ホーム > 書籍詳細:ケーキ王子の名推理(スペシャリテ)

夢も恋も甘くない。お菓子こそ、正義。

ケーキ王子の名推理(スペシャリテ)

七月隆文/著

637円(税込)

本の仕様

発売日:2015/11/01

読み仮名 ケーキオウジノスペシャリテ
シリーズ名 新潮文庫nex
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-180050-9
C-CODE 0193
整理番号 な-93-1
ジャンル キャラクター文芸
定価 637円
電子書籍 価格 702円
電子書籍 配信開始日 2016/04/29

バカがつくほどケーキが大好きな女子高生・未羽(みう)。失恋のかなしみを癒すため訪れた自由が丘のケーキ屋で、パティシエ修行をしている学校一のイケメン王子、颯人(はやと)に遭遇。これは早くも新しい恋の予感? いやいや現実はケーキほどには甘くない。彼は噂に違わず超冷たい。が、夢への想いは超熱い。他人の恋やトラブルもお菓子の知識で鮮やか解決。ケーキを愛する二人の青春スペシャリテ。

どういう本?

一行に出会う 最上くんって、頭いいけどバカだったんだね。(本書215ぺージ)

著者プロフィール

七月隆文 ナナツキ・タカフミ

大阪生れ。ライトノベル、一般文芸などジャンルを超えて幅広く活躍。著書に『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』『君にさよならを言わない』『ケーキ王子の名推理(スペシャリテ)』『天使は奇跡を希う』『ぼくときみの半径にだけ届く魔法』などがある。

目次

un ショートケーキ
deux コンベルサシオン
trois オペラ
quatre ティラミス

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プロローグ 第一話 まるごと試し読み

Prologue

 これから王子とデートする。

 ――よし。

 はブラシを置き、鏡の前でひとつうなずく。

 傍らには雑誌のヘアアレンジ見本が、片ページを上にした状態で置かれている。

 ――けっこう、うまくできたかも。

 初めて挑戦したスタイルの出来に満足し、未羽は立ち上がる。

 部屋を出て、階段を下りながら、昨夜の入浴中に考えた会話ネタのストックを復唱する。

 ――の話と、お姉ちゃんの石狩平野カニ事件……。

 なんとなく家族に気づかれたくなくて、音を立てないように階段を下りきり、玄関へ。

 靴を履きつつ、そこにある鏡を見た瞬間――─

 未羽は、猛烈に恥ずかしくなった。

 鏡に映る自分の、いつもと違う髪型。

 ――やりすぎ。

 なにこれって言われたらどうしよう。気合い入りすぎって笑われたらどうしよう。こんなのキャラじゃないよね。

 彫像のごとく鏡に向き合ったまま、一〇秒余りかつとうし。

 引き返した。

 ますます家族に見られたくなくて、そっとそっと階段を上り、部屋に戻る。

 鏡台の前に座り、いつもの髪型に戻すべくブラシを握ったとき――再び葛藤。

 ……でも。

 いつもと違うと思ってほしい。

「………あーもうっ!」

 未羽は口に出すと同時に、ブラシでわっしゃわっしゃと時間をかけたヘアスタイルを崩していく。

 ――なんでこんなどきどきしなきゃいけないの!

 ――しかも、あんなやつのために!

 そう。

 王子は王子でも『冷酷王子』。

 学校では知らぬ者のない超絶イケメン。全校女子のあこがれの的。

 けれど彼は女子に対して一貫して冷たい態度を取り、誰も近づくことができない。未羽に対してもひどいものだった。

 そんな冷酷王子――がみはやに、いきなり食事に誘われた。

 しかも、他の生徒が大勢見ているところで堂々と。

 どうしてこんなことになったのか。

 きっかけは、未羽が彼氏に振られた日にさかのぼる。

un  ショートケーキ

1

 自由が丘で振られた。

 ありむら未羽は、二度目のデートでつい今しがた、彼氏に振られてしまった。

 季節は冬。正月明けからあっという間の、一月のすえ

 行きかう人々にティッシュが配られ、ネットカフェの看板持ちが寒さに耐える、洒落しやれた駅名のわりに平凡な自由が丘駅の正面口で、今しがたフリーになった女子高生ががくぜんと立ちつくしている。

 ――また。

 ――またやってしまった……。

 未羽はそこそこの進学校に通う、いたって普通の高校生である。

 クラスのグループのつながりで先輩の男子たちと遊びに行き、そのうちの一人にアプローチされ、付き合う流れとなり、無難に初デートを経た二度目の今日、未羽たっての希望でスイーツの聖地、自由が丘にやってきた。

 未羽はケーキが大好きである。前々から行きたいと思っていた有名店をリストアップし、厳選し、気合充分で聖地入りした。

 そして最初に入った有名店で、とある癖を出してしまい、結果――─フリーになった。

 ――自由が丘だけに。

 未羽はぼんやりとぎやくネタを思いつく。

 バス停そばのベンチに座りながら、未羽はぶるりと体を震わせた。晴れの午後といえ、じっとしていれば冷気がしんみてくる。

 寒い。

 さびしい。

 かなしい。

 未羽はマフラーに顔を埋めるようにして吐息をついたあと、軽く反動をつけて立ち上がり、人の流れに混じった。

 こういうとき、未羽は昔からどうするか決めている。

 とびきりしいケーキを食べるのだ。

 未羽はスマホの地図を見ながら、リストアップしていた店に向かっていた。

 モンサンクレールで『セラヴィ』を食べる。

 メディアに多数登場したつじぐちシェフの営む有名店の看板ケーキ。自由が丘に来たからには、やはり押さえておきたい。

 セラヴィはフランス語で「人生ってこんなもの」という意味らしい。

 ――今のわたしにはぴったりね。

 ハハッ……と乾いた笑いを心の中でらす。

 駅前から少し歩くと街並みが落ち着いて、小洒落たブティックがちらほらとのぞくようになる。そのウインドウに「SALE」と書かれた赤いステッカーがべたべたとられているのはありがたくはあるものの、景色を眺める分にはちょっぴり残念でもあった。

 いつのまにか住宅街に入り、まさに閑静という表現のふさわしい空気感になる。その道を歩いていても、観光中らしきグループとすれ違う。

 小さな時計台のある欧州調の建物の子供服店があり、オフィスらしき建物の青いガラス壁にひたひたと水の流れる演出が施されている。なんでもない場所がお洒落だった。

 さすが自由が丘。未羽はそんなふうに感心する。

 途中で左に曲がり、狭い車道に出て、そのゆるいこうばいを上っていく。目指す店はこの通り沿いにあるはずだ。

 ふと、本来は彼氏と行くはずだった事実を思い出し、またへこむ。

 そうして沈んだ気持ちで歩いていると――

 ……あれ?

 気がつくと、未羽は大きな交差点に差しかかっていた。

 国道らしき広い道路が横たわり、その向こうにはデニーズと右衛もんパスタがある。

 信号は赤。目の前の横断歩道の上を、車が絶え間なく通過している。

 未羽は振り返った。おかしい。この道沿いだと思ったのに。

 スマホで確認しようとしたとき、信号がぱっと青に変わる。まわりの信号待ちしていた人たちがいっせいに渡りだす。

 それで未羽も、なんとなく渡ってしまった。

 デニーズの駐車場にまっている車までが、高級そうな外車ばかり。

 さすが自由が丘。

 再び思いつつ、この先にはなさそうだという確信を強めていく。どうやら通り過ぎてしまったらしい。

 さすがに引き返そうと思った、そのとき。

「おお……」

 広がった景色に、つい声を出す。

 まっすぐな長いくだり坂。

 それは本当にまっすぐまっすぐ、下りきったさらにその先まで伸びていて、眼下の町並みが一望でき、道の果てに――茶色い山のような大きなマンションがそびえている。

 ドラマで使われそうな、非日常の絶景だった。

 見とれながら、未羽はこの坂を下りていきたい誘惑に負け、進んでしまう。

 歩くペースで徐々に変わっていく景色を眺めながら、小学校のわきを過ぎ、坂を下りきると。

 桜並木に出た。

 住宅街を貫く、広い道の中央にずっと続いている。

 今は冬だから黒くて細い枝が寒そうに伸びているばかりだけど、春になったら夢みたいにきれいだろう。

 両わきに並ぶ家々の窓から、ベランダから、いつでも桜が見える。外に出るたび、包まれるだろう。

 こんなところに住めたら素敵だろうな。

 未羽は思いながら、並木を歩いていく。

 家はお洒落だったり、趣があったり、古かったり新しかったりするけど、落ち着いた空気の中で静かに調和していた。

 さすが自由が丘だとたび感じながら歩いているうち、すっかり当初の目的を忘れていたことを思い出す。こんなことなら先に駅近くの『パリセヴェイユ』に行けばよかったということもよぎりつつ。

 ――ああ、なんかもういいや……。

 モチベーションがうやむやに散っていき、同時に、がんばっていた自分自身に気づく。

 せつなくなる。

 今日はいろいろ見れたし、これでよしとしよう。

 ふらふらと歩きながら、駅に戻ろうと曲がり道を探す。

 と――。

 みつけた曲がり角の奥に、目が吸い寄せられた。

 何かがある。

 それがなんなのか、ここからではわからないけれど、たぶん何かのお店。とてもいいにおいのする店だ。

 未羽は並木道を出て、その曲がり角に入っていく。

2

 明るいブラウンの木と大きなウインドウを組み合わせた店の外観は、すっきりと洒落た雰囲気がある。

 金のプレートに『Mon Seul Gâteau』と書かれたその門構えからは上品な甘い香りがしてくるようで、それは女子をきつける特有の気配を漂わせていた。

 間違いない。

 ケーキ屋さんパテイスリーだ。

 未羽は躊躇ためらったあと、勇気を出してアンティーク調のドアノブを握る。れた金属の、ひんやりとしつつ温かみのある手ざわり。

 ノブをひねり、ドアを引いたとき――未羽は不思議な感覚に襲われた。少しだけ違う世界に足を踏み入れていくような、おとぎ話の主人公になったような錯覚に包まれた。

 おずおずと入口をくぐる。

 店の中は、やさしくて甘い香りがした。

 明暗のブラウンで統一された内装は、甘い香りと相まって上質な焼き菓子をほう彿ふつとさせる。正面のショーケースはつやつやとして、ムースに載ったナパージュジュレのようだ。

 隅々まで手入れの行きとどいた清潔感のある店内。壁の飾り棚には、心の和む小物類が並べられていた。

 ――ああ、ここは絶対に美味しい。

 未羽は体の奥から希望がいてくるのを感じる。

 そのとき、ガラス越しのちゆうぼうに人影が現れた。

 白い制服コツクコートを着たパティシエが、腕のけんを伸ばしながらすたすたと台の前までやってくる。

 と、こちらに気づく。

 彼の顔を見た瞬間――─未羽は心臓が止まりそうになった。

 れいで涼しげな目、すらりと伸びた手足、彼のまわりだけ空気がいっそう澄んでいるような光るオーラと、清潔感。

 がみはや

 未羽が通う高校の人気ナンバーワン男子。

 学校の女子から『王子』と呼ばれている。

 彼は未羽を見てちょっと困ったふうにまゆをひそめ、厨房から出てくる。

 ドアを開けたとき、その表情には、客に都合の悪い事実を伝えるときの丁重さが貼りつけられていた。

 彼は未羽のことを知らない。同じ一年だけど、クラスは違う。彼は王子だけど、未羽は取り立てて何もない一女子だ。モブだ。

「すみません」

 王子の声が、こんなに近くから響く。

 目の前にいた。もちろんこんな距離は初めてだ。というより、認識されたことが初めてだ。

 王子の目に今、自分が映っている。

 どきどきする。どきどきしすぎて、胸だけでなく耳まで一緒に動いてるみたいだ。熱い血がぐるぐる巡って、頭の芯がぼぅっとして、現実感がなくなっていく。

「今日はもう――」

「王子……」

 未羽はほとんど無意識につぶやいていた。

 一瞬の間が生まれる。

 彼は言葉を止めたあと、ひとみにふっと理解を浮かべる。未羽が同じ高校の人間だとわかった。

 とたん。

「おい」

 声がずしりと、重くなった。

 接客の態度が消えせ、据わった目で未羽をにらみつけてくる。

 未羽は思わず後じさった。

 王子が逃すまいとするように前に出てくる。

 背中に固いものがぶつかった。

 壁に追いつめられた。

「……、……」

 視界ぜんぶが彼にふさがれている。広い肩が照明を遮り、影になっている。

 ずっと上からこちらを威圧的に見下ろす――息を飲むほど綺麗なまなざし。

 未羽はパニックになりつつ、

 ――か、壁ドン!? 壁ドンくる!?

 そんなことを連想する。

 彼は動かない。

 ――こない!!

「お前、池上高校の生徒か?」

「……は、はい」

「絶対に言うなよ」

「へ?」

「俺がここで働いてること、誰にも言うな。絶対に」

 ……なんで? と未羽は思った。

「えっと……なんで」

 言い終える前に彼の右腕が頬をかすめ――後ろの壁にバンッ! と手のひらがつく音がした。

 ――きた――――――っっ!!

「絶対言うな。わかったな」

 凍えるほど冷たい表情で言う。

 未羽はおびえた小動物の必死さで、こくこくっ! とうなずいた。

 すると、彼の体が後ろに引き、壁をついていた腕が下りる。空気が動いて、白い制服についた甘いにおいが鼻をくすぐった。

 密接してこもっていた彼の温度が散っていくのを感じ、その名残を追うように彼の首元に目をやる。さりげなくたくましいあごのラインと、のどぼとけ

「わかったら出ていけ」

 突き放した響き。彼の態度には、普通の男子が感じさせる女子への遠慮がまったくなかった。

 ――うわさ、ほんとだったんだ。

『王子は女子に冷たい』

 浮いた話は一切ないし、彼のファンクラブ的な女子たちが接触を試みてもガン無視。以前告った女子が、ひどいことを言われた噂も広まっている。

 それ以来、最上颯人は王子は王子でも、『冷酷王子』と称されるようになっていた。

「……あのっ」

 本来なら未羽も「わかりました」と速攻で出ていくところだ。でも――

「ケーキ買いたいんです、けどっ」

 どうしても、ここのケーキが食べてみたい。

 絶対に美味しいと未羽の勘が告げている。簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

 だって、ここのケーキならかなうかもしれない。久しぶりに、あの感覚になれるかもしれない。これはきっと、そのための出会いだ――。

「無い」

「………は?」

「さっき、売り切れた」

「…………」

 未羽は彼から視線を外し、そっとその後ろにあるショーケースをのぞく。

 ない。

 ケーキが、ない。

 未羽は彼をかわし、早足でケースの前に行く。べたりと張りつく。

 ……一個も、ない……。

 透きとおったガラスの向こうには、何も載っていないトレーが白のLEDを無機質に照り返している。

 ケーキ屋さんのショーケースにケーキがひとつも入っていない状態を見るのは初めてだったから、いっそう空っぽさがきわつ。

 未羽ははいきよの当たりにしたような心地だった。

「おい」

 後ろからの声にのろのろと振り向くと、彼が顎で出口のドアを示した。

「出ていけ」

 …………。

 未羽は何もこたえられずに、ふらりとショーケースに向き直る。

 空っぽ。

 未羽は、とてもかなしくなった。

 彼氏に振られた痛みと、やらかしてしまった自己けんと、歩き回った疲れと、昨夜うきうきとした気持ちで一生懸命行く店を決めていたこととか、ここのケーキに希望がともって、でもそれがなくて、王子が冷たくて、空っぽで……そんないろいろな感情が胸の奥からまぶたまで一気にこみ上げてきて。

 …………う、

「うわあああああ」

 号泣してしまった。

 目の奥から熱い塊がぼこぼこと落ちていく。

 手のひらでぬぐう。鼻が詰まる。泣いている自分によけい泣いてしまう。

「おい……」

 隣に来た彼が、泣きじゃくる未羽を持て余したように見下ろす。

 どうして泣いているのかわからないだろう。あるいは、ケーキがないだけの理由で泣いたと思っているかもしれない。だとしたら悔しかった。

 そのとき、厨房の扉が開いた。

「おっと」

 そう言って、眼鏡をかけた大柄な男性が歩いてくる。

「何事だい、颯人?」

3

 目の前に、紅茶のカップが置かれた。

 未羽はイートインのテーブルにれた目をして座っている。

「あ……ありがとうございます」

 恐縮する未羽に、眼鏡の男性――青山まさる微笑ほほえむ。

 彼はこの店のオーナーだという。歳は三〇前半だろうか。背がとても高く肩幅が広いけれど、威圧感はまったくない。穏やかで知的な雰囲気の人だった。

「すみません。本日はたくさん買って頂けるお客様が多くて」

 丁寧な物腰は、とても大人の男性という感じがする。

「い、いえっ。……いただきます」

 未羽はカップを手にし、くちもとに寄せた。

 わ、と驚く。すごくいい匂い。

 アールグレイ。けれど花の香りが透きとおっていて、これまで飲んだどれよりも上質だとわかる。

 口に含むと……ふくよかな香りが広がり、上品な甘みが喉に染みていった。

「すごく……おいしいです」

「ありがとうございます」

 青山が、にこりと笑んだ。

 お茶がおなかの奥に届いて、温まった感じがする。すっかり落ち着いた自分に気づいた。

 と――ウインドウ越しに、厨房で動く颯人の姿が目に入る。

 シンクに積まれたなべ、ボウル、計量カップなどを黙々と洗っていた。

「颯人を知っているんですか?」

 青山が聞いてくる。

「あ、はい、同じ高校で。クラスは違うから、話したのは今日が初めてですけど……」

 未羽はもじもじと言って、

「最上くん、ここで働いてるんですか?」

「ええ。去年の四月から」

 ――ということは、高校に入ってすぐ……?

 洗ったものをいたかと思うと、今度はひと抱えもある大きさのとがった形のボウルを持ってきて洗い始めた。端で見ていても、すごい重労働だ。

「がんばってますよね、彼」

「は、はい」

「いきなり押しかけてきて『弟子にして下さい』って言われたときは正直、どうしようかと思ったんですけど」

 そのときを思い出したふうに苦笑する。

「弟子……?」

 未羽は思わず颯人を見て、それからまた青山に向き直った。

 では彼は師匠ということになるのか。

 師匠と弟子なんて、テレビでお笑いの人が言うのを聞くぐらいだ。そういうものに同じ学校の人がなっているというのは、ちょっと不思議な感覚だった。

 ガラスの向こうで颯人が作業を続けている。

 筋張った腕を懸命に動かす姿は、学校では見たことのない熱の伝わるものだった。

 王子のこんな真剣な表情、未羽は初めてだったし、たぶん誰も知らないだろう。内緒にしているっぽかったし。

 そんな王子の知られざるプライベートを、未羽はレアさを自覚できないくらいぼぅっとみつめ続けている。

「じゃあ、最上くんはパティシエを目指しているんですか?」

「ええ。世界一のパティシエを」

「えっ……?」

 驚き、青山に振り向く。

「世界一ってどうやって――あっ、大会! 大会あるんですよね? テレビで見たことあります! チームで世界対抗戦みたいなのをやるんですよね。じゃあ最上くん、それに――」

 瞬間、颯人がギロッと睨みつけてきた。

 こわばる未羽。颯人が厨房から出て、無言でこちらに向かってくる。イケメンの不機嫌顔はものすごく怖かった。

「黙れ。気が散る」

「ご、ごめんなさい!」

「そもそもまだいる。さっさと帰れ」

「う、うん……。……あのっ、最上くんすごいんだね。真剣で。ケーキ屋さんの洗いものって大変なんだね、あんな大きいボウルとかわたし初めて見た」

「そうか。珍しいものが見れてよかったな。一方俺は、幼稚園児の社会見学に付き合わされた気分だ。じろじろ無遠慮に見てくる視線やわめく声が失敗したケーキのように不快だった。つまりお前は、生ゴミだ」

「ひど!?」

 噂は欠片かけらも間違ってなかった!

「颯人」

 青山がやんわりとたしなめる。

「言い過ぎだよ。有村さんに謝って」

 だが、颯人は聞こえなかったふりでやり過ごそうとする。

「颯人」

 穏やかなまなざしのまま繰り返す。

 すると颯人は耐えきれなくなったふうにこめかみのあたりをき、いまいましそうに未羽を見て、

「………すみませんでした」

 頭を下げる。そのふてくされた感じは、まるで小学生だった。

 ――ぷっ、かわいい。

 ギロッ! と睨まれた。

「ひぃっ!?」

 青山が困ったような笑みで後頭部に手を当てる。

「でも有村さん、どうしてこんな所に?」

 未羽に聞いてくる。

「このあたりは、地元の人でもないとまず来ないのに」

「……ええと」

 なんと答えるべきか迷う。いろんな偶然やいきさつが積み重なった結果だ。しいてきっかけを言うなら……

「モンサンクレールに行こうとしたんだろ」

 どきりとした。

 振り向くと、颯人と目が合う。未羽の反応を見取ったふうに、彼はにやりと笑った。

「だとしたら、あとは簡単だ」

 道筋を作るように、右手を軽く前にやる。

「スマホでも見てるうちに店を通り過ぎて、あれ? と思いつつも目黒通りの交差点を渡り、坂の景色を見て下りていきたくなって、並木道をぼーっと辿たどってるうち、偶然この通りが目に入った」

「…………」

 未羽は心底驚く。どうしてわかったんだろう。

「いかにもバカがやりそうなことだ」

「バ、バカじゃないよ!」

「でも当たってるんだろ?」

「……そう、だけどっ」

「あんな道沿いの店、見逃さない。普通はな」

「まあまあ。あの道はきゆうくつだし、見えづらい部分はあるよ」

 青山がフォローしてくる。

「師匠、見逃したことあるんですか」

「……ないけど」

 ――頼りの人まで。

「わ……わたしだって普段はもっとちゃんとしてます! 今日はちょっと事情があって、注意が散漫になってたっていうか」

「男にでも振られたんだろ」

「……っ!?」

 心臓が止まりそうになった。

「………なんで?」

 若干怯えて聞き返す未羽を、颯人が鼻で笑う。わからないわけがない。そんなふうに指さしてくる。

「まずはその服装。明らかにデート仕様だ」

「えっ」

「たしかにそれはわかるね」

 わきに立つ青山も言う。改めて指摘されると気恥ずかしい。

「加えて、店に入ってきたときの沈んだ空気感と、いきなり泣きだす情緒の不安定さ」

「……泣いたの、八割あなたのせいなんですけど」

「この店を発見した経緯と合わせれば、状況は、こうだ」

 ――スルー!!

「自由が丘にデートに来たが振られてしまった。だがせっかく来たので、予定していた店に一人でも行こうと思った。店を通り過ぎて、ノコノコこんな所までやってきた。――何か違う点は?」

「…………」

 さっきから手品でも見せられている気分だ。彼はなんでそこまでわかってしまうのだろう。まるで、ドラマに出てくる探偵みたいだ。

「失恋したからケーキのやけ食いか。くだらない。典型的なスイーツ女子の……」

 言いかけてめ、未羽に向かって真顔で、

「スイーツに謝れ」

「あんたが言ったんでしょ!?」

「颯人」

 青山がたしなめると、颯人はばつが悪そうに顔をらす。いたずらがバレた子供のようだ。

「恋愛は、くだらなくなんかないよ」

 言って、ティーポットからお代わりを注いでくれる。冷めかけたカップから、また温かな香りが立ち上った。

「そっか。それはつらかったね」

「いえ……」

 やさしくされると、なんだか泣きたくなる。

「わたしが悪いんです。エクレアの皮でブチギレちゃったから」

「エクレアの皮?」

「そうなんです」

 未羽が、さっと振り仰ぐ。

 彼女の中で、とあるスイッチが入った。

「駅前のお店に彼――元彼と入ったんです。そこでエクレアを頼んだんです。店員さんが人気あるって言ってて、しかも普通のエクレアじゃなく、半分に割ったシュー生地にたっぷりの生クリームとスライスしたいちごを並べた、珍しくもそそるえのもので、すごく美味しそうだったから」

 エクレアのくだりから、声に熱がこもりだす。

「チョコと苺と生クリームですよ? 美味しいに決まってるじゃないですか。それで出てきて、わあってテンションが上がって、ナイフとフォークで切り分けるのが難しかったけど、なんとかきれいに取って食べたんです。最初は『エクレアと苺ってこんなに合うんだ!』って思いました。でも――――――――皮の臭さが!!」

 未羽は燃え上がった。

「エクレアの皮が、湿気ったような、嫌な空気を吸っちゃったような臭さで、台無しだった! チョコはいい! 濃厚でほどよくビター! カスタードもいい! 口ざわりが滑らかで卵の香りを主張してないけど、さらっとあっさりしてていい感じ! 中でも生クリームは絶品で、苺もよかったから、しまったこれはショートケーキを頼むべきだったと後悔したわ! でも! でも!! それらのいい要素を皮がぜんぶ台無しにしてた!! わたしが食べたのがたまたまそうだった? それにしたってダメよ!!」

 そこまでひと息に言って、はーっ、はーっ、と肩を上下させる。

 そして――─我に返った。

 目の前で、青山がきょとんとしている。

 ――あ、またやっちゃった……。

 そう。これが未羽の持つ「とある癖」だった。

「わたし、ケーキのことになるとすごくムキになっちゃって……たまにやらかすんです」

 ちようの笑みを浮かべる。

「……こんな感じで、彼にも振られちゃいました」

「たしかにあそこのシュー生地はい」

 颯人が腕組みしながら言った。

「看板のモンブランはいいんだがな。クラシカルなマロンクリームで、最初はいかにもお菓子めいた甘さを感じるが、じわじわとくり本来のざらついた質感や風味が出てくる」

「そうなの!」

 未羽はぐいっ! とうなずく。

「口の中に残ってくる後味が甘くて上品で官能的! ずっと残してたいし、でも飲み込んでしまいたいっていうジレンマで!」

「中に入った栗も、安っぽい栗きんとんと思わせておいて、栗のの味や野趣がきちんと残されている」

「たしかに! 実は最初にモンブランを食べて、すごくテンション上がったのよ! で、エクレアでだだ下がりして、でもここの苺と生クリームとスポンジは美味しかったから、それを組み合わせたショートケーキは間違いないと思って、追加で頼んだの!」

「頼んだのか」

「我慢できなかったの!」

「男とのデートで、三個目のケーキを追加で頼んだのか」

「……我慢できなかったのよ」

 言い訳すると、足りなかったのではなく、気が済まなかったのだ。

「でも、結局食べてない。直後に別れ話されたから……」

 そのとき、颯人が青山に振り向く。彼がこちらを微笑ましそうにみつめていた。

「なんスか、師匠」

「颯人がこんなに女の子と話すのは初めてだなと思ってね」

「そんなことないです」

 無愛想に目を逸らす。

 あれ、もしかして照れてる? 未羽がほんのり思ったとき、颯人がこっちを向く。いかにもバカにした皮肉っぽい笑みを浮かべて、

「こんなケーキバカ、女子のうちに入んないですから」

「ケーキバカ!?」

 青山がやれやれと肩をすくめる。

 ――ちょっ、「颯人」ってたしなめて下さいよ青山さん! さっきみたいに!

 未羽はぷんすかとなりつつ、紅茶を飲んだ。

「ごめんね有村さん。ケーキがひとつでも残っていればよかったんだけど」

「い、いえ……」

「でも話を聞いててわかったけど、本当にケーキが好きなんだね」

「はい、大好きです」

「――じゃあ俺、戻ります」

 颯人が青山にしやくし、厨房の扉に向かう。

「ケーキはいつも、悲しい思い出をいい思い出に変えてくれたんです」

 背を向けた颯人の足が止まる。

「どういうこと?」

 青山の眼鏡の奥のまなざしが興味深そうになる。

「あ、いえ、そんなたいした話じゃないんです」

 未羽は手のひらを振りつつ、

「わたし、のお兄さんが初恋の人で、だからお兄さんが結婚するってなったとき、すごく落ち込んだんです。式の日もずっと悲しかったんですけど、でも……披露宴で出たケーキがものすごく美味しくて!」

 あの日の感動がよみがえる。

「いつものスーパーやケーキ屋さんのやつとはぜんぜん違って、食べてる間中うきうきして……悲しかったのが、すぅっと溶けていったんです。だからその日は、初恋が終わった悲しい日じゃなく、びっくりするほど美味しいケーキを食べた幸せな日になりました」

 青山が、ゆっくりとうなずく。

「それはケーキ職人として、みように尽きるね」

「そういうことが中学のときにもあって……。わたし、失恋してどん底になるたび『なにこれ』ってケーキに出会って、救われてきたんです」

 偶然だと思うんですけど。と、はにかむ。

 すると、颯人がためいきをつく。

 なんだ、結局恋愛の話か。そんな声が聞こえた気がした。

 そうだよ悪いか。

 颯人がまた歩きだす。

「なにこれ、っていうケーキかぁ」

 青山が腕を組み、天井を仰ぐ。

「たしかにそういう経験はあるよね。こんなの食べたことない、って」

「ですよねっ」

 未羽はぱっと身を乗り出し、だがほどなく、苦笑いになる。

「……でも、もう難しいかもです。わたしもいろいろ食べてきて、自分の中のハードルが上がっちゃったから」

 ぴた、と颯人の足が再び止まる。

「あれって子供の頃だからなんですよね。経験が少ないから、すぐ『なにこれ』ってなれる。今まで食べてきたものとはレベルが違うって、革命みたいな。……そういうのって、わたしまだできるのかな。難しいんじゃないかって気がします」

 そう溜息まじりに言い終えたとき……颯人が、立ち止まったままであることに気づいた。

 どうしたんだろう。

 青山が彼に振り向き、

「どうしたんだい、颯人?」

 ちょっと楽しげな表情で聞く。

「なんでもないです」

 背を向けたまま答える。

「火がついた?」

 一拍置いて――

「そんなわけないじゃないですか」

 そっけなく言って歩きだす。

「有村さんをびっくりさせる自信がない?」

 ぴた……。と止まった。

 くるっと振り向いてくる。

 ぶつちようづらで青山をみつめ……

 また背を向けた。

「…………………………ありますけど」

 ぼそりと言った。

「いい修行になると思うよ」

「……それは師匠命令ですか」

「そうなるね」

 青山は穏やかに首肯する。

「彼女の今日という日を幸せな思い出に変えられるケーキを作ってあげて。彼女のためだけのケーキを」

 颯人がゆっくりと、こちらに振り返った。

 未羽を見てくる。

 じっと、顎に指を当てながら、鋭いまなざしで。

 未羽は緊張で息が詰まる。

 彼はふいに姿勢をほどき、すたすたと厨房に入っていく。

 ほどなく戻ってきて、未羽の目の前に立った。

「口を開けろ」

「え?」

 彼が、手に握っているものをもう片方の手でつまみ上げる。

 白いマシュマロだった。

「開けろ」

 有無をいわさぬプレッシャー。

 未羽はほんの少し口を開ける。と、颯人は舌打ちし、

「もっと! あーん!」

 ――あーんて。

 ツッコみつつ、あわてて口を開けた。

 マシュマロが放り込まれた。

 もう一個。

「……ッ?」

 目を白黒させる未羽に、颯人は淡々と、

「食え」

 言われるままに、食べた。

 ――あ、トロッとして美味しい……。

 もぐもぐと食べている顔を、彼が無言でみつめていることに気づく。動物の生態でも観察しているようなまなざしで。

 恥ずかしくて、いたたまれない気持ちになる。

 と――彼があっさり背を向け、厨房に入っていく。

 ガラスの向こうで腕の腱を伸ばす彼を、未羽はぽかんとみつめる。

 今のは、なんだったんだろう?

4

 颯人が厨房に入り、材料と調理器具を手際よく台に並べた。

 ボウルに卵を小気味よく割り入れ、グラニュー糖を投下、泡立て器ホイツパーで軽く混ぜる。

 ――わ、さすが慣れてる。

 回すというより前後にこするように動かし、手首を返して側面の卵液を混ぜる。縁をこする軽快な音がこちらまで聞こえてきそうだった。

 と、別の大きなボウルに熱湯を注ぎ、卵のボウルをそこに乗せ、また混ぜ始める。

「あれは……?」

せんしてるんだよ」

 青山が答える。

「卵を?」

「そうした方が、よく泡立つんだよ」

「へええ」

 未羽はまじまじとガラス越しの作業をみつめる。

 ――ううむ。

 性格は最悪だが、真剣に打ち込む彼はやはりかっこよかった。

「もっと近くで見てみる?」

「えっ?」

 青山が厨房の扉をくぐった。未羽はおずおずとついていく。中に入った瞬間、颯人が、

 ギロッ!

 ――ですよね!

「……師匠」

「大きな大会では、取材のカメラが入ることも珍しくないんだよ?」

 青山はゆったりと微笑みながら、

「これも修行だよ」

「…………」

 颯人は苦虫をみつぶした顔で黙り込み、もう一度、八つ当たりっぽく未羽を睨んだ。

 卵液を湯煎から下ろし、ハンドミキサーを用意する。

 ――あ、やっぱり使うんだ。

 ケーキ作りは手作業という幻想があったので、ちょっぴり残念なような気持ちになった。

 とはいえ、卵を泡立てるのは大変だし、こちらの方が合理的だ。クオリティも上がるのだろう。ケーキ作りも、多少はこういう無機質な一面が、

 ギュイイイ――――――――ン!! ガッガッガッガッッ!!

 ――ええええっ!?

 未羽は驚く。ミキサーの音が想像よりずっと大きく、ボウルの底にもゴリゴリ当たる。

 颯人はひじを張ってミキサーを構え、ダイナミックに前後に動かしていた。

 ――なんか、ケーキっていうより……大工さんみたい。

 そう思うと、ボウルの中で膨張してきた黄色いものが、壁に塗るモルタルみたいに見えてきた。あの表面の粘り具合がそっくりだ。

 そこに薄力粉をふるいをたたいてばっさばっさと落とし、ゴムべらで混ぜていく。もう完全にセメント的なやつだ。ぜんぜん食べ物を作っている光景に見えなかった。

 颯人が、混ぜる手首を返したところで腕を止め、ヘラから垂れる生地をじっとみつめる。

 混ざり具合を確かめているのだろうか。未羽が思っていると、彼がいきなり振り向いた。

 無言でみつめてくる。プレッシャーに耐えかね「なに?」と聞こうとしたとき、くるっと元に戻る。

 そして生地をさらに二回だけ混ぜた。

 ――?

 青山に目で問うが、彼はあえてというふうに受け流した。

 型に流し込んだ生地を、予熱を終えた業務用オーブンに入れた。

「颯人、あとどれぐらいかかる?」

 青山が聞くと、

「一時間ぐらいです」

 すると青山が顎に指を添え、

「それは、あえて?」

「はい」

「なるほど」

 なんだろうと思う未羽に、青山が振り向いてくる。

「もう暗いけど有村さん、時間大丈夫?」

 気がつけば五時過ぎ。外はほとんどまっ暗だ。

「はい、ぜんぜん! 今日は本来ならデートだったんで、ノー予定です!」

 ついぎやくネタを言ってしまい、勝手にへこんだ。

 焼き上がった平らなスポンジを、小さな円の型で三枚、くり抜いた。

 パレットナイフで表面にホイップを塗り、スライスした苺を敷き、上にもう一枚スポンジを重ねて同じことを繰り返す。

 ――あれ、これって……苺ショート?

 三枚重ねたあと、回転台を動かしながら側面にクリームを塗っていく。それはもう本当に――

「建築……みたいですね。ちょっと」

 未羽が笑われるかなと思いつつ言うと、意外にも、そうなんだよという反応。

「よく似ているんだ。形を作るのもそうだし、味の組み立てという意味でもね」

 颯人がホイップの絞り器を持って、仕上げのデコレーションにかかる。

 白く平らな面にクリームを絞り出すと、急にケーキらしくなってきた。

 苺を載せるともう本当にしそうになって、彼の指先が鮮やかな手品を披露しているようだった。

 イートインスペースに戻った未羽のもとに、颯人が完成したケーキを持ってくる。

 テーブルに置かれたのは――やはりショートケーキだった。

 円形で、カットした苺が非対称アシンメトリーに飾られている。まるでホールケーキを一人分にまで小さくした感じだった。

 白と赤の対比がとても鮮やかで、美味しそう。

 テンションの上がる未羽を、颯人が冷たく見下ろし、

「食え」

 ――エサみたいに言うな。

 内心ツッコみつつ、しかし未羽はケーキを見つつ口の中がじゅわっとなっていた。

「……いただきます」

 フォークを手にし、ゆっくりと――写真撮りたかったと思いつつ――ケーキを切ろうとする。

「待て」

 颯人が止める。

「このへんに、上からまっすぐ刺して持ち上げればいい」

「え? でも」

「いいから」

 未羽は言われたとおりに、颯人の示すあたりにフォークを突き、持ち上げた。

「! あ……」

 フォークの先に、一ピース分にカットされたケーキがくっついてきた。あらかじめ中のスポンジが切られていたのだ。

「ケーキって、食いにくいだろ」

 颯人が腕組みしながら言ってくる。

「すぐに形が壊れるし、ショートケーキだと何口か食べたら重みで後ろに倒れたりする」

「あるある! 後ろに倒れるの、ある!」

「だからこうしてあらかじめ切っておけば食べやすいし、形も崩れない」

「なるほど! 切れてるチーズ的発想だね!」

「お前、もう食うな」

「ごめんなさい!」

 皿を引っこめられそうになり、未羽は平伏した。

「考えたね、颯人」

 青山が感心したふうに言う。

 と、颯人はちょっと目を見開き、ふいと逸らして唇をむずむずさせる。

 それは褒められて照れた子供そのもので、未羽はわらべを愛でるせいしようごんのごときまなざしをする。

 ギロッ!

「ひいっ!」

「さっさと食えよケーキバカ」

「はい! ケーキバカじゃないけど!」

 未羽は持ち上げたままのケーキを、そっと口許に寄せる。

 生クリームとスポンジの香り。

 ――あ……。

 お誕生日のにおいだ。

 ふわりと胸が膨らむ。誕生日ケーキ。そう、ショートケーキは幼い頃からハッピーバースデーのごちそうのあとに食べるもの。そのにおいなんだ。

 ちょうどいい一口の大きさだったから、未羽はぱくりとケーキを含んだ。

 クリームが泡雪のようにすぅっと溶け、スポンジがそのあとをゆっくり追っていく。

 間に挟まれた苺との相性は言うまでもなく最高で、クリームとスポンジと混ざり合い、美味しく溶け合う。そして何より驚いたのが――

 スポンジが、ほんのり温かい。

「本来、冷ましてなじませた方がよくはある」

 颯人が言う。

「だが、それはそれでうまいし――今まで食べたことがないだろう?」

「うん……」

 たしかにこんな状態のケーキ、お店では売ってない。

 ふかふかとして、卵の甘い匂いが鼻の奥に広がる。温かく膨らむ味わいが、冬の日により心地よくみた。

「食べたことない」

 未羽はもう一切れをフォークに刺す。

 それは最初のプレーンなものと違って、苺のスライスが一枚載っていた。

「一切れずつデコレーションを変えている。少しずつ味の変化を楽しめるように」

 そう言う颯人の声は、振り向かなくても自信満々だとわかる。

 でもたしかにすごいと、未羽は思った。左右非対称には、見栄えだけでなくちゃんと意味があったのだ。

 このきれいな円いケーキに、たくさんの工夫がされている。

「そして、このケーキはお前に合わせて作ってある」

「……わたしに?」

「そうだ。どういう部分か、わかるか」

 未羽は改めてケーキを見る。

「……ヒント」

「食え」

 未羽は真剣なまなざしでケーキと向き合い、慎重にもう一切れフォークで口に運ぶ。

 開いた口にするりと入り、噛むと心地よく溶けていく。未羽はまぶたを閉じながら、印象のひとつひとつを注意深く拾っていく。

 ――なんだろう……。

「どうだ、わかったか」

 どうせわからないだろう、というニュアンスたっぷりの声。

 悔しいので、未羽は何か言うことにする。わからないけど、合っている自信はないけど、個人的に感じたことが一つだけある。

「……ちょうどいい。食べてて、口の中ですごく、ちょうどいい」

 言うんじゃなかったと直後に恥ずかしくなる。

 だが、颯人から伝わってくる空気が思っていたものと違う。振り向くと、彼は意外そうな顔をしていた。ほう、という感じだ。

 ――あれ……正解?

「四〇点だな」

 ――微妙!

「お前の口の開き具合や噛み方に合わせて、ケーキの大きさ、生地とクリームのやわらかさ、苺のカット、すべてを調整してある」

 未羽は、はっと思い出す。

 マシュマロを口に放り込まれたのは、そういう理由だったのか。

「つまり、これは……」

 驚いている未羽に向かって、颯人がきっぱりとした表情で――

「お前のために作った、お前のためだけのケーキだ」

 それは一瞬――異国の言葉のように響いた。

 聞いたことのない意味で、とっさに理解ができない。

 けれどだんだんできてきて、染みとおってくる。

 ――わたしのためだけのケーキ。

 未羽はケーキをもう一切れ取って、食べた。

 おいしい。

 このケーキはまず、おいしい。

 満足感があるのにしつこさがない絶妙の甘さ。いくらでも食べられそうな気がする。

 こんなの、食べたことない……。

 未羽の脳裏に、過ぎ去った思い出が浮かびあがる。

 従兄弟のお兄さんの結婚式。

 家族やしんせきの前でけんめいに普段どおりのふりをしつつ、新婦とのめのスライド写真に胸が痛くなった。知らないところで、こんなふうにデートしていたんだって。

 塾の合格祝い。

 先生が洒落しやれたパティスリーに連れていってくれた。紅茶の値段に驚いた。

 二人きり。狭いテーブル越し。ほのかな期待を抱いていたところに、しれっと彼女の存在を語られた。

 だったらどうしてこんな思わせぶりなことをするんだと怒りを覚えつつ、とてもかなしくなった。

 けれど。

 けれど、そのあとに――。

「どうだ」

 颯人が言ってくる。

「うまいだろう」

 欠片も疑っていない、尊大なお言葉。

 未羽はもう一つ、食べる。

 ふわりと温かい。

 駅前の寒さを思い出す。

 振られたショックでぼうぜんとバス停のベンチに座っていたあの、鼻が痛くなるほどの寒さを。

 それがこうして温められて。

 うれしくて。せつなくなって。

 涙がこぼれた。

 あとからあとから、あふれてくる。もうすっかりガチ泣きだ。

「……えへへ」

 つぶやき、颯人を見上げる。頬に涙が伝う。

 急に泣きだしたことに、彼は少し戸惑っているふうだった。

 どうして苺のケーキだったのか。

 それは、話をきちんと聞いてくれていたからだ。

 苺ショートを追加で頼んだけど食べられなかった、という、なにげないひと言を。

 ――わたしのために作ってくれた、わたしのためだけのケーキ。

 未羽は、ぱっと笑う。

「泣くほどおいしいよ……!」

 すると彼はわずかに目をみはったあと、きっぱり言った。

「当然だ」

 自信満々の、俺様笑顔。

 でもそこには得意がる小学生のような純粋さもにじんでいて……未羽の胸が一度、鳴った。

 正月明けからあっという間の、一月のすえ

 未羽にとっての今日は、びっくりするほど美味しいケーキを食べた、幸せな日になった。

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