根津権現裏
605円(税込)
発売日:2011/06/28
- 文庫
恋人が欲しい、手術もしたい。私は、ただ一図に金が欲しい。幻の私小説が、90年の時を経て甦る。【解説・年譜作成・語注】西村賢太
根津権現近くの下宿に住まう雑誌記者の私は、恋人も出来ず、長患いの骨髄炎を治す金もない自らの不遇に、恨みを募らす毎日だ。そんな私に届いた同郷の友人岡田徳次郎急死の報。互いの困窮を知る岡田は、念願かない女中との交際を始めたばかりだったのだが──。貧困に自由を奪われる、大正期の上京青年の夢と失墜を描く、短くも凄絶な生涯を送った私小説家の代表作。解説・西村賢太。
書誌情報
読み仮名 | ネヅゴンゲンウラ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 384ページ |
ISBN | 978-4-10-135616-7 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | ふ-43-1 |
定価 | 605円 |
書評
波 2011年7月号より 蘇える光茫
大正期の小説において、“幻の作品”、“埋もれた名作”とのフレーズを冠されるものは数多ある。だがその殆どは、幻のわりに古書での入手が極めて容易だったり、埋もれたわりには何度も復刊されていると云う事実を踏まえれば、この『根津権現裏』は、まさに先の肩書き通りの一書であろう。
何しろ、大正十一(一九二二)年に書き下ろし刊行されて以来、新字新仮名でその全文があらわれるのは、今回が初めてのことだ。更には作者の藤澤清造自体、同条件で現代に蘇えるのが初なのだから、思えばこれは、どうにもたまらぬ痛快事でもある。
尤もこの刊行につき、はな私は他社に打診を図っていた。
一昨年辺りから、このての“埋もれた名作”を掘り起こして光を当てるのを建前とした或る文庫の責任者に、別部署の編輯者を間に入れて何度も面会方を頼んでいたが、しかしこれは全くもって無視し去られる塩梅であった。
話だけでも聞いてもらえまいか、と再三にわたる、こちらの耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでの下手にでた懇望にも、その応答は一切なしのツブテだったから、最早文字通りに、話にもなりはしなかった。
で、やむを得ずに別の版元をあたってみたところ、そこは前記の馬鹿と違い、編輯者としての最低限の資格を備えた人が多いとみえて、とあれ話だけは聞いてくれたが、実現までには当然到らなかった。
それが今般、ところもあろうに新潮文庫として発刊される事態となったのには、実はこの私自身にしてからが、ちと青天の霹靂めいた感じがある。
云うまでもなく、かのレーベルは終戦直後の再創設時以来、一貫して文庫のメッカであり殿堂である。だが、それだけに些か敷居が高いこともまた事実で、その編輯部内では、“少ない部数のものは作らない”なぞ平素豪語しているとの噂を仄聞すると、これはそうおいそれと話を持ってゆける雰囲気でもない。とは云え、藤澤清造自身、商業誌での小説デビューは大正期の『新潮』誌であったし、『根津権現裏』も、後年の改稿版を芥川龍之介を仲立ちとし、新潮社からの刊行を目論んで断わられたと云う経緯の因縁を持っている。
その意味でも、当然、なろうことなら新潮社からの復刊を成し遂げてはみたいところではあった。
それだから先般の芥川賞を受け、その対象作の版元がうまいことに該社であったのを千載一遇、まさに一度きりの好機と見るや、私はこれの嵩押しに走った。
と、思いがけずも該社は、表面上はその蛮勇に対して、更なる蛮勇でもって応えてくれるかたちとなったのである。
この度の江木氏、古浦氏を始めとする同文庫のかたがたの決断は、作が作だけに(マイナスの意味ではない)、一段と刮目して記憶にとどめるべきものがある。おかげで『根津権現裏』にとっての、最も理想とする、最も好ましいかたちでの復刊が実現できた。
その解説や年譜作成だけでなく、本文校訂にまで携わらせて頂けたことも、私事ながら感謝に余りある次第だ。
唯一の問題は、これも殆ど私事ながら、私の方での刊行準備中である『藤澤清造全集』(全五巻 別巻二)との棲み分けだったが、こちらはあくまでも正字、歴史的仮名遣いによるものだから、一方での刊行意義は充分に残る。
だからこそ、同文庫での普及版第二弾たる、藤澤清造短篇集も着々の準備を進めつつある。
これまで半狂人に対する白眼視の中にあるのを自覚しつつ、それでも〈藤澤清造の歿後弟子〉を名乗り続けてきた私たる者、その師の大切な作をいつまでも埋もれさせ続けておくわけにはいかないのである。
何しろ、大正十一(一九二二)年に書き下ろし刊行されて以来、新字新仮名でその全文があらわれるのは、今回が初めてのことだ。更には作者の藤澤清造自体、同条件で現代に蘇えるのが初なのだから、思えばこれは、どうにもたまらぬ痛快事でもある。
尤もこの刊行につき、はな私は他社に打診を図っていた。
一昨年辺りから、このての“埋もれた名作”を掘り起こして光を当てるのを建前とした或る文庫の責任者に、別部署の編輯者を間に入れて何度も面会方を頼んでいたが、しかしこれは全くもって無視し去られる塩梅であった。
話だけでも聞いてもらえまいか、と再三にわたる、こちらの耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでの下手にでた懇望にも、その応答は一切なしのツブテだったから、最早文字通りに、話にもなりはしなかった。
で、やむを得ずに別の版元をあたってみたところ、そこは前記の馬鹿と違い、編輯者としての最低限の資格を備えた人が多いとみえて、とあれ話だけは聞いてくれたが、実現までには当然到らなかった。
それが今般、ところもあろうに新潮文庫として発刊される事態となったのには、実はこの私自身にしてからが、ちと青天の霹靂めいた感じがある。
云うまでもなく、かのレーベルは終戦直後の再創設時以来、一貫して文庫のメッカであり殿堂である。だが、それだけに些か敷居が高いこともまた事実で、その編輯部内では、“少ない部数のものは作らない”なぞ平素豪語しているとの噂を仄聞すると、これはそうおいそれと話を持ってゆける雰囲気でもない。とは云え、藤澤清造自身、商業誌での小説デビューは大正期の『新潮』誌であったし、『根津権現裏』も、後年の改稿版を芥川龍之介を仲立ちとし、新潮社からの刊行を目論んで断わられたと云う経緯の因縁を持っている。
その意味でも、当然、なろうことなら新潮社からの復刊を成し遂げてはみたいところではあった。
それだから先般の芥川賞を受け、その対象作の版元がうまいことに該社であったのを千載一遇、まさに一度きりの好機と見るや、私はこれの嵩押しに走った。
と、思いがけずも該社は、表面上はその蛮勇に対して、更なる蛮勇でもって応えてくれるかたちとなったのである。
この度の江木氏、古浦氏を始めとする同文庫のかたがたの決断は、作が作だけに(マイナスの意味ではない)、一段と刮目して記憶にとどめるべきものがある。おかげで『根津権現裏』にとっての、最も理想とする、最も好ましいかたちでの復刊が実現できた。
その解説や年譜作成だけでなく、本文校訂にまで携わらせて頂けたことも、私事ながら感謝に余りある次第だ。
唯一の問題は、これも殆ど私事ながら、私の方での刊行準備中である『藤澤清造全集』(全五巻 別巻二)との棲み分けだったが、こちらはあくまでも正字、歴史的仮名遣いによるものだから、一方での刊行意義は充分に残る。
だからこそ、同文庫での普及版第二弾たる、藤澤清造短篇集も着々の準備を進めつつある。
これまで半狂人に対する白眼視の中にあるのを自覚しつつ、それでも〈藤澤清造の歿後弟子〉を名乗り続けてきた私たる者、その師の大切な作をいつまでも埋もれさせ続けておくわけにはいかないのである。
(にしむら・けんた 作家)
著者プロフィール
藤澤清造
フジサワ・セイゾウ
(1889-1932)1889(明治22)年石川県鹿島郡(現・七尾市)生まれ。尋常高等小学校卒。骨髄炎の手術を経て、1906年上京。各種職業を変遷したのち、1922(大正11)年に書き下ろし長篇小説『根津権現裏』を刊行。1932(昭和7)年芝公園六角堂内のベンチで凍死体で発見される。
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