冷血
1,210円(税込)
発売日:2006/06/28
- 文庫
ノンフィクション・ノヴェルの金字塔。散弾銃による一家4人惨殺事件を綿密に再現。待望の新訳!
カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル――。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。
書誌情報
読み仮名 | レイケツ |
---|---|
シリーズ名 | Star Classics 名作新訳コレクション |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 640ページ |
ISBN | 978-4-10-209506-5 |
C-CODE | 0197 |
整理番号 | カ-3-6 |
ジャンル | 文芸作品、ミステリー・サスペンス・ハードボイルド、評論・文学研究 |
定価 | 1,210円 |
書評
波 2006年8月号より 悲劇の始まりは『冷血』の成功だった 『冷血』『叶えられた祈り』 『トルーマン・カポーティ』 刊行に寄せて
さまざまなカポーティがいる。
「ミリアム」や「感謝祭のお客」を書いた繊細なカポーティ。早熟で「怖るべき子供」と評された天才カポーティ。現実に起きた殺人事件を克明に描いたノンフィクション・ノヴェル『冷血』で大成功を収めたカポーティ。ニューヨークの上流社会に出入りし、派手な生活を楽しんだカポーティ。
カポーティは光を乱反射させていて正体がつかみにくい。
ジョージ・プリンプトンの『トルーマン・カポーティ』(野中邦子訳)は、カポーティを知る友人、編集者、作家たち約百七十人が、このとらえどころのない、別世界からやって来たような作家を語るオーラル・バイオグラフィ(聞き書きによる伝記)。
多様な顔を持ったカポーティがコラージュの形で再生されてゆく。孤独な少年時代を語る者がいる。野心的な青年時代を語る者がいる。スキャンダラスな晩年を悲しむ者もいる。
脚本に関わった映画「悪魔をやっつけろ」の撮影中、小さなカポーティがハンフリー・ボガートと腕相撲とレスリングをし、両方で勝ってしまったというジョン・ヒューストン監督の愉快な思い出もある。アクの強さのため嫌う人も多かったが、ヒューストンが「私はたちまち彼に惚れこんだ――五分もしないうちに彼の虜になった」と語っているのも興味深い。ボガートも妻のローレン・バコールに「やつ」のことが少しわかると「今度はポケットに入れて家につれて帰りたくなる」と語ったという。
多様な顔を持つカポーティだが、ジョージ・プリンプトンの本では、ふたつの重要な体験を浮き上がらせている。ひとつは、育児に熱心ではない母親から疎外された少年時代の孤独。もうひとつは大作『冷血』執筆時の大きな試練。
一九五九年の十一月にカンザス州のスモールタウンで起きた一家四人惨殺事件に興味を覚えたカポーティは取材を開始する。そして警察の捜査、犯人逮捕、裁判、最後の処刑、と事件の全過程を同時進行で体験し、『冷血』を書き上げた。
『冷血』(佐々田雅子訳)は徹底的に細部にこだわっている。殺された十六歳の少女が猫を可愛がっていたこと、その猫が事件のあと少女の親友に引き取られたことまで書かれている。ジャーナリストの一過性の取材とまったく違う。事件そのものを核に、事件が起きた町のこと、二人の犯人の生いたち、処刑にいたる彼らの不安と恐怖を細部にわたって書きこんでいる。
しかも書き手の「私」は黒衣に徹し、表面には出て来ない。神の目で事件を見るのとも違う。地を這うようなカメラの視点で事件を追ってゆく。これまでになかった「ノンフィクション・ノヴェル」と自負したのも分る。
売れ行きも批評も圧倒的によかった。大成功といってよかった。約五年間、この作品にかかりきりになった労が報われた。
しかし、その成功がかえってカポーティにとって重荷になってしまう。ジョージ・プリンプトンの本のなかで作家ジョン・ノウルズはいっている。「あの(『冷血』の)あと、彼は情熱を失ってしまったんだと思う。それまでの彼はとても努力家だった。私の会った中でも最も勤勉な作家だった。しかし、あれ以後、張りつめていた緊張が切れてしまった。突き動かすものが消えてしまった。こうして、崩れていったんだ」
酒とドラッグの量が増える。奇矯な行動をするようになる。作家たちと喧嘩をする。作家というよりゴシップだらけの有名人になってゆく。そんななか、なんとか完成させたいと悪戦苦闘していたのが未完に終った『叶えられた祈り』(拙訳)。
作家志望のゲイを狂言まわしにし、アメリカの上流階級の内幕を地獄めぐりのように描いたダーティな作品で、カポーティ自身はプルーストの『失われた時を求めて』のようにしたいと願っていたが、語り手があまりに偽悪的なために、プルーストからは遠く離れてしまった。それでも、人を笑わすことが出来なくなったピエロのような悲しみがあふれ、随所に胸を打つ感動がある。傷だらけ、泥だらけの栄光といえばいいだろうか。
この秋にベネット・ミラー監督の映画「カポーティ」が公開される。『冷血』を書くのにどれだけの苦しみがあったか。その一点に絞っていて素晴らしい作品になっている。
犯人のひとりペリー・スミスへの共感、奇妙な友情。それだけに、自分は彼を利用しただけではないのかという罪悪感にとらわれる。作家の苦しみの物語になっていて、『冷血』のあとついに小説を書けなくなったのは、この苦しみのためだったかとわかる。アカデミー賞を受賞したフィリップ・シーモア・ホフマンの演技は鬼気迫るものがある。
「ミリアム」や「感謝祭のお客」を書いた繊細なカポーティ。早熟で「怖るべき子供」と評された天才カポーティ。現実に起きた殺人事件を克明に描いたノンフィクション・ノヴェル『冷血』で大成功を収めたカポーティ。ニューヨークの上流社会に出入りし、派手な生活を楽しんだカポーティ。
カポーティは光を乱反射させていて正体がつかみにくい。
ジョージ・プリンプトンの『トルーマン・カポーティ』(野中邦子訳)は、カポーティを知る友人、編集者、作家たち約百七十人が、このとらえどころのない、別世界からやって来たような作家を語るオーラル・バイオグラフィ(聞き書きによる伝記)。
多様な顔を持ったカポーティがコラージュの形で再生されてゆく。孤独な少年時代を語る者がいる。野心的な青年時代を語る者がいる。スキャンダラスな晩年を悲しむ者もいる。
脚本に関わった映画「悪魔をやっつけろ」の撮影中、小さなカポーティがハンフリー・ボガートと腕相撲とレスリングをし、両方で勝ってしまったというジョン・ヒューストン監督の愉快な思い出もある。アクの強さのため嫌う人も多かったが、ヒューストンが「私はたちまち彼に惚れこんだ――五分もしないうちに彼の虜になった」と語っているのも興味深い。ボガートも妻のローレン・バコールに「やつ」のことが少しわかると「今度はポケットに入れて家につれて帰りたくなる」と語ったという。
多様な顔を持つカポーティだが、ジョージ・プリンプトンの本では、ふたつの重要な体験を浮き上がらせている。ひとつは、育児に熱心ではない母親から疎外された少年時代の孤独。もうひとつは大作『冷血』執筆時の大きな試練。
一九五九年の十一月にカンザス州のスモールタウンで起きた一家四人惨殺事件に興味を覚えたカポーティは取材を開始する。そして警察の捜査、犯人逮捕、裁判、最後の処刑、と事件の全過程を同時進行で体験し、『冷血』を書き上げた。
『冷血』(佐々田雅子訳)は徹底的に細部にこだわっている。殺された十六歳の少女が猫を可愛がっていたこと、その猫が事件のあと少女の親友に引き取られたことまで書かれている。ジャーナリストの一過性の取材とまったく違う。事件そのものを核に、事件が起きた町のこと、二人の犯人の生いたち、処刑にいたる彼らの不安と恐怖を細部にわたって書きこんでいる。
しかも書き手の「私」は黒衣に徹し、表面には出て来ない。神の目で事件を見るのとも違う。地を這うようなカメラの視点で事件を追ってゆく。これまでになかった「ノンフィクション・ノヴェル」と自負したのも分る。
売れ行きも批評も圧倒的によかった。大成功といってよかった。約五年間、この作品にかかりきりになった労が報われた。
しかし、その成功がかえってカポーティにとって重荷になってしまう。ジョージ・プリンプトンの本のなかで作家ジョン・ノウルズはいっている。「あの(『冷血』の)あと、彼は情熱を失ってしまったんだと思う。それまでの彼はとても努力家だった。私の会った中でも最も勤勉な作家だった。しかし、あれ以後、張りつめていた緊張が切れてしまった。突き動かすものが消えてしまった。こうして、崩れていったんだ」
酒とドラッグの量が増える。奇矯な行動をするようになる。作家たちと喧嘩をする。作家というよりゴシップだらけの有名人になってゆく。そんななか、なんとか完成させたいと悪戦苦闘していたのが未完に終った『叶えられた祈り』(拙訳)。
作家志望のゲイを狂言まわしにし、アメリカの上流階級の内幕を地獄めぐりのように描いたダーティな作品で、カポーティ自身はプルーストの『失われた時を求めて』のようにしたいと願っていたが、語り手があまりに偽悪的なために、プルーストからは遠く離れてしまった。それでも、人を笑わすことが出来なくなったピエロのような悲しみがあふれ、随所に胸を打つ感動がある。傷だらけ、泥だらけの栄光といえばいいだろうか。
この秋にベネット・ミラー監督の映画「カポーティ」が公開される。『冷血』を書くのにどれだけの苦しみがあったか。その一点に絞っていて素晴らしい作品になっている。
犯人のひとりペリー・スミスへの共感、奇妙な友情。それだけに、自分は彼を利用しただけではないのかという罪悪感にとらわれる。作家の苦しみの物語になっていて、『冷血』のあとついに小説を書けなくなったのは、この苦しみのためだったかとわかる。アカデミー賞を受賞したフィリップ・シーモア・ホフマンの演技は鬼気迫るものがある。
(かわもと・さぶろう 文芸評論家・翻訳家)
著者プロフィール
トルーマン・カポーティ
Capote,Truman
(1924-1984)1924年ニューオーリンズ生まれ。19歳のときに執筆した「ミリアム」でO・ヘンリー賞を受賞。1948年『遠い声、遠い部屋』を刊行し、「早熟の天才」と絶賛を浴びる。著書に『夜の樹』『草の竪琴』『ティファニーで朝食を』『冷血』『叶えられた祈り』など。晩年はアルコールと薬物中毒に苦しみ、1984年に死去。
佐々田雅子
ササダ・マサコ
1947年生れ。立教大学英米文学科卒業。翻訳家。訳書にカポーティ『冷血』、エルロイ『ホワイト・ジャズ』、レセム『マザーレス・ブルックリン』、ユージェニデス『ミドルセックス』、ラーセン『T・S・スピヴェット君傑作集』、ドゥ・ヴァール『琥珀の眼の兎』など。
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