は同じ地平にあるものだ、という感覚は、私ひとりのものではなくて、多くの日本人の心性の奥底に、昔から、脈々と息づいてきた感覚ではなかろうか。そうでなくては、人と獣が出会い、結ばれ、子までなすような昔語りが生ずるはずもない。
私は、祖母の膝に頭をつけて甘えながら、たくさんの昔話を聞いて育った。祖母が語ってくれたのは絵本になっているような昔語りではなくて、出生地の下関や、嫁いだ先の福岡で、耳で聞いて覚えたのであろう、いわゆる土地に伝わるお話の類であったが、その中にも、獣と人が同じ地平で触れあってしまう話があって、私の中にある気分というのは、この祖母の話によって培われた部分が多分にあるにちがいない。
「山猫に育てられた子どもの話」と、私が勝手に名付けていたお話も、そういう話のひとつだったのだけれど、あるとき父に、この話をしたとたん、「ちょっと待て、おまえが覚えている話は、まちがっているぞ」といわれて、驚いた。そして、父が覚えている話と、私が覚えている話をつきあわせてみると、確かに随分と違ったのである。
私が覚えていたのは、農家のお嫁さんが、農繁期に赤子を畑の傍において野良仕事をしている間に、山猫が赤子をさらっていき、山奥の岩屋で育てていた、というお話だった。大きな山猫が、かわいがって赤子を育て、その子はヨチヨチ歩きをするくらいにまで成長するのだが、山に入ってきた猟師が、山猫が幼子を抱いている姿をみて、「化け物め!」と撃ち殺してしまう……そういうお話として、心に刻まれていたのである。私はすっかり山猫の方に感情移入してしまっていたのだろう、山猫が撃たれてしまったとき、ワーワー泣いた記憶さえあるのだ。
ところが、父が聞き覚えていたのは、それとは随分印象の違うお話であった。なにしろ、それは「昔話」ではなく、「本当にあったお話」だというのである。畑の傍からいなくなった赤子を村の衆が鉦や太鼓を鳴らしながら探し、山奥まで探しまわった。すると、冬枯れの木々の、枝の上の方に、赤い着物の切れ端がみえたので、登ってみると、ごく普通の家猫が巣を作っており、その巣の中に、いなくなった赤子が眠っていた。いったい、どうやって猫がここまで赤子をひっぱりあげたやら、不思議なこともあるものだ……という、まるで『遠野物語』のような語り伝えだったのである。
日々の暮らしの中に、ふっと異界が立ち現れる瞬間があることを語り伝えてきた人の心がみえて、大人になった私にとっては、こちらの話の方が興味深い。
しかし、そうやって「興味深い」と思っている私は、すでに「お話」の外に立っているのだ。
子どもの頃の私は、話を聞くうちに、お話の中に入り込み、猫に育てられた子どもの気分になっていたのだろう。だからこそ、猫は自分を抱けるほど大きい山猫の姿となり、私はその猫の背にかばわれて、猟師が育ての親に向けた銃口をみていたのだ。
『狐笛のかなた』の最後の部分を書いていたとき、私は小夜となり、狐である野火をみていた。――あの物語のラストは、だから、小夜であった私が下した決断なのである。
(うえはし・なほこ 作家)
人物紹介
小夜 夜名ノ里のはずれに綾野ばあさんと住む。〈聞き耳〉の才がある。
綾野 〈とりあげ女〉(産婆)をしながら小夜を育てた。
野火 呪者に使い魔にされた霊狐。
小春丸 夜名ノ森の森陰屋敷に閉じこめられている少年。
大朗 〈オギ〉の術の使い手。有路ノ春望に仕える。
鈴 大朗の妹。大朗や一太と共に梅が枝屋敷で暮す。
一太 鈴の子ども。
高朗 大海を渡って来た〈オギ〉の使い手。大朗の父。
花乃 小夜の母。小夜が幼い頃に死んだ。
那柁 花乃の父。有路ノ雅望に仕えていた。
木縄坊 天狗にさらわれ、蔦の精の夫にしてもらって自分も半天狗になった。野火の友。
威余大公 春名ノ国、湯来ノ国を含む広大な一帯を治める大領主。
綾野 〈とりあげ女〉(産婆)をしながら小夜を育てた。
野火 呪者に使い魔にされた霊狐。
小春丸 夜名ノ森の森陰屋敷に閉じこめられている少年。
大朗 〈オギ〉の術の使い手。有路ノ春望に仕える。
鈴 大朗の妹。大朗や一太と共に梅が枝屋敷で暮す。
一太 鈴の子ども。
高朗 大海を渡って来た〈オギ〉の使い手。大朗の父。
花乃 小夜の母。小夜が幼い頃に死んだ。
那柁 花乃の父。有路ノ雅望に仕えていた。
木縄坊 天狗にさらわれ、蔦の精の夫にしてもらって自分も半天狗になった。野火の友。
威余大公 春名ノ国、湯来ノ国を含む広大な一帯を治める大領主。
有路ノ一族
春望 春名ノ国の領主。隣国・湯来ノ国の呪者に妻や親しい者を殺された。
雅望 有路ノ春望の父。湯来ノ芳惟の長兄。
安望 有路ノ春望の第一子、総領息子。
雅望 有路ノ春望の父。湯来ノ芳惟の長兄。
安望 有路ノ春望の第一子、総領息子。
湯来ノ一族
盛惟 春名ノ国の隣国、湯来ノ国の領主。有路ノ春望とは従兄弟同士だが、父の代に有路ノ一族に国境の水源地・若桜野を奪われ、怨んでいる。
芳惟 湯来ノ盛惟の父。有路ノ雅望の弟。養子として湯来ノ国へ来た。
助惟 湯来ノ盛惟の第二子。
久那 湯来ノ盛惟に仕える呪者。狐笛を持ち、使い魔を操る。
影矢 呪者に使い魔にされた霊狐。
玉緒 呪者に使い魔にされた霊狐の女。
芳惟 湯来ノ盛惟の父。有路ノ雅望の弟。養子として湯来ノ国へ来た。
助惟 湯来ノ盛惟の第二子。
久那 湯来ノ盛惟に仕える呪者。狐笛を持ち、使い魔を操る。
影矢 呪者に使い魔にされた霊狐。
玉緒 呪者に使い魔にされた霊狐の女。
著者プロフィール
上橋菜穂子
ウエハシ・ナホコ
1962(昭和37)年東京生れ。川村学園女子大学特任教授。オーストラリアの先住民アボリジニを研究中。著書に、『狐笛のかなた』(野間児童文芸賞)の他に、『精霊の守り人』(野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞、バチェルダー賞)、『闇の守り人』(日本児童文学者協会賞)、『夢の守り人』(路傍の石文学賞)、『神の守り人』(小学館児童出版文化賞)、『天と地の守り人』、『虚空の旅人』、『蒼路の旅人』、『流れ行く者』、『炎路を行く者』、『風と行く者』、『「守り人」のすべて』、『獣の奏者』、『物語ること、生きること』、『隣のアボリジニ』、『鹿の王』(本屋大賞、日本医療小説大賞)、『鹿の王 水底の橋』、『香君』などがある。2002(平成14)年「守り人」シリーズで巖谷小波文芸賞受賞。2014年国際アンデルセン賞作家賞受賞。2023(令和5)年「守り人」シリーズで吉川英治文庫賞を受賞。
この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。
感想を送る