
天使も踏むを畏れるところ 下
2,970円(税込)
発売日:2025/03/26
- 書籍
- 電子書籍あり
空襲で焼け落ちた明治宮殿に代わる、戦後日本、象徴天皇にふさわしい「新宮殿」を──。
敗戦から15年、皇居「新宮殿」造営という世紀の難事業に挑む建築家・村井俊輔。彼を支える者、反目する者、立ちはだかる壁……。戦前から戦中、戦後、高度成長期の日本社会と皇室の変遷を辿り、理想の建築をめぐる息詰まる人間ドラマを描き尽くす、かつてない密度とスケールの大長篇。『火山のふもとで』前日譚ついに刊行!
書誌情報
読み仮名 | テンシモフムヲオソレルトコロ2 |
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装幀 | 牡丹靖佳/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 552ページ |
ISBN | 978-4-10-332815-5 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 2,970円 |
電子書籍 価格 | 2,970円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/03/26 |
書評
小説のなかに建った新宮殿
六十年ほど前、皇居内で着工した七棟からなる新宮殿。その造営をめぐる長大なこの群像劇の、どこまでを実際の出来事ととらえるか。判断は難しい。それだけに面白く、奥深い。
昭和天皇と皇后、ご成婚まもない皇太子夫妻、吉田茂元首相らは実名で登場し、竣工までの日付も史実そのまま。何より、作中で子細に意図を解説されてゆく宮殿が記述通りの平らかな姿で、千代田の濠と杜に囲まれて今もある。だが、主要な登場人物は実名を外され、実録小説と呼ぶのが憚られるのは、そこが虚構と断ることによってのみ、実相に迫ることが可能になる聖域だからだ。エピグラフには十八世紀英国の詩人A・ポープに拠る表題の意がある。どんな神聖な場所でも愚かな者たちを締め出すことはできない、天使が畏れて踏まないところでも、愚かな者たちは踏みこんでくる……。
愚かな者というなら、それはすべての人間を指すだろうが、本作では明らかに優秀過ぎる人物がいる。宮内庁の造営責任者、牧野脩一は敗戦後、皇室典範改正にかかわり、六千人いた職員を一時は千人以下に縮小するなど、天皇制の生き残りをかけて改革に辣腕を揮ったエリート官僚。神仏への関心は乏しいが、苦学する中で却って芸術への関心を、異様に研ぎ澄ませてきたような人物である。牧野の采配は大筋において正道と認められるものの、思いがけぬ局面で分を踏み外すほどの我欲を滑りこませる。その牧野が新宮殿の基本設計者として大抜擢したのが、日本の伝統様式とモダニズムを高度に融合させる俊英、東京芸大助教授の村井俊輔という最善の選択だったのだから、話は複雑である。そして村井俊輔こそ本作の中心人物であり、皇室の儀式から海外の賓客をもてなす広間まで擁する、二万三千平米もの延床面積を預かる村井の技量に、「国民の象徴」たる新たな天皇制のかたちも託されることになる。
村井と牧野の間に立って宮殿建設の進行を担うのが、天皇皇后の住まいである吹上御所の設計者となる建設技官の杉浦恭彦。ヨーロッパへ視察に出た杉浦は、オスロ王宮やストックホルムの市庁舎や図書館を見るうちに、機能だけなら五十年と持たなくとも、芸術であれば百年、二百年残っていくという、前任の尊敬する建築家の教えを実感する。杉浦が古巣、建設省の同期と交わす会話には、オリンピック前に慌ただしく進む首都の高速道路や東海道新幹線、本州四国連絡橋におよぶ国土開発計画が挙がり、高度成長期1960年代の昂揚した世相も呼びこまれる。
大戦中に焼失した明治宮殿の跡地に、九十億円もの国費を投じて新宮殿を建てる――それが宮内庁のオモテにおける大事業だとすれば、対を成すように天皇家を取り巻くオクと呼ばれる者たちも、次代にかかわる重大事を抱えていた。初の民間出身の皇太子妃は、こちらも最善の選択が叶ってご成婚と相成り、その絶大な人気が宮殿建設の機運を後押ししていた。にも関わらず、当の妃の憔悴は楽観できぬほどだった。旧弊で陰湿な者たちの所業に気を揉みながら、「開かれた皇室」をめざして新聞、雑誌に達意の文章を寄せるのが侍従の西尾であり、冷泉家の流れをくむ彼は父の代から天皇の側近を務める。この西尾も時によっては独断で、聖域まで踏み入る覚悟なくしては成せない立場にあった。
村井、杉浦、西尾、加えて藤沢衣子という園芸家――彼女は村井と皇太子妃、二人を私的に力づける数奇な役割を果たすことになるのだが、この四人の視点が入れ替わりながら、百二十五に上るシークエンスを積み重ねて本作は出来上がっていく。どの場面、どの人物の挙動も先のどこかへの布石、呼び水となっていて、物語が撓むことはない。
京都御所の〈簡素な寝殿造の味わいは、モダニズムにも通じる〉と直観した村井は、鉄筋コンクリートの陸屋根の上に威圧感のない穏やかな勾配の銅板屋根を架ける構想を固め、一般参賀のための広場を優先し、君主が北を背に政務するという古来の「天子南面」は継がない。〈オリジナリティなんていうものは、ないんだよ〉。村井は部下と自分に言い聞かせるように言う。〈百年後にもすばらしいと感じられる建築は、あたらしい顔をしているというより、どこかで見たことのあるものが少しずつ集積して、見事にそこに落ち着いている――そういうものじゃないか〉。
抑制の利いた彼の意匠同様、時折、自然光が差すようにふっと会話や思弁に村井という人物が現われる。人間の五感を通した経験はいつまでも記憶に残る、神は細部に宿るという信念をもって、照明や家具調度にまで神経を払おうとする村井の前に、しかし、いつのまにか予算も権限も掌中にした牧野が立ちはだかる。〈千年の伝統をどう継承してゆくか。一建築家の趣味や趣向に委ねるわけにはいかんのだ〉と。
審美と機能をめぐる専門的、局所的な心理戦が下巻では激しく続く。それは国家、官僚機構と個人の創造性の対立であり、国民の象徴とは、伝統とは何かという、同時代のうちには答えの出ない問いがつねにその奥にある。君主不在となったこの国で、それでもともかく戦後、あらたな施主となった国民を納得させる新宮殿を実現しなければならない。それぞれの人生を賭けた真っ直ぐな光のような志を束ねて、叡智をふり絞らなければならなかった。
昭和半ばを生きる彼らは、誰もが私生活を仕事のわずかな余白に追いやりながら、信じ難いほどの耐性を発揮し続ける。それは明治末生まれの村井らの世代がくぐり抜けてきた、関東大震災から太平洋戦争にかけての過酷さによって養われたものかもしれない。
戦争の記憶は経済の復興につれて薄れ、西尾は銀座のバーで憂さを晴らし、杉浦が黒澤明の映画や洋食を楽しむ和やかなひとときも挟まれる。北軽井沢の山荘でしばし憩う、村井と衣子の密やかな恋物語は、不義にしては爽やかな風のように本編を吹き抜け、住宅と人間の関係を考える上で、また、十三年前のこの作者のデビュー作『火山のふもとで』の前日譚としても、重要な読みどころとなっている。
現在、公式資料には宮殿の基本設計者として吉村順三の名が残る。作中の村井の仕事はこの名建築家と重なる部分が多く、吉村は造営半ばにして任を辞している。巻末の主要参考文献リストから、西尾は入江相政、皇太子夫妻を見守る小山内は小泉信三、村井の友人の画家は東山魁夷と推察されよう。そしてなぜ、この小説が書かれなければならなかったのか。志を残して退いた吉村と関係者の名誉回復が目指されたからではなかったかと、踏みこんでみたくもなるのだが……。
さらに作中で伝えられる昭和天皇の生物学研究への熱意、忘れ得ぬほど秀でた皇太子妃の御製を通じて、皇室で自然科学の研究と和歌がかくも深く営まれてきた、その背景にも思いを馳せた。二千二百枚の大長編を閉じる時、歴史に残る昭和の難事業を、しかと見届けた心地がした。
(おざき・まりこ 文芸評論家)
波 2025年4月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

ささいな呟きの重み
刊行から十三年を経て文庫化されたデビュー作『火山のふもとで』(読売文学賞受賞作)が、改めて読者の注目を集めている松家仁之さん。同書の「前日譚」にもあたる大長篇、『天使も踏むを畏れるところ』(上・下)がいよいよ刊行になります。構想から約二十五年という、本書執筆の背景を伺いました。
もとはと言えば、『火山のふもとで』と『天使も踏むを畏れるところ』は、ひとつの物語だったんです。編集者として仕事をしていた二十五年ほど前に生まれた構想は、漠然としていましたし、着手する時間もありませんでした。それから約十年後に出版社を退職し、書き始めてみると、この話をひとつの物語で書くのは到底無理だとすぐにわかりました。1980年代前半の浅間山麓を舞台に、老建築家・村井俊輔の設計事務所に入所したばかりの青年を主人公とした『火山のふもとで』を、まずは書き上げることになりました。
――『天使も踏むを畏れるところ』は、気鋭の建築家である村井俊輔を中心に、皇居「新宮殿」造営という国家的プロジェクトが描かれてゆく、完全に独立した長篇になりました。
はい。執筆を開始するまで『火山のふもとで』から十年ほど間隔があいています。調べなければならないことがあり、調べればつぎつぎに発見があり、物語の雰囲気も書き方もだいぶ異なるものになったので、独立した長篇です。
天皇の容態が悪くなるにしたがって社会全体が自粛の空気に包まれていった昭和最後の日々を、ある世代以上ならよく覚えていると思います。その後、現在の上皇ご夫妻による平成の三十年間があり、さらに令和になって早くも七年が経っています。この間の変化はとても大きい。
初代宮内庁長官である田島道治の『昭和天皇拝謁記』の刊行があり、宮内庁のSNSの発信も始まって、宮殿内の映像の一部も公開され始めたこの時代だから、『天使……』を書くことができたのではないか、という感慨があります。
――なぜ皇居「新宮殿」の造営というテーマで小説を書こうと思われたのですか。
中学生の頃から建築には関心がありました。建築との出会いをさらにさかのぼれば、小学生のときいちばん好きだった場所が、校庭の隅に建っていた木造平屋の図書館だったんですね。なかにいると壁の三方がすべて書棚、本の匂いが漂っていて、大きなテーブルも椅子もすべて木製でした。あんなに居心地のいい場所はなかった。
建築家になりたいと思ったこともありますが、理数系の科目が苦手だったので、自分にはその資格がないと早々に諦めてしまいました。ただ、建築への関心は途切れずに続いて、本ばかりでなく建築雑誌のバックナンバーも飽きずに眺めているうちに、その建築作品にいちばん惹きつけられ、敬意を覚えたのが、吉村順三という建築家でした。
吉村順三さんには、編集者時代に一度だけ、篠山紀信さんのグラビア連載「日本人の仕事場」に登場していただいたことがありました(「小説新潮」1990年8月号)。想像していたとおり寡黙で、静かな威厳があり、それでいてなんとも好ましい、あたたかい人柄が伝わってきました。撮影後にうかがったお話も忘れがたく、特別な記憶です。
吉村さんの代表作のひとつは、軽井沢にあるご自身の山荘だという評価が少なくないのですが、これは延床面積が八十七・七平米。いっぽう延床面積が二万三千平米、つまり山荘の二百六十倍以上もの大きさがある皇居「新宮殿」が、もうひとつの代表作だと私は考えています。吉村さんは新宮殿落成の三年前に、設計者を辞任しました。なぜ途中で辞めざるを得なかったのか――どういうことがあったのかを調べてゆくうちに、「新宮殿」の造営をめぐる物語をフィクションで書いてみたいと考えるようになりました。
――あくまでも小説として、フィクションとして書くということですね。
はい、そうです。皇居「新宮殿」の設計をめぐっては、宮内庁や共同企業体による詳細な造営記録が残されていますし、関連書籍がいくつも出ていますが、当時、この大プロジェクトに関わった人々が、それぞれの立場でなにを考え、なにを感じ、どのようにふるまったかは、よく見えてこない。これはフィクションでしか描くことはできないだろうと考えました。
社会的な背景や、新宮殿の進捗状況などはできるかぎり史実に即して書きましたが、建築家・村井俊輔は私が創造したフィクショナルな人物であり、吉村順三氏とはべつの存在です。その他、多くの登場人物も同様です。昭和天皇ご夫妻や美智子妃など、実名で登場する限られた人々も、描かれている言動はあくまでフィクションです。
――関東大震災から東京オリンピックまで、長い時間が描かれていますね。
戦前から戦後の高度成長期まで、日本社会がどのように変化していったか、歴史をさかのぼることなしには、「新宮殿」を描けないと考えました。敗戦の年の5月に、山の手空襲の飛び火で皇居内の明治宮殿が焼失し、消火にあたった消防隊員や職員が三十名ほど亡くなっています。その後は、あらゆる儀式が宮内庁庁舎内の仮施設で行われました。私自身、調べてみるまで、そのことさえ知りませんでした。
「新宮殿」の竣工は、戦後二十三年も経ってからのことですが、この造営計画になかなか賛成されなかったのが昭和天皇だったと言われています。国民の暮らしの復興の目処が立たないうちは、というこだわりがあったらしい。
その空気を変えたのが、日本経済の復興、なかでも東京オリンピックに向かう活況であり、さらに皇太子と美智子妃のご成婚だったのではと思うのです。ご成婚のテレビ中継で、国民の皇室への視線が格段に親しみのあるものに変わったのは事実でしょう。そうした好機が、長年の懸案だった新宮殿造営のプロジェクトの背中を押したのだと考えています。
――多くの人物が登場する群像劇でもありますね。
登場人物それぞれの人生――建築家の村井俊輔や、建設省から宮内庁に出向してきた建設技官の杉浦、宮内庁の造営部長に昇進していく牧野、村井の友人である画家の山口など、彼らがそれまでどのような環境で暮らしてきたのかまで、さかのぼって描きました。昭和天皇の侍従、西尾の言動も重要でした。「新宮殿」へのそれぞれ異なる思いを理解しなければ、この物語は成立しなかったでしょう。
村井俊輔の視点だけでは、「新宮殿」造営という大きな物語を立体的に描くことはできません。建築と同じように、窓もあれば、一階、二階もあり、外側から見るのと内側から見るのとの違いもあります。百年に一度あるかないかの国家的プロジェクトとはいえ、一人一人の立場を考えれば、ささいな呟きにも重みが出てくる。視点を増やさないと大事な部分が死角に隠されてしまうかもしれない。プロジェクトの推移を人物の視点を変えながら見ていくことで、できるだけすみずみまで描いてみたい――そう考えたんです。
――小説の冒頭は黒澤明の「生きる」から始まります。
宮殿とは関係なさそうですよね(笑)。この冒頭の章で、建設省の技官・杉浦は、宮内庁への出向を突然打診されます。彼は当初それを固辞する。しかし、「生きる」で志村喬が演じた主人公が、途中から人が変わったように行動するのとどこか重なって、杉浦の姿勢も人生も変わっていきます。黒澤映画はほかにも「天国と地獄」が、そして侍従と親交のあった小津安二郎の「東京物語」や「秋刀魚の味」も登場します。あの時代の日本人の佇まいを彷彿とさせる映像に助けてもらいました。
――たくさんの「寄り道」の面白さがまたこたえられません。
上巻がまどろっこしい螺旋階段の上りだとすれば、下巻は直線的な下り階段かもしれません。一段ずつおつきあいくだされば、これほどありがたいことはないですね。
(2025年3月5日、東京神楽坂)
(まついえ・まさし)
波 2025年4月号より
単行本刊行時掲載
イベント/書店情報
著者プロフィール
松家仁之
マツイエ・マサシ
1958(昭和33)年、東京生れ。編集者を経て、2012(平成24)年、長篇小説『火山のふもとで』を発表。同作で読売文学賞小説賞受賞。2013年『沈むフランシス』、2014年『優雅なのかどうか、わからない』、2017年『光の犬』(河合隼雄物語賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞)、2021(令和3)年『泡』、2025年『天使も踏むを畏れるところ』を刊行。編著・共著に『新しい須賀敦子』『須賀敦子の手紙』、新潮クレスト・ブックス・アンソロジー『美しい子ども』ほか。