ホーム > 書籍詳細:ウォーターランド

ウォーターランド

グレアム・スウィフト/著 、真野泰/訳

3,190円(税込)

発売日:2002/02/27

書誌情報

読み仮名 ウォーターランド
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 526ページ
ISBN 978-4-10-590029-8
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 3,190円

土を踏みしめていたはずの足元に、ひたひたと寄せる水の記憶……。

妻が引き起こした嬰児誘拐事件によって退職を迫られている歴史教師が、生徒たちに、故郷である沼沢地フェンズについて語りはじめる。人と水との闘いの歴史、父方・母方の祖先のこと、そして妻との恋にまつわる少年時代の忌まわしい事件……。人間の精神の地下風景を圧倒的ストーリー展開で描きだす、ブッカー賞作家の最高傑作。

書評

初めて読んだスウィフトは、やはり凄い作家だった

坪内祐三

 人一倍強い好奇心を持っていながら、それと同じくらいな強さで保守的な人間である私は、簡単に自分の興味を変えることが出来ない。

 それは読書についても同じだ。好きな作家の作品は次々と、たとえその多くが積ん読であったとしても、揃えたくなってしまうのに、そうでない作家の作品は、どれ一つ手を出そうとしない。

 そうでない、と書いたけれど、そうでなくもない、なのになかなか手が出ない作家もいる。つまり食わず嫌いというやつだ。

 グレアム・スウィフトのこの『ウォーターランド』を編集部の人から、ゲラで読んでみませんかという申し出があった時、最初、私は、あっさりと断わってしまった。

 それまでグレアム・スウィフトの小説を一篇も読んだことがなかったから。読んでいないのに、誰かの勧めで初めて読んで、しかも何かを語ることは不自然な気がしたから。

 けれど、申し出を断わって一時間ぐらいして、私は、その編集者の人にこちらから電話をかけて、この原稿を引き受けることにした。

 その一時間のあいだに、私は、こんなことを考えた。

 一冊も読んだことはないものの、私は、グレアム・スウィフトが気になっていた。

 私はかつて現代アメリカ文学にかなりの、そしてその関係で現代イギリス文学に少しの、興味を持っていた。そんな私の目に、一九七○年代は、アメリカ文学の圧倒的勝利に見えた。八○年代に入るとイギリス文学も盛り返し、五分と五分といった感じになった。そして八○年代半ばからは、むしろ、イギリス文学の方が優勢に思えた。

 その「新しいイギリス文学」の勢いの中心にいたのが、ジュリアン・バーンズやカズオ・イシグロ、マーティン・エイミスらと並んで、このグレアム・スウィフトだった。白水社の現代イギリス文学の翻訳シリーズに一冊入っていたし(『この世界を逃れて』原著は一九八八年刊)、ラインナップの素晴しさに定評ある「ピカドール」というペイパーバックのシリーズにもスウィフトの作品は何冊も収録されていた。

 だからスウィフトは、読みごたえのありそうなにおいがした。

 こういう機会でもなければ、結局、私は、グレアム・スウィフトを読み過してしまうのではないか。

 そうして届けられた『ウォーターランド』のゲラを読みはじめて、私は、その書き出しに、いきなり引き込まれた。

「いいか、忘れちゃいかんぞ」と、父はよく言ったものだ。まるで私が広い世界に成功を求め、いますぐにでも家を飛びだそうとしているみたいに。「人についてどんな噂を耳にしようとだ、それがどんなに悪い人間とわかってもだ、誰にだってハートはあるってこと。誰だって昔はちっこい赤ん坊で、母親の乳を吸ってたんだってこと……」

 これはまるでスコット・フィッツジェラルドの名作『偉大なギャツビー』の書き出しのようではないか。

『偉大なギャツビー』がニューヨーク郊外のロングアイランドを舞台に美しく悲しい恋愛物語が展開されるように、『ウォーターランド』もウォーターランドという土地を舞台とした美しく悲しい恋愛小説なのだろうか。

 答はイエスでありノーでもあった。

 確かに美しく悲しい恋愛小説という点では共通するものの、『偉大なギャツビー』がロングアイランドを舞台に、愛と生と死と近代の病理を描いた風俗小説であるのに対し、『ウォーターランド』は愛と性と生と死と近代の勃興と近代の終焉を描いた、もっと骨太の、歴史小説だった。しかもウォーターランドという土地の地誌さらには地史そのものが物語の重要なサブプロットでもあった。その上神話性までも帯びていた。

 物語、歴史、地誌(博物誌)、神話。つまり幾つにも重なり合うストーリーとヒストリーの間を、『ウォーターランド』は往還し、やがて一つの事実、いや真実(しかしこの真実とは物語的真実なのだろうか歴史的真実なのだろうかそれとも神話的真実なのだろうか)が明らかになってゆく。

 こんなスケールの大きな小説を、スウィフトが発表した時、まだ三十代半ばだったと知って驚いた。凄い作家がいたものだ。

(つぼうち・ゆうぞう 評論家)
波 2002年2月号より

短評

Tsubouchi Yuzo 坪内祐三

歴史の終焉だとか物語の解体だとかが声高く語られるようになってもうだいぶ時が経つ。いわゆるポストモダニズム時代の到来である。だが、だからこそ逆に、人は、歴史(ヒストリー)や物語(ストーリー)を希求する。その求めに応じてくれる少数者は誰だろう。それは例えばこの『ウォーターランド』のグレアム・スウィフトだ。『ウォーターランド』でスウィフトは、見事に、歴史と物語の交差を美しく描き切る。人と土地と家と愛と性と死と男と女の歴史と物語の交差を。しかもイギリスの作家ならではの日常的な言葉使いで。

Gary Kamiya ゲアリー・カミヤ

『ウォーターランド』は、フルコースの小説である。殺人ミステリーであり、一族の秘められた歴史であり、イングランドの水郷フェンズという土地そのものの記録であり(そしてなんと、ウナギをめぐる考察という驚くべき脱線もあり)、歴史の意味についての思索でもある。ハーディの広がりに、ジョイスの濃やかさ、マードックの知性、ファウルズの技巧、そのすべてを備えている。

Observer オブザーバー

「世界でもっとも〈無〉に近い風景」の奇妙さと、その計りがたい作用とが鮮やかに描かれている。『白鯨』が捕鯨を、『嵐が丘』がヒースの荒野を手中におさめたように、『ウォーターランド』は沼沢地フェンズを我がものとした。美しく真剣で知的な、みごとなまでに独創的な作品である。

TLS タイムズ文芸付録

作品それ自体が、ひとつの並はずれて力づよい、並はずれて複雑な比喩として息づいている。

立ち読み

I 星と水門について

「いいか、忘れちゃいかんぞ」と、父はよく言ったものだ。まるで私が広い世界に成功を求め、いますぐにでも家を飛びだそうとしているみたいに。「人についてどんな噂を耳にしようとだ、それがどんなに悪い人間とわかってもだ、誰にだってハートはあるってこと。誰だって昔はちっこい赤ん坊で、母親の乳を吸ってたんだってこと……」

 おとぎ話的言葉による、おとぎ話的アドバイス。しかしそれを言うなら、私たちの住んでいた場所からして、おとぎ話的だった。沼沢地帯(フェンズ)の真ん中、一本の川の横の、水門番の田舎家。広い世界からは遠く離れていた。そして父は迷信ぶかい人、何をするにも魔術めかした、オカルトめかしたやり方を好む人だった。だから、父がウナギを捕るわなをかけるのは決まって夜だった。ウナギのわなが昼間にはかけられないからではない。謎めいた夜の闇が父の心にかなったのだ。そしてある晩のこと、一九三七年の真夏だった。私たち、というのはディックと私だが、ふたりは父についてストッツ橋のあたりにわなをかけにいった。暑く、風がなかった。わなをかけ終えると、三人は川岸であおむけに寝ころんだ。ディックが十四で、私は十だった。ポンプがトンプトンプトンプと音をたてていたけれども、これはフェンズならどこでもそうで、ひっきりなしだからこちらもほとんど意識しない。カエルがガアガア、用水路で鳴いていた。上に広がる空には星が群れ、それも見つめているうちに数を増すように思われた。で、寝ころがっていると、父がこんなことを言った。「星が何だか知ってるか? あれは神様のお恵みくだすった銀のくずなんだ。あれは天国の、小さなかけらさ。人間に降りかかるようにと、神様が上からお撒きになったんだ。けれども人間がどんなに邪(よこしま)であるかをご覧になって、お気持ちが変わってな。とまれ、と星にお命じになった。だからなんだよ、星が空で宙ぶらりんになっていて、けれどいまにも落ちてきそうに見えるのは……」
 というのも、父は迷信ぶかいばかりでなく、お話のこつを心得た人でもあったのだ。つくり話に、本当の話。心の安らぐ話に、心の引き締まる話。教訓のある話、およそ要点のない話。信じられる話、信じられない話。どういう話とも分類のできない話。話上手の血は父の一族に流れていた。けれども話上手は母に備わった才能でもあった――ひょっとすると、父がこつを学んだのはじつは母からだったのかもしれない。なぜなら、私がごく幼かったころ、お話をしてくれたのは最初は母だったから。母は父と違い、話を自分の頭の中でこしらえるだけでなく、本からも採ってきて、夜、私を寝かしつけるため話して聞かせるのだった。
 そして母が死んでからというもの(母が死んだのは、私たちがウナギのわなの横で星を仰いで寝ころんだ、その半年前のことだった)、父は以前にも増して、闇に対する思慕、夜ごと覚える徘徊の衝動のとりことなっていた。まだ話さずにいる話が何かあって、そのことが片時も頭を離れないというふうにも見えた。というわけで、父が月明かりのもと野菜畑を検分して歩く姿や、眠っている鶏にむかって話しかけている姿、舟を通すための閘門(こうもん)や水量調節用の水門のわきを行きつ戻りつする姿を、私もときに見かけることがあった。そのようなとき、父の動きを教えてくれたのは、ふわふわと宙をさまよう、煙草の先の赤い火だった。
 私たちが住んでいたのはリーム川のほとり、水門番の田舎家だった。リーム川はノーフォーク州に源を発し、ウーズ川に注ぐ。そして言わずと知れたことだが、この地方の土地は平坦である。平坦も平坦、どこまでも単調に平たいのだ。この平坦さは人間を不安へと、夜も眠れぬ考えごとへと駆りたてるのに十分だ、そう言う人もいるかもしれない。リーム川の土手の上から眺めると、その平たい土地は地平線まで広がっていた。その一様な色、というのはつまり泥炭土の黒だが、そこに変化をつけているのはただ、土の上に広がる作物ばかり――灰色がかった緑はジャガイモの葉、青みがかった緑はビートの葉、黄色がかった緑は小麦。土地の一様な平らかさを破っているのはただ、用水路や排水路の、定規で引いたようにまっすぐな幾筋かの溝ばかり。それらは空模様次第、日の高さ次第で、銀色あるいは銅(あかがね)色あるいは金色の針金となり、畑地の中を走っていた。また、立ちどまってそれらを眺める者は、つい片目をつぶり、遠近法の法則について益もない思いをめぐらす羽目となるのだった。
 それでいてこの土地、これほど整然として、これほど平身低頭で、これほど手なずけられ耕されたこの土地が、五、六歳だった私の頭の中では姿を変え、住む人もない未開の地と化してしまうのだった。母にせがんでお話をしてもらったような晩、水門番の田舎家にいる自分たちが、人跡未踏の地のまっただなかにいるような、そんな気がしたものだ。そして線路の上を、キングズ・リン、ギルジー、イーリー方面に向かう列車が通り抜けていく音は、孤立無援の私たちに迫ってくる怪物のうなり声のようだった。
 やっぱり、おとぎ話的な土地だ。
 父はリーム川の水門の番人だった。水門は川がウーズ川に注ぎこむ地点から二マイル上流にある。しかし水門番の仕事は不規則だし、またその手当ては、住まいとなる田舎家の家賃がただということもあってわずかなものだし、それにいずれにせよ、一九三〇年代にはすでに、リーム川を行き来する舟の数は減ってしまっていたから、父は野菜をつくったり、鶏を飼ったり、ウナギを捕ったりもしていた。このような副業を投げだすのは、大雨や雪解けの折だけだった。そんなときには、父は水かさの変化を見まもり、予想しなければならないのだった。そんなときには、川の対岸寄り、流れに対して直角に、巨大なギロチンよろしく設けられた、上げ下げ式の水門の扉をあげなければならないのだった。
 というのも川は、私たちの田舎家の前で二つの水路に分かれていたからで、手前の水路に舟の通る閘門があり、むこう側に水門、あいだにはレンガでおおわれた堅牢なつくりの埠頭が小さな島をなし、埠頭の上には水門の原動機を納めた小屋がたっていた。そしてまだ、川が目に見えて増水をするまえから、つまり川がその色を変え、水源地ノーフォーク丘陵の白亜のため、白濁した茶色を呈しはじめるまえから、父には、いつ閘門の上を渡って小屋にいけばいいか、いつクランクを回して――金属のきしむ音、放たれた水の脈打つ音を聞きながら――水門をあげはじめればいいか、ちゃんとわかっているのだった。
 しかしふだんは、水門は川底の近くまでさげられたままで、そのぐらつくことのないギロチンの刃が、リームのゆっくりとした流れを押しかえし、舟の通過に適した状態をつくっていた。そんなときには、水門より上手の水路内の水は、閘室内の水と同様、なめらかで静かで、そこから発せられる匂いは、例の、真水と人間の技術とが交わる場所に特有の、フェンズでならばいたるところで嗅ぐことのできるものだった。ひんやりとして、泥みたいな、しかし痛切で、郷愁をかきたてる匂い。半分は人、半分は魚の匂い。そしてそんなときには、父にはウナギのわなや野菜畑にかける時間がたっぷりとあり、水門のほうは、さびと闘うこと、歯車に油を注すこと、水面にたまった浮遊物を取りのぞくことくらいで、あとは放っておいてよいのだった。
 というのも、大水であろうとなかろうと、リームはその戦利品たるガラクタを絶えず運んできたからだ。ヤナギの枝。ハンノキの枝。スゲ。壊れた柵。木枠。古着。羊の死骸。空き壜。ジャガイモの大袋。麦わらの梱(こり)。果物の箱。肥料の袋。すべては西へ進む流れに乗り、漂ってきては水門にひっかかるので、鉤ざおや草かきを使って取りのぞく必要があったのだ。
 そしてそんなふうにして、ある真夏の晩、空には撤回された神の恵みが輝き、といっても父が星の話をしてくれたときからはすでに何年も経っていたが、ハートと母親の乳のことを父が口にするようになってからはまだ二、三年で、ポンプのたてるトンプトンプという音が、夜には飛びたつ爆撃機の轟音によってかき消されていた、つまり正確に言えば一九四三年七月のこと、何かがリームを漂ってきて、鉄製の水門にぶつかり、そして渦に引っぱられ引っぱられ、水門に当たってはこすれる動きを朝まで繰りかえしていた。それは普通でない、前例のなかったもので、木の枝やジャガイモの袋のように始末するわけにはいかなかった。あるいは羊の死骸と同じようにもできなかった。というのも、この〈何か〉は死体だったのだ。そしてそれはフレディ・パーの死体だった。フレディは一マイルと離れていないところに住み、私とは誕生日もひと月ほどしか違わない同い年だった。

著者プロフィール

1949年ロンドン生まれ。ケンブリッジ大学卒業後、ヨーク大学でも学び、英語教師を経て、1980年、The Sweet Shop Ownerで作家デビュー。1983年、文芸誌「グランタ」によって、ジュリアン・バーンズ、イアン・マキューアンらとともに「イギリス新鋭作家20傑」に選出される。同年刊行の『ウォーターランド』でガーディアン小説賞ほか受賞、1996年、『最後の注文』でブッカー賞ほか受賞。その他に『この世界を逃れて』などがあり、10作目の小説となる『マザリング・サンデー』は、「最良の想像的文学作品」に与えられるホーソーンデン賞を受賞した。

真野泰

マノ・ヤスシ

1961年生まれ。学習院大学文学部教授。訳書にグレアム・スウィフト『ウォーターランド』、『最後の注文』、ジュリアン・バーンズ『アーサーとジョージ』(共訳)、イアン・マキューアン『夢みるピーターの七つの冒険』、ジョン・マグレガー『奇跡を語る者がいなければ』など。

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

グレアム・スウィフト
登録
真野泰
登録
文芸作品
登録
評論・文学研究
登録

書籍の分類