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今年度ノーベル文学賞! ル・クレジオ、弱冠23歳での衝撃のデビュー作。

調書

J・M・G・ル・クレジオ/著 、豊崎光一/訳

2,160円(税込)

本の仕様

発売日:2008/11/28

読み仮名 チョウショ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 318ページ
ISBN 978-4-10-510615-7
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,160円

軍隊から脱走したのか、精神病院から逃げ出したのか、自らも判然としないアダム・ポロ。最初の人類の名をもつ不思議な男が、太陽の激しい眼差しの下、動物園の牝ライオン、犬、白ねずみ、さまざまなものとの同一化をはかりながら、奇妙な巡礼行を続ける――「異邦人」のカミュ以来の輝かしいデビューを飾った特異なる長篇。

著者プロフィール

J・M・G・ル・クレジオ Le Clezio,Jean Marie Gustave

1940年、イギリス人を父、フランス人を母として南仏ニースに生まれる。『調書』は1963年に出版され、ルノード賞を獲得、「23歳の特異な作家」として華々しくデビューした。第二作の短篇集『発熱』は人間存在の揺動を、第三作の長篇『大洪水』は黙示録的世界を描いてその地位を確立した。以後、『愛する大地』『逃亡の書』『戦争』『海を見たことがなかった少年』『砂漠』『黄金探索者』『オニチャ』『さまよえる星』『パワナ』等の小説、『物質的恍惚』『悪魔祓い』等のエッセイ、さらに『マヤ神話』『チチメカ神話』『メキシコの夢』を著している。2008年、「断絶、詩的冒険、官能的陶酔の作家、支配的な文明を超えた人間性の探求者」としてノーベル文学賞を受賞した。

書評

二十三歳の勇姿を、いまこそ再発見しよう

野崎歓

 池澤夏樹、加藤典洋、青山南の三氏の推薦の辞が新装版の「おび」に記されている。いわく「最初に読んだとき、アダム・ポロはぼくだと思った」(池澤)。「18歳。1966年は、わたしにとって『調書』(豊崎光一訳)の年だった」(加藤)。「ル・クレジオの言葉はさながらまぶしく熱い光の粒だ」(青山)。
 お三方より一世代下の筆者などにとっても、ル・クレジオの名はそうした若年の読書の記憶と切り離しがたく結びついている。高校から大学にかけて、翻訳小説の濫読まっただなかで出会ったあまりに鮮烈な、異物としての新しい文学、その名がル・クレジオだった。さらにいえば、そんな異物と出会うためにこそ、ぼくらはそのころ、フランス小説の翻訳を次から次へと読んでいたのだ。
「それは何か運命のようなものだった。アダムは感覚に直接とらえられる事柄をすでに超越してしまい、そのとき以後、彼にとってはもはや何物も動いていないのだった。彼は蝶から岩に至る、時間と運動とのあらゆる尺度を調和させていた。時間は普遍的となり、それ自体の複雑さによって自らを破壊していた。今や、彼の世界把握においては、あらゆるものははっきり死んでいるか生きているかのどちらかだった」
 こうした頭のこんがらがりそうな文章にひたすら痺れ、文字を追いながら、それこそ自分の「世界把握」がいまにも引っくり返されてしまいそうな思いにあやしく胸をときめかせたのである。
「彼らは死のあらゆる機会を、車から発射される機関銃の雨とか、ギロチンの刃とか、枕に押し潰される窒息死とか、扼殺とか、毒薬とか、斧を振う殺人とか、血栓病とか、あるいは単に、加硫加工した四つのタイヤの下敷になる路上の轢殺とかを予言していた。/アダムはそれを一歩ごとに待っていた、そんな急激な死を」
 生と死のはざまで繰り広げられる空想の中で、言葉のたがは外れ、奇矯なイメージがとめどなく湧き出し、ナンセンスな連想の糸が際限もなく繰り延べられていく。とはいえ、そこにうかがえるのはいわゆる前衛文学のプログラム化された戦略ではまったくなく、とにかくがむしゃらで青臭い、ナイーヴさと甘さにも事欠かない若者の素顔なのだった。
 その若者とは、「いったいなんだって世の中には、想像を越えたことがもう少しばかり余計にないんだろうといぶかってる」男であり、「僕には現実を見出すことが難しすぎるのです」と訴える男である。生産的なことなどなにもせず、海の近くの家でだらだら暮らしている若造が、浜辺を散歩したり、ガールフレンドに哲学談義をふっかけてはその都度、まったく相手にしてもらえなかったり、動物園に行ってライオンや豹を眺めたり、肥ったネズミを退治したり、十二歳の子どもに変身したりして、あげくのはてには精神病院の一室に収容されるという、いわゆる小説的なストーリー性はほとんど放棄したテクストである。とはいえ繰り返せば、しかつめらしい難解さとは無縁で、地中海の輝きをさんさんと浴びるような肯定性をもった、みごとなまでの「若書き」なのだ。
 だからこの本を手にする人はどうか、著者がその後フランスで最も人気のある小説家となり、ついにはノーベル賞に輝いたという事実をいったん忘れてつきあっていただきたい。一方でロートレアモン、他方でサリンジャーという青二才文学の両極をふまえながら、主人公にアダムなどという最初の人間の名前を与え、世界と言葉に何とか始原の律動を取り戻させようと、無理は承知で試みる、二十三歳の無名の書き手の心意気を感じ取るべしなのである。
 その後、ル・クレジオはインディオやアフリカの文明との絆を深め、非西洋的な叡智に深く共鳴することで「大作家」への道を歩んでいった。とはいえ、その転身の手前で、『調書』を皮切りとし、『発熱』『大洪水』『物質的恍惚』『愛する大地 テラ・アマータ』と続いた初期作品における冒険に、また格別のみずみずしさがあることも確かだ。当時ル・クレジオはしばしば、映画界の寵児となっていたゴダールに比べられた。ル・クレジオがゴダールだったころの勇姿を、いまこそ再発見しようではないか。

(のざき・かん 仏文学者)
波 2009年1月号より

立ち読み

A むかしむかしあるとき、暑さも盛りの頃、開いた窓の前に坐っている男がいた。並外れて背の高い青年で、ちょっと猫背気味、その名をアダムと言った。アダム・ポロ。その様子ときたら、どこでも良いから太陽の光の落ちている場所を求め、何時間でも坐ったまま壁に身を寄せて、ほとんど身動きもしないところなど、乞食そっくりだった。彼は自分の腕をどう扱えば良いものかさっぱりわからず、大抵は体に沿って、なるべく体に触らないように、ぶらぶらさせていた。彼はさながらあの病気の動物たちみたいだった、機敏にも隠れ家に身を潜め、姿勢をうんと低くして、地を這うように忍び寄る危険をうかがい、皮膚の中へ中へと隠れたあげく、ついには全身これ皮膚となってしまうような奴らだ。彼は開け放った窓の前のデッキチェアに、上半身にも、頭にも、足にも何も着けずに寝そべって、空を対角線に区切っていた。着ているのは、よれよれになって汗に汚れたベージュ色の作業ズボンだけで、そいつを膝のところまでまくり上げていた。
 日射しの黄色はまともに彼の顔面に照りつけていた。だが反射はせず、すぐに湿った肌に吸い取られ、煌めきもしなければ、かすかな照り返しも見せなかった。彼の方は、そんなことは無視して、ときどき口にたばこを持って行っては一服吸う以外は、身動き一つしなかった。
 たばこが燃えつきて、親指と人さし指を焼き、地面に捨てねばならなくなると、彼はズボンのポケットからハンカチを引っぱり出し、これ見よがしに 胸や二の腕や 首の付け根や 腋の下をぬぐった。そのときまで皮膚を保護していた汗の薄い膜が取り除かれると、皮膚は火のように赤々と輝きはじめた。アダムは起き上がり、かなりの早さで部屋の奥の方、陰の方へと歩いて行った。床に積んである毛布の山の間から、彼は古びた木綿のワイシャツ、フラノまがいかキャラコらしいが、そいつを引っぱり出し、一度はたいてから腕を通した。彼が身をかがめると、背中の中央、両方の肩甲骨の間にあるシャツの破れ目が、妙な風に開いて一個の硬貨ほどの寸法になり、ふとしたはずみに、三個の椎骨が緊張した皮膚の下で、まるでゴムの膜の下にある爪のように動くのがその破れ目から見えた。
 ワイシャツのボタンをはめもせず、アダムは毛布の間から一種の黄色い学生ノートを取り出した。その最初のページには、見出しに、手紙でするように、こう書きこんであった。
 なつかしいミシェール

 それから彼は、今や脇腹にぴったりはり付いた布地で太陽光線から守られて、窓の前に戻り、坐った。膝の上にノートをひろげ、ぎっしり書きこまれたページをぱらぱらめくり、ボールペンをポケットから出してから読みだした。

 なつかしいミシェール
 この家が空いたままだといいんだが。家主がそうすぐには帰って来ませんように。
 ずいぶん前から、僕がどんな風に暮したいと夢見ていたか、それはこうだ。二つのデッキチェアを、窓の下に向い合せに置く。そうしておいて、お午頃、長々と身をのばし、陽を浴びて、きれいな――みんなの言うところによればね――景色の前で眠るんだ。それとも、僕は光の方へ少し向きを変える、顔がくっきり浮き彫りになるような具合にね。四時になると、もっと平らに寝そべるが、まあそれも日が低くなるか、それとも日射しがきつくなったとしての話だ。その時刻には、太陽は窓の上からおよそ四分の三の位置にくる。僕はそいつがまんまるなのを見つめ、また海が、つまり水平線が、窓の下部にすれすれにまっすぐ平行しているのを見つめる。僕はあらゆる瞬間を窓の前で過し、それらの瞬間が、沈黙のうちに僕のものであり、他の誰のものでもないと言いきるのだ。悪くないぜ。僕は絶え間なくこんな風に、陽を浴びて、ほとんど裸、ときには真っ裸で、空と海とを穴のあくほど見つめているのさ。どこでも、僕が死んでしまったと思われているのはありがたい。はじめはこの家が空家だとは知らなかった。ざらにはない幸運だ。
 ここに住むと決めたとき、僕は釣に行くふりをして、必要なものは全部たずさえ、夜になって帰ってきて、それから僕のモーターバイクを海にぶちこんでやった。こうして、自分を死んだものと思わせて、おかげで皆に、僕が生きていて山ほどすることがあるのだと信じてもらう必要もなくなり、こっちはこっちでぴんぴんしてりゃいいというわけだ。
 面白いのは、そもそものはじめから、誰一人注意を払わなかったことだ。幸い僕には大して友だちもなかったし、また女の子の知り合いもなかった。と言うのも友だちとか女の子とかいうものは、いつだってまっ先にやって来て、馬鹿なまねはもうよせ、町に帰れ、前と同じように、何もなかったような顔をして、また全部はじめからやり直せ――全部とはつまりカフェや映画館にかよったり、汽車に乗ったりすることだけど――てなことを言うものだからさ。
 ときどき、何か腹に詰めこむものを買いに町に出る。なにしろ僕はたらふく、それも四六時中詰めこんでるからね。人からものをきかれることもないし、こっちの方でも大して話すことはない。そんなことはちっとも苦にならない。なにしろ、何年も前から、僕は黙ってることに慣らされてるし、おかげで私はつんぼで啞で盲でございでわけなく押し通せるはずだからね。

 彼は数秒間読むのをやめ、指をまるで休ませようとしているように宙に遊ばせた。それから、こめかみの血管をふくらませ、もじゃもじゃの髪をのせた卵形の頭蓋をぶんなぐるような日射しに晒しながら、もう一度ノートの上に身をかがめた。今度は彼は書いた。

「なつかしいミシェール
 きみのおかげで、ミシェール、つまりはきみが存在し、僕はきみを信じてるから、僕はやっと下界との接触を保っていられるのだ。きみは仕事をし、しょっちゅう町の中に、つまりは四つ辻だの信号灯だの、その他何だかんだにかこまれて暮してる。きみはたくさんの連中に向ってこう言う、空家にたった一人で住んでいる完全にいかれた野郎を知っているとね、すると連中はきみにたずねる、何だってそんな男は病院に閉じこめてしまわないんだ? 言っとくけど、僕には反対する気は全然ないよ。僕には子宮頸コンプレックスなんかないし、小ぎれいなフランス式庭園があって、食事の世話をしてくれる連中もいるきれいな家で、静かに人生を終えるなんていうのも特別どうということはないと思ってる。他のことなんかどうでもいいんで、何がどうなろうとこっちは想像力に充ちみちてるし、こんな詩だって書けるんだ
   今日はねずみの日、
      海に溶けこむ前の最後の日。
 きみはといえば、幸いなことに、きみはきっと記憶のうず高い堆積の間から見分けられるはずだ、ちょうどかくれんぼをしていて、きみの眼とか手とか髪の毛が、葉の茂みの丸いすき間からのぞいているのが見つかり、いっぺんにそれとわかった僕が、もう葉っぱなんかにだまされずに、かん高い声で〈見つけた〉と叫ぶときみたいに」

 彼はミシェールのことを、いつの日か、とにかく彼女が生むだろう子供たちのことを思っていた。不思議と、何ともない気持だった、彼は待つことができた。そのときがくれば、彼は彼らに、その子供たちに、山ほどいろんなことを言ってやるだろう。例えば、地球は円くなく、宇宙の中心であり、おまえたちは例外なく万物の中心なのだと言ってやるだろう。そうすれば子供たちは、もう自分を見失うおそれがないだろうし、また(もちろん彼らが小児麻痺にかからないという条件つきだが)最近海岸に行ったとき見かけたような、ゴムボールを追いかけて叫び、わめき、走っていた子供たちと同じようにやって行くチャンスを九十九パーセント手に入れるだろう。
 彼らにはまた、恐ろしいのはただ一つ、地球がさかさまになり、彼らの頭は下、足は上になり、太陽が六時頃浜に落ちてきて、海を煮えたぎらせ、ありとあらゆる小魚の腸を破裂させることだけだと言ってやるのだ。

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