日中百年の群像 革命いまだ成らず(上)
1,760円(税込)
発売日:2012/01/18
- 書籍
- 電子書籍あり
死して悔いなし――。二十世紀の黎明、革命に命を懸けた男たちがいた!
孫文、黄興、康有為、宮崎滔天、頭山満……。孤独と忍従、貧困と混乱に堪え、離合集散をくり返しながら革命を志した日中の志士の姿は、『水滸伝』か『三国志』さながらであった。国家の思惑を超え、友情と信義、侠気で結ばれた志士の群像を鮮やかに描き出す。新証言と発掘資料で書き換えられる、驚きの日中近代史。
目次
序章 あの人のためなら命を捧げてもよい――孫文に心酔した会党の首領
第1章 支那のことはわかりません――伊藤博文の漫遊
日清戦争から四年、清国訪問の意図
老獪な政治家・李鴻章の落とし穴
光緒帝との異例の謁見、翌日の政変
老獪な政治家・李鴻章の落とし穴
光緒帝との異例の謁見、翌日の政変
第2章 干からびた食事――光緒帝の幼少時代
学問と政治に興味を持つ西太后
紫禁城の奥深くで折檻される五歳の皇帝
草堂につどう進取の気性に富んだ知識人
紫禁城の奥深くで折檻される五歳の皇帝
草堂につどう進取の気性に富んだ知識人
第3章 纏足をやめよ――康有為の主張と梁啓超の不纏足会
頭髪を巡る生死をかけた戦い
男を興奮させる先の尖った纏足靴
纒足しない女性の結婚相談所
男を興奮させる先の尖った纏足靴
纒足しない女性の結婚相談所
第4章 「広州事件」の全貌――孫文の爆破テロ未遂事件
四人の無法者の政治談議
「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援す」
十月二十六日――重陽節、武装蜂起
「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援す」
十月二十六日――重陽節、武装蜂起
第5章 ロンドン被難記――孫文のXデー
辮髪をばっさり切り落とし
ロンドン到着十日後、路上で
スクープ「革命家ロンドンにおいて誘拐監禁さる」
ロンドン到着十日後、路上で
スクープ「革命家ロンドンにおいて誘拐監禁さる」
第6章 一生の所期はいかに――南方熊楠との出会い
大英博物館のオフィスにて面会す
熊楠は孫文をどう思ったのか
人の交わりにも季節あり
熊楠は孫文をどう思ったのか
人の交わりにも季節あり
第7章 いざ、日本へ――孫文の上陸
アジアで最も早く近代化を成し遂げた国へ
処女から脱兎、ついには猛虎
早稲田鶴巻町に住まう
処女から脱兎、ついには猛虎
早稲田鶴巻町に住まう
第8章 国是を定めよ――光緒帝の決意
康有為、ついに謁見
孤立無援で奮闘する青年皇帝
内密に袁世凱を召見すべし
孤立無援で奮闘する青年皇帝
内密に袁世凱を召見すべし
第9章 やりすぎです――西太后の逆襲
光緒帝の死因
生者と死者の境界線
梁啓超、日本へ
生者と死者の境界線
梁啓超、日本へ
第10章 侠士の同情を謝す――康有為の逃避行
強運の男を救った密詔
宮崎滔天の観察した読書人
西太后暗殺計画
宮崎滔天の観察した読書人
西太后暗殺計画
第11章 保皇か革命か――康派と孫派の争い
冷淡な伊藤博文
孫文と康有為を隔てる溝
保皇会、カナダで創立
孫文と康有為を隔てる溝
保皇会、カナダで創立
第12章 清朝を滅亡させよ――義和団事件と勤皇の役
キリスト教憎し、外国人憎し
南方に結集した「勤皇」派
宣戦布告後、北京脱出した西太后
南方に結集した「勤皇」派
宣戦布告後、北京脱出した西太后
第13章 義和団賠償金をむしり取れ――列強の争奪戦
清国を活かさず、殺さず三十九年分割払い
国際会議デビューの日本の成果
金で払うか、銀で払うか
国際会議デビューの日本の成果
金で払うか、銀で払うか
第14章 広東を奪取せよ――恵州事件の顛末
日中合作革命
李鴻章の思惑と死
日本人最初の犠牲者
李鴻章の思惑と死
日本人最初の犠牲者
第15章 「死して悔いなし!」――黄興、長沙の義挙
五万元の賞金首
小国日本に学べ
玄洋社・末永節の証言
小国日本に学べ
玄洋社・末永節の証言
書誌情報
読み仮名 | ニッチュウヒャクネンノグンゾウカクメイイマダナラズ1 |
---|---|
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-529706-0 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 世界史 |
定価 | 1,760円 |
電子書籍 価格 | 1,408円 |
電子書籍 配信開始日 | 2012/07/27 |
書評
波 2012年2月号より 『日中百年の群像 革命いまだ成らず』刊行記念特集 立体的な「革命」の人物像
近代は革命の洗礼で始まる。
支配されている人々のあいだに、ナショナリズムと民主化の意識が芽生える。流血の戦いの末、古い支配体制をひっくり返す。社会はがらりと変わる。アメリカ独立革命、フランス革命、日本の明治維新は、今もそれぞれの国民の原点だ。中国では、一九一一年十月から翌年二月にかけての辛亥革命が、これにあたる。今年はちょうど百年目である。
中国は数千年にわたり帝政が続いた。最後の清朝は、最盛期には世界最強の帝国として栄華を誇った。アヘン戦争で敗れてから、列強の侵略を受け、国は傾いた。
本書『日中百年の群像 革命いまだ成らず』の記述は、日清戦争の直後、広東省の広州で起きた爆破テロ未遂事件から始まる。テロ計画の首謀者は、アメリカ帰りの若い医師で、名は孫文。彼らは秘密結社を作り、清朝の役所である広東都督府の爆破を計画した。テロの目的は、清朝から広東省を独立させ、漢民族の主権を回復することだった。テロ計画は、イギリス領(当時)の香港政庁が清朝側に通報したため、未然に終わった。民族の分離独立のためのテロ計画。現代のチベットや新疆ウイグル自治区を連想させる。
その後、本書は辛亥革命までの革命派と体制の戦い、革命の成功、革命後の理想の挫折を描く。最後は一九二五年の孫文の死で、筆が擱かれる。
日清戦争で日本に敗れた後、心ある中国人は深刻な危機意識を懐いた。明治維新を手本に急速な近代化を推し進めようとした光緒帝は、保守派によって幽閉され、最後は毒殺される。改革派や革命派は弾圧され、多数の血が流れた。
膨大な人口をもつ中国市場を狙っていた諸外国は、中国の体制派と革命派を常に秤にかけた。外国の政府は、経済進出のため、清朝政府との外交関係を優先した。一方、外国の民間人は、革命派の理想に共鳴した。孫文がロンドンで清朝の公使館に拉致されたときも、イギリス政府の対応は外交関係を考慮して及び腰だったが、イギリスの新聞は拉致事件を報道して世論を動かし、孫文を救った。
日本も、政府は革命派に冷淡だったが、民間人は革命派を支えた。宮崎滔天、南方熊楠らは孫文と親交を結んだ。山田良政は、革命派とともに清朝政府と戦って戦死した。伊藤博文、犬養毅、桂太郎、渋沢栄一、萱野長知、頭山満らは、それぞれの立場の中で、最大限の援助をしようとした。かつての日本の存在感の大きさは、驚くべきものだった。
著者は、客観的な論述のあいまに、当事者たちの回想という「肉声」を引用する。研究者の冷静な記述と、小説的な熱い直接話法の筆致が、心地よい対比をなしている。中国革命にかかわった中国人や日本人の群像が、生き生きと描き出される。若き日の蒋介石、汪兆銘、毛沢東など、次世代の中国の指導者たちも本書に登場する。
著者が描く人物像は立体的だ。例えば、亡命時代の孫文は、後に首相となる犬養毅から「趣味は?」と聞かれ、顔を赤らめ小声で「ウーマン」と答えた。辛亥革命後に臨時大総統(中国語の「総統」は大統領の意)となった孫文は、南方出身者だったため、万里の長城以北の地域には冷淡で、満州の統治を日本に委託してもよいとさえ考えた。中国人が触れたがらない孫文の側面も、本書では描かれている。
どこの国でも、革命の栄光は挫折と表裏一体だ。バスティーユ襲撃に始まったフランス革命は、人権宣言の理想を世界に輝かせたが、その後、ナポレオンの皇帝即位、敗戦、退位という挫折で終わった。武昌起義に始まる辛亥革命も、アジア最初の共和国樹立という偉業を成し遂げたものの、袁世凱の野心や、軍閥の割拠など挫折に終わった。孫文は死に際し「革命いまだ成らず」云々の遺言を残し、同志たちに中国革命の完遂のため奮闘努力することを求めた。
今日の中国の躍進は目覚ましい。一方、中国は問題も抱えている。民主化、少数民族、ナショナリズム、民衆の生活格差。これらは、孫文ら革命派が解決に心を砕いた問題だ。百年後の今日も、中国革命は継続中なのかもしれない。
著者のタン・ロミ氏は、東京生まれだが、本籍は孫文と同じ広東省である。氏の父は、第二次大戦中に日本に駐在した国民政府の外交官。氏の大伯父の譚平山は、中華人民共和国の建国時に天安門の壇上で毛沢東と並んで立った創建メンバー。母方の祖父は、日本帝国陸軍の中将である。本書は、日中関係の申し子であるタン・ロミ氏が、心血を注いで書き上げた大著である。日中関係の歴史と未来を語る上で、必読の書と言えよう。
支配されている人々のあいだに、ナショナリズムと民主化の意識が芽生える。流血の戦いの末、古い支配体制をひっくり返す。社会はがらりと変わる。アメリカ独立革命、フランス革命、日本の明治維新は、今もそれぞれの国民の原点だ。中国では、一九一一年十月から翌年二月にかけての辛亥革命が、これにあたる。今年はちょうど百年目である。
中国は数千年にわたり帝政が続いた。最後の清朝は、最盛期には世界最強の帝国として栄華を誇った。アヘン戦争で敗れてから、列強の侵略を受け、国は傾いた。
本書『日中百年の群像 革命いまだ成らず』の記述は、日清戦争の直後、広東省の広州で起きた爆破テロ未遂事件から始まる。テロ計画の首謀者は、アメリカ帰りの若い医師で、名は孫文。彼らは秘密結社を作り、清朝の役所である広東都督府の爆破を計画した。テロの目的は、清朝から広東省を独立させ、漢民族の主権を回復することだった。テロ計画は、イギリス領(当時)の香港政庁が清朝側に通報したため、未然に終わった。民族の分離独立のためのテロ計画。現代のチベットや新疆ウイグル自治区を連想させる。
その後、本書は辛亥革命までの革命派と体制の戦い、革命の成功、革命後の理想の挫折を描く。最後は一九二五年の孫文の死で、筆が擱かれる。
日清戦争で日本に敗れた後、心ある中国人は深刻な危機意識を懐いた。明治維新を手本に急速な近代化を推し進めようとした光緒帝は、保守派によって幽閉され、最後は毒殺される。改革派や革命派は弾圧され、多数の血が流れた。
膨大な人口をもつ中国市場を狙っていた諸外国は、中国の体制派と革命派を常に秤にかけた。外国の政府は、経済進出のため、清朝政府との外交関係を優先した。一方、外国の民間人は、革命派の理想に共鳴した。孫文がロンドンで清朝の公使館に拉致されたときも、イギリス政府の対応は外交関係を考慮して及び腰だったが、イギリスの新聞は拉致事件を報道して世論を動かし、孫文を救った。
日本も、政府は革命派に冷淡だったが、民間人は革命派を支えた。宮崎滔天、南方熊楠らは孫文と親交を結んだ。山田良政は、革命派とともに清朝政府と戦って戦死した。伊藤博文、犬養毅、桂太郎、渋沢栄一、萱野長知、頭山満らは、それぞれの立場の中で、最大限の援助をしようとした。かつての日本の存在感の大きさは、驚くべきものだった。
著者は、客観的な論述のあいまに、当事者たちの回想という「肉声」を引用する。研究者の冷静な記述と、小説的な熱い直接話法の筆致が、心地よい対比をなしている。中国革命にかかわった中国人や日本人の群像が、生き生きと描き出される。若き日の蒋介石、汪兆銘、毛沢東など、次世代の中国の指導者たちも本書に登場する。
著者が描く人物像は立体的だ。例えば、亡命時代の孫文は、後に首相となる犬養毅から「趣味は?」と聞かれ、顔を赤らめ小声で「ウーマン」と答えた。辛亥革命後に臨時大総統(中国語の「総統」は大統領の意)となった孫文は、南方出身者だったため、万里の長城以北の地域には冷淡で、満州の統治を日本に委託してもよいとさえ考えた。中国人が触れたがらない孫文の側面も、本書では描かれている。
どこの国でも、革命の栄光は挫折と表裏一体だ。バスティーユ襲撃に始まったフランス革命は、人権宣言の理想を世界に輝かせたが、その後、ナポレオンの皇帝即位、敗戦、退位という挫折で終わった。武昌起義に始まる辛亥革命も、アジア最初の共和国樹立という偉業を成し遂げたものの、袁世凱の野心や、軍閥の割拠など挫折に終わった。孫文は死に際し「革命いまだ成らず」云々の遺言を残し、同志たちに中国革命の完遂のため奮闘努力することを求めた。
今日の中国の躍進は目覚ましい。一方、中国は問題も抱えている。民主化、少数民族、ナショナリズム、民衆の生活格差。これらは、孫文ら革命派が解決に心を砕いた問題だ。百年後の今日も、中国革命は継続中なのかもしれない。
著者のタン・ロミ氏は、東京生まれだが、本籍は孫文と同じ広東省である。氏の父は、第二次大戦中に日本に駐在した国民政府の外交官。氏の大伯父の譚平山は、中華人民共和国の建国時に天安門の壇上で毛沢東と並んで立った創建メンバー。母方の祖父は、日本帝国陸軍の中将である。本書は、日中関係の申し子であるタン・ロミ氏が、心血を注いで書き上げた大著である。日中関係の歴史と未来を語る上で、必読の書と言えよう。
(かとう・とおる 明治大学教授)
書評
波 2012年2月号より
『日中百年の群像 革命いまだ成らず』刊行記念特集
「暗黒の時代」へのヒント
「暗黒の時代」へのヒント
タン・ロミ
辛亥革命を成功させた孫文は魅力的な人だったと、つくづく思う。
はじめて日本へ亡命した時、日本の政治家・犬養毅に「趣味はなにか」と問われて、即座に「革命です」と応じた。「いや、それは趣味ではないでしょう。もっと個人的に好きなことは何か?」と、重ねて聞かれると、急に顔を赤らめてモジモジして、「ウーマン」と答えたので、満座の人たちから歓声が沸いた。かくして孫文の趣味は、「第一に女性、第二に読書、第三に革命」に落ち着いたというエピソードが残っている。
女性に関しては、知的で美しい富豪の娘でアメリカ留学帰りの宋慶齢を見初めた途端、親の決めた妻を広東から東京へ呼び寄せて協議離婚し、直後に再婚した。が、その前に横浜とハワイでも恋仲になった女性との間に子供をもうけていたから、やはり「第一の趣味」なのだろう。「第二」に挙げた読書は、暇さえあれば書斎に閉じこもり、ナポレオンの伝記だけでも十種類も耽読し、開戦図に没頭して戦略を練ったというほどの熱中ぶりだ。私が興味を引かれたのは「第三」である。孫文が十一回も革命に失敗したのにもめげず、十二回目の武昌蜂起で遂に辛亥革命を成功させた話は有名だ。その持久力と精神力はいったいどこから生まれるものなのかが不思議でならなかったのだが、なるほど「革命が趣味」だと即答するほど好きなのなら、大いに腑に落ちるのである。
とはいえ、十二回目の武昌蜂起の成功は、直接的には孫文の手柄ではない。博識で理論家の宋教仁という生真面目な男が、孫文の失敗に嫌気がさして立てた別派の戦略が的中した結果だった。「中国版・西郷隆盛」と呼ばれた、こちらも生真面目な豪傑・黄興の勇敢な戦いぶりと指導力にも負うところが大きかった。その他にも、辛亥革命の時代には個性豊かで情熱的な男たち(女たちも)が大勢いて、中国ばかりか世界中を駆け巡りつつ戦う姿は「天空海闊」――天高く、海は限りなく広く、縦横無尽に翔けるが如くに活躍するさま――なのである。そして彼らは信義に厚く、人生意気に感じ、どん底生活を愉快に生き抜く。そんな人間味溢れる魅力的な姿を余さず読者にお伝えしたくて、拙著『日中百年の群像 革命いまだ成らず』(上・下)を執筆した。
私が二十代で処女作『遥かなる広州』を上梓して以来、ずっと念願にしてきた人物伝による近代史なのだが、今回ようやく書き上げたものの、この長編でもまだ一九二〇年代までしか辿りつけず、「日中百年の群像」には遥かに及ばない。
孫文の死後にも、魅力的な人物はいる。いや、もっと強烈な個性の持ち主たちがキラ星の如く現れて、野望を遂げようと死力を尽くして戦うのである。三つ巴、四つ巴の戦いの末に、最終的に勝ち残った者は、さしずめ毛沢東、蒋介石、汪兆銘の三人に代表される党派だろうか。時代は国際化が進み、第二次世界大戦の渦中にあって、三者三様にソ連、アメリカ、日本と結びつき、中国を舞台にした代理戦争にも突入してしまう。彼らは前後左右から取っ組み合い、なぎ倒し、のし上がろうと躍起になるのである。果たして彼らの「正義」とはどんなものだったのか。どんな悪辣な手を使って相手を潰しにかかったのか。具体的な行動をつぶさに追うことで、辛亥革命の次世代の生き様と本音を探っていきたいと思っている。
今年二〇一二年は、辛亥革命の成功によって、中国の年号が「中華民国元年」に改まって百年目にあたる。近いところでは「日中国交正常化四十周年」の年でもある。日本では、世界的な経済不況に直面して「暗黒の時代」と表現されることが多いが、辛亥革命の時代にも、多くの人々が「暗黒の時代」だと悲観していたのである。その中で、孫文が人々に与えた光明と希望は、現代の我々にも勇気を与え、おおいに役立つヒントが盛り沢山である。例えば、人々を鼓舞してやる気にさせる情熱と話術、資金調達する時の説得方法、民主的な法制度による国家再建計画。また革命後の失業者対策として打ち出した大規模鉄道計画はアメリカの「ニューディール政策」にも匹敵し、第一次世界大戦後の「経済大恐慌」の時代に英仏両国と激しく渡り合った国際通貨の為替交渉は、矛盾をはらむ国際金融の根幹問題に触れて、現代の「リーマン・ショック」以後の世界経済の行方をも示唆している。これらの妙案が生まれた背景には、ハワイ育ちの国際人・孫文の「天下は公の為に」という無私の精神と百年後の繁栄を視野に入れた政治哲学があった。そういえば、孫文の口癖のひとつは「志あれば、事は成る」である。
(たん・ろみ ノンフィクション作家)
著者プロフィール
譚ろ美
タン・ロミ
東京生まれ。作家。慶應義塾大学文学部卒業。元慶應義塾大学訪問教授。革命運動に参加し日本へ亡命後、早稲田大学に留学した中国人の父と日本人の母の間に生まれる。『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『戦争前夜—魯迅、蒋介石の愛した日本』など著書多数。
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