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方舟を燃やす

角田光代/著

1,980円(税込)

発売日:2024/02/29

  • 書籍
  • 電子書籍あり

オカルト、宗教、デマ、フェイクニュース、SNS。あなたは何を信じていますか?

口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、今日をやり過ごすことが出来ないよ――。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。

書誌情報

読み仮名 ハコブネヲモヤス
装幀 津田周平/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 432ページ
ISBN 978-4-10-434608-0
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,980円
電子書籍 配信開始日 2024/02/29

書評

自分の考えを縛る、「役割」という幻想

逢坂冬馬

 角田光代の最新長編作である本作は、1967年に鳥取で生まれた柳原飛馬と、1950年代生まれの望月不三子の二人を主人公として、その二つの人生を交互に追う人間ドラマであり、二人の視線から現代へと至る世相の変化を克明に描き出す、戦後日本の物語でもある。世相と人間の心理の両面を巧みに描写する作者の筆致は鮮やかの一語であり、また、随所に登場する脇役たちも、その語られ得ぬ部分を含めて、存在感とリアリティがすさまじい。読後は、まるで本当の知り合いの半生を、当事者の語りで振り返ったように感じた。
 それぞれに困難を抱えつつも懸命に生きる二人は、まったく別々の人生を歩みながら、当時世間を騒がせた「不穏さ」に直面する。ノストラダムスの大予言、未来さん、コックリさん、戦士症候群、カルト教団……。不気味な存在に当惑しつつもそれぞれに大人になり、ある種の挫折を経験した主人公たちは、元号が二度変わった頃に初めて出会う。その時代とは、新型ウイルスが蔓延し、偽情報が飛び交う、新たな「不穏さ」の時代であった。
 インターネットメディアの発達と共に、陰謀論者の言説を目にする機会は増えた。特に作中にも登場する2020年頃は、アメリカ大統領選挙と新型コロナウイルスの蔓延を機に身近な親族が陰謀論に傾倒するケースが相次いで、それらが社会問題として語られたことは記憶に新しい。
 そのような陰謀論者は、往々にして「正常な自分たち」とは異なる世界観の元に生きている、愚かで異常な集団と語られがちである。しかし、陰謀論やフェイクニュースといった要素が多く登場するにもかかわらず、本作に「愚かで異常な」人間は、ほとんど登場しない。たとえば望月不三子は、講習会を通じてある食事法に共鳴する。内容は似非科学的であり、白米や肉を一切排除する手段は極端だが、そこに傾倒する理由は家族の健康を願うごく健全なものだ。その後不三子が訴える主張も、一部――たとえば「子どもはファストフードの味の虜になりやすく、親はそれを避けるべき」という考えなどは――概ね正しいように思う(実際、日本マクドナルドの創業者は「人間は12歳までに食べてきたものを一生食べ続ける」と主張し、子どもをターゲットにする商法をあけすけに語っていたのだし)。
 片や飛馬はバブルの世相に浮かされることもなく、公務員となりボランティアに参加して子ども食堂に協力する、大変立派な生き方をしている。また、ある場面で述べる「ワクチンを打つかは自分で考えて決めよう」という趣旨の発言も、本来的にはごく普通のことである。愚かでも異常でもない二人の行動は、しかし思わぬ波乱を呼び、それぞれの家族を傷つけ、やがて自身をも傷つけてゆく。
 正しくあろうとする二人の主人公を混乱させているのは、ある種の「役割」であると感じた。たとえば不三子が傾倒する食事法の講師、勝沼沙苗は、常に親身になって不三子の相談に乗るし、回答の内容は一見とても優しいものに見える。しかしその思想は「男性と女性の役割を混同してはならない」「食には女が責任を持つ」というジェンダー化された家庭観に立脚している。その後不三子は育児の過程で、母親にのみ責任が押しつけられる理不尽さに苦しむのだが、自らが縋る勝沼の思想が、その理不尽なジェンダーロールを前提としていることには疑問を持てない。
 また幼少期に「災害から多くの人を救った英雄的な祖父」の話をくり返し聞かされた飛馬は、祖父に恥じぬ英雄になることが自らの責務だという呪縛から、時節に応じて英雄的行動をとることはできないか、と考え続けている。
 社会に対して積極的に関与し、自分自身で考え、行動しようとすることは重要であり、そして人の役に立ちたいと考えることは尊いことだ。しかしそこで自分を過度に束縛する「役割」が、「自分自身で考える」行為そのものを歪めてはいないだろうか。
 その歪みを経験するのは、二人の主人公だけではない。あまりの無気力さによって不三子を常に嘆かせていた彼女の母もまた、時代の下に与えられた「役割」によりかつて大きく道を誤り、自身も傷ついたことが示唆される。
 自主的に考え、他者に対して貢献しようとする彼らには、しかし、いずれにも絶対的規範が存在する。そして彼らは「規範に与えられた役割」を果たす、という使命感により行動する。それは尊敬の念や連帯感を持つ以上、誰もが陥りかねない、上限の設定された自主性であり、神に命じられたがために方舟をつくり、言われた範囲のものを救ったノアの主体性とも重なる。
 過去も、現代も、未来も、我々は玉石混淆の情報の雨を浴び、不安という名の奔流の中を生きている。誰かに自らのすべきことを明確に決めてほしい、と考えることも自然だろう。しかしその欲求こそが、自己の思考を押し流す。
 自らの思考を束縛する、与えられた「役割」に疑問を抱いたとき、人は己が乗せられた方舟を燃やし、自らの足で乾いた世界を踏みしめることが出来るのかもしれない。

(あいさか・とうま 作家)

波 2024年3月号より
単行本刊行時掲載

「認知的不協和」の世界

最相葉月

 コックリさん、口さけ女、ノストラダムスの大予言、文通、マクロビオティック、ファストフード、テレクラ、母原病、新人類、カルト、大地震、パンデミック、自粛、反ワク、炎上……、時代を映す言葉が次々と登場する。
 1967年から2022年の話なので、交互に置かれる二人の主人公、柳原飛馬と望月不三子の言葉と行いと考えが、なじみのあるものとして、私の内側にどんどん流れ込んでくる。あの時、私はどうだったか、具体的に、はっきり思い出せる。いや待て、私は何を読まされているのかと思う瞬間もあるが、二人のゆく末を早く知りたいという期待が、深く考える暇を与えない。引き込まれていく。
 飛馬は1960年代、山陰の小さな町に生まれる。川の水が赤いのは銅山の影響だが、幼い飛馬にはわからない。祖父が地震を予知して多くの命を救ったことが父親の自慢だ。雑誌の文通コーナーで知り合った人の手紙に、川の色はノストラダムスの大予言にある恐怖の大王の警告ではないかとあった。兄が無線に夢中なのは、地球滅亡から助かる方法を知るため情報交換しているからだろうと思った。
 小学六年のとき、母を自死で亡くす。自分の言動が原因ではないかと思うが、誰にもいえない。亡くなる直前、祖父の話は嘘だといわれたことが忘れられない。
 東京生まれの不三子は団塊の世代。高校二年で父親を亡くしたため大学進学をあきらめて就職するも、見合い結婚で退職。モーレツ・サラリーマンの妻として、娘、息子の母として家族を支えてきた。料理教室に通い、肉や乳製品や化学調味料を使わないマクロビオティックを学ぶ。子育てに無関心だった自分の母親と違って講師の沙苗の言葉は力強く、こんな人が母親ならよかったのにと思う。
 子どもには玄米弁当を持たせ、夫には普通の食事をつくる。息子には白飯を食べさせてやってくれと義母に泣かれたからだ。ワクチンにも慎重で、娘の接種をめぐって夫に責められる場面もあるが、母親というだけですべての責任を妻に押しつける夫が不三子を理解することはない。
 飛馬と不三子の共通点は、ひとり親家庭だったこと。世がバブルに浮かれても、生活に忙しい。公務員となった飛馬はある日、幼なじみの美保がカルト教団のビラを配っていたと知る。毒を流す計画があるから水道水を飲むなと美保から連絡をもらい、疑いながらも気になっている。
 大地震やカルト教団のテロ、連続殺人など世紀末を思わせる出来事が続くが、災難はすべての人を等しく襲うわけではない。それよりも不三子は、「あと四か月で世界が終わるとしたら、この家で終末を迎えたくありません」と書き置きを残して家を出た娘、湖都が心配だった。
 飛馬と不三子の人生が交わるのは、現代の子ども食堂である。自分が必要とされることに、二人はかすかな昂揚感を覚えている。不三子はいつも一心不乱に食べる少女が心配でならないが、突然のパンデミックがようやく繋がった糸を断ち切る。外で何が起きても直接影響を被ることのなかった市井の人々がすべて、等しく襲われた禍である。
 外出が制限され、人々の関心は自ずとSNSに向かう。デマが飛び交い、陰謀論が不安をあおる。見たい情報、信じたい情報しか見えなくなる。食堂のアカウントを担当する飛馬は、「少しでも不安があるのなら、打たなくてもいいんじゃないかな~!?」とツイートし、炎上する。
 地球滅亡の予言前と後を描くこの小説はまさに、社会心理学者フェスティンガーが提唱した「認知的不協和」の世界だ。心理学者が目撃したのは、円盤が助けに来るという予言が外れた後、自分たちが祈ったから滅亡を逃れられたと主張して信仰を深めた人々だった。予言は外れて不協和が広がるが、その不快感を解消しようとしてかえって信念は強化される。この逆説的現象を誰が嗤えるだろう。これこそ私たちの現実。ワクチン陰謀論者となった湖都も、軍国の教師だった不三子の母も、いつかすれ違った人。よい食事が幸せを招くと信じるのも、ネット情報に右往左往するのも、そうすることでしか他者と繋がれない私たちの姿。「しかたがなかったじゃないか。何がただしいかなんて、みんな知らなかったんだから」。不三子の言葉に慰められるのは、母の死にもがき苦しむ飛馬だけではない。
 コロナという大きな禍が終息しつつある今、また私たちは予言されない未来に怯え、周囲との摩擦を繰り返しながらも信じられる何かを求めてやまない。信じれば救われるというなら、信じたい。でも自分だけ「方舟」に乗ってどうなるのか。暴風雨の中、ずぶ濡れになって駆けていく飛馬と不三子の背中にかすかな光を探す。

(さいしょう・はづき ノンフィクションライター)

波 2024年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

角田光代

カクタ・ミツヨ

1967年神奈川県生れ。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。1996年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、2005年『対岸の彼女』で直木賞、2006年「ロック母」で川端康成文学賞、2007年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、2011年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、2012年『紙の月』で柴田錬三郎賞、『かなたの子』で泉鏡花文学賞、2014年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞、2021年『源氏物語』(全3巻)訳で読売文学賞(研究・翻訳賞)を受賞。著書に『キッドナップ・ツアー』『くまちゃん』『笹の舟で海をわたる』『坂の途中の家』『タラント』他、エッセイなど多数。

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