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精神論ぬきの保守主義

仲正昌樹/著

1,430円(税込)

発売日:2014/05/23

  • 書籍
  • 電子書籍あり

保守は何を守るのか? “真正保守”とは一線を画す入門書。

日本の“真正保守”は、なぜやたらと社会を“革新”したがるのか? 保守とネット右翼・愛国主義はどこが違うのか? ヒューム、バーク、トクヴィル、バジョット、シュミット、ハイエク……西欧の保守思想の源流から、本来の保守が持つ制度的エッセンスを取り出し、民主主義の暴走から社会を守るための仕組みを洞察する。

目次
はじめに
第一章 ヒューム――慣習から生まれる正義
思想史の中のヒューム/理性と慣習/情念と慣習/正義と所有/「統治」の起源/「忠誠」と「抵抗」/スコットランド啓蒙主義におけるヒューム
第二章 バーク――相続と偏見による安定
バークの立ち位置/「革命」評価の問題/統治者の選択をめぐる問題/相続財産としての自由/制度と権利/国教会制度の意義/偏見と実践/慣習による国際秩序
第三章 トクヴィル――民主主義の抑制装置
ポスト革命の自由主義とトクヴィル/アメリカの民主主義/多数派の圧制/多数派の圧制を緩和するもの/法律と習俗/民主的専制/旧体制のフランス/「自由」を破壊した思想
第四章 バジョット――無駄な制度の効用
一九世紀半ばの英国/イギリスの憲法/国王の地位/貴族院の可能性/庶民院のあるべき形/進化と政治/討論の時代
第五章 シュミット――「法」と「独裁」
危機の時代の思想家/「秩序」と「独裁」/大統領の独裁と「例外状態」/「民主主義」の本質/「具体的秩序」の構想/「大地のノモス」
第六章 ハイエク――自生的秩序の思想
経済学から政治哲学へ/「隷属への道」からの離脱/メタ・ルールとしての「憲法」/「進化」と「ルール」/カタラクシーと抽象的ルール/テシスとノモス
終章 日本は何を保守するのか
英米、ドイツ、日本/「細部」に見られる慣習の力/「大学の自治」/憲法と日本社会/九条と例外状態/何を保守するのか
あとがき

書誌情報

読み仮名 セイシンロンヌキノホシュシュギ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-603748-1
C-CODE 0331
ジャンル 哲学・思想
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,144円
電子書籍 配信開始日 2014/11/28

書評

波 2014年6月号より 二一世紀の新しい思想形態

橋本努

保守主義とは、やっかいな思想である。進歩的な考え方に抗して、「古くからあるものを守ろう」というのがその主旨であるが、では何を守るのかといえば、それこそ人々の価値観によって、さまざまに異なってくる。日本では「保守主義」というものが、一九世紀半ば以降の西欧的な近代化に抵抗する運動として現れたため、これを思想的に徹底すれば、江戸時代末期の生活習慣にまで戻るべきだということになる。けれどもそこまで本気で「保守」を唱える人は少ないのであって、保守と言っても、やれ昭和に戻れ、明治に戻れといった復古的な主張が乱立するのみで、そこに思想的な一貫性があるようには思われない。
それでも保守主義は、それぞれの時代状況に応じて、進歩主義に対抗するための陣営をなしてきた。例えば第二次世界大戦後の冷戦状況のもとでは、マルクス=レーニン主義的な共産主義の思想が進歩的とみなされ、これに対抗する勢力、例えばアメリカ型の自由主義や穏健な社会主義は、おしなべて現実路線をさぐる保守政治とみなされた。ところが一九八九年に東欧諸国の共産社会が崩壊すると、今度は新自由主義的なグローバル化のイデオロギーが進歩的とみなされ、これに対抗する反グローバリズムの立場が「保守」とみなされるようになった。新自由主義はもともと保守的な思想運動として始まったのであるが、それがいまではマルクス=レーニン主義に代わる進歩思想とみなされている。
つまり保守か進歩かというスタンスは、時代状況が変わればガラリと反転してしまうのであって、一貫させようとしても無理がある。それでも、時代の変化に抗して保守の根源を探ろうとすれば、結局、制度や政策の細かい問題はすべて脇において、「日本文化の象徴たる天皇制を擁護すべし」といった精神的な話に行きついてしまうだろう。
本書が批判するのは、しかし、そのような「日本古来の高貴な精神価値」をもちだす真正の保守主義である。復古的な保守の議論にはまともな制度論が欠けており、具体的な政策の話になると曖昧になってしまう。これに対して西欧の保守思想家たちは、慣習的に形成されてきた法・政治・経済のシステムに焦点をあて、実効的な制度を論じてきた。本当の保守思想を理解するためには、これらの思想家に学ばなければならない、というのが本書の主張である。
制度の観点からみると、保守のイメージはやや異なってくる。一般にヒュームやトクヴィルは保守主義者とはみなされないが、本書ではこの二人の保守的な側面に光が当てられる。このほか本書では、バーク、バジョット、シュミット、ハイエクの思想がていねいに紹介されており、読者は良質な文体に導かれて、保守思想の世界に誘われよう。実は、これまで保守主義に関するよい入門書というものは、英米圏でも書かれたことがなかった。本書によって、私たちは見通しのよい見取り図を手に入れたことになる。これに加えてアクトンやオークショットの保守思想も学びたいが、制度論としての保守主義はおおよその輪郭を得たように思われる。
人生、若い頃は変化に富んだ生活を求めるとしても、齢とともに守りに入ることは自然な成り行きである。これまで培ってきた文化や慣習を、後続の世代に伝えたいという感覚は、私も大切にしたいと思っている。しかし保守といっても、失われたものを再生しようとする「復古型」の保守と、現行の慣習・文化を大切にする「現状維持型」の保守とでは、意味が異なってくる。復古型の保守は、実際には存在しなかった古き良き時代を想像して、これをラディカルに復元しようとする点では、ほとんど進歩主義である。それゆえシュミットのようなカトリック派の保守思想家は、これを「政治的ロマン主義」と呼んで批判したのだった。
復古型の保守は、実効的な制度案をほとんど提起しない。これに対して現状維持型の保守は、一見すると無駄で非効率な慣行にも理があると訴える。ただ逆説的なことに、維持すべき日本の慣行とは多くの場合、これまで進歩派が培ってきた制度である。例えば大学における教授会の自治や、憲法九条の擁護など、それが非合理的にみえる場合にも、そこに隠された価値を発見することが保守の役割であるとすれば、現行制度の保守とは、進歩派のしたたかなプロジェクトであって、二一世紀の新しい思想形態のようにもみえてくる。進歩派の継承のためにも、また保守派の制度論のためにも、本書は有益な示唆を多々含んでいる。私たちの時代に必読の入門書ではないだろうか。

(はしもと・つとむ 北海道大学大学院教授)

担当編集者のひとこと

精神論ぬきの保守主義

「転向」の理由 物心がついて以来、ついぞ「思想」などは持ち合わせたことのない私ですが、実家では朝日新聞を読み、学校では(今から思えば)日教組系の先生方の授業を受けていたせいか、若い頃はどちらかと言えば進歩主義寄りの考え方を持っていたと思います。
 ところが、なぜか30歳を過ぎたあたりから、「もしかしたら自分には保守的な面もあるかも知れない」と思いはじめ、40歳を過ぎた今では、「明らかに自分は保守寄りの人間である」と思うようになりました。
 なぜ私は「転向」してしまったのか。その理由に思い至ったのは、本書の「はじめに」に記された以下の部分を読んだ時です。


「保守主義」が台頭するのは、古くからの伝統や慣習を解体して、歴史を先に進めようとする「進歩主義」が勢いを増す時期だということがある。「古くからあるもの」を破壊しそうな勢力が特に目立っている状況でなければ、「保守主義」という思想を“新たに”立ち上げる必要はない。


 思えば今世紀に入ってから、日本で持て囃されてきた政治家といえば、小泉純一郎に安倍晋三、鳩山由紀夫や菅直人、あるいは橋下徹など。左右の違いはあれど、いずれも「古くからあるもの」に対する破壊衝動を剥き出しにした人たちでした。どうやら彼らを見ているうちに、私の中の「内なる保守」が台頭してきたようです。
 というわけで、本書の狙いは、「古いもの(法規制や中間団体)をぶっ壊せば、素晴らしい“新生日本”が誕生するに違いない」という、日本社会に蔓延する思い込みを打破することにあります。はたして、西欧の思想家たちは、どのような考えで「古くからあるもの」を擁護したのか。目からウロコが落ちるような知見が満載されています。

2016/04/27

著者プロフィール

仲正昌樹

ナカマサ・マサキ

1963年広島生まれ。金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史。東京大学教養学部理科I類を経て、東京大学教育学部に進学。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。著書に『集中講義! 日本の現代思想』『集中講義! アメリカ現代思想』『いまこそハイエクに学べ』『今こそアーレントを読み直す』『ハイデガー哲学入門』『カール・シュミット入門講義』『〈ジャック・デリダ〉入門講義』『精神論ぬきの保守主義』他多数。

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