しずかの朝
1,540円(税込)
発売日:2008/11/28
- 書籍
しずか。25歳。独身。人生、ときどき迷子――。
母が強引に進めた初めてのお見合いで混乱する私、しずか。かたや順風満帆の人生に翳りが見え始めた姉。問題を抱えた私たち姉妹は、横浜の古い洋館に住む老婦人と出会う。その館には、戦争と国を超えて生きた人々の豊かな人生があり、受け継がれてゆく永遠のひかりがあった――。小澤征良が時空を超えて紡ぐ書き下ろし長篇、誕生!
目次
Chapter 1 ひ・と・り
Chapter 2 はじめてのお見合い
Chapter 3 ロシアン・ハウス
Chapter 4 コレハナンナノ
Chapter 5 霧の汽笛 on a foggy afternoon
Chapter 6 ひかり
Chapter 7 ほどく
Chapter 8 ナカマ
Chapter 9 ニコライを囲んで
Chapter 10 創る
Chapter 11 真夜中の外人墓地
Chapter 12 午後の雨
Chapter 13 月の仮面
Chapter 2 はじめてのお見合い
Chapter 3 ロシアン・ハウス
Chapter 4 コレハナンナノ
Chapter 5 霧の汽笛 on a foggy afternoon
Chapter 6 ひかり
Chapter 7 ほどく
Chapter 8 ナカマ
Chapter 9 ニコライを囲んで
Chapter 10 創る
Chapter 11 真夜中の外人墓地
Chapter 12 午後の雨
Chapter 13 月の仮面
書誌情報
読み仮名 | シズカノアサ |
---|---|
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-306552-4 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,540円 |
書評
波 2008年12月号より 縁とか運命とか
妻帯者との恋愛に終止符を打ったものの、まだその疲れの癒えない主人公しずかは、会社の倒産で職を失い、ぼんやりと途方に暮れている。幼いころからずば抜けて美しく聡明な姉が、自分のほしいものを着々と手に入れていくのに反し、彼女は自分が何をほしいのか、どこに向かって歩いていきたいのかすらわからない。母親に勧められるままお見合いをするが、恋の気配がきちんとした恋に変わる前に、お見合い相手はいなくなってしまう。そしてしずかは、偶然に導かれるようにして、横浜の洋館に住み込みにいく決意をする。
彼女が住み込みをはじめる横浜の洋館に住んでいるのは、十五年前に夫を亡くした、ターニャと名乗る老婦人である。ロシア人男性に嫁ぎ、ギリシャ正教に入信したときもらったロシア名をそのまま使い続けている。作者はこの老婦人を、わかりやすい善人にも、茶目っ気たっぷりの「おばあちゃん」にもしていない。どこかとらえどころのない、魅惑的な女性として描いている。
読み進めていくと、必然というものの詰まった長い時間を眺めているような気になる。ある人がある行動を起こす。本人は何気なくとった行動のつもりでも、その行動の裏には幾重にも重なり合った偶然がある。人が行動を起こすことによって、その重なり合った偶然は必然となる。
実家を出たことのない、どこかのほほんとしたしずかが、思いきって横浜の洋館に住み込むまでには、それこそいくつもの偶然の重なり合いがあり、そのひとつでも欠けていたら、彼女は新たな扉を開けることをしなかったろう。扉の内側で、つらかった過去から逃れられず、人生の成功者のようである姉を見上げ、何がしたいのかわからないまま過ごしていただろう。美しい姉の変化にも、気づかなかったかもしれない。
扉を開けたしずかは、たしかに今までと異なった光景と出会う。価値観ががらがら崩れるようなことはない。けれど彼女は、時間や、幸福や、自分自身といった、目には見えないものを見るのである。まるで他人のように思える子ども時代の自分と、今ここにいる自分が、それこそ無数の必然でつながっていることを知るのである。
ターニャという老婦人は、先に書いたようにわかりやすい人物造形を与えられていない。言葉数もさほど多くないし、自分より圧倒的に若い人に向かってわかったようなことも言わない。しかしながら読み手には非常に魅力的な印象を与える。おそらくそれは、戦争という厄介な時代をまたいでロシア人男性に嫁いだ彼女の、それこそ必然で埋め尽くされた途方もなく長い時間が、言葉ではなく描かれているからだろう。私たち読み手は、しずかのちっぽけな時間を思い、ターニャの果てしなく長い時間を思い、まったく接点のないその二つが重なり合う必然の力を静かに見守ることになる。
縁とか、運命とか、そういった言葉でおおざっぱに括られているものを、作者はたんねんにひもといて、それらの正体を小説にしのびこませているように思えてくる。
ラストのパーティ場面は本当に美しいが、情景の美しさもさることながら、もしかしたらまったく関わることのなかった個人それぞれの時間が、静かに重なり合う美しさでもあるように思う。
それにしてもこの作者は、幸福というものを描き出すのが本当にうまいと思う。たとえばしずかが生まれてはじめていったクラシックコンサート、午前中ひとりで入った映画館、姉と忍びこむ夜中の墓地、ボブ・ディランやジョニ・ミッチェルといった音楽がすっと心に入ってくる瞬間。ごく平凡な日々の、他人から見たらちっぽけな、けれど純度の高い幸福で満たされる、ごく個人的な一瞬が、本書には随所にちりばめられている。まるでしずかが見上げる屋根裏部屋の、四角い夜空に浮かぶ星くずみたいに。
彼女が住み込みをはじめる横浜の洋館に住んでいるのは、十五年前に夫を亡くした、ターニャと名乗る老婦人である。ロシア人男性に嫁ぎ、ギリシャ正教に入信したときもらったロシア名をそのまま使い続けている。作者はこの老婦人を、わかりやすい善人にも、茶目っ気たっぷりの「おばあちゃん」にもしていない。どこかとらえどころのない、魅惑的な女性として描いている。
読み進めていくと、必然というものの詰まった長い時間を眺めているような気になる。ある人がある行動を起こす。本人は何気なくとった行動のつもりでも、その行動の裏には幾重にも重なり合った偶然がある。人が行動を起こすことによって、その重なり合った偶然は必然となる。
実家を出たことのない、どこかのほほんとしたしずかが、思いきって横浜の洋館に住み込むまでには、それこそいくつもの偶然の重なり合いがあり、そのひとつでも欠けていたら、彼女は新たな扉を開けることをしなかったろう。扉の内側で、つらかった過去から逃れられず、人生の成功者のようである姉を見上げ、何がしたいのかわからないまま過ごしていただろう。美しい姉の変化にも、気づかなかったかもしれない。
扉を開けたしずかは、たしかに今までと異なった光景と出会う。価値観ががらがら崩れるようなことはない。けれど彼女は、時間や、幸福や、自分自身といった、目には見えないものを見るのである。まるで他人のように思える子ども時代の自分と、今ここにいる自分が、それこそ無数の必然でつながっていることを知るのである。
ターニャという老婦人は、先に書いたようにわかりやすい人物造形を与えられていない。言葉数もさほど多くないし、自分より圧倒的に若い人に向かってわかったようなことも言わない。しかしながら読み手には非常に魅力的な印象を与える。おそらくそれは、戦争という厄介な時代をまたいでロシア人男性に嫁いだ彼女の、それこそ必然で埋め尽くされた途方もなく長い時間が、言葉ではなく描かれているからだろう。私たち読み手は、しずかのちっぽけな時間を思い、ターニャの果てしなく長い時間を思い、まったく接点のないその二つが重なり合う必然の力を静かに見守ることになる。
縁とか、運命とか、そういった言葉でおおざっぱに括られているものを、作者はたんねんにひもといて、それらの正体を小説にしのびこませているように思えてくる。
ラストのパーティ場面は本当に美しいが、情景の美しさもさることながら、もしかしたらまったく関わることのなかった個人それぞれの時間が、静かに重なり合う美しさでもあるように思う。
それにしてもこの作者は、幸福というものを描き出すのが本当にうまいと思う。たとえばしずかが生まれてはじめていったクラシックコンサート、午前中ひとりで入った映画館、姉と忍びこむ夜中の墓地、ボブ・ディランやジョニ・ミッチェルといった音楽がすっと心に入ってくる瞬間。ごく平凡な日々の、他人から見たらちっぽけな、けれど純度の高い幸福で満たされる、ごく個人的な一瞬が、本書には随所にちりばめられている。まるでしずかが見上げる屋根裏部屋の、四角い夜空に浮かぶ星くずみたいに。
(かくた・みつよ 作家)
著者プロフィール
小澤征良
オザワ・セイラ
米国サンフランシスコ生まれ。上智大学比較文化学部卒業後、メトロポリタン歌劇場首席演出家デイヴィッド・ニース氏につき、オペラ演出を学ぶ。2002年『おわらない夏』(集英社)でデビュー。著書に小説『蒼いみち』(講談社)『しずかの朝』(新潮社)、エッセイ集『思い出のむこうへ』(筑摩書房)『そら いろいろ』(新潮社)など、訳書に『アブディーの冒険物語』(集英社)などがある。近刊アンソロジー『いつも一緒に』(新潮文庫)『君と過ごす季節』(ポプラ文庫)に寄稿。
この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。
感想を送る