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砂の上のあなた

白石一文/著

1,870円(税込)

発売日:2010/09/30

書誌情報

読み仮名 スナノウエノアナタ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 318ページ
ISBN 978-4-10-305652-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,870円

ひとかけらでいい。僕が死んだら、愛する女性の骨と一緒に眠らせてほしい。

最愛の父に愛人がいた――見知らぬ男からもたらされたのは、娘が最も知りたくなかった事実。しかし亡き父の妄執は、35歳の主婦・美砂子の結婚生活にまで影を落としていく。愛に理由はあるか。人生に意味はあるか。運命は遺伝するのか。命から命へ脈々と根を張る「縁」に搦め捕られる男と女を描いた圧倒的長編小説。

書評

波 2010年10月号より 足の裏の熱砂

金子ありさ

バルーンのように膨らんで臍が伸び切ったお腹。時々、中からぐにゅっ、めりっと波動が襲い思わず身をよじらせる。頭の大部分は冴えていて、なのに体の一部分はもっさり鈍い。自他共に認める男っぽい性格ゆえに「私ママよ」的な感傷は全くないが、何かが起きる前触れはひしひしと感じている。まるで歩いても歩いても絡みつく熱砂に足を取られ、自然と行き先が運命づけられていくかのように。
そんな、現在妊娠九カ月の私が出会った白石文学。直木賞受賞後第一作。白石一文著『砂の上のあなた』である。
正直言って、男性作家が描くヒロインを私は基本的に信用しない。どんなに流麗に女性賛美されようと、どんなに優れた観察眼で女という生き物を描写されようと、必ずそこに願望、誇張、幻想が見て取れるからだ。
しかし今回、私がその人生を垣間見た「彼女」、ヒロイン美砂子の生々しさにまず息を呑んだ。
例えば、子作りに励む彼女がわずかの変化も見逃すまいと自分の体内に耳を澄ます様。
会話している相手の微かな語気の変化に目ざとく気付く繊細さ。
そして夫への、亡き父への、別れた恋人への、突如目の前に現れた魅力的な男への剥き出しの感情の浮き沈み。
何の足し算も引き算もないそのヒロインの「ありのまま」加減は読み手を無理なく、その人生の只中へと引き込んでいく。
ごくごく平凡なありふれた日常。だがその三十五歳の女の人生は亡き父の遺した手紙、そこに記された意外な事実によって思いもかけない方向へと転がっていく。
残酷なまでに痛々しく、今までの生活から踏み外していく様は実にダイナミックで、ヒロインに同情しながらも心の片隅で妙に胸躍る。そして出て来る男たちの身勝手さ、弱さ、愛おしさについ思い当たる。私のまわりの誰それもまさに「こんな感じ」。
対照的に描かれる女性は誰も彼も程よい強さと脆さを兼ね備え、粒ぞろいの生命力。そして余談だが出て来る料理料理の、美味しそうなこと!(目下ブラックホールのような食欲と闘っている妊婦にはかなり過酷な読書体験)
白石文学独特のちょっと毒のある哲学、「この世の真理」をちりばめながら、美砂子の人生は二転三転する。次第に明らかになっていく因果関係。回転扉が回るごとく、次々と登場人物が現れては消えて目まぐるしいほどだ。その連なりと、ヒロインが抱え込んだ孤独。確固たる思考理屈、だが言葉で表せない不思議な現象。
様々な「対」を鮮やかに内包し、物語は時に恋愛小説のように、はたまたミステリー小説のように謎を撒き散らし深まっていく。そして最後に彼女が得たものに少なからず驚いた。結末に、というよりその感覚に。そんな風に物事って見えてくるものなのか。最初はすぐにピンと来ず、だが時間を経るごとにじわじわと胸に広がるこの実感。そう言えば、そんな「ざわざわ」を私もずっと抱えて今日まで来た気がする。翻ってよく見ると私自身、そんな土台の上に成り立って、そして今、臨月を迎えようとしている。
彼女は言う。「そうやって巨大な砂丘を動かしているのは私たち女自身」だと。私は急に足の裏に熱砂を感じ、『砂の上のあなた』とは『あなた』の事だったのかと思い当たり、痺れるような感動に襲われた。いつもそうだ。白石文学には最後の最後、必ず読み手に突き刺さる五感が用意されている。それは文字でしか味わえないクライマックス。
人生の節目に出会う本がある。私にとって今、この物語と出会った事は偶然とは思えない。この先、いわゆる出産という一大事が待っているが、何かの拍子に必ず私はヒロイン美砂子の人生に思いを馳せるだろう。それはとても幸せな疑似体験だ。

(かねこ・ありさ 脚本家)

刊行記念インタビュー

波 2010年10月号より

【白石一文『砂の上のあなた』刊行記念インタビュー】
心を豊かにするただ一つの方法
白石一文



●「直感」は成長する


――『砂の上のあなた』ほど、一言で説明しにくい小説もありませんね。
白石 そうですね。意図的に訳が分からないように書きました(笑)。作家になって十年以上が経ちましたが、僕はデビュー当初から小説を通して伝えたいことは同じなんです。人間の一生なんかものすごく短くて、ただフツーに生きているだけでは、この世界のただならない真実はとても知り得ない。だが、我々は意識的に思考の枠組みを拡げつづけなくてはいけないということを、手をかえ品をかえて書いてきたつもりです。ですから、この小説自体も、一度読んだだけでは分からない部分が残るように、とにかくごちゃごちゃした感じを出したいと思って構成しました。読んだ後、何が書いてあったかはよく分からないけど、すごく強いイメージだけが残るような、そんな小説にしたかったんです。
――この物語を書こうと思われたきっかけからして、強烈です。
白石 小説の前半に、主人公の三十五歳の主婦である美砂子が、父親の骨の欠片を、彼の愛人の骨壺に入れてあげる場面がある。生前に父親が愛人に宛てた手紙に、そうしたいと書いてあることを実行したのですが、その時、二人の骨を一緒にしたとたん、なぜだか骨壺が暖かくなるんです。「愛し合う二人の骨を一緒にしたら、骨壺が暖かくなった」なんてことがあったら、人はどんなふうにその出来事を受け止めるんだろうか、と考えたことから、物語全体が出来ていきました。
――非常に印象的なシーンでした。「そんなことあるわけない」と頭では思いながらも、心のどこかで「いいや、そういうことはある」と感じました。
白石 何度も言いますが、この世の中には訳が分からないことが溢れています。ですから、「こういうこともきっとある」と感じたなら、その直感は信じるべきです。人は年をとるほど、経験やキャリアを積むことによって成長した自分だけを信じたがりますが、生きているだけで「直感」も成長するのです。ですから理論的には説明のつかないことでも、強く感じたなら自分の直感や本能を信じた方がいい局面は必ずあると思います。それまでの考えや行動と全く辻褄が合っていなくても、直感を信じて取った行動が、自分を助けることもままありますから。


●固体の振りをしたがる現代人


――『砂の上のあなた』は「え?」「なんで?」という連続で、「こうなるんじゃないか」という予想はことごとく裏切られますね。
白石 僕の小説には、ものすごく悪い人や、根っからいい人というのは出てきません。全員がある意味、非常に自分勝手で、自分本位に行動します。そうすると、倫理とか、道徳とか、論理とか、そういうものからどんどん離れていくんです。世の中の全ての事柄は「感情」によって支配されているのに、人は誰しも、なかなかそれを認めようとしません。気持ちに正直に動くことは良くないことだと思っている。言い換えれば、人は皆、液体のように容易に考えや気持ちを変化させながら生きているのに、強い力が加わっても形を変えない固体の振りをしたがっているように思えます。生身の人間をありのまま描いたせいで、物語が予想と違う方へ進むように感じられるのかもしれません。
――これまでの作品でも、論理と感情のぶつかり合いが描かれてきたように思いますが、本作では、その溝は深いけれども、過去の作品より狭まっている印象を受けました。
白石 そんなふうに言ってもらえるとすごく光栄です。『砂の上のあなた』では、ある登場人物によって「命をつなぐことの不利益」が語られます。それは、僕自身が三十代後半に考えていたことです。理論的に考えることは重要ですが、いま五十二歳になって、言葉や形にならない非常に不確かなものが、自分たちに多大な影響を与えていることに気づかずにはいられなくなってきている気がする。現代の日本は、物質的に豊かになって、感情のままに生きていけるようになっています。だから自分にとって邪魔だと感じれば、子供をネグレクトしたり、親でさえ殺すようになってしまった。「感情」が人の運命をも支配するのならば、人は「感情自体をコントロールする」ことを学ばねばならない。この「感情」の背景には何が潜んでいるのか、それを知ることでしか、心を豊かにする方法はないのではないかと思います。この作品から、その一端を読み取ってもらえたら嬉しく思います。

著者プロフィール

白石一文

シライシ・カズフミ

1958(昭和33)年、福岡県生れ。早稲田大学政治経済学部卒業。文藝春秋勤務を経て、2000(平成12)年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。他に『不自由な心』『すぐそばの彼方』『僕のなかの壊れていない部分』『草にすわる』『どれくらいの愛情』『この世の全部を敵に回して』『翼』『火口のふたり』『記憶の渚にて』『光のない海』『一億円のさようなら』『プラスチックの祈り』『ファウンテンブルーの魔人たち』『我が産声を聞きに』『道』など著書多数。

判型違い(文庫)

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