きえもの
1,870円(税込)
発売日:2019/08/27
- 書籍
- 電子書籍あり
本を開いて五分で飛び立つ、非日常の世界。短歌と物語が響き合う小宇宙。
ネクター・ハチミツ・鳩サブレー……。幾つもの「きえもの」=「たべもの」を切り口に、ありふれた日常の風景の中に非日常への扉を描き出す。現実と夢、有と無、わかるとわからない、重なり混じり合う境界線を飛躍するその一瞬を、鮮やかに切り取ってゆく。ドゥマゴ文学賞を受賞した気鋭の歌人による、燦めく言葉の万華鏡。
ぶどうガム
ラング・ド・シャ
マルメロ
ハチミツ
ゴーフル
羊羹
醬油
ひじき
鳩サブレー
生ハムメロン
オリーブ
スイカ
冬虫夏草
エビフライ
コロネ
エスカルゴ
縁側
餅
マシュマロ
はんぺん
ポテトチップス
ウエハース
ちくわ
カヌレ
温州みかん
ユリ根
パッションフルーツ
蕗
鯨
アケビ
チキン
豚足
マカロン
きくらげ
春雨
蕨
ほたるいか
うなぎパイ
パセリ
土筆
ピータン
水飴
ウイスキーボンボン
煮こごり
つぶあん、こしあん
ドーナツ
みつまめ
杏仁豆腐
目玉焼
パピコ
ステーキ
椎茸
柿の種
アンズ
コーヒー
最中
塩
チーズフォンデュ
コンビーフ
ワッフル
マロングラッセ
アボカド
フレンチトースト
アラザン
いくら
クラッカー
素麵
コカ・コーラ
水
書誌情報
読み仮名 | キエモノ |
---|---|
装幀 | 餅井アンナ/写真、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | yom yomから生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 208ページ |
ISBN | 978-4-10-352761-9 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,870円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/02/07 |
書評
連想と奇想の達人
中毒性のある文章だ。このまま、いくらでも読んでいられる。いや、読んでいたい。
タイトルがあって、短歌、散文、短歌というスタイルで、すべての章が構成されている。現代の歌物語とも言えるが、短歌で散文をサンドしているところが新鮮だ。たとえば「素麺」というタイトルに続いて次の一首。
漢数字の一を茹でるとひらがなのしになる人の初めから終わり
素麺の比喩としての「一」と受けとってもいいが、ほんとうに漢数字を茹でたのだと思っても楽しい。すると湯の中で、ぐんにゃりと曲がり、ひらがなの「し」になった。
「一(はじめ)」から「し(死)」……それは人の一生だというのである。文字の見た目や音から広がってゆく連想が見事。この自由自在な連想の力は、本書の随所で発揮される。
短歌の後の散文では、老人ホーム(これも人の一生からの自然な連想だろう)で働く「わたし」が、納涼大会のために流し素麺を計画する。盛り上がっているところで、突然「因果関係は流し素麺だ」という昔の彼の言葉が思い出される。因果関係は流し素麺のように、決して逆流することはないといった意味合いだが、まさにその逆流が次の瞬間に起こる。下から上に流れる素麺とともに、いつしか時間も巻き戻されて……。ふいに来るこのような奇想は、作者の得意とするところである。
先ほどの連想と、この奇想が、一冊を支える大きな魅力といっていいだろう。連想と奇想の達人、九螺ささらである。
そしてラストは、次のような一首に着地する。
川という漢字を啜 り上げている口中は象形文字の源泉
もう「川」が、素麺にしか見えなくなっている自分に気づく。川という漢字も、川が吸いこまれてゆく口という漢字も、象形文字だ。
このようにして、一つの章を味わうごとに、私たちはかつて見たことのない世界を見、不思議な感覚を楽しむことになる。「素麺」の章の歓びを、先回りしてお伝えしてしまったことは申し訳ないが、いわく言いがたい魅力を伝えるには、あまたの言葉を尽くすよりも、サンプルを示したほうがてっとりばやいと思った次第。ごたくだらけのメニュー表よりも、一口の試食が、九螺ささらの世界を伝えるにはふさわしい。そして、安心してください、このような歓びが、まだまだぎっしり本書には詰まっている。その数、七〇。
映画と演劇の違いを語るときに、よく使われる言い回しに「映画は、たとえばパリを舞台にするなら、パリを映像で表現するものだけど、演劇は必ずしもリアルなセットがなくてもいい。俳優が『パリも肌寒くなってきた』とコートの襟を立てれば、そこはパリになる」というようなのがある。この、演劇的な言葉の喚起力を最大限に用いているのが、九螺ささらの文章ではないかと感じる。言葉の万能感を味わえる、と言ってもいい。たとえば、人の鳥肌から鳥を培養するとか。これはもう演劇でも手に負えない(あるいは、そうとう面倒くさい)のではと思ってしまう。
デビュー作『神様の住所』も、素晴らしく面白かった。短歌、散文、短歌、というスタイルは本書と同じで、やはり連想の力がすさまじかった。いっぽう、奇想の印象は薄く、どちらかというと「発見」や「言葉への執着」が前面に出ていた一冊ではないかと思う。
そこにストーリー性を加え、奇想という得意技を武器に、一歩あゆみを進めた。奇想というのは、単に素っ頓狂なことを提示すればいいというものでは、もちろんない。奇想であればあるほど、それを納得させる言葉の力が必要だ。
九螺ささら第二作は『ゆめのほとり鳥』というタイトルの歌集で、その帯に歌人東直子は、こう書いている。「どうしてこんなことを思いつけるのだろう。」と。つまり奇想への萌芽を感じさせる一冊でもあった。
『神様の住所』から『ゆめのほとり鳥』を経て、『きえもの』へ。次は、どんなレシピで言葉という素材を料理し、味わわせてくれるのか。楽しみでならない。そんな期待を抱かずにはいられない一冊である。
(たわら・まち 歌人)
波 2019年9月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
九螺ささら
クラ・ササラ
神奈川県生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。2009年春より独学で短歌を作り始める。2010年、短歌研究新人賞次席。2014年より新聞歌壇への投稿を始め、2018年、初の著書『神様の住所』でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。歌集には『ゆめのほとり鳥』がある。座右の銘は「できるようになる唯一の方法は始めること」。