
ロリータ
1,155円(税込)
発売日:2006/10/30
- 文庫
- 電子書籍あり
ときに爆笑、ときに感涙。異形の傑作、新訳! 誤解多き世界文学の最高峰が、初めてその真の姿を現す。詳細な注釈を収録。解説:大江健三郎
「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。……」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。
書誌情報
| 読み仮名 | ロリータ |
|---|---|
| シリーズ名 | Star Classics 名作新訳コレクション |
| 発行形態 | 文庫、電子書籍 |
| 判型 | 新潮文庫 |
| 頁数 | 624ページ |
| ISBN | 978-4-10-210502-3 |
| C-CODE | 0197 |
| 整理番号 | ナ-1-2 |
| ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
| 定価 | 1,155円 |
| 電子書籍 価格 | 1,155円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/04/03 |
インタビュー/対談/エッセイ
芥川賞受賞記念特別企画
往復書簡「先生とわたし」【後篇】
師弟による往復書簡、その最終便はついに芥川賞受賞作『叫び』論になります。主人公が敬慕する「先生」の説教よろしく自在に時空を超え、師は「小説を読むこと」の本質をも解き明かしてみせます。受けて立つ「わたし」は師の専攻であるナボコフで打ち返し……ユーモラスかつ馥郁たる文藝の香りに酔い痴れてください。
畠山丑雄様
いまから二年前、能登半島地震があった年のことです。NHKのニュースを見ていたら、「彼岸の中日 被害受けた寺で墓参り」のキャプション付きの映像が流れていました。どこの寺だったか、墓石の多くが横倒しになっているなかで、画面の中央に「若島家」の墓石が他の墓石にもたれかかるようにして映っていたのです。「若島」という名前は比較的珍しいとはいえ稀少というほどでもなく、明治の相撲力士に若嶌権四郎という横綱がいたくらいですが、それはともかく、わたしの苗字のルーツが北陸にあることは子供の頃からぼんやり知っていました。
調べてみると、「若島」は富山県内で局所的に偏在する姓らしく、特に下新川郡入善町に多数存在し、異体字の「若嶋」も同地域に分布していることがわかりました。「島」は村落内部の小区画を表す言葉でもあり、おそらくは地名を起源とする苗字の可能性が高そうです。わたしが子供の頃、北海道の親戚だという人が訪ねてきたことがあります。明治後半から大正にかけて、北陸地方から北海道へ海路で渡った人は数多く、北海道の親戚もそのうちの一人だったはずです。かつて、札幌のすすきのに「若島ビル」という雑居ビルがありましたが、そのオーナーも遠い親戚だったに違いありません。
富山とのつながりを考えていると、自然と思い出されるのは、小学校の五年生だったときに、松本清張の『ゼロの焦点』を読み、それから当時カッパ・ノベルスで出ていた清張をぜんぶ読んだ記憶でした。ご存知のとおり、『ゼロの焦点』のクライマックスの舞台になっているのは、能登半島の志賀町にある「ヤセの断崖」と呼ばれる断崖絶壁で、幸いなことに地震による大きな形状変化は免れたようです。『点と線』ではありませんが、ばらばらの点が知らないあいだに線で結ばれ、思いもよらないネットワークを脳内で形成してしまう、それこそが生きることのおもしろさであり、意味ではないかと思っています。
こんな無駄話を長々と書いてしまったのは、他でもない、『叫び』の書き出し、「土地の名があって、それから人の名があった」という一文に触発されたからです。『叫び』について、銅鐸、聖、罌粟、満州、万博、天皇という話題のとりとめなさに戸惑う意見も散見されますが、わたしにとってはその点と線のありようこそがおもしろい。そのつながりは、畠山くんにとってただの思いつきを超えた、個人的な意味があったはずです。暗い穴の先を進んでいくと、思いがけない場所に連れ出されてしまう、それが畠山くんの小説に一貫して流れるモチーフではないかという気がします。
銅鐸が立てる音が、念仏に、そして叫びにつながる。あえてメタ読みをするならば、小説という形になった本は銅鐸のようなもので、べつに音は立てない物質ですが、そこに作者の「叫び」を聞き取ることが、小説を読むということなのかもしれません。ここで勝手なつながりを一つだけ付け加えておくと、『叫び』に出てくる「先生」は若い頃、統一直後のベルリンに数年滞在していた経験があり、「ベルリンは鐘がずっと鳴っとったわ」と言いますが、わたしというもう一人の「先生」はこの夏、ベルリンに一週間ほど滞在する予定で、かつて亡命者として暮らしていたナボコフの足跡をたどり、そこに何かの音が聞き取れるか、考えてみるつもりです。
ここまで書いてきて、ようやく思い出しました。先日、芥川賞受賞のお祝いで飲んでからカラオケをしたとき、畠山くんが真っ先に歌ったのは、たしか和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」でしたね。妙なチョイスだなあとあのときは思ったのですが、そういうことだったのか、といまになって腑に落ちました。これからも畠山くんが鐘を鳴らしつづけることを期待しています。
若島正
若島正様
ナボコフとベルリンというとやはり『賜物』でしょうが、これは粗忽なナボコフ読者を自任する私としても、大変面白く読めたのを覚えています。主人公のフョードルはチベットへ探検旅行に出かけたまま行方不明になった父キリーロヴィチを追い求め、父から直接聞いた話や、その著作、あるいはプーシキンの紀行文などをちゃんぽんにするように夢想して、その夢想の中へ自らを密輸し、果ては父との同化を試みます。このフョードルとキリーロヴィチの父子関係と、それに重ね合わされるナボコフ自身の父子関係の二重写しに倣うかのように、若島先生が『叫び』における「先生」との二重写しを事後的に演じに行くような、自らフィクションと現実を取り違えに行くような、厚顔な錯覚に囚われ、嬉しい眩暈を覚えました。
フョードルが最後にグルーネヴァルトの森の奥で、裸で陽光を浴び自身が溶けていくような恍惚を覚え、その後の夢の中で父と抱擁し、氷のような心臓が溶けていくのを感じたように、先生もベルリンでナボコフと抱擁できることを期待しています。ベルリンからのエアメールも楽しみにしています。どうか恍惚のあまり森の奥で裸にならぬようご注意ください。
先生のルーツについての話、大変面白く拝読しました。ふと思ったのですが北陸から北海道へ渡った人のように、ロシアに渡り根を張りなおした若島一族もおられるかもしれませんね。それはそれとして、下新川郡入善町という地名に見覚えがあり、何だったかなと考えていたのですが、ようやく思い出しました、今の仕事で能登半島地震の被災地域に納税猶予の通知を送った際に目にしたのだと思います。若島一族のもとにも、私が作成した通知書が届いていたかもしれないと考えると、不思議な縁を感じます。
今の職場では年間で何万通という通知書を送っているので、当然ながら誰に出したかは覚えていません。しかし時折何度住所を調査して通知書を送っても郵戻りになり、最後には継続調査案件になってしまう人もいて、そういう人のことはよく覚えているものです。
『賜物』ではフョードルの父がチベットから最後に手紙を寄こしたのは1918年初頭のこととあります。手紙では「夏までには帰宅できるものと見込んでいる」と書いていましたが、結局帰ることはなく、父はフョードルにとっての継続調査案件になります。
先生にとってのナボコフもきっと継続調査案件なのでしょうが、それとは別に、あるいは重なり合い、混じり合うかたちで、ぜひ自伝を書いてみてほしいです。もし先生の自伝が読めるようになれば、私はその文章中に自らを密輸し、夢想に遊ばせてみたいと思います。
と、ここまで書いていてどうこの手紙を締めくくろうかと考えたのですが、うまく思いつかないので、一旦の別れのご挨拶代わりに、私のお気に入りの『賜物』の最後の詩を載せておきます。
さらば、本よ! 幻影たちもまた
死を猶予してはもらえない。
ひざまずいていたエヴゲニーが立ち上がっても
詩人は立ち去っていく。
それでも耳はすぐには
音楽と別れられず、物語を
鳴りやまらせることもできない……。運命がみずから
まだ響き続けているから……。そして
注意深い頭にとっては、私が終止符を
打っても終点にはならない。
延長された存在の亡霊が
頁の地平線の彼方に
明日の雲のように青くたなびく──
そしてこの行も終わることはない。
(ナボコフ『賜物』、新潮社、沼野充義訳より)
畠山丑雄
(わかしま・ただし 京都大学名誉教授)
(はたけやま・うしお 作家)
波 2026年5月号より
単行本刊行時掲載
芥川賞受賞記念特別企画
往復書簡「先生とわたし」【中篇】
新芥川賞作家の畠山丑雄さんは「受賞のことば」の冒頭、「小説は昔から「取り違え」を書いてきた。『嵐が丘』に“He’s more myself than I am.”(彼は私以上に私である)とある」と記しています。2月に都内で行われた贈呈式で若島正さんと再会し、「先生は人でなしではないか」と申し上げたことなどを思い出しますが、様々な取り違えもあったようで……好評につき延長決定、師弟間の腹蔵ない言葉の応酬と文学談義です。
若島正様
先日は芥川賞贈呈式にお越しいただきありがとうございました。会場では娘をお見せできて、とても嬉しかったです。挨拶に伺った際、娘はぐっすり寝ていましたが、きっと先生の謦咳が眠りの中まで響いていたことだと思います。
いつか先生は、自分の娘が生まれた瞬間は猿のようで全くかわいいとは思えなかった、とおっしゃっていて、私はそのことばを聞いた時、先生はほんらい人間に通っているはずの、温かな血潮が通っていない、人でなしなのではないか、と申し上げたのをよく覚えています。しかしいざ妻の出産に立ち会う直前になると、実際問題として赤ん坊というのは生まれた直後は血だらけでしわくちゃなのだから、自分も先生と同じようにかわいいとは思えないのではないか、と不安になりました。あのとき想像力を働かせず、先生の人間性を否定するようなことばを口にしたことを、ひどく恥じ入りもしました。
そうしていざ泣き声が聞こえ、血だらけの赤ん坊の姿を目にしたとき、私は心から、かわいい、と思いました。涙も流しました。同時に、やっぱり先生は人でなしなのだ、と安堵もしました。
などと書いているうちに、先生がある授業でとりあげた、アメリカ文学の短編を思い出しました。といっても私は授業中は小説を読むのが常で、タイトルも作者も覚えていないのですが、確かある夫婦が街中で不要になった赤ん坊を募り、集めた赤ん坊を大きな釜で炒めて、お肌にいい油をつくり、売りさばく。ところがひょんなことで夫婦げんかになり、互いが互いを殺そうともつれあい、二人して釜に落ちてしまう──そんな話だったような気がしますが、こうして筋を起こしてみるとムチャクチャなので、もうちょっと違う話だった気もします。「赤ん坊 油 炒め 釜 短編」のキーワードでGoogle検索したところ圧力IHジャー炊飯器の取扱説明書が出てきました。ちゃんと授業を聞いておけばよかったと反省しています。
いずれにせよ具体的なことは何も覚えていないのですが、先生が話すのを聞いて大いに笑ったことはよく覚えています。先生自身も、とにかく笑える小説なのだと言っていた気がします。
うろ覚えのまま書きますが、先生はこの作者は、人でなしである、とも言い切っていました。しかしともかくも腹は括っている。露悪というのともまた違う。露悪は一つの釈明であり、この作者にはやむにやまれぬ切実さがある。その切実さと腹の括りようが、残酷さの底の抜けた、不思議なあかるさをもたらしている、云々。
先日町田康氏と対談したところ、氏は小説家が小説を書く基本的な態度として「無責任」をあげていました。どういうことかというと、小説というのは大変な目に遭っている人を描写する。ほんらいはそいつを生かすも殺すも作者の胸一つであるのに、それを忘れているかのようにカメラで捉えている。その心が痺れたような感じを、作者は持っているべきである。例えば戦争映画ややくざ映画でも、主人公やその関係者が死ねば皆大騒ぎするが、その背後で景色としてバタバタと死んでいく人間がいる。そこにはある種の焦点と、それを定める作者の手つきがある。そのような景色として死んでいく人間を、小説家もいっぱい殺していく。そういう意味で小説家は人非人である──あまり詳しく書くと「新潮」の5月号(定価一二〇〇円)を買ってもらえなくなるのでこのあたりにしておきますが、そのことばを氏から聞いた時、私は例の圧力IHジャー炊飯器の作者と、先生を思い浮かべました。
私などはまだまだその域までは至らぬ、温かな血潮の通った人間に過ぎませんが、今後も先生の背中を追って精進していきたいと思います。
畠山丑雄
畠山丑雄様
定年退官してからもう十年近くも経っているのに、学生が書いたものに誤りがあれば指摘してしまうという、教師の癖がまだ抜けきれない悲しい性をお許しください。
まず「圧力IHジャー炊飯器」の件ですが、これはアンブローズ・ビアスの「犬の油」(“Oil of Dog”)という短篇です。我が国にも蝦蟇の油というのがありますが、この手のインチキ軟膏は万国共通なんでしょうか。
こんなところで油を売っていないで、本題に行きましょう。「娘が生まれた瞬間は猿のようで全くかわいいとは思えなかった」とわたしが言ったことになっていますが、それは事実誤認です。というか、わたしが同じ文脈でしゃべった二つのことが合成されたものになっていますので、それを説明しておきます。
わたしの最初の子供は、男の子でした。まるでホタルイカみたいやなあ、と思ったのが、初めてその子を見たときの第一印象です。産道を通ってきて、頭がとんがり帽子をかぶったみたいに見えたからです。初めて我が子を目にしたときにしては、妙な感動のなさだなあと思われるかもしれませんが、それまでに小林信彦の『パパは神様じゃない』を愛読していましたので、自然とそういう態度が身についてしまったのかもしれません。まだお読みになっていなければ、まあ騙されたと思って読んでみてください。
それはともかく、「猿のようで全くかわいいとは思えなかった」という部分は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』です。ご存知のとおり、『アンナ・カレーニナ』はアンナとヴロンスキー、そしてリョーヴィンとキチイという、二組のカップルをめぐるダブル・プロットになっています。リョーヴィンはすったもんだの挙句、晴れてキチイと結婚し、この大長編が終盤にさしかかったあたりで、キチイの出産場面を迎えます。苦しんで、死にそうだと悲鳴をあげているキチイを目にして、神様、許してください、どうか助けてやってください、とリョーヴィンは祈ります。知識人で無神論者であった彼が、ここで初めて神に祈り、その瞬間だけ神を信じるのです。この小説のクライマックスの一つであり、感動的としか言いようのない場面です。
しかし、トルストイはとんでもなく凄いと思わされるのはその先で、リョーヴィンが初めて我が子を見るところです。産婆が「おかわいい赤ちゃん!」と言うのに対して、彼はこう思います。「リョーヴィンは悲しくなって溜息をついた。この『おかわいい赤ちゃん』は、彼にただ嫌悪と哀れみの情を呼びおこすばかりであった。それは、彼が期待していた感情とは、まったく違ったものであった」(木村浩訳、新潮文庫)。人間は生きる苦しみを背負って生まれてくる。小さな生き物をその苦しみから守ってやるのが父親の役目だとすれば、リョーヴィンが父親になるのはまだまだ先のことだ、とそんなことを読者に想像させてくれます。リョーヴィンの試練は続くのです。
トルストイはここで、リョーヴィンの目を通して、この赤ん坊を「その奇妙な、ぐらぐら揺れながら、産着の襟で頭を半分隠した、赤い生きもの」と描写しています。わたしはどうやら、それを「猿みたい」だと記憶の中で翻訳してしまったらしく、授業や酒席でその話を何度もしたことがあります。今回、この機会に『アンナ・カレーニナ』を読み返してみたら、「猿みたい」という言葉は出てきませんでした。感動のあまりの勇み足だと思し召して、トルストイ先生、どうかお許しください。
若島正
(わかしま・ただし 京都大学名誉教授)
(はたけやま・うしお 作家)
波 2026年4月号より
単行本刊行時掲載
芥川賞受賞記念特別企画
往復書簡「先生とわたし」
新芥川賞作家・畠山丑雄さんの受賞作『叫び』には、主人公の男を失意のどん底からすくいあげ、厳しく強烈に導く「先生」が登場します。畠山さんにも「先生」と慕う方がいます。ナボコフの『ロリータ』の名訳で知られるアメリカ文学者の若島正さんです。師弟の書簡を今月号と来月号の二回、お届けします。
畠山丑雄様
畠山くん、芥川賞受賞おめでとう。
かつて大学に勤めていたとき、わたしの目から見ると、畠山くんは「授業にはほとんど出てこないが、飲み会ではいつも顔を見る」学生でした。最近の大学事情はどうなっているのか知りませんが、過去の京大にはよくいたタイプで、こう書いているわたしも、学生だった頃は「若島はめったに授業で顔を見ない」と恩師に言われていたので、あまり人のことは言えません。それはともかく、そういう認識がガラッと変わったのは、『改元』の表題作を読んだときです。なんや、畠山くん、小説書けるやないか、というのが正直な感想でした。それまで、畠山くんが書いたものでわたしが読んだのは、あの卒業論文とはとても呼べないフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』論で、うちの英米文では卒業論文を英語で書くのが決まりですが、扱った作家の名前ですらスペリングが間違っている論文というのはおそらく空前絶後でしょう。その記憶があっただけに、まるで別人の手になるような「改元」を読んでびっくりしたのです。
とりわけ感心したのは、語り手の「私」に対して、そのパートナーである「瑛子」が、電話がかかってきて家を出てからの行動を話す場面です。作品全体は一人称の語りではあるものの、そこで視点が「私」から「瑛子」へと微妙に移行します。「瑛子」が「私」に話した内容という枠があるので、極端な変化という印象は受けませんが、それでも、そこで語られる「瑛子」の意識は決して「私」の意識に還元されるものではありません。
『改元』の出版記念イベントで畠山くんが円城塔さんとトークショーをやったとき、円城さんがまず質問したのもそこでした。「テクニックにしか興味がないので」と円城さんは言っていましたが、それに対して、畠山くんは「そっちのほうが書きやすいので、自然にそうなりました」と答えていて、それを聞いたわたしは、ああ、畠山くんは小説家やなあ、と思いました。その個所の視点の変化は、一見すると破調のようにも見えますが、三人称と一人称が曖昧になり、「龍」が「私」の中を通って「瑛子」の中に流れ込むという物語全体の構図にぴったり収まっています。計算尽くではなく、身体が自然に反応している感じ。小説家やなあ、と思ったのはそういうことです。
ここでちょっと余談を(わたしが授業中によく雑談をはさんでいたのは、畠山くんも知ってるでしょう)。四十年ほど前、授業でヘミングウェイの短篇「インディアン・キャンプ」を読んだときのことです。ご存知のとおり、ニックが少年時代に人間の誕生と死を同時に目撃してしまうという物語で、強烈な印象を残す名品ですが、いつものように英文レポートを書かせたら、ある学生がこんなことを書いていました。彼がまだ子供の頃、馬のお産を目撃したことがあったとか。子供のくせに助平な奴やなあとまわりにいた大人たちにからかわれながら、「ぼくは西瓜を持って立っていました」とその学生は書いていて、本筋にはまったく関係のないその文章に打たれて、わたしは思わずそのレポートにAをつけてしまいました。記憶の中にある、西瓜を持って立っていたというイメージが、その学生にとって妙なリアリティを持っていたはずで、それが読んでいるわたしを不意打ちにしたわけです。
こんな思い出話をしたのは、他でもありません、「改元」に大きな瓜が出てくるからです。小説の冒頭で沓脱に置かれるずっしりとした瓜は、終盤近くではシンク下で「熟しきってひとりでに裂け、覗いた青い果肉から汁が陰気に滴り伝って」います。きっと畠山くんは、さまざまなアイデアを内に抱えているでしょう。それがひとりでに裂けたとき、どんな作品がそこから顔を覗かせるのか、今後も楽しみにしたいと思っています。
若島正
若島正様
おっしゃるとおり、学生時代、私の成績は恐るべき低空飛行を続けており、今振り返ってもよく卒業できたものだと思います。先日実家を整理している際に大学の成績表が出てきたのですが、卒論含めほとんどの単位が「可」でした。数少ない「優」は屋久島でヤクザルのフィールドワークをした霊長類研究所のゼミと、アジア・アフリカ地域研究研究科の文化人類学のゼミだったので、やはり文学研究の方に進もうとしたのがそもそもの間違いだったのだと、認識を新たにした次第です。
卒業論文を提出する際も、「これで卒業させてもらえるだろうか」という不安がありました。中身がカスだったからです。あまりにカスだったので、「もう一度、卒論だけに一年かけてやりなおした方がいいのではないか」とも思いましたが、当時私は七回生で、留年回数が限度に達しており、その年に卒業できなければ放校になる定めでした。どうしようかと悩んでいるとき、たまたま『青春少年マガジン』を読んでいると、小林まことが「ダメなときは無理に糊塗しようとせず、誰が見てもダメだとわかるものを潔く出した」というようなことを書いていて、大いに励まされる思いがしました。
そうして私は卒業論文を提出し、先生方の爽やかな諦念と毅然とした寛容により、卒業を許されたのでした。試問の際の、先生方の生暖かいまなざしと、教室に満ちた、乾いた笑いを今でもよく覚えております。あのとき、もし先生方に、きびしいことばで詰められていたら、どうなっていたか。きっと泣いていたでしょう。
『改元』をそんな風に読んでいただき、ひじょうに嬉しく思います。私もあの対談で円城さんと先生がその話をしていて、「そんな話だったかしら……?」と思い、家に帰って読みなおしたところ、まさにそんな話になっていたので大変おどろき、膝を打ったものでした。
「インディアン・キャンプ」はなんとなくニックの成長譚の一つ、という記憶はあったのですが、どんな話かよく覚えていなかったので、読みなおしてみました。うーん、おもしろい。いかにもヘミングウェイらしい、過不足のない文章もすばらしいですが、個人的には直近で『叫び』というタイトルで小説を書いたこともあり、この作品においても「叫び」が気になりました。少年ニックが、今からインディアン女性の帝王切開手術をする父に向かって、「このひとに何かあげて、叫ばないですむようにしてあげられないの?」(高見浩訳)と訊く。父は、麻酔の持ち合わせがないのだ、と答えた後に、“But her screams are not important. I don’t hear them because they are not important.” と続ける。いざ手術が始まり、父が麻酔なしのままジャックナイフでインディアンの女性の腹を裂き始めても、インディアンの女性の叫び声は全く描かれない。ニックたちがキャンプについたばかりの時には彼女の叫びは “the noise” と表現されていたが、ここではその “noise” すらが不可聴化されている。無論麻酔なしの帝王切開で、インディアン女性が叫ばぬはずはない、というか、常識的に考えれば今までで一番激しい叫びになるはずである。ではなぜその叫びが小説の記述から漏れているかというと、この小説が基本的にニック視点で動いているからである。つまりニックは父の教え(her screams are not important)を受け入れ、インディアンの女性の叫びよりも、彼女に腕を嚙まれたジョージ叔父の “Damn squaw bitch!” に耳を遣っている。それまでも一度もクオーテーションマークによって前景化されなかった彼女の叫びは、ここでは地の文からも落とされている。ヘミングウェイらしい、過不足のないすばらしい文章であり、これをニックの成長譚と取るなら、そのような「叫び」が風景となり、聞こえなくなることこそ、一つの成長なのかもしれませんね。
私も一回生の頃、サッカー部の砂川くんと追いコンの漫才のために猛練習をしていると、彼の突っ込みの手が思い切り耳にあたって鼓膜が破れ、耳が遠くなったことがありました(漫才は成功しました)。その砂川くんが先日受賞をお祝いしてくれたのですが、彼は今タンザニアでエアコンを売っているそうです。お互い人生何があるかわからないものだと思います。ちなみにタンザニアはスイカが安くておいしいので、砂川くんは毎日のように食べているとのことでした。
畠山丑雄
(わかしま・ただし 京都大学名誉教授)
(はたけやま・うしお 作家)
波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
ウラジーミル・ナボコフ
Nabokov,Vladimir
(1899-1977)1899年、サンクト・ペテルブルグで貴族の家に生まれる。1919年、ロシア革命により家族で西欧に亡命。ケンブリッジ大学卒業後、ベルリン、パリと移り住み、主にロシア語で執筆活動を続ける。1940年、アメリカに移住。ハーバード、コーネル大学などで教育、研究に携わる傍ら、英語でも創作活動を本格的に始める。1955年に英語で発表された『ロリータ』が大センセーションを巻き起こし、教師の職を辞す。1962年、スイスのモントルーに居を定め、1977年、78歳で死去。
若島正
ワカシマ・タダシ
1952年京都生まれ。京都大学名誉教授。翻訳者、詰将棋、チェス・プロブレム作家。『乱視読者の帰還』(みすず書房)で本格ミステリ大賞、『乱視読者の英米短篇講義』(研究社)で読売文学賞を受賞。主な訳書にナボコフ『ディフェンス』(河出書房新社)、『透明な対象』(国書刊行会、共訳)、『記憶よ、語れ 自伝再訪』(作品社)、『新訳版 アーダ』(早川書房)など。

































