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サンセット・パーク

ポール・オースター/著 、柴田元幸/訳

2,420円(税込)

発売日:2020/02/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

この廃屋で僕たちは生まれ変わる。不安の時代をシェアする男女4人の群像劇。

大不況下のブルックリン。名門大を中退したマイルズは、霊園そばの廃屋に不法居住する個性豊かな仲間に加わる。デブで偏屈なドラマーのビング、性的妄想が止まらない画家志望のエレン、高学歴プアの大学院生アリス。それぞれ苦悩を抱えつつ、不確かな未来へと歩み出す若者たちのリアルを描く、愛と葛藤と再生の物語。

書誌情報

読み仮名 サンセットパーク
装幀 西山寛紀/装画、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 280ページ
ISBN 978-4-10-521721-1
C-CODE 0097
ジャンル 文芸作品
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2020/03/06

書評

ミレニアム以降の世界

上田岳弘

 これまでインタビューを受けてきて、読んできた先行作家について聞かれることは多かった。けれどそういえば、オースターについてあまり語っていなかった。多分その名前を出したのは、一度だけ。とても長いインタビューで、僕の本棚があるテレビ番組で映り、インタビュアーの方がそれを見ていて話題にしたからだった。本格的に小説を書き始める前のある時期、とても熱中して読んだというのに、なぜかすぐにその名前が出てこない。なぜかと改めて考えてみれば、僕はある時オースターから離れようとほとんど無意識に内心でそう決めたからだ。
 僕が本格的に小説を書き始めたのは、二十代前半の頃だ。書こうとしてもなかなか筆が進まなかった僕は、西武線の安アパートに籠って、学校にもいかず小説を読み続けた。ほとんどは図書館で借りたものか、中古屋で投げ売りされていたもの。古い印刷、ところどころ白濁した文庫本のカバー、チョコレートみたいなかすかな匂い。訳も古かった。それが時の洗礼を感じさせて、読書の興奮をあおる。意味が取りづらいことも味があってよかった。
 その内古典だけだと飽き足らなくなって、現代アメリカ文学を読んでみようと思った。挑む気持ちがあったことはよく覚えている。その時に手に取ったのがオースターだった。文庫になったばかりの『偶然の音楽』。ポーカーゲームで大敗して、シーシュポスの神話を思わせる徒消的な壁づくりに従事する男の話。極めて現代的であり、同時に神話的だった。これまで古典ばかり読んできた僕にとって、端麗な訳が衝撃でもあった。それから『リヴァイアサン』を読み、『ムーン・パレス』を読んだ。オースターの登場人物の多くは社会のクレバスみたいなところにはまり込んで、普遍的な神話的な世界の深層に触れる。夢中になって読んだが、やがてオースターから離れたのは彼が僕の書かなければならない小説の近くに立っていたように思ったからだ。
 本書、『サンセット・パーク』でも、登場人物の多くはクレバスにはまり込んでいるか、あるいはその縁でなんとかこらえている。多くの才能を持つ優秀な若者だったマイルズ・ヘラーは家族から遁走し仮の生活をしているし、その友人であり、マイルズの消息を家族に伝える報告係であるビング・ネイサンは、たまたま電気もガスも止められていない「忘れられた空き家」に仲間とともに不法に住み着く。その住人の一人である、エレン・ブライスは大学生の頃にふけった少年との性行為の果てに妊娠をし、その後に自殺未遂をして以来、まっとうな人生に戻れていない。名声を極めたのちに、「ただ消えたい」と嘯く小説家レンゾーや、家庭と自身が経営する出版社の存亡の縁に立たされている、マイルズの父親であるモリス・ヘラー。別に食うに困っているわけではない。けれど、登場人物の誰もが不足感を抱え、自らが自らに課した役割を演じきれずに惑っている。その様は、現代と現代人の肖像そのものだろう。都市を徘徊するゴーストたち、出口のない、温い監獄。
 けれど、ゴーストであり続けるには、作品の核であるマイルズ・ヘラーは若すぎた。いや、二十歳そこそこで出奔した彼は、自分自身に役割を課すこともまだしていなかった。その通過儀礼を果たしてからでなければ、正しくゴーストにはなれない。いかにもオースター的な仕掛けである「忘れられた空き家」を経由して、その地点へとたどり着くことができるのか。それがページをめくらせる駆動力の一つになる。
 作中で何度も第二次世界大戦後の復員兵を描いた『我等の生涯の最良の年』について言及される。世界的な大惨事が終結したばかりの今・ここが底であって、そこから日常への回帰にいくばくかの痛みはあれど、しかし基本的にはここから世界はよくなっていく一方のはずだという希望。その先に読者である我々にとっての今がある。
 実際、はどうなのだろう? 発展はしている。そのことは間違いない。取り扱える情報は爆発的に増加し、あらゆる分野での生産性が向上した。けれど半面、世界は艶を失って、全体の効率のために我々の生が供されているのだというあけすけな真実がいつも目の前にあるように思えてしまうのはなぜか。
「これが我等の生涯の最良の年のなれの果てというわけさ」と作中の作家、レンゾーは言う。
 ミレニアム以降、今も続く息苦しさが本作には重く鎮座している。

(うえだ・たかひろ 作家)
波 2020年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

1947年生れ。コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。1970年代は主に詩や評論、翻訳に創作意欲を注いできたが、1985年から1986年にかけて、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表。一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。他の作品に『ムーン・パレス』『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ティンブクトゥ』『幻影の書』『ブルックリン・フォリーズ』『写字室の旅/闇の中の男』『冬の日誌/内面からの報告書』などがある。

柴田元幸

シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

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