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忘れないでいて。かけがえのない場所、かけがえのない人のことを。今、読みたい一冊。

春になったら莓を摘みに

梨木香歩/著

1,404円(税込)

本の仕様

発売日:2002/02/25

読み仮名 ハルニナッタライチゴヲツミニ
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 190ページ
ISBN 978-4-10-429902-7
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、ノンフィクション、ビジネス・経済
定価 1,404円

児童文学者の著者が英国で二十代の学生時代を過ごした下宿の女主人ウェスト夫人や様々な人種の住人たちとの騒動だらけだがとびきりの日々。夫人の「理解はできないが受け容れる」徹底した博愛精神と時代に左右されない手仕事や暮らしぶりは、生きる上で大事なことをそっと心に落としてくれる。この時代に静かな共感を呼ぶ九章。

著者プロフィール

梨木香歩 ナシキ・カホ

1959(昭和34)年生れ。小説に『西の魔女が死んだ』『丹生都比売(におつひめ)』『エンジェル エンジェル エンジェル』『裏庭』『からくりからくさ』『りかさん』『家守綺譚』『村田エフェンディ滞土録』『沼地のある森を抜けて』『ピスタチオ』『僕は、そして僕たちはどう生きるか』『雪と珊瑚と』『冬虫夏草』『海うそ』『岸辺のヤービ』など、またエッセイに『春になったら莓を摘みに』『ぐるりのこと』『渡りの足跡』『不思議な羅針盤』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』などがある。

書評

波 2002年2月号より 子ども部屋をでて  梨木香歩『春になったら莓を摘みに』

神沢利子

 親愛なるK、あなたの新作を拝見しました。作中のウェスト夫人に倣ってわたしは作者によびかける。

 書名を見た瞬間、わたしのうちに北国の丘のべで苺を摘んでは舌を鳴らした幼年の日が、はだかの腕や肢にちくちくするトゲの感触とともに蘇りました。初めての本を開く時いつも感じるときめきにも、苺の匂いのようなあえやかな切なさがあったのですが、それは第一章の冒頭、二十年ぶりに移り住んだあなたのイギリスの家の庭に囀るミソサザイや、リスたちの風景、それまででした。

 これはそんなのどかな本ではなかった。それも当然でした。しなやかな感性で描いた思春期の少女とイギリス人の祖母の物語『西の魔女が死んだ』で、児童文学の世界に清新な風をもたらしたあなたは、以後も次々に異色作を発表し続けた。その人が今、単に牧歌的なだけの作品を書くはずはなかった。読むうちに、わたしの面持ちは変っていったと思います。

 ここに描かれたものは、その人自身の生を否応なく引受けて生きねばならぬ人間の鮮烈なドラマでした。その中で必要に応じての援助を惜しまず、ある時はとりなし、ある時は手を束ねてそれらを見守る(決して見放すことなく)ウェスト夫人にあなたの目ざしが重なって見えます。

 それにしても夫人のもとには何とユニイクな個性の人びとが集っていることか。後に王様となった誇りたかきナイジェリアン、アダとそのファミリー、コソボ難民の孤児で盗みを悪行とは露思わぬ姉弟、正体不明の刑務所帰りの男などなど。こう並べただけでどんな騒動が巻きおこるやら…。事実大らかな夫人も時には愚痴もこぼし、嘆きもしたようですが、変らぬもてなしを続けた。これらの人びとを抱く夫人の腕は神話の巨人の母よりも逞しい。全篇を通じてたしかな存在感を与える彼女は、学生時代のあなたの担当教官であり下宿の女主人でもあったのですね。児童文学者だった彼女との交流は帰国後も続き、この度のイギリス滞在で、お互いが更に濃密な時間をともにした。この九篇の短篇に登場する人びとは、それぞれが自分自身の生をくっきりと生きています。そのひとつひとつは深くしずかな感動でわたしを満たしました。そしてウェスト夫人が登場しない作品の中にも通奏低音のように彼女の気配が流れています。

 夫人にすすめられて旅の途中立ちよった村で、あなたはその風景に懐しい風を感じた。子ども部屋へ通じるような風とあなたは書いている。無力な子どもであることへの劣等感と屈辱の思いから逃れられなかったというあなた。子ども部屋は未熟な自分をさらけだせる場所でもあるのですよね。わたしにとっても苺摘みということばは子ども部屋へ通じる風だった。子ども部屋をでて大人になっても、人は折にふれてそこへ戻る。子どもの抱く孤独とやるせない無力感、それと見事に背中合わせの輝く好奇心や溢れる活力、それらを手に入れて人は現実の暮らしに戻るのです。

 そして子ども部屋をでたK、あなたはイギリスに向かい、そこでウェスト夫人と出会い共に暮らし始める。そうだった。処女作中、少女と暮らしてその回復に力をかしたイギリス人の祖母、彼女は西の魔女とよばれていた。ウェスト夫人と西の魔女、子ども部屋とそれを思わせる場所に吹く風のように、二人の間にはふしぎな風が通うようだ。

 底抜けのお人よしでありながら思慮深く、行動力も抜群のウェスト夫人は沢山の顔を持つ。だがその中に確固としてゆるがぬもの、それは父ゆずりの平和と平等を愛する心、どんなに理解できなくとも、相手を認め受け容れること、すべてはそこから始まるのだ。

 大空に枝をひろげる大樹のように夫人は自分たちの生きる大地の上にしっかりと立っている。そして傍に立つしなやかな木はあなたかしら。あなたの大作『裏庭』の照美、暗黒の迷宮で苛酷な斗いを斗って満身創痍の少女は、実に毅然としていました。彼女とあなたが重なって、わたしはいたいたしい思いをおさえられませんでした。しかし今、あなたは年輪を加え成熟して、枝えだにみどりの葉を繁らせて立っています。ウェスト夫人とはスケールがまるで違うこのわたしは、こんなことば足らずの文しか書けない。それが力相応のところにしても。でも、市井の人としてウェスト夫人がこの世に在ること、それこそが、わたしたちの大きな喜びです。こんな時代だからこそ!

(かんざわ・としこ 児童文学者)

▼梨木香歩『春になったら莓を摘みに』は、発売中

判型違い(文庫)

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