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漢字世界の地平―私たちにとって文字とは何か―

齋藤希史/著

1,320円(税込)

発売日:2014/05/23

  • 書籍
  • 電子書籍あり

「読み書き」とはいかなる行為か? 漢字論の新たなる挑戦!

私たちは漢字のことをどのくらい知っているだろう。漢字はいつどのようにして漢字となり、日本人はこれをどう受けとめて「読み書き」してきたのか。そもそも話し言葉にとって文字とは何か。和語、訓読、翻訳とは? 古代中国の甲骨文字から近代日本の言文一致へ――漢字世界の地平を展望し、そのダイナミズムを解き明かす。

目次
はじめに
第一章 漢字とは何か――文字が作る世界
漢字の祖先
金文の位置
文字の帝国
拡大する漢字圏
第二章 言と文の距離――和語という仮構
もたらされる文字
和習への意識
ハングルとパスパ文字
仮名の世界
第三章 文字を読み上げる――訓読の音声
訓読の否定
『論語』のリズム
書物の到来
『古事記』と『日本書紀』
第四章 眼と耳と文――頼山陽の新たな文体
近世の素読
『日本外史』の位置
眼と耳の二重性
第五章 新しい世界のことば――漢字文の近代
翻訳の時代
漢文脈の再編
訓読体から国民文体へ
終章 文化論を超えて

参考文献
あとがき

書誌情報

読み仮名 カンジセカイノチヘイワタシタチニトッテモジトハナニカ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-603750-4
C-CODE 0381
ジャンル 言語学
定価 1,320円
電子書籍 価格 1,056円
電子書籍 配信開始日 2014/11/28

書評

波 2014年6月号より 漢字、この未知なるもの

品田悦一

同僚だから「齋藤さん」と呼ばせてもらう。
齋藤さんの書いたものを読んでいつも感心するのは、悠揚迫らない語り口だ。少しも力んだところがなく、淡々と説き進めながら、大胆な主張を次々に繰り出してくる。通説をいとも涼しげに破壊してのけたかと思うと、てきぱき組み換えてみせる。今度の本にもその本領は遺憾なく発揮されている。
中国を中心とする東アジアを「漢字文化圏」とする見解は通念ともいえるもので、最近では「漢文文化圏」と言い換える向きも現れているが、齋藤さんは、「文化圏」という括り方自体に潜む同一性や共通性への誘惑を警戒すべきだと言い、これらに代わる用語「漢字(文)圏」を提案する。「漢字圏における文化を言うのであれば、それは漢字によって流通した文化であると同時に、あるいはそれ以上に、漢字との格闘そのものが文化であるような性質を持つものであろう」。
「漢字とは何か」との問いに対しては、「中国人が中国語を書き記すために作った文字」と答えるのが常識的な線だろう。多少物識りな人なら、日本や朝鮮やベトナムは自前の文字を編み出す前に漢字を受け入れ、自分たちのことばを書き表わすのに使用してきた、といった説明を付加するかもしれないし、そこから仮名の成立やハングルの発明、またローマ字の採用などにも言い及ぶかもしれない。
だが齋藤さんに言わせると、漢字は中国においても決して自前の文字ではなかった。「大陸であれ、朝鮮半島や日本列島であれ、文字は始めに、また常にもたらされるものであった」。
なにしろその生い立ちにしてからが、言語を写すためのものではなかった。漢字の祖先である甲骨文字は、殷の人々の日常言語とはまったく別次元の、卜占の結果を記録する記号として発足し、神官集団の手で書記言語としての機能を付与された。周という、殷とは別系統の言語を話したらしい種族に継承されることが可能だったのも、もともと口頭言語との対応が緊密でなかったからだという。
その後、甲骨文から金文へ、さらには篆書・隷書へという展開とともに、くだんの文字は音声言語との結びつきを強めながら世俗的用途を拡張し、黄河と長江の流域を中心とする広大な地域に普及していく。その結果各地に多様な書記システムが生まれ、秦漢帝国のもとで再統一される。第一次漢字圏の成立である。銘記すべきは、この統一はあくまで読み書きの次元での統一であり、各地の音声言語は手つかずのままだったという点だ。いわゆる漢民族は、言語の面では決して均質な集団ではない。
中国の漢字圏が東アジア全体に拡張したものが第二次漢字圏であり、その成立を支える原理は第一次段階のものと通底していた。たとえば訓読は、戦国時代以降の漢文に助辞の使用が増加した現象に比せられるし、仮名の開発なども、仮借という、もともと漢字の読み書きシステムに内包されていた手法の延長上に位置づけることができる。
さらに下って、近代の入り口で生じたのは、「漢語漢文の世界が西欧語との対照によって再編され、新しい漢語漢文の世界が形成され」るという事態だった。基点を伝統的な漢籍から西欧の原書に移すことで新たに形成されたこの言語空間が第三次漢字圏であり、この空間を共通の基盤として、東アジア諸国の国民語が一人立ちしていく。
かつて柳田国男は、日常の生活語を鍛えて多くの精確な語を編み出した古代ギリシャに国語の健全な発展の模範像を見る一方、漢語・翻訳漢語の氾濫する近代日本語の惨状を慨嘆してやまなかった。多くの賛同者をもつ見解だが、齋藤さんの議論と照らし合わせてみると、その欠陥がはっきり見えてくる。言語の生成発展を音声言語中心に、それも単一の言語共同体の物語として了解しようとする態度が、自閉的であり、空想的でもあるのだ。たとえて言えば、常民の文化が自力で成長して近代文明の果実を獲得する道を夢見るのと同じくらい空想的だろう。
齋藤さんの出世作といえば『漢文脈の近代』だが、あれは話題が文学に限られていたため、善意で誤読した向きが少なくなかったらしい。現に、かつて存在した漢文学の素養を懐古した書のように評する人にあちこちで出会った。そういう、周囲が無意識に被せた仮装を、読み書きに焦点を当てた今度の本で齋藤さんは自らかなぐり捨てた格好だ。きっと敵も増えるものと思う。
これからが正念場だぜ、齋藤さん。いやマー君。

(しなだ・よしかず 東京大学教授)

担当編集者のひとこと

漢字世界の地平―私たちにとって文字とは何か―

文字は外からやって来る 漢字とは何か? どういう文字なのか? ごくあたりまえの事柄について、「……とは何か」とあらためて問われると、とかく即答に窮するものです。うまく答えられるでしょうか。たとえば「古代中国の人びとが中国語を書き記すために作った文字」と答えたとします。平凡すぎて有難味はありませんが、逆に言うと、この答えが間違いと思うひとはあまりいないのではないでしょうか。しかし、本書は、このきわめて常識的な定義にたいして根本的な異議を唱えるものです。
 たしかに漢字は古代中国で作られました。今から三〇〇〇年以上前、殷代後期(紀元前十四~十一世紀)に用いられた甲骨文字が「最古の漢字」としてよく知られています。甲骨文字は、神聖な占い(たとえば王の妻が男児を出産するかどうか)の内容や結果を記録するために甲骨(亀甲や獣骨)に刻まれたもの。著者によれば、「当初それは神にかかわる特別な記号として、日常のことばとは別に用いられ」た。それは王や神官集団によってなされた儀礼の一部として刻まれたものであって、当時の中国語、日常の話し言葉(音声言語)を書き記すためのものではけっしてなかった。この神聖な文字はその後、千年もの時間をかけて金文、篆書、隷書と変化・展開していき、漢帝国のもとで、広範囲に用いられる世俗的な文字が定まります。漢帝国の文字、すなわち漢字。書き言葉(書記言語)はこうして統一されましたが、しかし帝国各地の話し言葉は統一されていたわけではありません。各地の多様な話し手たちは上から、あるいは外からやって来た文字を学習し、用いることをいわば余儀なくされたのです。
 古代中国においてさえ、「文字は始めに、また常にもたらされるものであった」ことを著者は強調します。ちょっと判りにくいかもしれませんが、それはきっと、私たちが明治の「言文一致」以後の時代を、もう百年あまり生きてきてしまったからでしょう。言と文、言語と文字、話し言葉と書き言葉――これら両者の違いや距離をさして感じなくなっているのです。しかし、古代の日本人はその違いを強烈に意識したにちがいありません。日本列島の話し手たちにとって、文字はまさしく外から、中国大陸から「もたらされ」たのですから。
 本書は古代中国における文字の誕生と「言と文の距離」を確認したうえで、古事記・日本書紀の時代から福沢諭吉の時代まで、私たちの祖先が漢字という文字をいかに受容し、変容し、応用してきたかをスリリングに解き明かしていきます。そこから浮かびあがってくるのは、「漢字との格闘そのものが文化であるような」世界の姿であり、漢字という文字の不思議さです。さらに言うなら、ヒトが「読み書き」する動物であることの不思議さかもしれません。

2016/04/27

著者プロフィール

齋藤希史

サイトウ・マレシ

1963年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退(中国語学中国文学)。京都大学人文科学研究所助手、奈良女子大学文学部助教授、国文学研究資料館文献資料部助教授を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授(比較文学比較文化)。著書に『漢文脈の近代――清末=明治の文学圏』(名古屋大学出版会、サントリー学芸賞)、『漢文スタイル』(羽鳥書店、やまなし文学賞)、『漢詩の扉』(角川選書)、『漢文脈と近代日本』(角川ソフィア文庫)など。

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