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人類が永遠に続くのではないとしたら

加藤典洋/著

2,530円(税込)

発売日:2014/06/27

書誌情報

読み仮名 ジンルイガエイエンニツヅクノデハナイトシタラ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 420ページ
ISBN 978-4-10-331212-3
C-CODE 0095
ジャンル 哲学・思想、思想・社会
定価 2,530円
電子書籍 価格 2,024円
電子書籍 配信開始日 2014/12/12

わたしは過去のことを考えるほど、未来のことを考えていただろうか?

3・11による福島原発事故が引き起こしたのは、本質的には誰にも「責任をとりきれない」という新しい事態だ。科学技術の、地球環境の、そして種としての人類の限界が露わになったいま、ポストモダンとエコロジー、双方の思想が見落としてきた「有限性」を足場に、生きることへの肯定をスリリングかつ緻密に語る決定的論考。

目次
序 モンスターと穴ぼこ
はじめに
二つの二五年
一つの世界が終わる
無-責任の世界
保険とは何か
I さまざまな近代二分論があった
1 ポストモダンとエコロジー
『ゆたかな社会』vs.『沈黙の春』
記号消費か、成長の限界か
2 見田宗介の全体理論
日本の二つの近代
全体理論の必要
持続的成長と「矛盾」
II 有限性の近代を生きる
3 近代と産業
大地が揺らぐ
原子力か、近代か
『現代社会の理論』と産業への信頼
産業事故の浮上
4 リスクと有限性
ウルリヒ・ベックの『リスク社会』
リスクと『リヴァイアサン』
保険、投資、産業リスク
沈みかけた船の上で
欲望、無限、消尽
III 日本から世界へ
5 二五年のなかの三つの年
日本で考えること
一九九一、未来の消滅
二〇〇一、世界心情
二〇一一、見田宗介と「軸の時代」
IV 新しい生態系と技術革新
6 サイバネティックス以後
フィードバック
オーバーシュート
技術と力能
7 自然史的な過程とビオ・システム
吉本隆明と自然史的な過程
中沢新一の「自然史過程」批判
吉本の反・反原発の主張
エコ・システムからビオ・システムへ
8 技術革新と笑い
オーバーシュート期の技術革新
星野芳郎の『技術革新』
技術と笑い
第四次の産業革命
V 偶発的契機(コンティンジェント)であろうとする意思
9 技術から人間へ
ずうっと前にはじまっていたこと
技術と人間のであう場所
有限性への同調
10 しないことができることの彼方
もう少し広い力能
偶然性、潜勢力、可誤性
コンティンジェントな自由
VI イエスということ
11 人間(ビオス)といきもの(ゾーエー)
有限性、フーコー、生政治
ゾーエー、吉本、アフリカ的な段階
ビオス、アガンベン、語りえないこと
「できないこと」にふれる
12 リスクと贈与とよわい欲望
生命種としての人間
ビシャから三木へ
生命、贈与、希望
参考文献
あとがき

書評

波 2014年7月号より その向こうにあるものは  

高橋源一郎

この一冊の本には、たくさんのことが書かれている。どの一つ一つをとっても、重要であるようなことが、次々と、この本の中では書かれている。そういう種類の本について、簡単に説明することはできない。そのことを最初に書いておきたい。
きっかけは、「あの日」だった。大きな地震があり、巨大な津波が東日本の海岸一帯を襲って甚大な被害を与え、原子力発電所で大きな事故があった。この国は、かつて味わったことのない、大きな混乱に陥った。なぜなら、その混乱は、単に自然の災害によるものではなく、この社会の奥底に遠因があるから、と思われたからだった。では、何が原因で、そして、どうすればいいのか。多くの人たちが、その問題について立ち止まり、あるいは歩きながら、考えようとした。そして、三年と少しの時が過ぎた。考えるべきことはあまりに多く、深く、どこに答えがあるのかはっきりとはわからぬままに、人々は、かつての日常へと戻りつつあるように見える。そんな中で、私たちは、この本を得たのである。
「三・一一の原発事故は、私の中の何かを変えた。私はその変化に言葉を与えたいと思っている」
著者は、こうやって書き始める。それは、私たちの誰もが感じていた何かであり、それは言葉にすることができにくい何かでもあった。
「私の中で気づかれずにあった堅固な信憑が、ひっそりと死んだ。私は、その死について語りたい」
では、著者が信じていた「堅固な信憑」とは何だろうか。それは、おそらく、この世界に住む、ほとんどの人々が信じていた「堅固な信憑」だ。あまりにも当然で、空気のように感じられる何か。私たちが生きることの底に置いてある何か。
私たちは、資本主義社会に生きてきた。それは、人類がたどり着いた(現在のところ)最後の、最新の社会だ。確かに、この社会には問題もある。「ゆたかな社会」には「公害」がつきものだし、富の集中は格差をも生み出すだろう。だが、どこかで、わたしたちは「なんとかなる」と楽観的にものごとを考えようとしてきた。技術の進歩が、あるいは、それとは別の何かが、問題を解決するはずだ、と。だから、今日の問題を考え、遠い未来のことは勘定に入れずに生きてきた。だが、「あの日」が来た。「あの日」が、私たちに告げたのは、世界が「有限」であるという事実ではなかったろうか。巨大な原発事故の後、保険会社が、保険の契約更新を拒否したのは、そのリスクに耐えられなかったからだ。私たちの社会は、責任を持って引き受けることのできないものを生み出してしまったのである。
「三・一一の原発事故の後の事故原発への保険の打ち切りが、『ああ、もうダメだ』という産業システムからの声に聞こえた。そのギブアップが、世界史的に何を語っているのか、と考えたことがその出発点だった。…中略…
有限性の時代とは何か。それは、まず、無限性の時代を成り立たせてきたさまざまな条件が臨界に達し、そこで一対一の対応関係の関節がはずれてしまった時代のことだ。生産とリスク、産業と自然、責任と賠償、犯罪と罪科、欲望と力能など、さまざまなところで、それまでの関係の関節がはずれかかっている」
では、その「有限性」の時代に、私たちはどう立ち向かえばいいのか。著者は、「よい知らせとわるい知らせがともにある」という。
「わるい知らせ」とは、もちろん、かつての「無限性」が信じられた時代に戻れない、ということだ。そして、「よい知らせ」とは、この新しい「有限性」の時代に生きている私たちは、その時代から「私たちの頭、身体にだけでなく、心にも意識されずに」働きかけられていることだ。その「よい知らせ」によれば、私たちは、身体の奥深く、心の中から、変わりつつあるかもしれないのだ。
では、私たちは、どう変わるのか。いや、どう変わるべきなのか。最後に著者がたどり着いた結論は、読者のみなさんが自分で確かめてほしい。そこには、新しい「信憑」が生まれようとしている。それは、脆く、弱く、繊細だが、それこそが、「有限性」の時代の「信憑」の徴なのである。

(たかはし・げんいちろう 作家)

著者プロフィール

加藤典洋

カトウ・ノリヒロ

(1948-2019)1948年、山形県生まれ。文芸評論家。東京大学文学部卒業。著書に『アメリカの影―戦後再見―』、『言語表現法講義』(新潮学芸賞)、『敗戦後論』(伊藤整文学賞)、『テクストから遠く離れて』『小説の未来』(桑原武夫学芸賞)、『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011』『3.11死に神に突き飛ばされる』『小さな天体―全サバティカル日記―』ほか多数。共著に鶴見俊輔・黒川創との『日米交換船』、高橋源一郎との『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』ほか。

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