「戦争」が生んだ絵、奪った絵
1,760円(税込)
発売日:2010/11/25
- 書籍
戦争によって、何が失われたかを、今一度、考えよう!
「戦争」を生き抜いた画家は、今度は“戦争体験”と戦わねばならなかった。戦争の激浪に拉致された画学生・画家たちは、沈黙を強いられることとなった。青春の夢・希望を無残に断ち切られたことでは、両者は同じ、犠牲者だった。描きたい、描き続けたい志を真直ぐに果たせなかった彼らの無念の叫びを、風化させてはならない!
中村萬平/椎野修/市瀬文夫/佐久間修/吉田二三男
関口清/大貝彌太郎/白澤龍生/益田卯咲
岡田弘文/興梠武/近藤隆定/伊勢正三/大谷元/伊澤良雄/高橋助幹/大江正美
眠れる「絵の骨」のこと 窪島誠一郎
書誌情報
読み仮名 | センソウガウンダエウバッタエ |
---|---|
シリーズ名 | とんぼの本 |
雑誌から生まれた本 | 芸術新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 144ページ |
ISBN | 978-4-10-602213-5 |
C-CODE | 0370 |
ジャンル | ノンフィクション、日本史 |
定価 | 1,760円 |
担当編集者のひとこと
「戦争」が生んだ絵、奪った絵
〈「戦争」が生んだ絵〉とは、「戦争」を生き抜いた画家たちが、今度は戦争体験と向きあわねばならなくなり、それを作品にまで昇華させた絵。画家たちの内なる戦いが、いかなるものであったか、戦争体験をもたない人がほとんどとなった今、うかがい知ることはむずかしい。〈私も学校を半年早く卒業させられて、すぐにもソ連との国境近くに連れ出されている。そこで肋膜に水がたまり、内地に連れもどされた(略)どうしてあなたは生きて還れたのですか、と遺族の方々に尋ねられるたび、私はとても後ろめたい気持になったものだ。たしかにあの辛さに耐えかねて、体が逃げだしてきたものだろう。〉と、上田市にある戦没画学生慰霊美術館「無言館」開館に際し書かれた野見山暁治氏による本書の香月泰男論は、そのような間隙をうめてくれる。
では〈「戦争」が奪った絵〉とは? 実在しない絵を図示することはできない。そこで編集者が取った手段は? それが狙い通りになったか? 失敗だったか? 編集者は、その結果をじっと待つしかない、と観念している。
2016/04/27
著者プロフィール
野見山暁治
ノミヤマ・ギョウジ
1921年、福岡県生れ。1943年、東京美術学校(現・東京芸術大学)油画科卒業。1958年、安井賞受賞。1978年、『四百字のデッサン』(河出書房新社)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1981年、東京芸術大学教授を退官。1992年、芸術選奨文部大臣賞受賞。1997年、毎日芸術賞受賞。2000年、文化功労者。2003~04年、東京国立近代美術館などで回顧展「野見山暁治展」開催。画集に『野見山暁治作品集』(講談社)があるほか、主著に『一本の線』(朝日新聞社)、『うつろうかたち』(平凡社)、『いつも今日―私の履歴書―』(日本経済新聞社)、『空のかたち―野見山暁治美術ノート―』(筑摩書房)などがある。画家、エッセイスト。
橋秀文
ハシ・ヒデブミ
1954年、兵庫県生れ。1984年、早稲田大学大学院博士課程を経て、神奈川県立近代美術館に勤務。現在、同館専門学芸員。主著に『ドラクロワとシャセリオーの版画』(岩崎美術社)、共著に『描かれたものがたり―美術と文学の共演―』(岩波書店)、『カラー版 水彩画の歴史』(美術出版社)などがある。「浜田知明一彫刻による諷刺」(2000 神奈川県立近代美術館別館)、「版画と彫刻による哀しみとユーモア 浜田知明の世界展」(2010 神奈川県立近代美術館葉山)などを担当する。
窪島誠一郎
クボシマ・セイイチロウ
1941年、東京生れ。印刷工、酒場経営などを経て、1964年、小劇場「キッド・アイラック・ホール」を設立。1979年、夭折画家の作品を展示する「信濃デッサン館」を設立。1997年、戦没画学生慰霊美術館「無言館」を設立、その活動は野見山暁治とともに、2005年、菊池寛賞受賞。主著に、『父への手紙』(筑摩書房)、『「無言館」の坂道』(平凡社)、『漂泊・日系画家野田英夫の生涯』(新潮社)、『高間筆子幻景』(白水社)、『戦没画家 靉光の生涯』(新日本出版社)などがあり、野見山暁治との共著『無言館はなぜつくられたのか』(かもがわ出版)がある。「無言館」「信濃デッサン館」各館主。