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釈迦八十歳、涅槃に至る最後の旅。八十歳の寂聴が書く、入魂の大作。

釈迦

瀬戸内寂聴/著

2,090円(税込)

本の仕様

発売日:2002/11/15

読み仮名 シャカ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 250ページ
ISBN 978-4-10-311218-1
C-CODE 0093
ジャンル 歴史・時代小説
定価 2,090円

この世は美しい。人の命は甘美なものだ――。釈迦入滅にいたる最後の旅は八十歳の時。侍者は、釈迦に二十五年間仕えたアーナンダひとり。老いた肉体を嘆きながら、釈迦は何を考え、どんな言葉を残したか……。今までになく親しみやすい人間・釈迦をとらえた寂聴版・ブッダの物語。二十年の歳月を経て完成された最新長篇。

著者プロフィール

瀬戸内寂聴 セトウチ・ジャクチョウ

1922(大正11)年5月15日徳島生れ。東京女子大学卒。1957(昭和32)年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞受賞。1973年11月14日平泉中尊寺で得度。法名寂聴(旧名晴美)。1992(平成4)年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、1996年『白道』で芸術選奨、2001年『場所』で野間文芸賞、2011年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。1998年に『源氏物語』(全10巻)の現代語訳を完訳。2006年文化勲章を受章。著書に『かの子撩乱』『美は乱調にあり』『青鞜』『比叡』『手毬』『いよよ華やぐ』『釈迦』『秘花』『奇縁まんだら』『月の輪草子』『わかれ』『老いも病も受け入れよう』『求愛』『いのち』など多数。

書評

波 2002年12月号より 「釈迦」は女だった  瀬戸内寂聴『釈迦』

久世光彦

飛び飛びに四日間で「釈迦」を読んだ。いろいろ都合があって、読んだのは夜中ばかりだった。そんなせいもあったのだろう。読んでいるうちに妙な錯覚に陥っていた。私の中で釈迦が少しずつ女になっていったのだ。しかし、どう考えても釈迦は男のはずである。妻を娶り、子を生した。ただ――私がまだ少年と呼ばれていたころ、鎌倉の大仏さまを仰ぎ見て、この人は女だと思ったことがある。薄く閉じた目尻にほんのりと色気が漂い、腰が描く曲線が艶めかしかった。やっぱりあの日のときめきは、ほんとうだったのか。晶子の歌にもあるではないか。《釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな》――ちゃんと〈牟尼〉、つまり〈尼〉と晶子は言っているではないか。だが、〈美男〉の〈尼〉とは、どういうことなのだろう。そのころ私は〈牟尼〉というのが、聖人の尊称だとは知らなかった。
女として読んで、「釈迦」が何の〈不思議〉もなく女に見えたり、感じられたりするから〈不思議〉だった。アーナンダとの遣り取りは、年下の男とのけだるい喃語である。母親のマーヤーや、マハーパジャーパティーとのことも、女二人が、何だか絖の肌をまさぐり合っているようだ。――私は金沢の郊外の寺で見た〈摩耶夫人像〉の、けばけばしい原色を思い出した。夫人の袖は〈女〉の容をそのままに表し、そこから生れ出ようとする胎児の釈迦は、夫人の出血に塗れて嬉しそうだった。――色っぽい釈迦物語である。作者の瀬戸内さんと、中沢新一さんとの対談を見ると、そのことがよくわかる。中沢さんの言うことは難しくてよくわからないが、そのころの僧院や尼僧院の〈性〉を語る瀬戸内さんの口調は、楽しそうに潤んでいる。《釈迦に還る》という対談だったが、瀬戸内さんが色っぽい釈迦に還ってくれて、私は安心した。
この人はいつも色っぽい文章を書いてきたが、時代によってずいぶん違う。――《私にとって、愛撫は官能的に快かったけれど、その快さのなかを、ときどき白々しい風にふきこまれた。そんな空虚に落ちこむと、私は薄目をあけ、畑中のうしろの暗い壁に目をやった》(「花芯」昭和三十二年)――淡々と書こうとして粘っこく、力がある。――《大杉は市子が、優しい言葉や、わずかな愛撫だけでも慰められるほど傷つき、弱り、衰えきっているのを目にしながら、この頃では、市子がそういう弱々しさを見せるのを極度に厭がるのだった》(「美は乱調にあり」昭和四十年)――男と女を瞬きもしないで見据える目が炯り、語り口が大人っぽくなっている。――《いつかいただいた世尊の声が私を光のように包んでいた。私はマハーカッサパの横に立ち上った。呼吸を整え、徐に口を開いた。「私はこのように聞いた。世尊のお言葉のままである。――この世は美しいがある。いつまでも消えない木魂がある。薄桃色だからこそ、いつまでも消えないのである。
私の家は父も母も北陸が出生だったから、浄土真宗である。毎朝、父は黒光りのする仏壇の前に坐って、「正信偈」を称えた。父は正直な人だったのだろう。幼児だった私の耳に《帰命無量寿如来……》の経文は、天気のいい日は晴れ晴れと、雲の低い日は重く陰鬱に聞こえた。五歳のころには、意味はもちろんわからずに、「正信偈」を始めから終わりまで憶えてしまった。六十年経ったいまでも、私はお坊さんの後についてなら、そのほとんどを諳んじることができる。父は「正信偈」の後に〈御文〉という話し言葉のような、短いお経を上げた。〈白骨の御文〉というのが怖かった。《されば朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり……》――「釈迦」を読みながら、父の太い声を思い出した。それは読んでいる間じゅう、耳の底で鳴っていた。何となく、瀬戸内さんの声と、父の声が重なってきた。――ちっとも怖くなかった。

(くぜ・てるひこ 作家・演出家)

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