
松本清張の女たち
1,870円(税込)
発売日:2025/06/26
- 書籍
- 電子書籍あり
衰えぬ人気の陰に「女」あり。新たな切り口で読み解く「令和の松本清張」。
雑誌の個性に合わせて作品を書き分けた松本清張が、アウェイの女性誌で書いた小説群に着目。そこに登場する女性主人公たちを、お嬢さん探偵、黒と白の「オールドミス」、母の不貞、不倫の機会均等といったキーワードを軸に考察し、昭和に生きた女たちの変遷を映し出すと同時に、読者の欲望に応え続けた作家の内面に迫る。
女性誌と松本清張
1 初めての女性誌連載
――『神と野獣の日』『大奥婦女記』
2 お嬢さん探偵の誕生
――「張込み」『ゼロの焦点』
3 お嬢さん探偵の限界
――『蒼い猫点』『黒い樹海』『紅い白描』
4 初めての恋愛小説
――『波の塔』
5 転落するお嬢さんたち
――「遠くからの声」『霧の旗』『人間水域』『花実のない森』『翳った旋舞』
6 「婦人公論」における松本清張
――『霧の旗』『影の車』『絢爛たる流離』『砂漠の塩』
7 姦通をサスペンスに
――「箱根心中」『風の視線』『水の炎』
8 社会に向ける視線
――「『スチュワーデス殺し』論」『黒い福音』
昭和の女と松本清張
9 殺す女、殺される女
――「声」「典雅な姉弟」「内なる線影」『強き蟻』
10 素人悪女と玄人悪女
――「一年半待て」「地方紙を買う女」『黒革の手帖』『強き蟻』『けものみち』「疑惑」
11 黒と白のオールドミス
――「馬を売る女」『ガラスの城』『黒い樹海』
12 女性会社員の変遷
――『ガラスの城』「鉢植を買う女」
13 セクハラ全盛期の女たち
――『美しき闘争』『葦の浮船』「距離の女囚」「喪失」
14 覗き見る女、盗み聴く女
――「熱い空気」「統監」「老公」「鴎外の婢」「遺墨」
母と妻と松本清張
15 清張の母、清張が描く母
――『半生の記』「火の記憶」「天城越え」
16 女の欲望はタブーを破る
――「歯止め」「鬼畜」「突風」「指」
17 それでも旅する女たち
――『波の塔』『山峡の章』「見送って」「顔」
18 戦わなかった人にとっての戦争
――『ゼロの焦点』『黒の回廊』「赤いくじ」「黒地の絵」
松本清張の北九州を旅する
あとがき
本書に登場する松本清張作品一覧
書誌情報
読み仮名 | マツモトセイチョウノオンナタチ |
---|---|
装幀 | 一九六四年「清張さん御苦労さんの会」に駆けつけた新珠三千代氏と。/カバー写真、新潮社写真部/撮影、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-398511-2 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,870円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/06/26 |
書評
専業主婦モデルに抗う清張の女たち
松本清張が流行作家として数多くの小説を世に送り出した戦後の高度成長期は、核家族化が進み、男女の役割分担が明確になった時代でもあった。父親は「外」で働いて稼ぎ、母親は「内」で家事や育児に専念する。母親の専業主婦率が最も高かったのもこの時代であった。
それを象徴していたのが、当時の皇太子(現上皇)夫妻だ。子どもたちを里子に出し、乳母に育てさせる皇室のしきたりを廃止し、皇太子妃(現上皇后)自身が3人の子どもたちを育てた。実際には皇太子と一緒に地方を訪れることも少なくなかったが、「内」で家事や育児に専念する皇太子妃の良妻賢母的なイメージは、当時の多くの女性たちにとっての理想像ととらえられた。
よく知られているように、松本清張の小説には長編、短編を問わず、実にさまざまな女性たちが登場する。この女性たちに焦点を当てて清張の小説を分析したのが、酒井順子さんの新作『松本清張の女たち』だ。
本書を読むと、清張の小説で活躍する女性たちの多くが専業主婦とはほど遠い、波乱に富んだ生活を送っていることがよくわかる。清張は自らの小説を通して時代に抗い、専業主婦モデルを解体しようとしていたのではないか。そんな想像すら浮かび上がってくる。
まず本書で惹かれたのは、1950年代から1960年代はじめにかけて、清張が女性誌に小説を連載していた時期があり、そこでの作風は女性の読者を意識していたと酒井さんが指摘していることだ。
その特徴を、酒井さんは「お嬢さん探偵」という言葉を使って説明する。『ゼロの焦点』の主人公、鵜原禎子のように男性とは縁が薄く、欲望をたぎらせることもないのだが、男性の助けを借りながら事件の謎を追う探偵役の女性が、女性誌にしばしば出てくるからだ。
しかし女性誌で小説を連載しなくなる1960年代以降になると、清張はいよいよ「悪女」ものの長編小説を次々に書くようになる。殺し、騙し、不貞をはたらく。金に対して貪欲で、時に権力をも手に入れる。専業主婦とはもちろん、「お嬢さん探偵」とも似ても似つかない女性たちを登場させるわけだ。「お嬢さん探偵」は、『黒革の手帖』の主人公、原口元子をはじめとする「悪女」を大きく成長させる触媒としての役割を果たしたという。
鮮やかな分析である。これを読んで思ったのは、なぜ清張はノンフィクションの分野で昭和史だけに飽き足らず、古代史の研究に手を広げたのかということだ。そこでも清張の関心は女性へと向かってゆく。小説を執筆する傍ら、卑弥呼を女王とする邪馬台国の研究を本格的に始めたのは、十分な理由があったのだ。
清張はこう述べる。「卑弥呼は、鬼神(祖霊)と人間との媒介に立ち、憑依(つきもの)のありさまになって霊言を得ていた。(中略)この「うわごと」のような片言隻句が、いわゆる神の託宣である。卑弥呼はそれによって諸部族を「指導」してきた」(『邪馬台国――清張通史(1)』)。卑弥呼は神に仕えるとともに、諸部族を指導する権力も持っていたとしたわけだ。清張の小説に登場する女性に見られる「お嬢さん探偵」から「悪女」への転換は、邪馬台国の卑弥呼の解釈にも影響を及ぼしていると考えるのは、うがち過ぎであろうか。
それだけではない。清張は「週刊文春」に「昭和史発掘」を連載したころから、古代の邪馬台国のような世界が昭和初期の宮中に残存しているという確信を抱くようになった。そうした確信のもとに清張が最後の気力をふりしぼって描いた遺作こそ、未完に終わった長編小説『神々の乱心』にほかならない。
この小説には月辰会という、昭和初期に宮中とつながり、昭和天皇の弟、秩父宮を皇位に就かせようとする野望をもった架空の教団が登場する。その教主は男性だが、満洲で関係を結んだ「斎王台」と呼ばれる女性、江森静子がシャーマンでありながら権力も握っている。
酒井さんの分析にしたがえば、清張が最後に描こうとしたこの女性こそ、「悪女」の集大成と言うべきだろう。そして清張の筆は、昭和初期の宮中の奥にも同様の女性がいたことをほのめかしている。
本書の終わりで、酒井さんは清張が育った福岡県を旅している。そこで注目されたのは筑豊の炭坑だったが、もう一つ注目すべきは神功皇后ではないか。
同じ九州でも「天孫降臨」伝説の残る宮崎県や鹿児島県とは異なり、福岡県には「三韓征伐」を行うなど、天皇に匹敵する権力を持つとされた神功皇后に関係する伝説や地名や神社が実に多いのだ。『点と線』の冒頭に出てくる香椎宮もその一つである。本書が鮮やかに描き出した、時代にしばられない清張の女性観は、天皇よりも皇后の存在感のほうがはるかに大きい福岡県の風土を抜きにしては考えられないだろう。
(はら・たけし 明治学院大学名誉教授)
波 2025年7月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
酒井順子
サカイ・ジュンコ
1966年東京生まれ。高校時代より雑誌「オリーブ」に寄稿し、大学卒業後、広告会社勤務を経てエッセイ執筆に専念。日本の女の生き方・考え方をテーマに据え、2003年に刊行した『負け犬の遠吠え』はベストセラーとなり、講談社エッセイ賞・婦人公論文芸賞を受賞。30代以上・未婚・子のいない女性を指す「負け犬」は流行語にもなった。古典作品にまつわる著書も数多く、『枕草子』の現代語訳も手がけている。他の著書に『枕草子REMIX』『地震と独身』『源氏姉妹』『百年の女『婦人公論』が見た大正、昭和、平成』『家族終了』『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』『ガラスの50代』『処女の道程』『うまれることば、しぬことば』『日本エッセイ小史 人はなぜエッセイを書くのか』『消費される階級』など多数。