中曽根康弘が語る戦後日本外交
3,080円(税込)
発売日:2012/10/26
- 書籍
常に外交の現場に居合わせ、重大な決断を下した人生を振り返り、将来の日本の指針を示す。
終戦後、青年政治家として抗した吉田茂の対米依存外交。閣僚や党幹部の立場で取り組んだ日米安保条約、沖縄返還、石油危機。そして、首相期に築いた史上最強の対米・中・韓関係とソ連崩壊――。戦後外交の流れを全て知る大政治家が、気鋭の研究者七名とのインタビューを通し、首脳間で交わされた激論や外交交渉の裏側を語り尽くす。
小学校時代の関心
世界恐慌と日本の孤立
中学・高校時代の関心
旧制静高の寮祭
東京帝国大学の教授陣
海軍経理学校と開戦
微用工員の大奮闘
緒方竹虎と面会
内務省に復員
役所に辞表を提出
初出馬
『修正資本主義と社会連帯主義』
新憲法の制定
戦前の議会政治家に対する評価
初の外国視察と朝鮮戦争
マッカーサーへの建白書
海軍OBと独立自衛研究会
対アジア関係の再構築
講和条約と安全保障条約
沖縄の処遇と台湾の承認
吉田外交の総括
Y項パージと追放解除
福田赳夫の第一印象
改進党時代の協同主義
自主外交路線を提唱
革新的保守主義の主張
改進党の防衛政策
ハーバードでのスピーチ
改憲・再軍備論
『日本の主張』で訴えたこと
旧軍関係者との交流
芦田均の評価
保守合同への動き
重光と語り合った安保改定案
日ソ国交正常化
鳩山外交の評価
核兵器保有に対する岸の見解
東南アジア・中東歴訪
独自のアジア政策の必要性
科学技術庁長官としての初入閣
安保条約の改正
ケネディの衝撃
南極に掲げた日章旗と日の出山荘
池田自民党内の状況
日韓国交正常化の動き
韓国の本音と「竹島密約」
親台湾派と親中派
アジア・アフリカ会議一〇周年記念式典
ベトナム戦争に対する見解
文化大革命時代の中国
日ソ新航空協定交渉
日本の対韓援助
池田勇人、佐藤栄作の核認識
佐藤首相の非核三原則
日米の新しい親善関係を提起
若泉敬
佐藤・ニクソン共同声明
核密約
自主防衛五原則
核搭載艦の寄港に対する認識
防衛庁長官として訪米
「非核中級国家」
沖縄訪問と三島由紀夫のこと
在日米軍の整理統合と「KB論文」
レアード米国防長官の来日
ニクソン・ショック
田中政権の日中国交正常化
韓国とオーストラリアを訪問
周恩来という人物
エネルギー自主開発政策
アラビア石油と「日の丸原油」
第一次石油危機
「暴虎馮河」
エネルギー・ワシントン会議
田中首相の外交観
冷戦構造の緩和と自主外交
『宰相吉田茂』
三木政権の党幹事長として
坂田道太防衛庁長官
防衛計画の大綱
ロッキード事件の情報開示
福田首相の「全方位外交」
日中平和友好条約の締結
ソ連の軍備増強とSS-20配備
七〇年代後半の安全保障構想
大平正芳という人物
第二次大平内閣の対中政策
胡耀邦、趙紫陽と会う
「全方位外交」から「西側の一員」へ
鈴木政権下の日米関係
第一次歴史教科書問題と宮澤談話
「一〇〇〇海里戦略」
宮澤官房長官の存在感
鈴木首相の辞意表明
首相就任前の新政権に関する政策メモ
中ソ関係改善の流れ
最優先課題だった日韓・日米関係
訪韓優先の理由
晩餐会での韓国語スピーチ
レーガンとの初の首脳会談
「不沈空母」発言
「戦後政治の総決算」
各国との政治対話
政権初期の対ソ連・北朝鮮外交
東南アジア歴訪
ミッテラン大統領の反対
ソ連のSS-20極東移転撤回
大韓航空機撃墜事件
アメリカの対中技術移転とコール西独首相の来日
胡耀邦来日
一九八四年年頭の靖国参拝
熱烈歓迎された訪中
中曽根・レーガン連続訪中
パキスタン・インド歴訪
ロンドン・サミット
昭和天皇の近衛観
全斗煥来日
戦後処理を総括
日越の対話拡大
対ソ対話の拡大
平和問題研究会
ゴルバチョフとの関係
大洋州諸国訪問
日朝貿易事務所開設案
終戦四〇年、八月一五日の靖国公式参拝
昭和天皇の発言主旨
胡耀邦の立場
日航機墜落事故
防衛費対GNP比一%枠
プラザ合意
国連演説
ニューヨーク緊急サミット
訪ソ発言の意図
対ソ交流に対する考え
日米貿易摩擦
前川レポート
第二次教科書問題
靖国参拝を見送った背景
ゴルバチョフのウラジオストク演説
藤尾文部大臣の罷免
講演発言の波紋
キャンプ・デービッド日米首脳会談
一九八六年のレイキャビク会談
一九八七年の東欧訪問
胡耀邦の失脚
栗原防衛庁長官の訪中
ベネチア・サミット
ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム
ソ連の譲歩
掃海艇派遣問題
FSXと兵器国産問題
政権期全体を振り返って
官邸機能の強化
対米自主路線
インテリジェンスの必要性
ジャパン・バッシング
安倍外相と岸信介
ゴルバチョフ会談とリトアニア訪問
日米欧三極委員会
冷戦終結
平和と軍縮
湾岸危機と人質解放
サダム・フセインとの会談
PKO法と自衛隊の海外派遣
エリツィンへの提案
冷戦後の安全保障構想
河野談話と村山談話
橋本政権・小渕政権
一九九〇年代の日中関係
中台関係に対する認識
領域警備法
金融危機
アメリカのイラク戦争
小泉外交
集団的自衛権と常任理事国入り
二〇〇七年の訪中と胡耀邦の思い出
民主党政権の誕生
核密約の存在
外交の判断基準
国内の米軍基地
吉田政治からの脱却
アメリカ大使の対日活動
安保条約と非核三原則
アジア外交の思い出
総理総裁の任期延長問題
世界平和研究所
外交文書と資料公開
日本の主体性とめざすべき目標
資料 「日本の民主主義の諸問題」
年表:含渡航履歴
人名索引
書誌情報
読み仮名 | ナカソネヤスヒロガカタルセンゴニホンガイコウ |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 672ページ |
ISBN | 978-4-10-468702-2 |
C-CODE | 0031 |
ジャンル | 政治 |
定価 | 3,080円 |
書評
波 2012年11月号より 戦後日本外交の生き字引
次から次へと、いずれも大事で深刻な話題がやつぎばやに移って行くので、聞き手(読者)はいっときもボンヤリして居れないのだが、不思議に引き込まれて、終わり迄一気に読まされてしまう。それだけ、知的興奮に満ちているのである。
話題が豊富で多岐に亘っているために、興味がつきないというだけでなく、外交とは何か、また日本や諸外国の政治家とは如何なる人間かについて、語り手の率直な考えが、具体的事例について述べられているので、平板な歴史教科書などからは得られない活きた知識が身に付いたと読者は実感するであろう。
戦後日本の政治と外交について知るだけでなく、それについての経験を語ることを通じて、おのずから語り手である中曽根康弘という政治家の人物像が鮮明に浮かび上がってくるという妙味がある。つまり本書の主題は二つあって、一つは中曽根康弘という戦後日本を代表する一人の政治家とは如何なる思想の持ち主であるかであり、二つ目は戦後日本外交である。
圧巻は首相時代の中曽根外交、なかでもウイリアムズバーグのサミットで、アメリカのレーガン大統領と組んで、「東西の安全は不可分」と堂々と主張し、ソ連によるSS-20極東配備の阻止に成功した話であるが、首相在任以前、以後の諸事件についても中曽根氏の視点から見た解釈と評価が各所に展開されていて、その意味で、吉田政治以来、民主党政権下の外交に至る、戦後日本の全時期を通した一貫した物語となっている。例えば、胡耀邦相手の対中外交、全斗煥相手の対韓国外交、更には核兵器搭載の艦船の寄港をめぐる日米の暗黙の合意(所謂「密約」問題)など、今日の日中関係、日韓関係そして日米関係を考える際にも参考とすべき、多くの貴重な証言が含まれている。
全体のトーンは、吉田茂の「対米一辺倒」批判と、吉田政治からの脱却をめざす鳩山・重光・岸らの系譜につながる「自主外交」論だが、吉田政治のトータルな否定ではなく、それを「占領下という特別な時代の産物」として是認した上での批判であって、そこに中曽根氏の歴史を見る確かな眼を感じ取ることができる。
中島琢磨氏ら7人の気鋭の研究者たちは、日本やアメリカの公開公文書・記録に目を通した上で、適切な質問をし、中曽根氏から回答を引き出すことに成功している。
私見では、今後10年、日本外交は嵐の時代を迎えるだろうから、その時代に備えるためにも、本書は必読の書であり、日本国民のできるだけ広い層が、本書を熟読して欲しい。
読者には、余り予断を持たずに虚心に読んでもらいたいので、内容について立ち入った紹介は避けるが、所謂東京裁判史観については「要するに勝った者が負けた者をお仕置きしているようなもの」だとしながらも、「大東亜戦争は、米英に対しては普通の戦争だが、アジアに対しては侵略的要素があった」という認識を示し、戦勝国の裁判(極東軍事法廷)が急展開したために、国民的検証の機会を逸したのが残念だと論じ、自主的歴史検証の必要性を強調しているのが、印象的である。
国家戦略の在り方については、防衛庁長官当時「国防の基本方針(1957年)」の改定を提起したが反対が多くて実現しなかったことに触れ、日本の防衛当局者には「外交と防衛を一体に国家戦略を考えるという視点が欠けていた」と批判しているのが、大変大事な指摘である。
今の時点で読者の関心を惹くのは、尖閣問題についての以下のようなやりとりであろう。1978年の日中平和友好条約締結時の自民総務会での「尖閣列島に人を送り込んで、日本の領有権を明確にすべし」という中曽根発言について質問され、「これは実効支配をしているわけですから、もちろん当然のことです」と受けている。なお、この尖閣問題については、その後、インタビューのなかで、もっとニュアンスに富んだ発言があることも言い添えて置く。
著者プロフィール
中曽根康弘
ナカソネ・ヤスヒロ
1918(大正7)年群馬県生れ。東京帝国大学法学部卒業後、内務省入省。海軍主計少佐、警視庁監察官等を経て、1947(昭和22)年衆議院議員に当選。1959年科学技術庁長官、1967年運輸大臣、1970年防衛庁長官、1972年通産大臣、1980年行政管理庁長官等を歴任し、1982(昭和57)年内閣総理大臣に就任。首相在職日数は1806日。著書に『青年の理想』『日本の主張』『新しい保守の論理』『中曽根康弘句集』『政治と人生』『天地有情』『自省録』『保守の遺言』他。公益財団法人世界平和研究所会長。
中島琢磨
ナカシマ・タクマ
1976年生れ。鹿児島大学法文学部卒、九州大学大学院法学府博士後期課程修了。博士(法学)。龍谷大学法学部准教授。著書に『現代日本政治史3 高度成長と沖縄返還 1960~1972』(吉川弘文館、2012年)など。
服部龍二
ハットリ・リュウジ
1968年生れ。京都大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(政治学)。中央大学総合政策学部教授。著書に『広田弘毅』(中公新書、2008年)、『日中歴史認識―「田中上奏文」をめぐる相剋 1927-2010―』(東京大学出版会、2010年)、『日中国交正常化』(中公新書、2011年)など。
昇亜美子
ノボリ・アミコ
慶應義塾大学法学部卒、慶応義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(法学)。政策研究大学院大学客員研究員、慶應義塾大学非常勤講師。主要論文に「ベトナム戦争――パックス・アメリカーナの変容と日米関係」(『「戦争」で読む日米関係100年―日露戦争から対テロ戦争まで―』朝日新聞出版、2012年)など。
若月秀和
ワカツキ・ヒデカズ
1970年生れ。同志社大学法学部卒、立教大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。北海学園大学法学部教授。著書に『「全方位外交」の時代―冷戦変容期の日本とアジア 1971~80年―』(日本経済評論社、2006年)、『現代日本政治史4 大国日本の政治指導 1972~1989』(吉川弘文館、2012年)など。
道下徳成
ミチシタ・ナルシゲ
1965年生れ。筑波大学第三学群国際関係学類卒、ジョンズ・ホプキンス大学(SAIS)修士・博士課程修了。博士(国際関係学)。政策研究大学院大学准教授、同安全保障・国際問題プログラムディレクター。著書に『North Korea's Military-Diplomatic Campaigns, 1966-2008』(Routledge,2009)など。
楠綾子
クスノキ・アヤコ
神戸大学法学部卒、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。関西学院大学国際学部准教授。著書に『吉田茂と安全保障政策の形成―日米の構想とその相互作用 1943~1952年―』(ミネルヴァ書房、2009年)など。
瀬川高央
セガワ・タカオ
1977年生れ。札幌大学経済学部卒、北海道大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。北海道大学公共政策学研究センター研究員。主要論文に「『ロン・ヤス』時代の平和と軍縮」(『年報 公共政策学』第4号、2010年3月)、「冷戦末期の日米同盟協力と核軍縮」(『国際政治』第163号、2011年1月)など。