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学問

山田詠美/著

1,650円(税込)

発売日:2009/06/30

  • 書籍

「私ねえ、欲望に忠実なの。愛弟子と言ってもいいね」山田詠美の新たなる代表作。

東京から引っ越してきた仁美、リーダー格の心太、食いしん坊な無量、眠るのが生き甲斐の千穂。四人は、友情とも恋愛ともつかない、特別な絆で結ばれていた。やがて思春期を迎える彼らの、生と性の輝き。そして、いつもそこにある、かすかな死の影。高度成長期の海辺の街を舞台に、彼らが過ごしたかけがえのない時間を、この上なく官能的な言葉で紡ぎ出す、かつての少年少女のための成長小説。

書誌情報

読み仮名 ガクモン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 296ページ
ISBN 978-4-10-366813-8
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,650円

書評

性と生をまっとうすることの美しさ

豊崎由美

 元、高校教諭の香坂仁美という六十八歳の女性の死亡記事が置かれた後、《その得体の知れないものの愛弟子になるであろうことを予見したのは、仁美が、わずか七歳の時でした》という謎めいた一文で始まる山田詠美の『学問』は、何をさておいても女性の女性による女性のためのオナニー小説として語られねばならない作品です。あ、間違えないでくださいね。オナニーをするための“おかず”になる小説という意味じゃありません。女性の自慰という、これまでは男性サイドにとってはAVかなんかでその姿態を見てコーフンするための、つまりオナニーのおかずとしてのエロ要素にすぎず、女性サイドからすれば「あたし、そんなこと今まで一度もしたことありません!」と隠しとおすべきものとされてきた淫靡な行為を、山田さんは“学問”として真摯に学ぶべき大変良きもの、明朗なものと、この小説の中で描いているのです。
 学問の徒となるのは、冒頭で死亡記事の主役にされてしまっている1962年生まれの仁美です。七歳の時に父親の転勤に伴って、東京から新幹線を在来線に乗り継いで三時間ばかりのところにある静岡県美流間市の小学校に転入。引っ越してきたばかりの家の裏山を探検していた仁美は、ひとりの男の子と出会います。それが運命の人、テンちゃんこと心太。仁美は、穴を掘って秘密の隠れ家を作っていたテンちゃんの手伝いをさせられるのですが、そのうちお漏らしをしてしまいます。で、その後のテンちゃんがかっこいいんだなあ。自分のちっちゃなチンチンを出して尿を搾り出すと、「見たの、おれだけだ。それに、おまえも、おれの、見たんだら。だから、おあいこだ」「おれが、おあいこにしてやった。だから、もう心配することない。それに……」「……おれのは、しょんべんだけど、おまえのは、おしっこだから」と慰め、《生まれて初めて、異性にこの身の一部を預けた未知の感覚を知り、ついうっとりしてしまった》仁美は、《私、絶対に、テンちゃんに付いて行く》という誓いを立てるのです。
 そんな印象的なボーイ・ミーツ・ガールの場面から始まる物語ですから、わたしもそうでしたが、これから読む皆さんだって「テンちゃんと仁美の生涯をかけてのラブストーリーが描かれていくんだな」と思うことでありましょう。その予感は当たりでもあり、はずれでもあります。仁美の家のお隣に住み、テンちゃんの大ファンであるチーホこと千穂、病院の息子でお菓子袋を常に持ち歩いている超食いしん坊のムリョこと無量を加えた、仲良し四人組の十八歳までの年月を描いたこの小説は、冒頭でも断言したとおり、わずか七歳でテンちゃんに誘われてまたがった鉄パイプの上を滑った瞬間《こすれた足の付け根から微温湯が染み出したように感じ》て以来、それが性的快感であることも知らないまま、熟達に励む徒となった仁美によるオナニー学の物語です。けれど、それだけではありません。自分の欲望に忠実でそこにいびつな意味をつけ加えたりしない仁美の素直な成長を通じ、作者の山田さんは大好きで信頼している相手にとっての囚われ人になる快感、男女間に生まれうる友情や恋を超えて深く強い感情、人を思う気持ちの千態万状さ、性と生をまっとうすることの美しさを描いているのです。
 周囲の者を魅了せずにはおかない天性の支配者たるテンちゃんと、彼に絶対的な信頼をおいて揺るぎない仁美の関係がどうなっていくかを知るのは、これからこの「ですます」調という山田詠美には珍しい(わたしには『風葬の教室』くらいしか思い浮かびませんが、そういえばあの小説も女子転校生が主人公でしたね)文体で綴られた愛おしい物語を読む、あなたの特権です。どうぞ、ご自分の子ども時代、思春期の頃にかえって、甘やかな思いと共に愉しんでください。
 ……しかし、それにしても。女性のオナニーをこれほどまでに向日性のうちに描けてしまうとは。でもって、オナニーを人生讃歌にまでつなげてしまうとは。つくづく驚くべき女性です、山田詠美という作家は。

(とよざき・ゆみ 書評家)
波 2009年7月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

欲望の「愛弟子」になること

吉田修一山田詠美

ポルノを書きたかった

吉田 最新作の『学問』、すごく面白く読ませていただきました。強いタイトルですよね、『学問』。

山田 「新潮」の編集長は「この小説に『学問』というタイトルをつけたのは大発明だ」って言ってくれたの。私なりにそう思ってたので、すごくうれしくて。自分が書き終わる前にこのタイトルで誰かが小説書きませんようにってどきどきしながら祈ってたの。

吉田 タイトルが『学問』なので、読者は「何を学ぶんだろう」って思って、それを探すように読んでいったんです。登場人物が四人いて、小学校から高校時代までが描かれていて、それぞれに特徴的な欲望があって、その欲望について学んでいくんだろうなと最初は思ったんです。

山田 そう。いろんな複合的なものを学んでいく話なんだけど。

吉田 でも最後の方まで読んだ時に「何を恥だと思うかということ」について学ぶ小説なんだと思った。もう一度落ち着いて読み返してみたら、いろんな種類の恥の話がたくさん出てくるし。

山田 恥というのも重要な要素で、そこをちゃんと書くことで、その人なりの自分の小説観というのが出てくると思う。

吉田 たとえば「おあいこにしてやった」っていうところがありますね。一度目は最初の章で、仁美が心太の前でお漏らしをしてしまう場面。二度目は最終章で、心太が初めて仁美に涙を見せる場面。

山田 実はその部分は前後の数行を含めて、科白はまったく一緒で、二度目のとこで男の子と女の子の役割が入れ替わってるの。だからこれ、誰も言ってくれないけど、こっそりフェミニズム小説もやってる(笑)。男の子と女の子がどうやって対等になっていくかを学んでいくという物語でもあります。

吉田 作品の出発点はどんなところにあったんですか。

山田 私、本当はポルノを書きたいと思ったの。いろいろなものにそそられることとか、そそられていく過程で何かを学んでいくこと。開高健さんの言葉に「食談は食欲のポルノである」というのがあって、すごくインスピレーションをくれたのね。食欲とか性欲とかのほかにもいろんな欲があるじゃない? そう考えたら、それぞれにそれなりのポルノがあるんじゃないかと思った。それを交錯させて書いてみようって思ったの。

吉田 土地という要素も強いですよね。

山田 そう。登場人物たちは、土地に対する欲望も持っているの。そういういろいろな欲望の「愛弟子」になる四人の話です。

土地の呪縛

山田 私、転校生でいろんなところを回ってきたんだけど、一番思い出深いのって小学校の時にいた静岡の磐田市ってところなの。この小説を書いている時は、自分の小さい頃の経験の一つ一つの記憶を、掘り起こすような感じだった。遺跡をこう、刷毛で丁寧に掘り起こしていくみたいに。そういう作業がものすごく楽しかった。もちろん、それが苦しいところでもあるんだけれど。

吉田 書き始める前に、実際に磐田に取材に行かれたんですか。

山田 書き始めてから、最終章を書く前に一回と、書いた後に行ったの。うちの社宅があったところは工場になってた。『トラッシュ』や『PAY DAY!!!』を書いたときにもそうだったんだけど、私は必ず頭の中に明確な地図を描いてから書くのね。吉田君もたぶんそうでしょう、例えば長崎を書く時とか。

吉田 ええ、僕もそうですね。

山田 あそこの角を曲がったらあれがあるとか、実際に書かなくても、そういうことをきちんと踏まえているのって重要じゃない?

吉田 ほんとに重要です。そういえば「美流間」っていうのは、何か由来のある地名なんですか。

山田 なぜだかわからないけど、さあ書こうと思ったらすぐに、パッと出てきたの。でも、これはマスターピースにさせるぞっていう小説書く時、そういうことってない? この土地をとことん愛でてやろうっていう感じになった。

吉田 方言も印象的ですよね。東京からきた主人公の仁美は、最後まで方言は使わなくて、僕が郷里の長崎で体験したこととは視点が逆なのが新鮮でした。転校生の言葉の中に東京を探し出す感じとか、その子がみんなと仲よくなってからも頑なに東京弁のままでいたこととか。それを僕は方言の側から見ていた訳です。

山田 方言がわからなかったということが、私の人格形成にものすごく影響していて、小学校の低学年の時は本当にそれが人生の一大事だった訳。使わないといじめられるし、無理して使うと「間違ってる」とか馬鹿にされるし。まあ、ここで落とし前つけたって訳(笑)。

高度成長期

山田 時代としては高度成長期が舞台なんだけど、吉田君はこの頃のことは実感としてはちょっとわからないよね。

吉田 そうですね。『学問』の四人は1962年生まれですね。僕は1968年生まれ。僕の頃にはもう、一応ひととおり何でもあるという状況だったので、その時代のスピード感は感じたことないですね。

山田 あの時代って、バブルの時とちょっと似てるというか、私の父の会社の周りなんか、なにもこんなにしなくていいだろうというぐらいのきらびやかなデコレーションがあったり、そんなこれ見よがしなことをし始めた時代だった。そうするとやっぱり、格差をすごく実感するの。田舎の子はまだ戦後すぐのような暮らしをしていて、都会から来た会社勤めの家の子はまるで本物のお嬢さん、お坊ちゃんみたいな勘違いをされて。私、今まで高度成長期の話ってあんまり読んだことがないけど、肌で知ってるので一度書いてみたいなと思ってたの。

「死にざま」から見た人生

吉田 各章の冒頭が登場人物の死亡記事から始まっていますね。

山田 うん。「蓋棺録」ね。それぞれの死にざま。

吉田 メビウスの輪のように、最初にそれぞれの人生の結末を作るわけですよね。

山田 そう。誰でも必ず死ぬわけで、その死にざまというのが私はすごく気になるのね。生きざまって言葉は、全然好きじゃないんだけど。まず死にざまがあって、そこに行き着くにはどういう生き方で進むんだろうという順番で考えたの。

吉田 今回、全員の死に方が本当に好きでした。

山田 本当? あれは、それぞれが欲望の愛弟子として生きることを全うして死ぬ、ということをさせてやりたいと思って書いたの。

吉田 なんとなくそれぞれ予想していた死に方なのかもしれないけれど、変な言い方ですが、ちゃんと死んでいるなあと思って、読後感が清々しかったんです。

山田 どうもありがとう。死にざまできちんと卒業証書もらいましたということにしてやりたいなと思って書きました。

吉田 それと、主人公たちが死ぬまでの話は一切書かれてないのに、読後、そこが強く残るのは恐ろしいくらいですね。

山田 私、最近とくに、書くことより書かない部分のほうが重要だと思えてきてる。高校時代から死ぬまでのことは書かないで、そのあいだにどういう人生があるのかは読者に委ねているんだけれど、本当は一個しかないんですよね、彼らがたどった道って。私はちゃんとあたりつけてるの(笑)。だけど、書かなくていいんじゃないかなって思って。

性の目覚め

吉田 性の目覚めを女の子の側から書いたものというのは、僕は読んだことがないような気がするんです。

山田 そうね。こういう形で書いた人は誰もいないと思う。どんなに明け透けなセックスの話とかする人でも、それって、男目線じゃない?

吉田 そして、いわゆる男子のそれとはやっぱり全然違うじゃないですか。何かの過程ではなく、儀式になってる。

山田 みんな多分、大人になった女の人は忘れてると思うの。小さな頃にそれを自覚した瞬間とかって。たとえ思い出したとしても、女同士では話さない。

吉田 まあでも、男は怖いですね、読むのは。これを面白がって読めるぐらいにならないと(笑)。

山田 なれるよ。もう少し大人になったら(笑)。図書室に通ってた小さい頃には、そこに並んでなくて、でも、後に出会って口惜しがった本っていっぱいあったの。学校の授業で教えられないものを書くって、小説の大事な役目だから、そういうのをこれからも意識していきたい。

吉田 いや、でも、並ぶんじゃないですか。『学問』だし。「山田詠美」が書くポルノは参考書コーナーに並ぶんですね(笑)。やっぱりすごいことです。ところで、女性の反応はどうですか。

山田 雑誌で読んでくれた読者から「初めて言葉にしてくれた」ってよく言われます。

吉田 全員が真摯に欲望に向かい合っているところが、僕には書けないですね。照れちゃったりするだろうし。

山田 その内照れなくなるって(笑)。でもね、私、小説を書いていてこんなにもデディケーションというのを知ったことはないの。「捧げ物」っていう意味なんだけど。書いているあいだ一か月誰とも会わない、誰とも口利かない。私、声出るのかなと心配になって「あー」とかって言って(笑)。「欲望」という、私のメインテーマに取り組んだ醍醐味と苦しさがありましたね。

吉田 いろんなことが初めて言葉にされた小説なんですね。

(よしだ・しゅういち 作家)
(やまだ・えいみ 作家)
波 2009年7月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

山田詠美

ヤマダ・エイミ

1959(昭和34)年、東京生れ。明治大学文学部中退。1985年『ベッドタイムアイズ』で文藝賞を受賞しデビュー。1987年に『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞、1989(平成元)年『風葬の教室』で平林たい子文学賞、1991年『トラッシュ』で女流文学賞、1996年『アニマル・ロジック』で泉鏡花文学賞、2000年『A2Z』で読売文学賞、2005年『風味絶佳』で谷崎潤一郎賞、2012年『ジェントルマン』で野間文芸賞、2016年「生鮮てるてる坊主」で川端康成文学賞を受賞。他の著書に『ぼくは勉強ができない』『学問』『血も涙もある』『私のことだま漂流記』などがある。

判型違い(文庫)

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