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トム・ソーヤーの冒険

マーク・トウェイン/著 、柴田元幸/訳

737円(税込)

発売日:2012/06/27

  • 文庫
  • 電子書籍あり

こんなに面白い作品だったとは。訳してみて深さに気づきました。――柴田元幸。新訳・名作コレクション。

ポリー伯母さんに塀塗りを言いつけられたわんぱく小僧のトム・ソーヤー。転んでもタダでは起きぬ彼のこと、いかにも意味ありげに塀を塗ってみせれば皆がぼくにもやらせてとやってきて、林檎も凧もせしめてしまう。ある夜親友のハックと墓場に忍び込んだら……殺人事件を目撃! さて彼らは──。時に社会に皮肉な視線を投げかけつつ、少年時代をいきいきと描く名作を名翻訳家が新訳。

目次
第1章 トムやぁぁぁ――ポリー伯母さん、己の義務を決断――トム、音楽を練習――対決――こっそり帰宅
第2章 強い誘惑――戦略的行動――無垢な者たちを騙す
第3章 将軍トム――勝利と報酬――鬱々たる至福――遂行と怠慢
第4章 知的軽業――日曜学校に行く――校長先生――「見せびらかし」――トム、一躍英雄に
第5章 有能な牧師――教会で――クライマックス
第6章 自省――歯科医術――午前零時の呪文――魔女と悪魔――慎重な接近――幸福なる数時間
第7章 条約締結――朝のレッスン――ある過ち
第8章 トムの決断――いにしえの場面の再演
第9章 物々しい状況――深刻なテーマの導入――インジャン・ジョーの説明
第10章 厳粛な誓い――恐怖が悔恨を生む――心の中の罰
第11章 マフ・ポッター本人登場――トムの良心
第12章 トムの気前よさ――ポリー伯母さんの動揺
第13章 若き海賊たち――隠れ場へ――焚火を囲んだ語らい
第14章 野営暮らし――あるセンセーション――トムひそかに陣地を出る
第15章 トムの偵察――状況を知る――陣地で報告
第16章 一日の愉しみ――トム、秘密を明かす――海賊たち、新しいことを学ぶ――夜の急襲――インディアン戦争
第17章 失われた英雄たちの記憶――これぞトムの秘密
第18章 トムの愛情、吟味される――素敵な夢――ベッキー・サッチャー霞む――トムの嫉妬――黒き復讐
第19章 トム、真実を語る
第20章 ベッキーのジレンマ――トムの気高さ
第21章 若々しい雄弁――若き淑女たちの作文――長ったらしい幻影――少年たち、復讐を遂げる
第22章 トムの信頼、裏切られる――天罰を覚悟
第23章 老マフの友だち――法廷のマフ・ポッター――マフ・ポッター救われる
第24章 村の英雄トム――栄光の昼と恐怖の夜――インジャン・ジョー探し
第25章 王とダイヤモンド――宝探し――死人と幽霊
第26章 幽霊屋敷――眠い幽霊たち――金貨の箱――何たる不運
第27章 解決すべき疑問――若き探偵たち
第28章 『二番』での試み――ハック、見張りに立つ
第29章 ピク=ニク――ハック、インジャン・ジョーを尾行――「復讐」の仕事――未亡人を救う
第30章 ウェールズ人の報告――ハック、追及される――話が広まる――新たなセンセーション――希望が絶望に
第31章 探検行――トラブルの始まり――洞窟の迷子――全き闇――発見されども救出されず
第32章 トム、脱出を語る――安全な場に収まったトムの敵
第33章 インジャン・ジョーの末路――ハックとトムの情報交換――洞窟へ――幽霊に対する防備――「最高に秘密の場所」――ダグラス未亡人宅での歓迎
第34章 秘密を明かす――ジョーンズ氏の大ニュース、不発に
第35章 新体制――哀れハック――新しい冒険の計画
結び
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 トムソーヤーノボウケン
シリーズ名 Star Classics 名作新訳コレクション
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 400ページ
ISBN 978-4-10-210611-2
C-CODE 0197
整理番号 ト-4-1
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 737円
電子書籍 価格 693円
電子書籍 配信開始日 2016/03/18

書評

記憶に残る〈イメージ〉

田中空

 マンガを描く時、常に探し求めているものがある。それは記憶に残る〈イメージ〉だ。
 物語のストーリーは、時間が経てばあっという間に忘れてしまう。だが、ある場面の風景やそこに生きるキャラのイメージはずっと残り続ける。むしろ、時間のふるいにかけられても残り続ける鉱石のようなイメージこそが物語の本当の部分だと思っている。現実でも、三日前の昼に何を食べたかはたいてい忘れるが、何十年も昔に友人から何気なく言われた一言をずっと覚えていたり、卒業以来会っていない恩師の顔や声色が今でもモノマネできるほどリアルに思いだせたりすることがあって、そういった場面や人のイメージはしっかりと心に残り、自分の体の一部になっている。
 物語の中で記憶に残るイメージを生み出すのは難しい。読者の心がハッとする場面やキャラをいかに描けるかに掛かっている。だがヒントは過去の名作にたくさんある。自分は小説からそのヒントを得る場合が多い。小説は絵がない分、自分の頭の中で想像を膨らませやすいからだ。作品からのイメージを自分流に構築しやすい。そこから次の作品につながる新たなイメージが生まれてくる。
 新潮文庫からの三作もそういった観点で選んだ。どれも自分が高校生の頃に読み、それ以来ずっと頭の中にイメージが残り、自分の創作に影響を与え続けている作品だ。

 一つ目は井上靖の『敦煌』。およそ千年前の浪漫あふれる中国のエキゾチシズムはまるでファンタジー世界だが、そこには確かな血肉を持ったキャラたちが生きている。個性豊かなキャラが多数登場するが、中でも猛々しくも純粋に生きる朱王礼がお気に入りで、彼のある場面をずっと忘れられずにいる。それは次の場面だ。

井上靖『敦煌』書影

 逆さになって馬に吊り下がっている趙行徳の視野の中に、この時血で顔面を赤く染めた仁王のような男の姿がはいって来た。男は馬上から声をかけた。

 趙行徳は主人公。馬上の男が朱王礼だ。天地逆転して見下ろしている真っ赤な男の姿が頭の中にありありと浮かび、当時絵に描いたほどだ。そのくらいこの場面はキャラの生き様とシンクロしたイメージとして記憶している。頭の中で彼の燃えるような赤のイメージはどんどん広がり、自分にとって『敦煌』といえば朱王礼の赤である。キャラが色を発散させているイメージは面白い。

 二つ目は安部公房の短編集『無関係な死・時の崖』。彼の作品の夢か現実かその境目が分からなくなるような場面描写が好きなのだが、収録作で一番印象に残っているのは「人魚伝」だ。例えば次の場面がある。

安部公房『無関係な死・時の崖』書影

 彼女はまさに、緑そのものだったのである。皮膚はもちろんのこと、髪も、眼も、唇も、なにからなにまでが緑色だった。

 主人公が出会う人魚の描写だが、全てが緑色の人魚。このイメージは一度読んだら忘れられない。奇妙な夢を見ているような感覚に包まれる。本作では人魚の描写がこれでもかと登場するが、アパートの風呂場にいる一言もしゃべることがない人魚の匂いまでが本から漂ってくる気がした。個人的に夢の中の風景は、現実とは別の本質が潜んでいると思っていて、本作が描くイメージは夢の中で感じる得体の知れない本質に似ている。イメージが身体にねっとり張り付き、五感が刺激される作品だ。

 最後はマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』。誰もが知っている作品であり、目に浮かぶ場面はたくさんあるが、意外に最もイメージを記憶しているのは、女友達のベッキーが先生に追い詰められ絶体絶命の窮地に陥る次の場面だ。

マーク・トウェイン、柴田元幸 訳『トム・ソーヤーの冒険』書影

 ベッキーの両手が嘆願するように持ち上がった

 彼女の手はきっと小刻みに震えている。その振動が紙から伝わってくるようだ。両手が持ち上がるという描写もたまらない。そしてこの後の展開は何度思い出しても楽しい。十九世紀のアメリカに暮らす彼らが文庫の中でずっと生きていると本気で思ってしまう。
 こうした本から得たイメージは永遠に消えない。自分もそんな記憶に残るイメージを作品で生み出したい。

(たなか・くう 漫画家)

波 2024年5月号より

そういう大人たちのためにこそ

岸本佐知子

 柴田元幸訳『トム・ソーヤーの冒険』を「モンキービジネス」誌上で読んだのは去年の秋のことで、あまりの面白さにうひゃうひゃ言いながら一気読みしたことを覚えている。
 まず驚いたのは、それが一世紀半ちかい時間のギャップをまるきり感じさせない“今”の面白さだ、ということだ。子供という興味ぶかい生き物の生態がどこまでもリアルに描かれていて、まるで自分の子供時代を見ているような「あるある」感だった。
 けれどももっと新鮮だったのは、その語り口だ。新しい『トム・ソーヤーの冒険』には、大人が子供の目線に合わせて身を屈めて話しかけるような「児童文学くささ」がみじんもなかった。かわりにあるのは、真顔で面白いことを言ったあと片眉をひこひこ動かしてみせる剽軽な小父さんの語りだ。まるでマーク・トウェインその人の顔がありありと見えてくるような。
 あらためて読み返してみると、まずもって気がつくのは、地の文を意図的にかなり硬めに訳してあることだ。〈そこで(トムは)、整理の済んだ資産をポケットに戻し、買収案は放棄した。と、この暗黒なる、望みなき瞬間、ひとつの霊感がトムを見舞った――偉大にして壮麗と言うほかない霊感が!〉〈やがてプードル犬が一匹、ふらふら浮かぬ様子で迷い込んできた。夏の閑かさ、静けさに犬は倦怠を覚え、囚われの身を憂い、変化をこいねがって溜息をついた。〉これはほんの一例だけれど、「放棄」「暗黒」「壮麗」「倦怠」といった重厚な漢語が腕白小僧や犬の心情を描写するのに使われていて、その落差がえも言われぬ可笑しみを生みだしている。
 それに、ところどころ「あえての直訳」がとても効果的に使われている。たとえば有名な塀塗りのシーンで、トムが友人の一人を騙して仕事を肩代わりさせたあと、次は誰をカモにしようかと企むくだり。〈……脚をぶらぶらさせてリンゴを齧りながら、無垢な者たちをさらに虐殺する案を練った。〉原文のthe slaughterは、穏当な日本語にするなら「陥れる」とでもするところを、あえて「虐殺」と直訳を当てて、原文のフックをそのまま伝えている。(個人的にいちばんぐっときたのはgirded up his loinsを〈褌を締めてかかり〉としてあるところだ。“褌”のような和の言葉はなるべく使わないのが定石だけれど、たしかにこっちのほうがずっと原文の可笑しみが出るし、何より実感がこもっている。ただしこれは良い子が真似するには危険な技だ。)
 地の文がそんなふうに硬めに作りこんであるのとは対照的に、会話の部分は一転して、今の子供たちの生の言葉をそのまま写しとったような、自然でアップテンポな文体で、読んでいると、こちらまで子供に戻って一緒にやりとりに加わっているような気分になる。〈「いいや、何でもないよ」「何でもあるわよ」「何でもないって。見ても仕方ないよ」「仕方あるわよ、見たいのよ。ねえ、見せてよ」「言いつける気だろ」「言いつけない。嘘ついたら針千本飲ませていいから」〉〈「どこで捕まえた?」「森の中」「何と取っ替えてくれる?」「さあなあ。売る気はないよ」「分かったよ。どっちみちすごく小さいダニだし」「他人ひとのダニはいくらでも貶せるよな。俺はこれで満足してるんだ。このダニで俺は十分だよ」「ふん、ダニなんてどっさりいるからな。俺だってその気になりゃいくらでも捕まえられるさ」「じゃあ何で捕まえない? できないって分かってるからだろ。こいつはまだはしり・・・のダニだよ。今年初めて見たよ」「なあハック――代わりに俺の歯やるよ」〉(ああ、もっと引用できないのが残念だ。ことにトムとハックのやり取りは、永遠に続いてほしいと思うくらいすばらしい。)
 かくして読み手は、時に眉毛ひこひこ小父さんたる作者と一緒に遠い子供時代を郷愁とともに眺め、時に自分がそのまま子供になり、そうやって大人と子供のあいだを何度も行き来することになる。それは、自分の中に大人の部分と子供の部分と、両方が生きているのだと気づかされるような、不思議で奥深い読書体験だ。
「ああトム・ソーヤーね、それならもう子供のころ読んだよ」という人がいたら(たいていの人がそうだろう)、そういう大人たちのためにこそ、この新しい『トム・ソーヤーの冒険』はあるのだと思う。

(きしもと・さちこ 翻訳家))
波 2012年7月号より

著者プロフィール

(1835-1910)アメリカのミズーリ州に生れ、ミシシッピー河畔で少年期を送る。『ミシシッピ河上の生活』『王子と乞食』『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリイ・フィンの冒険』等を発表し、19世紀のアメリカを代表する文学者となる。その自由奔放かつ正確な文章は後の作家に多大な影響を与えた。

柴田元幸

シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

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