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マドンナ・ヴェルデ

海堂尊/著

1,650円(税込)

発売日:2010/03/19

  • 書籍

正義のために、良心を捨てた女。海堂史上最強の魔女、ふたたび降臨!

桜宮市に暮らす平凡な主婦、山咲みどりのもとをある日一人娘で産婦人科医の曾根崎理恵がおとずれる。子宮を失った理恵のため、代理母として子どもを産んでほしいというのだ。五十歳代後半、三十三年ぶりの妊娠。お腹にいるのは実の孫――この子はいったい、誰の子なの? 医学と母性の葛藤をせつなく激しく描く最先端医療小説!

  • テレビ化
    ドラマ10『マドンナ・ヴェルデ~娘のために産むこと~』(2011年4月放映)
目次
一章 菊花開
晩秋・寒露二候
二章 楓蔦黄
晩秋・霜降三候
三章 虹蔵不見
初冬・小雪初候
四章 雪下出麦
仲冬・冬至三候
五章 東風解凍
初春・立春初候
六章 菜虫化蝶
仲春・啓蟄三候
七章 牡丹華
晩春・穀雨三候
八章 腐草為蛍
仲夏・芒種二候
九章 半夏生
仲夏・夏至三候
十章 涼風至
初秋・立秋初候
十一章 寒蝉鳴
初秋・立秋二候
十二章 玄鳥去
仲秋・白露三候

書誌情報

読み仮名 マドンナヴェルデ
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-306572-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,650円

書評

波 2010年4月号より 特集[海堂 尊『マドンナ・ヴェルデ』刊行記念] 死ではなく生を、非凡ではなく平凡を

小飼弾

ジーン・ワルツ』を読了した時の率直な感想は、一言でいうと「血が通っていない」というものであった。
もちろんそれは、ロジカル・モンスター、白鳥圭輔をも凌ぐ主人公、曾根崎理恵の「お前の血は何色だ!」と思わず叫びたくなるような怜悧さにも一因はあるだろう。しかしそれ以上に感じたのは、「主人公、演技が固くね?」ということであった。まるで自分には演じきれない台本を渡され、それを懸命に、あまりに懸命に演じるあまり演技しているのがばれてしまう、そんな感じ。
しかし本作『マドンナ・ヴェルデ』を読了して確信することが出来た。なんと「演技していることがばれること」それすらも伏線であった、と。『ジーン・ワルツ』は、「手術」の半分だった。バチスタ手術の、心筋切除の直後だったのだ。「血が通っていない」のも当然だ。血行を止めなければ手術は出来ないのだから。『ジーン・ワルツ』によって鉗子をかけられた物語の血行は、本作『マドンナ・ヴェルデ』によって鉗子を外され、「血の通ったもの」となる。
これは私の錯覚かも知れないが、女が描いた男よりも、男が描いた女の方が不自然に感じる。絵画はとにかく、歌や小説では特にそれを強く感じる。男が描いた女というのは、特に「男勝りの」女というのはどこか作り物じみているのである。『すべてがFになる』(森博嗣)の真賀田四季しかり、そして曾根崎理恵しかり。女の武器どころか女としての欠陥すら武器にする曾根崎理恵は、自らの肉体を完璧に「論理の駒」としている。その論理に隙はない。「つじつまはあっている」。だからこそ清川も負けを認めたのだが、だからこそ読者は納得しがたい。「こんな不自然な女がいるのか」、と。
そう。不自然。「女の方が自然に近い」といったのは養老孟司であったと思うが、白鳥圭輔に覚えなかった違和感を曾根崎理恵から受ける理由がそこにある。生物学をかじったものであれば、ヒトの男性は、本来女性であるものを「不自然に」ねじ曲げて作られることをご存知であるはずだが、物語においてはこのことは幸いで、どれほどエキセントリックなキャラクターを持って来ても、男性であるというだけで読者は「オスなら仕方がない」とばかり納得してしまう。白鳥圭輔などこの点ではかわいいものである。
読者は、期待してしまうのである。曾根崎理恵のように、社会にそして「自然の摂理」に叛旗を翻す者に対してすら、自然なふるまいを。
「血の通わぬ」曾根崎理恵と、『ジーン・ワルツ』の血行を、ドクター海堂はいかにしてとりもどしたか?
なんと、母を描いたのである。それも、実に普通の母を。
『マドンナ・ヴェルデ』の主人公、山咲みどりは、ごく普通の未亡人である。娘である曾根崎理恵が鷹だとしたら、鳶としかいいようがない。娘に代理母になることを依頼された彼女は、あれよあれよという間に娘のペースに乗せられてしまう。気がついたら、五十五歳にして双子を身ごもらされている。
そんな普通で凡庸な彼女が、非情で非常識な決断を迫られたときに見せた、非凡な叡智とは?
これぞ、本書の最大の魅力である。
それにしても母とは。ただでさえ男にとって自然な女を描くのは難易度が高いのに、母とはこの上ない最難関だ。自然な女を「普通の心臓手術」としたら、まさにバチスタ手術級の困難ではないか。著者は見事にそれをやってのけた。ただし、男である私の目から見てである。本作がどの程度きちんとやってのけたかの判断力が私にあるかは今ひとつ自信がない。本物の母たちは本作をどう読むのだろうか。
本作をものしたことで、著者のステージは確実に一段上がった。今までは「非凡な人の非凡な解決」が著者の持ち味であったが、本作は「平凡な人の非凡な解決」の物語なのだから。しかも、これまでの作品以上に、自然に。
そう、自然に。母が娘の子を産むということは、すでにこの国においてなされているのだ。本作は桜宮市の存在と同じぐらいリアルでナチュラルだ。本作は極上のエンタテイメントであると同時に、誰の身にも起こりうる事件でもある。このような物語を「読み捨てならぬ」と呼ばずして何と呼ぶ。

(こがい・だん プログラマー/ブロガー)

刊行記念対談

波 2010年4月号より

海堂 尊『マドンナ・ヴェルデ』刊行記念対談
母が娘の子を産む時代に
根津八絋×海堂 尊


これって、俺の脳内妄想?/代理出産はポジティブなもの/海堂ワールドに迷い込む


  これって、俺の脳内妄想?


海堂 新作『マドンナ・ヴェルデ』は、二〇〇八年に出した『ジーン・ワルツ』と同じ時系列で、視点を変えて書いた小説です。主人公は五〇歳代後半の代理母、山咲みどり。「小説新潮」での連載前に、日本で唯一代理出産実施を公言していらっしゃる根津八紘先生と、その病院である諏訪マタニティークリニックを取材させていただきました。僕は自分でも相当タフな方だと思うんですけれども、取材中は非常に濃密な二日間で、久々に外科の研修医時代を思い出しました。
根津 私が海堂さんのことを知ったのも『ジーン・ワルツ』が最初でした。東京マタニティー・クリニックの院長だった柳田洋一郎先生が、この本に出てくる代理出産のくだりを教えてくれたんです。「物語の世界ではすでに代理出産が取り扱われているのに、ずっと代理出産禁止と言い続けている日本産科婦人科学会は本当に頭が固い」、と。ですからこの際、当院のすべてを見ていただきたかった。くわえて、うちの総師長が海堂さんの大ファン。取材のお話があったときには相当はりきって、海堂ワールドのなりたちを私に逐一教えてくれました。
海堂 おお、それは師長さんに感謝しないと。諏訪で見せていただいたこと、教えていただいたことはすごくこの本の血肉になっています。完全に消化して別物になっているので、どこがどうとは具体的には言えないんですけれども。しかし病院の建物の中に実際に温室があって、花や緑が溢れているのには驚きました。『ジーン・ワルツ』に登場するマリアクリニックにも、いつも季節を先取りした花が咲いているので。もちろん取材するずっと前に考えた設定ですけれど、実際に目の前にあると「あれ、これって俺の妄想世界だっけ?」と考えたりして。パクったわけじゃないですよ(笑)。
根津 花や植物がもともととても好きだったんです。三七年前に赴任地の沖縄から戻ってきて、冬に緑や花の色がないのがものすごくさみしくなった。温室があることで自分自身がうるおっていくような感覚があります。
海堂 命を生み出す、育てることが本質的に上手でいらっしゃるんですね。実はお目にかかる前、根津先生はもう少しひねくれた、頑固な方だと思っていました。俺はやるって言ったら絶対やるんだ、というような。いや、その印象は変わらないんですが、少し力の入り方が違うというか、もっとやわらかい感じがします。
 お仕事を拝見していると毎日本当に大変そうなのに、とても楽しく働いていらっしゃいますね。今、医療現場が、特に若い人たちが疲弊していますが、根津先生のような方にお目にかかると、医療って本質的には明るくて楽しくてすばらしいものなんだとわかる。その様子をつぶさに見られたのは大きな出来事でした。
根津 医療は杓子定規ではいけないと思っています。医療は何のためにあるのかというと、患者さんのためですよね。もちろん法律違反や、道義的に間違っていることは決してしてはいけませんが。医学生の頃は俺が診てやる、というような感覚もあったんですが、ある時期にがらっと転換したんです。
海堂 そのポイントはどこにあったんですか。
根津 きっかけは沖縄のインターン時代に米国人医師から受けた指導ですが、一番は開業してからですね。一所懸命患者さんの話を聞いていると、向こうもどんどん話してくれる。そうすると相手の置かれている環境がわかってくる。この人の今の訴えはバックグラウンドがあったからで、そこが解決しないとこの人の苦痛をとってあげられない、というようなこともわかってくる。現在の医療は残念ながら、時として患者さんのためにならない医療を行なっている気がします。
 法の世界でも、今年の一月に、性同一性障害のご夫婦がAID(非配偶者間人工授精)でお子さんをもうけられたが、嫡出子として認められないという問題が報道されました。精子提供による妊娠はすでに六〇年以上も行なわれ嫡出子として認められている。性を転換することも法律で許されている。なのに今回生まれた子どもが嫡出子でないのはおかしいんじゃないでしょうか。代理出産のケースも昭和三七年の最高裁判例、つまり昔の法の解釈によって依頼夫婦の実子にはなれません。法律やルールは生きている私たちのため、当事者のためのものです。生まれてきた子どものためにも、時代に応じて変えていくべき。どうして彼らはあんなに頭が固いのか。もはや意地悪の域じゃないかと僕なんかは思っているんです。
海堂 僕も最近司法を体験しましたが、彼らは意地悪というよりも、人が作り上げた人工物に整合性を持たせることが重要なんです。生身が、情がないんです。
根津 リーダーになる立場の人で、大岡裁判ができる人がどうしていないのか。問題が起こったら私が責任をとる、と言えるだけの人間がいなくなっちゃった。
海堂 俺が責任を取ると言う人、責任を取れる人が上に立てないシステムなんです。そんな人たちと正面から向き合ってもしょうがない。僕は最近老練になって戦い方を変えようかと思ってます(笑)。


  代理出産はポジティブなもの


根津 僕は一所懸命、妊娠や出産は普通の出来事ではない、たまたま上手くいった人はすごくラッキーだったんだと言い続けているんです。ラッキーなことが当たり前だと思われているから、少しでも上手くいかないと非常に不幸だし、または何か手違いがあったんじゃないかと捉えられがちなんです。
海堂 そういう意味では『ジーン・ワルツ』は結構啓蒙になっているかもしれません。医療をやっていればある程度常識なのですが、「普通に妊娠して普通に出産するのがこんなにすごいこととは思わなかった」という感想がとても多かった。医療の常識をより多くの人に理解してもらうことで、医療崩壊が少しでも止まるんじゃないか、というか止めるにはそれしかないと思っています。
根津 啓蒙は本当に大事ですね。そもそも生まれつき子宮がない女性が四、五千人に一人はいるなんて誰も知らなかった。また、最近ヒトパピローマウィルスによる子宮頸がんの問題がクローズアップされています。しかしもしウィルスに感染しても、十七、八歳で出産していれば、ガンが進行して子宮を摘出する前に子どもを持つことが出来るわけです。けれど現実はそうではない。つまり子宮を失う人が増え、また命にもかかわる問題なのに、学会は積極的に啓蒙せず、現場の医師もただ患者さんの子宮を取るだけで、その後のケアはしない。予防のためのワクチン接種も進まない。こんなばかげた話はないじゃないか、と僕は言っているんですけどね。
海堂 先日の取材では、実際に娘さんの子どもを妊娠している代理母の方にお話を聞くことができました。小説の中で、山咲みどりが「昔の生理は沈鬱な冬の日本海だが、今回の生理は、明るい陽射しのエーゲ海のようだ」とひとりごちる箇所がありますが、ああいう実感はやはり直接お話を訊かないとわからないものでした。その後、彼女は無事出産され、昨年娘さんと共に記者会見に臨まれた。その経緯は根津先生のご著書『母と娘の代理出産』(はる書房)に詳しく書かれていますが、その後、代理出産についての動きはいかがですか。
根津 僕は身構えていたわけですよ。代理出産をしたいという方がたくさんいらっしゃるのでは、と。今も問いあわせはありますが、混乱はありません。どうも、当事者の体験談を読んで、実際にはこんなにいろんな配慮をしていかないといけないんだということがわかった上で、覚悟を決めて臨もうと思ってくださったようです。安易なイメージが広がらなくて良かったと思っています。いま現在は二組が妊娠継続中で、この方たちが無事に出産されると、母と娘の間で行われる代理出産としては、九人目の赤ちゃんが誕生することになります。
海堂 代理出産の、世間への受け入れられ方について、衝突やとまどいは感じられましたか。
根津 会見の後、日本産科婦人科学会と一度も話をさせて頂けないまま厳重注意処分が届きました。紙切れ一枚ですよ。日本学術会議は、小委員会が解散しているのでコメントしないという。自民党の生命倫理の調査会も選挙で敗れてからは解散。民主党はそれどころではない。事態はまったく進展していません。けれどメディアや一般の方の反応を見ていると、代理出産の印象がポジティブに変わった感じがします。当院にも数多くの応援メッセージが届きました。実際に患者さんを目の当たりにして、この人たちのこの覚悟を安易にネタにしてはいけないと考えられたのではないでしょうか。


  海堂ワールドに迷い込む


海堂 物語世界は学術の世界と同じで、ものすごい悪意や誤解をも内包するものですが、著者の意図でもないのに誤解を招くのは困ります。無神経は悪意につながりますから。僕も専門のAi(死後画像診断)だと相当細かくなるんですが。
 Aiについては、最近いろんなところから言説の制限を受けるようになりまして(笑)。おまえは影響力が大きいから発言に気をつけろと言われますが、影響力が大きいということはこれまでの結果が出ているということ。つまり私の主張が共感されている、受け入れられているということじゃないかと思います。
根津 Aiという問題提起は素晴らしいですね。CTやMRIを亡くなった方に使うという発想は僕にはまったくなかったから、すごいなと素直に思いました。観点をぱっと変えただけで、新しい領域ができてくる。ただ、そんなことされたら困るのが、既得権を持っていた人たち。患者さんやそのご家族のためにいいことだったら率先してやるべきなのに。
 それにしても海堂先生がもっとすごいのは、自分で夢の世界を一つ作ってしまわれたこと。私も小さいときは、友達と遊ぶよりも裏山でひとり遊んでいるほうが好きな少年でした。そのころ書いた文章を読むとまるで空想の世界でさまよっているようなのですが、たぶん海堂先生はそのころと同じまんまで大人になられたんじゃないでしょうか。そして読者がみんな海堂ワールドに迷い込んで、一緒に遊んでらっしゃるんじゃないかな、と。
海堂 自分の妄想でみんなが遊んでくれることほど楽しいことはありません。しかし要するに、私はガキだってことですね(笑)。
根津 いやいや(笑)。優れた科学者には子どものころの世界をそのまま持って来てる人が多いようですよ。予断のない目でものを見るし、発想や捉え方が既成概念の上に立脚していないので、とんでもないことを思いつく。それが発展につながるんでしょう。個人的には文芸のほうで空想を走らせるだけでなく、臨床でも新しいアイディアをもっともっと生かしていただきたいと期待しています。
(ねつ・やひろ 医師/かいどう・たける 医師・作家)

著者プロフィール

海堂尊

カイドウ・タケル

1961(昭和36)年、千葉県生れ。医学博士。外科医、病理医を経て、現在は重粒子医科学センター・Ai情報研究推進室室長。2005(平成17)年、『チーム・バチスタの栄光』で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞し、翌年、作家デビュー。確かな医学知識に裏打ちされたダイナミックなエンターテインメント作品で、読書界に旋風を巻き起こす。2008年、『死因不明社会』で、科学ジャーナリスト賞受賞。他の著書に『ジェネラル・ルージュの凱旋』『イノセント・ゲリラの祝祭』『ケルベロスの肖像』『極北ラプソディ』『スリジエセンター1991』『輝天炎上』『ジーン・ワルツ』『マドンナ・ヴェルデ』『ガンコロリン』『ほんとうの診断学』などがある。

判型違い(文庫)

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