
「リベラル保守」宣言
539円(税込)
発売日:2015/12/24
- 文庫
- 電子書籍あり
俗流保守にも教条的な左翼にも馴染めないあなたへ。「リベラル保守」こそが共生の鍵だ。
リベラルと保守は対抗関係とみなされてきた。だが私は真の保守思想家こそ自由を擁護すべきだと考えている――。メディアでも積極的に発言してきた研究者が、自らの軸である保守思想をもとに、様々な社会問題に切り込んでゆく。脱原発主張の根源、政治家橋下徹氏への疑義、貧困問題への取り組み方、東日本大震災の教訓。わが国が選択すべき道とは何か。共生の新たな礎(いしずえ)がここにある。
第一章 保守のエッセンス
第二章 脱原発の理由
第三章 橋下政治への懐疑
第四章 貧困問題とコミュニティ
第五章 「大東亜戦争」への違和
第六章 東日本大震災の教訓――トポスを取り戻せ
第七章 徴兵制反対の理由
第八章 保守にとってナショナリズムとは何か
文庫版あとがき
書誌情報
読み仮名 | リベラルホシュセンゲン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-136572-5 |
C-CODE | 0131 |
整理番号 | な-66-2 |
ジャンル | 政治 |
定価 | 539円 |
電子書籍 価格 | 539円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/06/17 |
書評
引き裂かれてある人
あるシンポジウムで中島さんと隣り合わせになったことがある。その語り口に惹き付けられた。気負いと遠慮の入り交じった、少しつんのめるような早口の語りを聞いて、「いい人だな」と思った。気負いと遠慮が入り交じるのは「対話的モード」の際立った特徴だからである。自分には言いたいことがある。でも、他人の言いたいことにも耳を傾けたい。対話的モードというのは、「話したい」と「聞きたい」という相反する要請に引き裂かれた状態のことである。中島さんはその意味ですぐれて「対話的」な人だと思う。だから、その人が「リベラル保守」というアンビバレントな政治概念に親近性を持つことには必然性がある。
中島さんによると、リベラル保守は二種類の原理主義を退ける。一つは左翼の「進歩主義」「設計主義」、すなわち「人間の理性によって、理想社会を作ることが可能と考える立場」。一つは「過去の一点」においてすでに実現されていた理想社会に帰還すべきであるという「復古主義」。
リベラル保守は未来であれ過去であれ、完全な社会などというものが実現するはずがないという立場に立つ。私はこの意見に同意する。
私たちはそのつどの歴史的条件に規定されたさまざまなかたちの「不完全な」社会に暮らしている。その不完全さを改めようと人類は長く努力してきた。そして、その歴史的経験は私たちに二つのことを教えてくれた。
一つは、人間は制度改革において長期的には「わりとましな」方向に向かっているということ(女性の解放や、教育や医療の充実や、宗教的自由についてはそう言えると思う)。もう一つは、短期的には取り返しのつかないほどひどい間違いを何度も犯したということ。この二つである。
ここから導かれる経験則を一言に尽くせば「慌てるな」ということである。リベラル保守の実践指針もそうだ。社会改良に際しては「改めるべきもの」と「変えてはならぬもの」をていねいに腑分けするという手間ひまのかかる仕事を避けてはならぬ。中島さんはそう説く。
だが、改革派の人々はこの面倒な仕事を嫌う。彼らは「スピード感」や「決定力」や「突破力」に偏愛を示す。改革の適否は二の次で、制度破壊が速くかつ暴力的であるということそれ自体に価値を見いだすのである。
かつてカール・ポパーは「変えてよいものと変えてはならぬもの」を冷静に識別して、できるところから一つずつ改めてゆく手続きを「ピースミール(piecemeal)」という工学的な語で言い表したことがある。たぶんポパーがこの語を選んだときに、彼の脳裏にあったのは煉瓦を一つずつ積んで家を建てる労働のイメージだったのだと思う。制度改革は冒険でも祝祭でもない。それは日々の地道な労働として遂行されなければならない。ポパーはそう考えていた。一日働いたら、家に帰って、風呂に入って、家族と食卓を囲んで……というような生身の人間の労働力再生産に必要なだけゆったりとしたペースでなければ制度改革は果たされないと考えた。一時の熱狂がついに「一時」のもので終わるのは、生身の人間は連続的な祝祭や熱狂的な滅私奉公に長くは耐えられないからである。「それでは身体が保たない」という訴えは政治の暴走を食い止めるきわめて有効な制動装置なのだ。
リベラル保守は人間の生き物としての訴えに配慮するだけではなく、「歴史的に蓄積されてきた社会的経験知」と「慣習や社会制度を媒介として伝えられてきた歴史の『潜在的英知』」(33頁 ※単行本刊行時)にも耳を傾ける。
改革派の人々は、進歩主義者も復古主義者も、「経験知」にも「潜在的英知」にも敬意を示さない。前者は「最新のものが最高」だと信じているがゆえに、後者は「歴史は一方向的な堕落の過程」だと信じているがゆえに、歴史の風雪に耐えたものが伝えるかすかなメッセージを聞き取ることには関心がないのだ。
中島さんが「リベラル保守」と呼ぶのはこの二つの「ものさし」を使い分ける知的態度のことだと私は解している。一つの「ものさし」は有限の身体資源を使って生きるしかない生身の人間という尺度であり、もう一つは歴史過程を通じて顕現する集合的英知のはたらきである。その二つを手にして政策選択の適否について吟味している「クラフトマン」の姿を中島さんのうちに見て、私は深い共感を抱くのである。
(うちだ・たつる 思想家・武道家)
波 2013年7月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
中島岳志
ナカジマ・タケシ
1975(昭和50)年、大阪府生れ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻する。京都大学大学院博士課程修了。2005(平成17)年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞する。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。著書に、『秋葉原事件 加藤智大の軌跡』『血盟団事件』『親鸞と日本主義』『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』『自民党 価値とリスクのマトリクス』『思いがけず利他』などがある。