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昭和20年11月17日、寝テモ起キテモ、ミホノコトバカリ思フ――。

島尾敏雄日記―『死の棘』までの日々―

島尾敏雄/著

2,376円(税込)

本の仕様

発売日:2010/08/31

読み仮名 シマオトシオニッキシノトゲマデノヒビ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 380ページ
ISBN 978-4-10-310107-9
C-CODE 0095
ジャンル ノンフィクション
定価 2,376円

海軍特攻隊の隊長として奄美群島加計呂麻島で敗戦を迎えた島尾敏雄は、神戸に復員し、島の娘ミホとの結婚の困難を乗り越えて家庭を築き、作家となるべく一歩を踏み出した――。極限状況での夫婦の絆を描いた小説『死の棘』が書かれるまでの波瀾の日々が生々しく綴られる。ミホ夫人の死後はじめて公開された貴重な記録。

著者プロフィール

島尾敏雄 シマオ・トシオ

(1917-1986)横浜生れ。九大卒。1944(昭和19)年、第18震洋隊(特攻隊)の指揮官として奄美群島加計呂麻島に赴く。1945年8月13日に発動命令が下るが、発進命令がないままに15日の敗戦を迎える。1948年、『単独旅行者』を刊行し、新進作家として注目を集める。以後、私小説的方法によりながらも日本的リアリズムを超えた独自の作風を示す多くの名作を発表。代表作に『死の棘』(日本文学大賞・読売文学賞・芸術選奨)、『魚雷艇学生』(野間文芸賞・川端康成文学賞)など。

書評

波 2010年9月号より 奄美の家の膨大なモノの中から

潮田登久子

義母・島尾ミホは二〇〇七年三月二十五日に、一人で暮らしていた奄美大島の自宅で他界しました。彼女が残した莫大な量のモノが、私たち残された家族、伸三、登久子、真帆の頼りない三人に襲いかかってくることになります。その整理と処分は東京─奄美の何度とない往復の中で行われ、時には真帆の学友たちの若い力を借りて作業をします。
先ず、台所の食料品の処分。どの部屋にもぎっしりと詰まっている段ボール箱の処分。雑誌や同人誌の分類整理と記録。衣服の整理などが、今年になっても延々と続いています。
次第に義母の暮らしが私たちの暮らしを浸食するようになりました。もう、東京の家も奄美の義母の家も、私の頭の中では同じ比重となってきつつあります。
義母の寝起きしていた奥の部屋の袋戸棚の奥深くに、細長く白い包みが目に入ったので、手を伸ばして引き寄せてみると、そこには「御骨上用・御箸」と読めます。その印刷された文字の周囲には義母の青いインクのペンで書かれた文字が踊っていました。「島尾敏雄様の御箸・昭和六十一年十一月十四日、唐湊火葬場にて使用の品。(ミホ亡くなる時もこの箸を使用して下さい。)ミホ」とあります。
その白い箸袋の傍らの茶封筒には、「マヤさんのお骨拾いのはし、大切な記念、母ミホの遺骨と共にせよ。家族の皆様よろしくお願い」という命令の走り書きです。白木の箸をくるんだ白く細長い包みの裏には、「お母さん やくそくは守りました 伸三」と書かれてありました。
雑然とモノが入れられていたその戸棚の中には、その他に木彫りのキリスト像、涙をながしているマリア像、そして小さな額に収まった軍服に身を包んだ青年将校の義父・敏雄の写真もあります。義母にとって大切なものが納められている特別な場所だったのではないかと、はっとさせられ、義父、義母と彼らの子供たち(伸三・マヤ)の容易ならざる四人の世界に、私は不用意にも踏み込んでしまったようです。「お母様に叱られる」という思いが頭をよぎります。二組の箸を元どおりの場所に納めて、すぐに扉を閉じました。

義母の元気な様子を確かめる為の、年に二度ほどの奄美訪問はいつも慌ただしいものでした。シマに到着すると義母の家へ直行し、玄関脇の客間で私たちの近況報告をし、義母の要求を伺い、電球を取り替えたり、草取りをして、買物のリストを受け取ると、予約しておいた町中のホテルへそそくさと撤収します。そして注文の品を届けたりして三、四日のご機嫌伺いを済ませるのです。それは義母が望んだお互いに迷惑をかけないという方法でした。彼女は自分の仕事場に人が立ち入るのを好みませんでしたし、うっかり触る事など思いもよりませんでした。ですから、もう居ない人だとはわかっていても、義母の書斎や寝室へ入るには勇気が必要なのです。
六十歳をとうに過ぎた嫁の私と、やがて三十歳を迎えようとしていた孫娘の真帆を前に義母は上機嫌で、小笠原流の礼儀作法を二人に伝授します。畳に畏まって正座をした二人は、繰り返し繰り返しお辞儀の練習をしました。彼女の背筋はピーンと伸び、その流れるような立ち居振る舞い、凜とした張りのある美しいソプラノの声は、九十歳を目前にした人とは思えないほど元気です。それに二人は圧倒されるのでした。亡くなる半年ぐらい前のことです。
「私は死ぬような気がしない」とか、「百二十歳まで大丈夫」などと、口癖のように言っていた義母の言葉に、私たちは油断をしてしまいました。義母がこんなにあっさりと消えてしまうとは夢想だにしていませんでした。

十年前、義母は念願の終の住処を、奄美大島の海に向かって開ける川沿いの一角にマヤさん(伸三の妹)と二人で建てました。それなのに、マヤさんは家が出来て二年くらいで他界してしまうのです。
義父の残していったほとんど全てのモノと、マヤさんの身の回りの品、義母自身の過去の出来ごとを偲ぶ大量のモノ、そして引っ越しをする度に増え続け荷解きされないままの段ボールの箱などで、一人で暮らすには大きすぎるその家はぎっしりと埋まっていました。義母はその中で原稿を書き、手紙を読み、電話をかけていました。彼女にとって、これらの膨大にふくれあがったモノたちの、どれひとつとっても、自分の身近に置いておく理由があったはずです。
義母が使っていた鏡台の引き出しに、ビニールの透明な袋に入った椿油の小瓶が三つありました。その袋には、「昭和六十一年十一月八日、午前十時、敏雄様の髪につけてからマッサージした椿油、マッサージの後 散髪し昼食、そして純心へ授業に出掛けたのが十二時半」と、今にも油で文字が消えてしまいそうな危うさで残されています。久しぶりに引き出しから取り出されたそれは、障子からの柔らかい光に透けて、瓶の中の椿油は黄金色に輝き、ラベルの赤い椿の花はいっそう艶やかさを増して見えました。どうやら義父の亡くなる数日前の出来事を記したもののようです。
「昭和六十一年十一月十日 お父さまが書庫の本整理をなさっている時 使用なさった最後の手袋です。ミホ記」小さな菓子箱に二つ折りになって納められていた新しい一対の軍手には、義父が本のほこりを払った時のものでしょうか、指先に茶色の汚れがほんの少しだけ着いていました。
タマガワマッキン液(外傷救急薬)の小さな長方形の箱いっぱいに、「大切な思いで 加治木町にて父上が指をけがした時、右の人差し指のけが三ヶ月位苦しんだ時に使用した」と、書かれてあります。

二〇〇八年の春からは新潮社の人たちが原稿や日記の発掘に加わりました。義父の日記は年代順にきちんと纏められていたはずなのに、散乱した状態で発掘されました。
そのひとつが、平たい段ボールの箱の底に敷かれた新聞紙の上で無残に崩れていた大学ノートの日記でした。箱の中の日記は、虫食いや雨や湿気でぼろぼろになっていて、書かれている字はほとんど判読不可能です。きっと義母が劣化を食い止めようと、着物や背広を入れる紙箱に仕舞ったのだと思います。
私の目は大きく開き、一瞬呼吸が止まるほどに驚きました。箱の中にはまるで火事で焼けただれたような姿で日記が横たわっていました。ノートの表には「昭和27年」というゴム印の文字がかすかに読みとれます。私は顔を近づけて箱の隅から隅までなめるように眺めまわしました。うっかりその上で息をしようものなら、神経質なまでに虚になっている破片は宙に舞い消滅してしまいそうです。この日記の姿は、私の伺い知ることの出来ない時代の、すさまじかったであろう家庭の事情を物語っているようで、押し殺したような怖さが伝わって来ました。私は自分の頭がそのままレンズになったかのような体験をしました。

戸棚の奥や引き出しの中に潜んでいたり、押し入れに隠れていたモノたちをカメラに収める作業をしていると、「モノ」自身が、言葉にならない出来事の記憶を饒舌に語り始めているようで、義母と一緒にその事件を体験しているような不安定な気持ちになっていきます。
義父、義母、マヤさんが置きっぱなしにしていったモノは、具合よく処分したり整理したりして、治まりの良い場所へ落ち着かせたはずなのに、私の頭の中はモノたちが含んでいた、彼らの息づかいや気配から、新たにやっかいな荷物を背負ってしまったような気がして、義母が他界した直後の膨大なモノを前にして混乱し呆然となった時のように、再び大混乱に落ち入ってしまうのです。

日の出の頃と日没後の草むしりを日課としていたマヤさんがいなくなった後、義母によってそれは続けられましたが、彼女たちが居なくなってからというもの、庭は傍若無人に生い茂った雑草がたちまちのうちに腰高ほどになっています。元気な虫やヤモリたちが、主の居なくなった家の中にどうにかして侵入しようとした痕跡も、あちらこちらに残されていて油断なりません。風呂場の排水溝にアリが巣を作ろうとしていたり、二階の軒ではツバメがひなを育てていた跡があったり、ドアの鍵の内側にヤモリが卵を産んであったりするのです。
マヤさんが好きだった庭の赤いバラの花は、冷蔵庫の中でドライフラワーになっていて、掌に載せるとホロホロと砕け、小さな破片になって足下へ落ちて行ってしまいました。
玄関先に葉を茂らせる、義母が大好きだったバンシロウ(蕃石榴/グアバ)の淡い緑色の実は、夏が終わろうという頃になるとむせ返るような芳香を発散させて食べごろである事を教えてくれます。
義父、義母、マヤさんの居なくなった今も、彼らが残した膨大な量のゴミとも宝ともつかぬモノや、元気な植物や虫たちのおかげで、けっこう賑やかなのです。

(うしおだ・とくこ 写真家)

目次

加計呂麻島敗戦日記
島尾敏雄「敗戦日記」に寄せて 島尾ミホ
或る特攻部隊のてん末 島尾敏雄
「加計呂麻島敗戦日記」校注
終戦後日記
昭和二十年
昭和二十一年
昭和二十二年
昭和二十三年
昭和二十四年
昭和二十五年
昭和二十六年
解説――記録の不在に耐える 鈴木直子

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