ホーム > 書籍詳細:私の馬

私の馬

川村元気/著

1,870円(税込)

発売日:2024/09/19

  • 書籍
  • 電子書籍あり

あの瞳に射抜かれて、私は一億円盗んだ。感動の疾走エンタテインメント!

「ストラーダ、一緒に逃げよう」。共に駆けるだけで、目と目を合わせるだけで、私たちはわかり合える。造船所で働く事務員、瀬戸口優子は一頭の元競走馬と運命の出会いを果たす。情熱も金も、持てるすべてを「彼」に注ぎ込んだ優子が行きついた奈落とは? 言葉があふれる世界で、言葉のない愛を生きる。圧倒的長編小説!

書誌情報

読み仮名 ワタシノウマ
装幀 井田幸昌/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 160ページ
ISBN 978-4-10-354282-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,870円
電子書籍 価格 1,870円
電子書籍 配信開始日 2024/09/19

書評

馬と人と無と

高橋源一郎

『私の馬』の「私」は、「短大を卒業して造船会社に入社が決まり、工場に配属されて二十五年が経った」。日々、なにもない日常を生きる女性だ。興味を持てない仕事につき、押しつけられた「労働組合の雑務」を淡々とこなしている。アパートの小さな部屋に戻ると、テレビもない部屋でスマホを見ながら、ひとりで食事をする。スマホの中には、無意味な言葉や映像が蠢いている。しつこく結婚を勧めてきた母も、「私」が四十を過ぎると無言になり、やがて介護施設に入った。「母の介護費用と自分の生活費で、家計はいつもぎりぎりだ」った。いや、ぎりぎりなのは家計だけではなかった。「私」はひとりだった。未来も、するべきことも、したいことも、心動かされるものも、なにもなかった。それをひとことで言い表す言葉がある。「孤独」である。「私」は世界の果てで「孤独」のままでいた。そんな或る日、「私」の前に一頭の「黒い馬」が現れた。馬運車から逃げ出し、国道に立っていた。目があった。運命だったのだ。すぐに馬は捕まり、連れてゆかれる。

「幌と荷台のすきまから、あの馬が顔を覗かせた。吸い込まれるような黒い瞳が、再び私に向く。
 見つけた。
 私が思うより少し先に、馬からそう語りかけられた気がした」

「私」は、その馬が、ある乗馬倶楽部に所属していることを知り、会いに行く。そして、その馬に乗る。乗らなければよかったのだ。そうすれば、先へ行かずにすんだのに。だが、「私」は、その馬に乗り、その馬の瞳を見た。引き返すことはできなかった。「私」は、その馬を買って自分のものとし、馬術大会に出し、優勝を目指すようになる。かつて「競走馬」としては成功できなかったその馬を、乗馬の世界のチャンピオンにするために。それには、金が必要だった。そして、金は労働組合の金庫の中にあったのだ。『私の馬』は、実在の事件をもとに書かれた。現実の事件でも、逮捕された女は、組合の金を使い込み、「馬」に貢ぐ。だが、なぜ? なんのために? 「私」は懸命に言葉を紡ぐ。どんなに深い繋がりが「馬」との間にあったかを、「馬」と「私」の間に生まれた素晴らしい世界のことを。だが、会社の人間は困惑して、こういうしかないのだ。

「説明になってないよ。馬に貢いだなんて話、誰も納得しない」

 なぜ「馬」なのか。それは、「馬」(競走馬)には名前があるからだ。いや、「競走馬」は、そのすべてに固有の名前が与えられ、そのすべての個体の名前は一冊の書物(「競走馬血統書」)の中に書きこまれるからだ。そのような生きものは、この地上に、二種類しか存在しない。人間と「馬」(競走馬)である。
 近代競馬は18世紀にイギリス貴族によって始められた。彼らが最初に作ったのは「競走馬血統書(ゼネラル・スタッドブック)」だ。そして、そこに名前が記されたものだけが競走馬とされた。なぜ、そんなことをしたのか。自分で働かないイギリス貴族たちにはするべきことがなかった。その代わりに熱中したのが「飲酒」と「狩り」と「読書」だったといわれる。18世紀になって、彼らは四つ目の「やるべきこと」を見つけた。サラブレッド競走である。彼らは、ある生きものの種属全体を丸ごと「管理」しようとした。運命を握ろうとした。馬たちの「名前」を書き込まれた「競走馬血統書」は、もう一つの「聖書」だった。彼らは全能の「神」になろうとした。「神」である彼らにとって、「聖書」の中の「馬」たちは、人間、つまり自分自身の写し絵でもあったのだ。

「私」にとって、その「馬」は、退屈な世界から救い出してくれる唯一の存在だった。イギリスの貴族たちがそうであったように。だが、それは破滅へ続く道でもあった。
 最後に、「私」は「馬」の瞳を覗きこむ。そこには「私」は映っていない。いや、映っているのだ。あるかなきかの「私」の姿が。「馬」とは、それによって救済されるために、人が、神に代わって作り上げた「物語」のことだ。それは、別の名前を「無」というのである。

(たかはし・げんいちろう 作家)

波 2024年10月号より
単行本刊行時掲載

特別トレーラー

著者プロフィール

川村元気

カワムラ・ゲンキ

1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『君の名は。』『怪物』などの映画を製作。2011年に「藤本賞」を史上最年少で受賞。2012年、小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、同作は32カ国で翻訳出版された。著書に小説『億男』『四月になれば彼女は』『神曲』、対話集『仕事。』『理系。』、翻訳を手がけた『ぼく モグラ キツネ 馬』等。2022年、自身の小説を原作として、脚本・監督を務めた映画『百花』が公開。同作で第70回サン・セバスティアン国際映画祭「最優秀監督賞」を受賞。

川村元気 Genki Kawamura's official site. (外部リンク)

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

川村元気
登録
文芸作品
登録

書籍の分類