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1950年のバックトス

北村薫/著

1,650円(税込)

発売日:2007/08/22

  • 書籍

忘れがたい面影とともに、あのときの私がよみがえる――。

一瞬が永遠なら、永遠もまた一瞬。過ぎて返らぬ思い出も、私の内に生きている。秘めた想いは、今も胸を熱くする。大切に抱えていた想いが、解き放たれるとき――男と女、友と友、親と子、人と人を繋ぐ人生の一瞬。「万華鏡」「百物語」「包丁」「昔町」「洒落小町」「林檎の香」など、謎に満ちた心の軌跡をこまやかに辿る二十三篇。

目次
百物語
万華鏡
雁の便り
包丁
真夜中のダッフルコート
昔町
恐怖映画
洒落小町
凱旋


手を冷やす
かるかや
雪が降って来ました
百合子姫・怪奇毒吐き女
ふっくらと
大きなチョコレート
石段・大きな木の下で
アモンチラードの指輪
小正月
1950年のバックトス
林檎の香
ほたてステーキと鰻

書誌情報

読み仮名 センキュウヒャクゴジュウネンノバックトス
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-406606-3
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,650円

書評

波 2007年9月号より 2007年の巴投げ  北村 薫『1950年のバックトス』

桜庭一樹

 その昔、北村薫という人は、覆面作家だった。『空飛ぶ馬』でデビューして、円紫さんシリーズが人気になったころ、わたしはちょうど高校を卒業した辺りで、ヒロインと年が近かった。少女小説を卒業して大人向けの本ばかりを読み始めたころで、自分と年齢の近いヒロインに感情移入できるこのシリーズにすぐ飛びついた。
 若い女性の繊細な心のうつりかわり、そのさりげなくもかわいらしい描写の数々に、果たして覆面作家の北村薫は、男か女か、そのころは誰もわからず、読みながら、みんなしてああでもない、こうでもないと考えていたように思う。わたしはというと、じつは、女の人じゃないかなぁ……と思っていた。彼の人が描写する、女性の心理や、静かで凜とした生き方は、異性から望まれる“女としての魅力”とは隔たった、わたしたちだけが知っていて、こっそりと大事にしているはずのものだった。話の輪に異性がいるときは見せない、女どうしで静かに話しているときや、自分ひとりでいるときだけの姿が書かれていた。だから、女の人だろうなぁと思っていたのだけれど、一方で、でも男の人だったらいいナァ……、ともちょっと考えた。だって、素敵じゃないか。そういうふうに女性がよく見えてる人が、もしもいたら。
 やがて、この覆面作家が実は男性だとわかって、わたしは密かに、ヤッタ、と思った。でも学校の先生だとわかって、じつはちょっと、エー、と思った。(わたしは学校の先生がけっこう苦手だった。でも、こんな先生もいるんだ、と思うことにした)そのうち覆面作家シリーズも始まり、『スキップ』や『ターン』も出た。以来、彼の人の長編小説と連作短編をずっと読み続けてきた。なにしろ登場人物が魅力的なので、その愛すべきキャラクターを追いかけるようにして、長い物語もどんどん読み進めてしまうのだ。
 おや……、短編が……すごいぞ、読むべし読むべし、と気がついたのは、非常に遅ればせながら、つい昨年のことだった。短編集『紙魚家(しみけ)崩壊』を読んで、静かな恐ろしさに、心の底からぞくぞくしたのだ。こ、これは、たいへんだ……と思っていたら、今年になってこの『1950年のバックトス』が出た。一九九五年から今年まで、さまざまな媒体で書かれた二十三篇を集めた短篇集だ。
 北村薫の短編からは、真夜中の匂いがする。夏の、丑三つ時。生温かい風が、二階の花柄のカーテンを揺らしている。虫の音。階下から漏れ聞こえる、誰かの囁き声。二階の、窓が開いて、なにかが入ってくる――。
 読むととてつもなく怖い思いをするけれど、それは紛れもなく、小説の怖さなのだ。映画や、漫画や、音楽や、ほかのジャンルにはけっしてできない、小説だけがもつ力だ。作家のもとを、万華鏡を手にした女がフラリと訪ねてくる「万華鏡」。海で夫が溺れて以来、追跡恐怖症になったM夫人を追跡しようとする「秋」。あくまでも静かな筆致から、夜の魔物のような、形のないモワモワしたものが立ち昇って、本から、読んでいる自分に乗り移り、首を締めつけてくるようだ……。小説の穴に転がり落ちるような、素晴らしい読書体験。
 一方で、孫の少年野球を見学したことから、祖母の青春時代が熱く蘇る表題作「1950年のバックトス」。娘が独り立ちし、一人暮らしになった壮年女性の静かな日常を描いた「ほたてステーキと鰻」は、長編ではすっかりお馴染みになっている、女性キャラクターの魅力に引っぱられて、おぉ、わたしの知っているあの子達が、元気に年を取って、壮年に、老年になっているみたいだ、がんばれ、とうれしくなる。宮部みゆき氏との会話から発生した日常の謎を、秋月りす氏の漫画をヒントにヒョイと解き明かしてみせる、落語仕立てのミステリー「真夜中のダッフルコート」も、楽しくて仕方ない。
 しかし、どれか一篇を選びなさい、と言われたら、迷わずこれを選ぶ。片目が不自由だという噂だけで、会ったことのない女に恋したS***氏を巡る物語「眼」だ。これだけ短い枚数で、一本取られて、びっくりした。武道の達人にふいに巴投げされて、知らないうちに床にのびたような気持ちのよさだ。それに、この筆致。むせるほどに濃い、真夜中の湿った匂い。北村薫はすごぅく怖い……。これがいっとう好きだ。



(さくらば・かずき 作家)

著者プロフィール

北村薫

キタムラ・カオル

1949年埼玉県生まれ。早稲田大学ではミステリクラブに所属。1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『太宰治の辞書』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』『ひとがた流し』『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』『1950年のバックトス』『ヴェネツィア便り』『いとま申して』三部作『飲めば都』『八月の六日間』『中野のお父さん』『遠い唇』『雪月花』『水 本の小説』(泉鏡花文学賞受賞)などがある。読書家として知られ、『謎物語』『ミステリは万華鏡』『読まずにはいられない 北村薫のエッセイ』『神様のお父さん――ユーカリの木の蔭で2』など評論やエッセイ、『名短篇、ここにあり』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』新潮新書『自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。2016年日本ミステリー文学大賞受賞、2019年に作家生活三十周年記念愛蔵本『本と幸せ』(自作朗読CDつき)を刊行。近著に『中野のお父さんと五つの謎』。

判型違い(文庫)

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