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花散る里の病棟

帚木蓬生/著

1,980円(税込)

発売日:2022/04/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

「町医者」が、ぼくの家の天職だった――。

大正時代、蛔虫退治で評判を取った初代。軍医としてフィリピン戦線を彷徨った二代目。高齢者たちの面倒を見る三代目。そして肥満治療を手がけてきた四代目の「ぼく」はコロナ禍に巻き込まれ――。現役医師でもある著者が、地方に生きる医師四代の家を通じて、近現代日本百年の医療の現場を描く感動作完成!

目次
彦山ガラガラ 二〇一〇年
父の石 一九三六年
歩く死者 二〇一五年
兵站病院 一九四三―四五年
病歴 二〇〇三年
告知 二〇一九年
胎を堕ろす 二〇〇七年
復員 一九四七年
二人三脚 一九九二年
パンデミック 二〇一九―二一年

書誌情報

読み仮名 ハナチルサトノビョウトウ
装幀 井筒啓之/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 368ページ
ISBN 978-4-10-331426-4
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,980円
電子書籍 配信開始日 2022/04/27

書評

凄味と情感があふれる「町医者四代」の物語

池上冬樹

 思わず、読みながら声をあげてしまった。あまりに残酷で悲惨な状況に参ってしまったからだ。読むのが辛い。でも、読みたいし、日本人なら読まなくてはいけないと思った。帚木蓬生の新作『花散る里の病棟』所収「胎を堕ろす 二〇〇七年」である。
 この読書体験、帚木蓬生の戦争・医療小説の白眉『蛍の航跡―軍医たちの黙示録―』と似ていると思った。姉妹編『蠅の帝国―軍医たちの黙示録―』は内地と満州を主な舞台にして東京大空襲、原爆などが報告されたが、『蛍の航跡』ではシベリアからラバウルやニューギニアなどを舞台に、生き地獄の体験者である軍医たちが様々な極限状況を物語っていた。もう嗚咽をこらえながら読むしかないほど悲惨でやるせなかった。
 これは「胎を堕ろす」も同じ。戦前から戦後を生き抜いた元日赤看護婦の人生をたどる話で、舞台は、終戦すぐの九州の温泉保養所。そこで秘密裏に行われた外地からの女性引揚者たちへの対処である。具体的にいうなら戦場でレイプされ妊娠した女性たちへの子宮掻爬手術であり、早産の処置(嬰児殺し)。それに深く関わった元看護婦(八十一歳)の回想が生々しく語られるのだが、調子はどこまでも静か。しかし静かであるがゆえに場面は緊迫をおび、嬰児殺しの一部始終の感触が生々しく伝わり、思わず声をあげてしまうのだ。そして、そうせざるを得なかった看護婦たちの苦悩が、処置された女性たちの静かな表情と対比されて、戦争の酷たらしさが、平和な日常の底の底に貼りついていることを教えてくれる。
 と紹介すると、『花散る里の病棟』が戦争小説のような印象を与えてしまうがそうではない。そもそも毎回のように俳句が最後のほうに出てきて、優しい情感を醸しだしているからである。「胎を堕ろす」だって、主人公の医師が作った俳句で締められて、女性たちの悲しみがゆったりと浄化されていく。
 そう、本書の主人公は医師なのである。ただし一人ではなく四人。町医者四代の物語が十本の短篇で構成されている。まずは、内科医院のほかに介護老人保健施設を経営する三代目・野北伸二と夫を亡くしたお年寄りとの交流を描く(1)「彦山ガラガラ 二〇一〇年」から始まり、二代目・野北宏一が虫医者と言われた初代・野北保造の医師人生を語り((2)「父の石 一九三六年」)、四代目・野北健が外科医としてボストンの医療センターに留学し、医療保険が充実していないアメリカ社会の悲惨さを目撃する(3)「歩く死者 二〇一五年」と続く。このように時間を大きく前後させながら、1936年から2021年までの時代と病気を凝視していく。
 たとえば、(5)「病歴 二〇〇三年」は、三代目伸二が講演の形をとりながら有名人の病気の原因を探る内容で、さながら安楽椅子探偵風で実に面白く、(6)「告知 二〇一九年」は、健の専門である肥満治療の外科手術と、健の恋人である理奈が取り組む、潰瘍性大腸炎などに有効な糞便移植に関する医療小説として新鮮だし、病気の話はやや薄いものの、伸二が問題児のMとの中学時代の運動会を回想する(9)「二人三脚 一九九二年」は、スポーツ小説的で躍動感豊か。最終章(10)「パンデミック 二〇一九―二一年」では、複数の視点を用意して家族模様を多角的に映し出す。
 でも、やはり強烈な印象を残すのは、太平洋戦争を扱った(7)「胎を堕ろす」であり、(4)「兵站病院 一九四三―四五年」と(8)「復員 一九四七年」だろう。前者はルソン島の兵站病院で生き残った宏一の体験記であり、後者は宏一の命を救ってくれた加藤中尉の遺族に会いにいく話である。南方戦線の話は前記の『蛍の航跡』に詳しいので、「兵站病院」では、作者が影響をうけた大岡昇平ばりに事実だけを淡々と記して凄味をだしているが、「復員」では逆にエモーショナルに謳いあげる。どのように亡くなり、何を託されたのか。その一部始終がもう胸をふるわせるのだ。書き残された文章のひとつひとつが、手渡された者の心に刻み込まれるのである。
 これは十作すべてに共通することだが、書き残された文章とはおもに俳句で、これがみないい。抒情の定着であり、イメージの象徴化であり、テーマの視覚化でもある。情景を目にやきつけ、意味を噛みしめ、心の中に静かにしまうことになる。ベテラン作家の、優しくものびやかな、深い境地がたまらない連作である。

(いけがみ・ふゆき 文芸評論家)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

帚木蓬生

ハハキギ・ホウセイ

1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。2023年8月現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞、1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞、2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞、2012年『蠅の帝国』『蛍の航跡』の二部作で日本医療小説大賞、2013年『日御子』で歴史時代作家クラブ賞作品賞、2018年『守教』で吉川英治文学賞と中山義秀文学賞をそれぞれ受賞。『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『悲素』『襲来』『花散る里の病棟』といった小説のほか、新書、選書、児童書などにも多くの著作がある。

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