競売ナンバー49の叫び
3,080円(税込)
発売日:2011/07/29
- 書籍
謎が呼ぶ謎、迷宮に変貌する都市。めくるめく探究譚にして世界文学屈指の名作、新訳。
大富豪の死――そのかつての恋人で、いまや若妻のエディパは遺産のゆくえを託される。だが、彼女の前に現れるのは暗号めいた文字列に謎のラッパ・マーク、奇怪な筋書きの古典劇。すべては闇の郵便組織の実在と壮大な陰謀を暗示していた……? 天才作家が驚愕のスピードで連れ去る狂熱の探偵小説、詳細なガイドを付して新訳!
書誌情報
読み仮名 | キョウバイナンバーヨンジュウキュウノサケビ |
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シリーズ名 | 全集・著作集 |
全集双書名 | トマス・ピンチョン全小説 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-537209-5 |
C-CODE | 0097 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 3,080円 |
書評
波 2011年8月号より 扉を開ける鍵
でも、その次に手にした『競売ナンバー49の叫び』は違った。一九六〇年代に書かれたこの作品では、亡くなったかつての恋人の遺言執行人となった主婦エディパ・マースが、その役目を果たすために訪れたカリフォルニアの都市、サン・ナルシソで自分を取り巻く奇妙な符号に気がつき、それを読み解いていくことで、今まで自分が属していたアメリカの郊外文化とはまったく違う世界、まったく違うアメリカに足を踏み入れていく。私もエディパの視点を追うことで、慣れ親しんだタイプの物語とはまったく違うピンチョンの小説世界に入るコードを見つけたような気がした。それは隠喩がロサンゼルスの夜景のように瞬き、シナプスのごときハイウェイがそれらをつないで思わせぶりな星座を描く宇宙である。
エディパはサン・ナルシソに足を踏み入れた時から、「背後にある隠れた意味を伝えようとする意図の存在」を感知する。やがてラッパの口がミュート(消音器)で塞がれている記号と出合い、あらゆることがそれまでとは違った意味を持って浮上してくる。宇宙関連企業ヨーヨーダインの社内便を通して情報を伝達するピーター・ピングィッド協会。イタリアの湖からマフィアによって運び込まれたGIの人骨と、ジェイムス朝復讐劇の戯曲『急使の悲劇』の不可思議な相似点。全てが「トリステロ」というキーワードでつながり、中央集権的な郵便のシステムに対抗しつつ、他のオルタナティブな郵便機関を潰すために暗躍する黒尽くめの男たちの群れが歴史から浮かび上がってくる。サンフランシスコの夜をさまよいながら、いたるところにミュート・トランペットのシンボルを見いだしたエディパが感じた戦慄は、この小説を読んだ私自身が体験したものである。
物語の冒頭で、エディパは郊外都市での生活に閉塞感を覚えて倦んでいる。かつて彼女は、レメディオス・バロの絵画、『大地のマントを刺繍する』の、塔にとらわれて布に風景や生物を刺繍することで「世界」を創造していく少女たちを見て泣いている。全てにありきたりな「意味」がある世界にがんじがらめの自分をそこに見たのだ。『大地のマントを刺繍する』はレメディオス・バロの自伝的な三部作を構成する一枚で、塔にとらわれた少女は、最後に恋人の手を借りてそこを脱出するというロマンティックな結末が待っている。エディパも「トリステロ」の謎を取り巻く冒険によって、自分を支配していた世界から逸脱していくように見える。しかし、それは「脱出」ではなく、迷宮への「進入」である。後戻りは出来ない。一度ラッパのマークに気がついたら最後、それまでの自分がいた世界を形成していた物事は次々と消滅していってしまう。しかも、そこまで事態が進んでも全てがエディパのパラノイアか、彼女に仕掛けられた壮大な悪戯であるという可能性がぬぐい去れないところがピンチョンの小説の恐いところだ。隠喩が星のようにまたたくのは、意地悪なウィンクを繰り返しているせいなのかもしれない。ピンチョンの仕掛けた罠から逃れるためには、もう一度それらが放つ「意味」を読み直さなければいけないのか。それは小説というよりも、まるでゲームのようだ。コードを読み解くという使命が主人公に下される『競売ナンバー49の叫び』は、ピンチョンというゲームを初めてプレイするのにふさわしい小説だといえる。ルールさえ覚えれば、ピンチョンは決して難しくない。
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著者プロフィール
トマス・ピンチョン
Pynchon,Thomas
1963年『V.』でデビュー、26歳でフォークナー賞に輝く。第2作『競売ナンバー49の叫び』(1966)は、カルト的な人気を博すとともに、ポストモダン小説の代表作としての評価を確立、長大な第3作『重力の虹』(1973)は、メルヴィルの『白鯨』やジョイスの『ユリシーズ』に比肩する、英語圏文学の高峰として語られる。1990年、17年に及ぶ沈黙を破って『ヴァインランド』を発表してからも、奇抜な設定と濃密な構成によって文明に挑戦し人間を問い直すような大作・快作を次々と生み出してきた。『メイスン&ディクスン』(1997)、『逆光』(2006)、『LAヴァイス』(2009)、そして『ブリーディング・エッジ』(2013)と、刊行のたび世界的注目を浴びている。
佐藤良明
サトウ・ヨシアキ
1950年生まれ。フリーランス研究者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ文化・ポピュラー音楽・英語教育。代表的著書に『ラバーソウルの弾みかた』。訳書にグレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』、ボブ・ディラン『The Lyrics』(全2巻)など。〈トマス・ピンチョン全小説〉では7作品の翻訳に関わっている。