夏の嘘
2,200円(税込)
発売日:2013/02/28
- 書籍
小さな嘘が照らし出す、かけがえのない人への秘められた思い。十年ぶりの短篇集。
避暑地で出会った男女。疎遠だった父と息子。癌を患う元大学教授。人気女性作家とその夫。老女とかつての恋人。機内で隣り合わせ、奇妙な身の上を語り続ける男――。ふとしたはずみに小さな嘘が明らかになるとき、秘められた思いがあふれ出し、人と人との関係が姿を変える。ベストセラー『朗読者』の著者による、七つの物語。
バーデンバーデンの夜
森のなかの家
真夜中の他人
最後の夏
リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ
南への旅
訳者あとがき
書誌情報
読み仮名 | ナツノウソ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-590100-4 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 2,200円 |
書評
波 2013年3月号より あなどれない人生
これは長篇小説『朗読者』のモチーフでもあるが、そのベルンハルト・シュリンクが、あの手この手で隠し事、嘘、秘密の世界が一筋縄ではいかないことを楽しませてくれる短篇集である。
この世には是非とも隠さなくてはならない切実な秘密もあるが、それほどのことはないが本当を話すと嘘だと思われそうなので、世間の共通認識である「本当」に合わせて本当らしい嘘をついてしまうこともある。
たとえばこの中の「バーデンバーデンの夜」である。ある作家のはじめての戯曲が、バーデンバーデンで初演を迎える。温泉場で初演だなんて日本の感覚だと安っぽい気がするがそうではないようである。なにしろ昔はドイツだけではなく広くヨーロッパの王侯貴族の「夏の都」だったそうだから、それ相応にステイタスがあるらしい。芝居は成功して作者も舞台に呼ばれて拍手を浴びる。シャンパンをのむ。恋人に見せたいところだが、彼女は仕事があってその一泊旅行に来られない。で、女友だちとツインではあるが一緒に泊ってしまう。セックスはなかった。本当である。しかし、信じて貰えそうもないから恋人には隠す。嘘をつく。やがてそれがバレてしまう。なにもなかったのなら隠さなくてもいいじゃないかということになる。
人によっては軽い艶笑譚か人情咄にでもしてしまいそうなエピソードを、シュリンクは二転三転させて、他者の計り難さ、結びつきのただならない繊細さと困難、自分の真実。なにをもってそれが真実といえるのか。「真実とともに生きることができるために、人は自由でなくてはいけないのかもしれない」と大真面目な大テーマにしてしまう。
それがシュリンクの魅力である。
ストーリーも人物も面白い。だったら、その人間や人生に、どしどし深度を求めて先へ進んでなにが悪いだろう。たしかに、理屈や説教や通俗にも堕しやすい方向だが、その欠点をどの作品もまぬがれているのは、全篇の底に流れている不確かさ、不安のせいだと思う。
「真夜中の他人」は、飛行機で隣合った男のありそうもない身の上話から、あっという間にその男の現実に巻きこまれてしまう。他者は自分に見当がつく範囲の世界で生きているわけではない。年月を経た話になり、結局のところその他者の行為が善意か悪意かもよく分らない。
「最後の夏」も、自分なりに十全に他者を配慮して決断したことが、他者の目には身勝手な感傷の行為と思われてしまう話である。妻に去られて、しかし日々の生活に困るという男ではない。なんでも出来る。でも「きみなしで生きられないのは、きみがいないとすべてに意味がなくなってしまうからなんだ。ぼくが人生のなかでやってきたことはすべて、きみがいるという前提のもとでできたことなんだ」と気づく。若い人にはバカ気て聞えるかもしれないが、一緒に長い歳月を重ねた老人の言葉としては、そのような他者を失うと、あとは空虚しかないという思いは身につまされる。
そして更に「南への旅」がとてもいい。
南といってもチューリッヒなのである。いまいるところより南というほどのことである。
施設に入っている老女が、ある日子どもたちへの愛が消えてしまっていることに気づく。こういう大胆さ率直さ正直さがシュリンクはすばらしい。誕生日にはみんなでやって来る。断りたいが、当惑させても気の毒なので嬉しいふりをする。周囲のすべてがふりをしているように思えてしまう。その老女の覚醒と、それを表に出さない深く諦らめた抑制が静かに描かれる。孫娘の娘らしい思い込みにつき合って、一緒に昔の男と再会する旅に出るのである。
あなどれない他者、どう変るかもしれない自分。不測の人生の物語である。
短評
- ▼Taichi Yamada 山田太一
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誰もが小さな、あるいは大きな隠し事を持って生きている。これは長篇小説『朗読者』のモチーフでもある。その著者シュリンクが、隠し事、嘘、秘密の世界が一筋縄ではいかないことをあの手この手で語り、楽しませてくれるのがこの短篇集である。ストーリーも人物も面白い。他愛ないエピソードも二転三転させて、大真面目な大テーマにしてしまう。それが理屈や通俗に堕すことをまぬがれているのは、全篇の底に流れている不確かさ、不安のせいだと思う。あなどれない他者、どう変わるかもしれない自分。これは不測の人生の物語である。
- ▼Die Welt ディー・ヴェルト紙
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七つの人間関係を描いた物語のなかで、ベルンハルト・シュリンクは人が真実から遠ざかっていく際のさまざまな姿に迫る。真実から遠ざかることで人はときに何かを失い、ときに幸運を招き寄せるのである。
- ▼The New York Times ニューヨーク・タイムズ紙
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この本に収められた物語のひとつひとつが、確かな手ごたえと充実した重みを持っている。そして、繊細で移ろいやすい感情が捉えられていることが、作品の完成度をさらに高めている。
訳者あとがき
シュリンクの二冊目の短編集『夏の嘘』は、彼の新境地を示す作品である。『朗読者』で世界的なヒットを飛ばした彼の小説には、これまで何らかの形でドイツの現代史が色濃く反映していた。ナチ時代の犯罪に対して若い世代がどのように向き合うべきかを問うた『朗読者』はもちろんのこと、ナチズムとの関係を追及される前にアメリカに渡って新しいキャリアを築く哲学者と、彼の認知されざる息子を描いた『帰郷者』、ドイツ赤軍派の元テロリストが恩赦で釈放されてからの三日間を描いた『週末』などの長編小説はドイツでさまざまな議論を巻き起こしたし、一冊目の短編集『逃げてゆく愛』にも、ナチ時代、ドイツ再統一、ユダヤ人との和解など、近過去に関わる重要なキーワードが含まれていたように思う。ところが『夏の嘘』ではアメリカを舞台にした作品がぐっと多くなり、男女や親子のあいだの葛藤と、それに絡む多種多様な形の「嘘」と「真実」のあり方がテーマになり、作者がより普遍的で哲学的な物語を目指しているような印象を受けた。
この本に収められた七つの短編のうち、「シーズンオフ」と「森のなかの家」の主人公たちは、ドイツ人男性とアメリカ人女性のカップルであることが目につく。「バーデンバーデンの夜」に出てくる主人公の恋人のアンも、ドイツ人ではなさそうだ。「真夜中の他人」はニューヨークからフランクフルトに戻る飛行機のなかで始まっているし、「最後の夏」は、何年にもわたってニューヨークの大学で客員教授として教えてきた男の晩年を描いている。成功した男もいれば、それほどでもなくてコンプレックスに悩む男もいるけれど、国境を越えて移動をし、外国で恋愛することにも抵抗のない男たちの姿がそこにある。作者のシュリンク自身、ドイツのベルリン・フンボルト大学で教鞭をとりながら、アメリカやイギリスの大学でも教壇に立っている。
でもこの短編集には、なんて優柔不断な男性が多いのだろう! 翻訳者が登場人物に対してコメントするのは筋違いなのだけれど、読んでいて主人公男性にダメ出ししたくなってしまう場面がいくつもあった。気を遣いすぎる内向的な男性の登場人物に対し、女性の方は積極的でちょっと強引すぎたりする。ただそれは、男性目線のストーリーが多いこととも関係があるのだろう。男性の心のなかにあるさまざまな不安(「シーズンオフ」のフルート奏者の脳裏をよぎる「彼女を性的に満足させられるだろうか?」という自問はその典型的なものだ)が正直に書かれているために、読者はついつい、自信がなさそうな男性たちの姿をたくさん目撃することになってしまう。もっとも、こうした自問の数々は、彼らが傷つきやすく、心優しい知的な男性であることも示している。こうした不安をいちいち口にするわけではないから、彼らとデートしたり一緒に暮らしたりしている女性は何も気づかず、安定したパートナー像を相手のなかに見出していくのかもしれない。その見せかけの安定がちょっとしたことで崩壊していく恐ろしい瞬間がやってくる。そんなとき、登場人物たちの示す反応はとても興味深い。
「真実」と「嘘」をめぐる悲劇は、結局はコミュニケーションの行き違いから起こることが多いのだろう。相手を気遣って「真実」を言わなかったために、逆に深く傷つけてしまうこともある。「バーデンバーデンの夜」がそうだ。ちょっとした嘘がばれ、その後はどんな「真実」も信じてもらえなくなってしまう。だが、「真実」とは何なのだろう? 納得しやすい事実だけが「真実」なのだろうか? 「バーデンバーデンの夜」で主人公の劇作家が最後にとる行動は意味深である。「真実」を語れ、とさんざん恋人に責め立てられた彼には、二人の関係についての別の「真実」が見えてきてしまった、ということなのか。「最後の夏」という短編で、夫の秘密を知った途端に妻がとる行動にもびっくりさせられる(これが日本だったら家族はもう少しいたわってくれるだろうか)。
語り手が自分自身に嘘をついていることもあるし(たとえば「南への旅」の主人公女性は、自分でも気づかないままに事実を捏造している)、延々と打ち明け話をされて、どこまでが真実かわからない場合もある(そういう意味で、「真夜中の他人」はほんとうに奇妙な話だ)。さらには「嘘」が高じて「妄想」になり、あわや人の命が奪われそうになるケースも(「森のなかの家」)……。
七つの短編のなかで、「リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ」だけは、親子の相互理解を巡る話だ。息子の問いに対し、父親は積極的に答えようとしない。とりつくしまのない父親は、「嘘」をついているわけではなく、理解可能な形で「真実」を語ることを、最初からあきらめているかのように見える。この父親はナチ時代に職を失っているが、世代間の理解の話として考えれば、日本でも似たようなエピソードはいくらでも見つかりそうだ。
どの短編も余韻を残して終わっていて、主人公たちがその後どうなっていくのか、想像をかき立てられる。その点、シュリンクはあいかわらず語りの名手である。
シュリンクの近況を調べてみると、フンボルト大学ではあいかわらず授業を続けており、二〇一三年のゼミの内容もすでに発表されている。そのなかに、「法と文学」というテーマのゼミがあるのはいかにもシュリンクらしくておもしろい。授業は毎週ではなく、主に集中講義形式で行っているようだ。昨年はもともとの専門である法学関係の論文も複数発表しており、まだまだ研究者としても精力的に活動しているのがわかる。また、長編小説『週末』が映画化され、二〇一三年四月からドイツで公開されるらしい。『週末』には密度の濃い室内劇の要素もあり、どんな仕上がりか、非常に楽しみである。
翻訳に際しては、新潮社の佐々木一彦さん、猪股和夫さん、岡本勝行さんに大変お世話になりました。遅れがちな作業を励ましとともに導いてくださり、ありがとうございました。この本をお読みくださった読者のみなさまにも心から感謝いたします。
二〇一三年一月
松永美穂
著者プロフィール
ベルンハルト・シュリンク
Schlink,Bernhard
1944年ドイツ生まれ。小説家、法律家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、ボン大学、フンボルト大学などで教鞭をとる。1987年、『ゼルプの裁き』(共著)で作家デビュー。1995年刊行の『朗読者』は世界的ベストセラーとなり2008年に映画化された(邦題『愛を読むひと』)。他の作品に『週末』(2008)、『夏の嘘』(2010)、『階段を下りる女』(2014)、『オルガ』(2018)など。ベルリンおよびニューヨークに在住。
松永美穂
マツナガ・ミホ
早稲田大学教授。訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)『階段を下りる女』『オルガ』、ウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』、ヘルマン・ヘッセ『車輪の下で』、ヨハンナ・シュピリ『アルプスの少女ハイジ』、ラフィク・シャミ『ぼくはただ、物語を書きたかった。』ほか多数。著書に『誤解でございます』など。