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夜の木の下で

湯本香樹実/著

1,430円(税込)

発売日:2014/11/27

  • 書籍

話したかったことと、話せなかったこと──。心の底の思いを物語にした珠玉の作品集。

ことばは、こばとになって飛んでゆき、またことばになる──。少年のはじめての秘密。自分の行く末が不安でたまらなかった頃の夢。少女のゆれ惑う性の兆し。つないだ手の先の安堵と信頼。限りなく近くまで来て、再び遠ざかってゆく死。記憶の底にしまってあった繊細な情感を丁寧に掬って描く『夏の庭』の著者による胸に沁み入る小説集。

目次
緑の洞窟
焼却炉
私のサドル
リターン・マッチ
マジック・フルート
夜の木の下で

書誌情報

読み仮名 ヨルノキノシタデ
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 200ページ
ISBN 978-4-10-336711-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,430円

書評

魂の響きあいとしての対話

東直子

 六つの短編は、いずれも一人称による過去回想の形を取っている。過去回想といっても単純な郷愁ではなく、現在から過去を回想することによって初めて気付く、悪意や苦さなども含めた複雑な心情の発見が綴られている。主人公たちが記憶の底から掬い上げてくるのは、身体の弱い弟や、クラスのいじめられっ子、行き場のない独身の中年女、そして野良猫など、繊細ではかなく、そして純粋な魂を持っている者たちである。彼らは、その弱さゆえの引力がある。各短編の主人公は、彼らより少しだけタフだが、その純粋さを感知できる繊細さを持つゆえのもろさも抱えている。
 一時的にとても親密な時間を過ごす彼らには、その時間にやがて終わりが来ることがあらかじめ分かっているような切なさが滲む。そんな関係性によって編まれる人生の物語の中で、過ぎてしまった時間、取り戻すことのできない時間の輝きが胸に迫ってくる。その輝きが、誰からも忘れ去られた、暗い場所で主に発せられる点が興味深かった。
 例えば「緑の洞窟」という短編での、庭の二本の木が作る土の洞窟。幼い「私」は、ずっと自分だけの大切な秘密の場所だった洞窟を、あることがきっかけで双子の弟に教え、共有する。《双子といってもヒロオは体格も体力も私に数段遅れをとっている》というその弟は、庭の木が作る緑の洞窟を海底のようだと表現する。
 その後大人になった「私」は、「緑の洞窟」とはなんだったのかを考えるのである。
《今も私のなかにはあの緑の洞窟があって、しようと思えばいつでも、心地よく湿った暗がりからこの世界の不思議さに目を見張ることができる。(中略)あのアオキの木の下で起こったことは、たぶんほんの小さな子供にだけ与えられる心やさしい慰めであって、それ以上の何でもないのだ。》
 弱くて小さい双子の弟を、自分も含めた周囲がかばわなければならない状況の中で、「私」は実は深く傷ついていた。もちろん弟の方にも葛藤があったことだろう。共有する「心やさしい慰め」であるその場所は、生まれる前の場所のようでもあり、死後の場所のようでもある。「それ以上の何でもない」という言葉が象徴する通り、そこで何か特別なことが起こるわけではない。日常の延長線にあるささやかな逸脱として描かれる冷静な筆致が、かえって滋味深く心に沁みる。
 女子校での日々が瑞々しく描かれている「焼却炉」では、学校の焼却炉が「慰めの場所」となる。週に一度、生理用品入れのなかみを入れた段ボールを、敷地内の片隅にある焼却炉へ捨てにいく、というみんなが嫌がる仕事を、「私」と「カナちゃん」がいつの間にか常に引き受けている。生々しいゴミが燃える焼却炉の前で、二人は様々な会話を交わす。高校三年生なので当然進路の話などもするのだが、思うようには行かない未来への諦念や絶望が、彼女たちの対話から見えてくる。
《苺の果汁のような、林檎ジャムのような、黒すぐりのような、いろんな血》が燃えていく様をカナちゃんが《ほとんど顔を突っこみそうになって》覗き込み《「燃えろ燃えろ」/さもおもしろそうに言った》。「フフ」という含み笑いが特長のカナちゃんの心の奥に溜まっている澱を痛感する。学校の片隅で、少女たちの経血を燃やす少女らの胸の裡にある無意識の悪意が官能的に伝わり、ぞくぞくした。
 かけがえのない時間の輝きは、かけがえのない相手との対話がもたらす。少し淋しい、抒情的な風景の中で交わす対話の相手は、ときにサドルなど人間ではないこともあるが、この小説世界では、実に自然なこととして溶け込んでいる。どのような姿をしている者とも、魂の響きあいとしての対話がなされているからだろう。

(ひがし・なおこ 歌人)
波 2014年12月号より

珠玉の短編集というほかはない

野崎歓

 なんと響きのうつくしい、気持ちのいい文章だろうか。安心して身をゆだねていると、やがて痛切な思いがおそってきた。優しい作品の言葉が、読む側の心の深い部分にまでしみとおってくる。一瞬、ひやりとし、あわててしまう。しかしそれこそは、読書の純粋なよろこびの瞬間を告げる感覚ではないか。
 ここに収められた六つの短編を読み進めながら、そうした感覚がとぎれることなく、たえず新たになっていくことに驚かされた。珠玉の短編集というほかはない。読後、その魅力を反芻すると、少年少女の姿が、いきいきと、そしてどこかメランコリックに浮かび上がってくる。
 そこには幼いふたごの兄弟がいるし、背がひょろひょろ伸びはじめた時期の男子中学生が、「ヤギ顔」の中年女性と一緒に、口笛をふく練習をしたりしている。さらには、自転車の「サドル」と女子高校生などという、なんとも不思議な“カップル”が語りあう姿もある。
 そうした二人――何しろ「サドル」まで含まれるので、二人とも呼びにくいのだが――が体験する、なごやかな、親しみにあふれるひとときを描き出すこと。そこにこの作品集のひとつの眼目がある。例外的な親密さに浸された人生のひとこまが、くっきりと浮かび上がるのだ。
 その親密さは、あまりにはかなく、一瞬のうちに跡形もなく消えうせてしまう宿命を帯びている。しかもそれは、おのおのの人物たちの心の奥底にしっかりと刻まれて、はるか後年になってもなお、よみがえりつづけることになる。
 つまり、一方には兄弟や友人同士、男と女、その他のあいだに共有される、ささやかとはいえ忘れがたい出来事があり、他方には、その出来事がどんなに貴重なものだったかを思い知らせる時の経過がある。そのいずれもが、短編の限られた枠内であざやかに描き出されているのだから、舌を巻いてしまう。
 そうかと思えば、事件勃発直後のなまなましい息づかいで語られる「リターン・マッチ」という短編もある。これは中学校でのいじめの問題を正面から扱った、すでに傑作として折り紙つきの一作だ。
 長い時間を経ての感慨のにじむ作品としては、とりわけ「焼却炉」がじつに素晴らしいと思った。女子高の生徒が毎週、決まった相手と焼却炉にごみを捨てにいく当番をつとめる。それだけの設定から作者は、汲みつくせないほど豊かなエモーションを引き出している。
 もちろん、どの短編が一番かなどと無理に決める必要は毛頭ない。読者によってそれぞれ、最愛の作品も異なることだろう。きっとその選択は、読者自身の人生とどこかで深く結びついた選択なのかもしれない。
 そういえば、二人組のリストに“会社員と猫”というのも加えておきたい。巻末を飾る表題作には、仕事から帰って、夜の公園のベンチでひとり缶酎ハイを飲む二十八歳の男が登場する。片目の茶トラ猫がふらりとやってきて、しばしお相手をつとめる。都会のまんなかの夜の公園だなんて侘しいだけかと思いきや、そう捨てたものでもないのだ。しかもその会社員は、そこに生えているクスノキの花の匂いにまで敏感である。「クスノキは夜に強く香る」。それは「生命力旺盛な匂い」なのだという。
 そんなふうに、植物までもがひそかにドラマにかかわってくる点も本書の大きな魅力である。この決して分厚くはない本のうちには、豊かな、いとおしい時間と空間が広がっているのだ。

(のざき・かん フランス文学者)
波 2014年12月号より

著者プロフィール

湯本香樹実

ユモト・カズミ

1959(昭和34)年、東京生まれ。東京音楽大学音楽科作曲専攻卒業。小説『夏の庭―The Friends―』は1993(平成5)年日本児童文学者協会新人賞、児童文芸新人賞を受賞。同書は映画・舞台化されるとともに世界十ヵ国以上で翻訳され、1997年にボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、ミルドレッド・バチェルダー賞に輝いた。2009年絵本『くまとやまねこ』で講談社出版文化賞受賞。著書に『ポプラの秋』『春のオルガン』『西日の町』『岸辺の旅』『夜の木の下で』、絵本に『わたしのおじさん』『魔女と森の友だち』などがある。

判型違い(文庫)

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