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辺境・近境〈新装版〉

村上春樹/著

1,760円(税込)

発売日:2008/02/29

  • 書籍

1990~1997年、村上春樹の、多彩な旅。

村上さん、なぜメキシコに行こうと思ったのですか? なぜ瀬戸内海の無人島でキャンプすることになったのでしょう? モンゴル平原の戦場跡に立ち、北米大陸を横断し、香川で讃岐うどんを食べ比べ、震災後の神戸を歩く、「辺境」なき時代の辺境旅行記。新たに口絵写真を収録!

目次
イースト・ハンプトン 作家たちの静かな聖地
無人島・からす島の秘密
メキシコ大旅行
プエルト・バヤルタからオアハカまで
共同の夢を見る人々
讃岐・超ディープうどん紀行
ノモンハンの鉄の墓場
大連からハイラルへ
ハイラルからノモンハンまで
ウランバートルからハルハ河まで
アメリカ大陸を横断しよう
病としての旅行、牛の値段、退屈なモーテル
ウェルカムという名の町、西武のチャイナタウン、ユタの人々
神戸まで歩く
辺境を旅する

書誌情報

読み仮名 ヘンキョウキンキョウ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 264ページ
ISBN 978-4-10-353421-1
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆
定価 1,760円

書評

ランナー春樹さんとの旅

松村映三

 村上春樹さんとは、これまでいろんな所に旅をしたが、旅のあいだ、2人で一緒に走る機会が沢山あった。世界の果てを1ヶ月以上にわたって取材した長い旅から、マラソンレースを走るための個人的な日帰りの旅まで、ひとつひとつ思い出してみると、強烈だったはずの景色は所々記憶から無くなってしまい途切れてしまう。だけど土地の空気感や食べ物、香りや湿度は鮮明に浮かんでくる。視覚的なことを忘れてしまうのは、走ることにより、嗅覚や皮膚感覚のほうが敏感になるからだろうか。
 最初に声が掛かったのは1988年、ギリシャのアトス半島を歩いてまわり、トルコを車で一周する旅だった。僕はこの時期約一年、仕事に打ち込むことが出来ず精神的に悩んでいた。そんな時に、ローマから帰国中の春樹さんと久しぶりに会い、中国大陸を旅したスナップ写真を見てもらった。それから数ヶ月後、ローマに戻った春樹さんはギリシャとトルコの旅に誘ってくれたのだった。旅のあと、ローマで春樹さんが日課にしている川沿いのコースを一緒に走ってみた。小中学生の時にマラソンは校内でトップだったので足には自信があった。走り始めはペースが遅いと思っていたら、30分もしないうちに息が乱れて足がもつれはじめ、どんどん離されてしまう。春樹さんは速そうに見えないのに本当に速いので驚いた。(今ではこの省エネ走法のような春樹さんのフォームを真似して僕は走っているのです。)この時を境にして、ランニングを取り入れた僕の日常生活が始まった。
 春樹さんがローマを引き上げ帰国すると、神宮外苑や皇居の周りを一緒に走るようになり、いつの間にか僕もハーフマラソンに参加できるほどの体力が付いてきた。
 今度新装版が刊行される『辺境・近境』の取材に同行したのはそのあとのことだ。山口県の「無人島・からす島」へ行く前には、初のフルマラソンを春樹さんのペースで30キロあたりまでついて行けた。「イースト・ハンプトン」では、直前にニューヨーク・シティー・マラソンを走ったので足が重く走れなかった。「メキシコ旅行」は各地でピラミッドのような遺跡を登ったり降りたり、トレーニングのような毎日だったので、2人ともあえて走ることもなかった。そんなハードな旅でも、海沿いのホテルやプールがあるモーテルに着くと、春樹さんは泳ぎ始める。その泳ぐ姿を、泳げない僕はカメラに収めていた。香港の友人に「中国の街中を走っているのはドロボーと警官ぐらいだ」と言われたことがあるが、やはり「中国とモンゴル」では一度も走ることが出来なかった。
 ボストンマラソンに参加した1ヶ月後の「アメリカ大陸横断」は、『辺境・近境』の中で唯一走り込むことが出来た旅だった。早朝に起き直ぐ走り、シャワーを浴びて朝飯。そして次の目的地に出掛けた。トロント郊外のコッテージ周辺のアップダウン43分、インディアナ州ラポーテの湖に沿って42分、ウィスコンシン州スプリンググリーンのゴルフ場46分、イェローストーン国立公園内50分、アイダホ州リギンズのサーモン川に沿って1時間06分、ユタ州農園の急斜面を30分、ラスヴェガスの街42分、到着地ロスアンジェルスのロングビーチでは2回走って2時間37分。旅の中で春樹さんと一緒に走っていると、僕も驚くほど体力がついてきたのが分かり、ローマで走ったときのように離されることもなくなった。
 先週久しぶりにフルマラソンを一緒に走った。僕はこれまでに参加したレースで春樹さんに一度も勝ったことがない。いつも春樹さんの背中が見える距離で負けている。遠慮して抜かないのかと思われたこともある。今回、春樹さんが知ったらびっくりするほど走り込み、トレーニングを続けた。ところが25キロ過ぎると急に体が重くなり、太腿が震えだし、春樹さんの背中がどんどん離れてしまう。僕は歯を食いしばり、後ろ姿を見失わないようにピッチを上げた。

(まつむら・えいぞう 写真家)
波 2008年3月号より

著者プロフィール

村上春樹

ムラカミ・ハルキ

1949(昭和24)年、京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の歌を聴け』(群像新人文学賞)でデビュー。主な長編小説に、『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞)、『ノルウェイの森』、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『スプートニクの恋人』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』、『1Q84』(毎日出版文化賞)、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、『騎士団長殺し』、『街とその不確かな壁』などがある。『螢・納屋を焼く・その他の短編』、『神の子どもたちはみな踊る』、『東京奇譚集』などの短編小説集、エッセイ集、翻訳書など著書多数。2006(平成18)フランツ・カフカ賞、オコナー国際短編賞、2009年エルサレム賞、2011年カタルーニャ国際賞、2016年アンデルセン文学賞、2022(令和4)年チノ・デルドゥカ世界賞を受賞。

村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイト

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