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京都西陣 イケズで明るい交際術

京の町家 暮らしの意匠会議/編

1,320円(税込)

発売日:2014/09/30

  • 書籍
  • 電子書籍あり

煩わしい人間関係は、“イケズの力”で笑って乗り越えましょう。

付かず離れず愛想よく、人様の悪いニュースは聞いてきかんふり。人目につかぬところで働く「陰の舞」を大切に、「身の丈以下の暮らし」がよろし。時には「どイケズ」で上手にガス抜き!? 京都流ユーモアたっぷり、たくましく生きる知恵満載。千年の都に暮らすおばあちゃんが、粋で雅な人づきあいの作法を明快に指南いたします!

目次
はじめに
第1章 気持ちと金品のやりとりはきっちりする
「どちらまで?」「ちょっとそこまで」
 ――付かず離れず、愛想よくご挨拶
もらったら「おおきに」だけでは、すましまへん
 ――「おため」(お返し)の習慣
結婚式はまる返し、お葬式は半返し
 ――返礼の合理的システム
「おおきに」は最低三遍
 ――繰り返し感謝を伝える
ちょっと助けておくれやす
 ――相手に負担をかけないお裾分け
いやあ、よう似合たはるわ。どこで買わはったん?
 ――ほめあう技
聞いてきかんふり、見てみんふり
 ――面子をつぶさない、追い詰めない
お父さん~しはる  
 ――敬語でしっかり家長を立てる

コラム…「ほっこり」には要注意
 ――京ことば、いろいろ
第2章 互いの領分を守る
「髪の毛一本ほど」遅れるのがよろし
 ――お宅に伺う・お客を迎えるときの心得
電話をふさげば、商機を失います 
 ――長電話はタブー

コラム…「ほな、さいなら」から四十分
 ――終わらない電話のお話

「せいてせかへんけど、頼むわ」と言われたら
 ――急いでするべし
掃除、水まきは一尺分だけ余分に
 ――お隣さんとの暗黙のルール
何事も「四分六分け」の精神で
 ――思いやりのエチケッ
「おれそれ」はきっちりと
 ――分と立場をわきまえるべし
おまかせして、そこはええように
 ――相手に委ねて最大限のメリットを得る術
第3章 自分の位取り(立場)を守る
いちびりどっさかい、今のはてんごや、かんにんえ
 ――イケズは粋な会話術
「すんまへんな」
 ――クッション言葉で相手を思いやりつつ自分の主張を通す
「結構ですな」
 ――同意? お断り? 便利なダブルミーニング言葉
かどの立ち話は厳禁どすえ
 ――お姑さんの厳しい指導の真意

コラム…「奥さん、弁当もってきまひょか」
 ――優しいイケズに感謝

外柔内剛、桃の実をめざします
 ――自分が傷つかないための防衛術
家と道具と人は、つろくせなあきません
 ――“調和”こそ命
「せんち山ゆき野々さん参り」ではあかんのです
 ――“着だおれ京都”の身だしなみ
仕出し屋さんに頼んだら、手間も時間もお金も面子も守れます
 ――合理的に考える
第4章 上手にガス抜きする
あそこのお嫁さんは、ちょっと「ふっくり」
 ――噂話も京都流ユーモアで
「陰の舞」が大事です
 ――裏方さんを讃える文化
乳母日傘で大きならはった人や
 ――密かに交わす「どイケズ」な言葉
こわいこわい「へんねし」
 ――やきもち心の発散法

コラム…愉快になればよろし
 ――おしゃべりと笑いは心の薬
第5章 人は人、吾は吾でゆく
「一升枡に八合」「身の丈以下の暮らし」がよろし
 ――ゆとりを持つこと
家訓は「鳴かず飛ばず」
 ――地道な暮らしを続けるのが肝心
常は倹約、ハレの日はパッと散財
 ――ハレとケのメリハリをつける

コラム……「給料二割上げて」より、二割引きのもん買うたらええ
 ――「始末」の知恵

御室の桜におなりやす
 ――弱点を愛嬌に変えて人を引き寄せる
人見て法説け
 ――お付き合いの根本は「心」
編者紹介

書誌情報

読み仮名 キョウトニシジンイケズデアカルイコウサイジュツ
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 208ページ
ISBN 978-4-10-336551-8
C-CODE 0095
ジャンル ビジネス実用
定価 1,320円
電子書籍 価格 1,056円
電子書籍 配信開始日 2015/03/20

書評

波 2014年10月号より 「少々イケズな書評ですが……。」

井上章一

私は京都に古くからつたわるしきたりを、おおむね好まない。この本を読んで、その想いをあらたにした。ここまで世間を気にしながら、くらしていかなければならないのは、たまらない。かんにんしてくれ、と。
京都はいやだと言って、ほかの街へうつった知人も、けっこういる。洛外そだちの私にはピンとこなかったが、彼らの屈託も、これを読めばよくわかる。こういう街にはとどまりたくないだろうなと、つくづくそう思う。
たとえば、私はいわゆる「つろく」ととのえられたしつらいに、わずらわしさを感じる。床の掛軸や花、そしてだされる器などが調和しあっている室内に、私はたえられない。不調法な自分がその場をけがしていると、まず思ってしまう。私などがいてはいけない空間だと、気持ちがちぢこまる。すぐにでも、にげだしたくなってくる。
お茶や舞などできたえられた見事な立居振舞の人も、にが手である。そういう修行のできていない自分を、ゴミのように感じてしまう。なるべく近づいてほしくないし、私からも、あゆみよらないよう気をつけている。
京都でくりひろげられてきたおりめただしいくらしのありようを、読み手につたえる。これは、とりあえずそういう本なのだと思う。そして、私のような京都近郊でそだった者は、くわばらくわばらと遠ざけたくなる。しかし、他地方でくらす人々には、けっこうおもしろがられるかもしれない。私が重苦しく感じるところを、エキゾティックにうけとめそうな気もする。
この本は、語り手が洛中在住の女性で、かためられている。西陣や室町あたりにすむ、やや年輩の女たちがもちよった話で、まとめられた。
これを、京都の男たちが口にすれば、読者もおしつけがましさを感じたかもしれない。しかし、女の人が語ることで、読み物としてはうけいれやすくなっている。京女の語り口が、エキゾティシズムを高めている。出版の企画としては、かしこいやり方だなと思う。
本のなかで、ひとりの女性がこう言っている。東京あたりで道にまようと、京都弁で行先をまわりの人におしえてもらうことがある。「京ことば丸出しで道を尋ねますと、駅員さんをはじめ皆さん、それは丁寧に道案内をしてくれはるのです。京都に生まれて良かった……」、と。
私も東京へゆき、京都弁で道をたずねることはある。しかし、おっさんの私が、それで「丁寧に道案内をして」もらえることは、あまりない。京都風のしゃべり方が、聞き手を魅了するのは、圧倒的に女のほうである。
こういう、やや説教臭いところもある読み物は、男どもに語らせるべきじゃあない。女の人たちがしゃべってこそ、値打ちもでてくるのだと、かみしめる。
はやく家からでていってほしい人に、「ぶぶづけでもどうです」と、京都人はしばしば言う。表面はていねいにつくろっていても、裏ではまったくちがうことを考えている。京都人は腹が黒いという例証に、よくこの「ぶぶづけ」という慣用句はもちだされる。
この本へよりそった京女たちは、しかし、それを否定する。「わたしらの周りにはどなたも、そんなことをした人もされた人もおりません」。そんな人がいるとすれば、それは「京都の人やないでしょう」、と。
しかし、私が子供のころに、「ぶぶづけ」で退出をほのめかすおばあさんはいた。昔は、あの言いまわしが、京のくらしに息づいていたはずである。聞いたことがあるという京都在住の人は、私以外にもおおぜいいる。
この本につどった語り手たちは、あえてにぎりつぶしたのか。室町や西陣にはなかったので、それを口にするのは「京都の人やない」と、されたのか。いろいろ考えさせられた。

(いのうえ・しょういち 建築史家)

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