説き語り 中国書史
1,540円(税込)
発売日:2012/05/25
- 書籍
三千五百年にわたる、豊かでわくわくするドラマを楽しもう!
真筆が存在しない王羲之の書はどのような姿をしていたのか? 顔真卿が切り拓いた書の新しい表現とは何か? 蘇軾の卓越した書はどこから生まれたのか? 甲骨文、金文から篆書、隷書、王羲之、北魏石刻、初唐三大家、狂草、顔真卿、蘇軾、黄庭堅、明末連綿草、金農、さらには篆刻まで。中国の書の歴史が面白いほどわかる!
書誌情報
読み仮名 | トキガタリチュウゴクショシ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 242ページ |
ISBN | 978-4-10-603708-5 |
C-CODE | 0371 |
定価 | 1,540円 |
書評
波 2012年6月号より 無筆の時代
それでもついでだからと、会場を一巡りして見たけれど、草書を習ったことのない私などには残念なことに、ほとんどが読めない字ばかりであった。中には、墨象作品もあって、これは読めない道理である。「楷書なしの書道展……」と、悔し紛れにつぶやいて、私は会場を出てきた。
そもそもこういう書展で楷書の作品を見ることは稀である。「楷書で書くと下手なことがばれるからだろう」と私は自分の基準で思ってきたが、この「説き語り 中国書史」を読むと、楷書というものがいかなるものであるのかよく分かる。これを読んで、書道展の作を好意的に解すれば、今さら楷書の作を出品しても仕方がない、という面もあるのであろう。
ところで、最近、沖縄の米軍基地の移転問題で、大臣らが東京から、まるで、わざわざ失言するのが目的であるかのように沖縄県知事に会いに行くけれど、その会見の場に、端正な楷書で書かれた屏風がある。内地では見たことのないような、綺麗な、規矩の正しい、お手本にしたいような字である。ニュースの度に、私は、心ならずも頭を下げる大臣と、出来るだけ頭を下げないようにしている沖縄県知事のほうではなく、その背景の屏風のほうに目を凝らして見るのだが、カメラはそっちの方を映すのが目的ではないから、誰の書か、よく読み取れないでいる。
本書より前に出た、「説き語り 日本書史」には、日本人は中国人が、それこそ血みどろの歴史を通じて造り上げた漢字を借用して日本語を表記し、やがて、平安の三筆、三蹟の時代になって漢字を日本式に書くようになると、中国書史から離れる。つまり、漢字という列車に途中乗車し、途中下車したと書いてある。
しかし、この沖縄県知事の部屋の屏風などを見ると、沖縄県人は、漢字との付き合いが、内地の人間より密接で、どうも途中下車しなかったのではないかと思われてくる。それで、あんなに生真面目で、いわば無色透明な漢字が書けるのではないか。
もうひとつ、台北の大きな書店で、元代の鮮于枢の手になる「行書詩賛巻」と題した法帖を買って、時々、臨書していたが、その字がなんとなく上手すぎ、綺麗すぎて物足りなく思っていた。今、本書を読むと、鮮于枢の書について、
そのままで現在の書道の手本として使えるほど通俗的であり、その意味では現代的でもあります。こすりつけるような筆蝕が反復されていますが、これまた能面のように生気がなく、無表情です。 |
とある。なるほど、そういうことか。そして、そんな字になった事について、四つの理由を上げている。
1) | 宗代以降、大衆の成熟が進展します。文学でいえば、白話文、詞、曲(戯曲)などが発達し、それまでは教養に乏しいとされてきた商人など民間人の知識が向上してきます。また逆に、知識人とされてきた士大夫が卑俗とされてきた民間の文学に参加するようにもなります。 |
2) | 蒙古による征服王朝のもとで、蒙古族の嗜好にかなう音楽や演劇が流行します。そして西域(西アジア)から文化が流入し、定着していきます。 |
3) | 趙孟フは宋の宗室の一族出身でありながら、元朝に仕えました。そのような二君に仕えた知識人たちは仮面のようなふるまいを強いられたことでしょう。自らの思想を表明することが極めて危険である場合、自説を述べずに済む中立的で無害の教師的立場をとりがちです。 |
4) | 宋代以降、活字による印刷が発達してきます。この印刷文字が書字の場に逆流することにより、活字のような機械的構成、無表情な書きぶりの書が誕生することになります。 |
何だかこの状況は、今の日本にも通じるものがあるように思われる。サブカルチャーばかりが盛んで本来の教養が衰退し、戦争に負けてから、戦勝国の音楽、演劇に席巻され、中立的で無害な言説が横行し、ボールペンどころかパソコンでしか字が書けなくなった我々。おまけに、国技たる相撲まで蒙古人に……といえば、もはや力無く笑うしかあるまい。
担当編集者のひとこと
説き語り 中国書史
「書の美」とは何かを理解するには欠かせない一冊 展覧会などで書を見たとき、端正だとか勢いがあるとかは感じられても、なぜその書が素晴らしいのかわからないという人は多いのではないでしょうか。そんな人におすすめの本です。
著者の石川九楊さんによると、書というのは筆記具の尖端(筆尖)が紙に触れ、紙の反発する力に抵抗しながら書きすすめられるものです。その、筆尖と紙が接触し、摩擦するところに、筆蝕というドラマが生まれるそうです。実は、書を読み解くというのは、この「筆蝕のドラマ」を読み解くことにほかなりません。そして、筆蝕のドラマを読み解くことによって、はじめて書の美を理解することができるというのです。
中国書史は、甲骨文、金文から篆書、隷書、王羲之、北魏石刻、初唐三大家、狂草、顔真卿、蘇軾、黄庭堅、明末連綿草、金農、さらには篆刻まで、三千五百年にわたる、とても豊かなドラマをもっています。筆蝕が織りなしてきた、楽しくて奥深いドラマをぜひ味わってください。
本書は『説き語り 日本書史』につづく、書史入門の第2弾です。前作同様、細かいことは省いて、中国の書の歴史の大きな流れを理解できるようにしました。200点以上ある図版をたどるだけでも、中国の書の豊潤な魅力が十分楽しめるはずです。
2016/04/27
著者プロフィール
石川九楊
イシカワ・キュウヨウ
書家、評論家、京都精華大学客員教授。1945年、福井県生れ。京都大学法学部卒業。評論活動、創作活動を通じ、「書は筆蝕の芸術である」ことを解き明かす。著書に『中國書史』(京都大学学術出版会)、『日本書史』『近代書史』(名古屋大学出版会)、『日本語とはどういう言語か』(講談社学術文庫)、『やさしく極める“書聖”王義之』『ひらがなの美学』(新潮社)、『石川九楊著作集』全12巻(ミネルヴァ書房)、編著に『書の宇宙』全24冊(二玄社)など。