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なぜこんなに生きにくいのか
572円(税込)
発売日:2011/09/28
- 文庫
生き延びるためにいまこそ、仏教。禅僧が教える究極の処生術。
人として存在するかぎり、苦しみはけっしてなくなることはない。ならば、この生きがたい人生をいかに生きるか、それが人間のテーマではないだろうか。宗教はなんらかの真理を体得するものでなく、少しでも上手に生き抜くための「テクニック」。自らの生きがたさから仏門に入った禅僧が提案する、究極の処生術とは。困難なときこそ、具体的な思考で乗り切るための“私流”仏教のススメ。
目次
はじめに
第一章 なぜこんなに生きにくいのか
誰かにほめられたい、認められたい/「生きたくない」人が抱える困難/社会に蔓延する「空虚感」の正体/自分の居場所はどこにあるのか/孤独が人を絶望へと追いこむ/オンリーワンはナンバーワンよりきつい/決定的に実存が傷つく出来事/無差別犯は生きる意味を見いだせない/自己嫌悪のかたまりが暴発するとき/「個性的であれ」という呪縛が人を苦しめる
第二章 「あの世」はあるのか、ないのか
人は“仕方なく”この世に生まれてきた/「誕生」と「死」は誰にも経験できない/自分はどこから来て、どこへ行くのか/前世・来世という「物語」を信じる/霊的現象の真否を問うことに意味はない/霊能者やイタコは特殊能力がある人たち/悲しみを止めてはいけない/恐山に行けば、大事な人に「会える」/思いを汲む「器」としての仏教/信仰がどのような効果をもたらすか/霊感商法は神仏との「取引」と心得よ/苦しいときの「霊」だのみ
第三章 「本当の自分」はどこにいるのか
人生の難問は「やり過ごす」のが肝心/「自己責任」で済むような問題は些事でしかない/誰も「自己決定」などしたくない/うわっつらの愛国心でごまかしてはいけない/人間性はお金の使い方にあらわれる/自分にとって大切なものとは何か/大志を抱きすぎた大人が世の中を悪くしてきた/自分に価値があるなどと思わないほうがいい/永遠に答えの見つからない自分探し/「私」は他者との関係においてのみ存在する
第四章 「いま、ここ」に生きる意味とは
人生には苦しく切なく悲しいことのほうが多い/人間は自殺を選ぶこともできる/依存症は「自分であること」からの逃避/「問い」を「問題」に構成し直せるか/人生に「正解」などない/常識を疑う「第三の視点」をもつ/あきらめるとは「明らかに見る」こと/絶望しているがゆえに希望に執着する/生きることを“選ぶ”覚悟をもてるか/業は受け止めて初めて業となる
第五章 親と子の深くて苦しい絆
親子関係ほどこじれやすいものはない/深刻な問題ほど「情」ではカタがつかない/「不良少女」が抱えていた問題/親に見放されることへの不安/無条件に甘えさせてもらった記憶があるか/子供を失った母親の切なさ/父親の役割は母子を相対化すること/誰もが肯定されたい存在である/親子関係はある「約束」に過ぎない
第六章 人間関係はなぜ悩ましいのか
いじめっ子は自分がつらいからいじめる/いじめを必要としている条件がある/他者への想像力が支配欲を超える/「許す」ということの難しさ/世の中に愛がなくても人間関係は深まれる/相手を「敬う」関係が唯一理想の関係/支配・被支配の関係から抜け出す/差別問題は当事者の間では解決しない/まともな信仰は「人」でなく「法」を見る/人生の判断を他人に預けてはいけない/「怒り」に道理はあるか/強い怒りが生じたときの対処法
第七章 困難な時代をどう生き抜くか
教養と知恵ある人を尊重する社会へ/大人がどれだけ危機感を共有できるか/便利さゆえに不便になっている/あるものを得るために、あるものを捨てる/自己批判する力のある人とは/自慢話はもっとも浅はかな行為/「生」の強度が「死」のリアリティーを超えるとき/同じ困難や苦労を共にしてこそ絆が生まれる
第八章 生きるテクニックとしての仏教
生活スタイルを変えないと自分は変わらない/坐禅を一日五分、一生続ければ悟れる/「カジュアル感覚」の坐禅のすすめ/カウンセリングは「対症療法」である/悩むことでしか知恵は生まれない/生き延びるためのアイディアと知恵/仏教が扱うのは処世術ではなく処生術/信仰とは見返りを求めない「賭け」
おわりに
解説 宮崎哲弥
解説 宮崎哲弥
書誌情報
読み仮名 | ナゼコンナニイキニクイノカ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-130482-3 |
C-CODE | 0136 |
整理番号 | み-46-2 |
ジャンル | 宗教 |
定価 | 572円 |