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拉致抑留者70万人。死亡者10万人。「シベリア抑留」とは何だったのか。

シベリア抑留―日本人はどんな目に遭ったのか―

長勢了治/著

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2015/05/29

読み仮名 シベリアヨクリュウニホンジンハドンナメニアッタノカ
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 442ページ
ISBN 978-4-10-603767-2
C-CODE 0331
ジャンル 日本史
定価 1,836円

8月15日の終戦後、極東地域をはじめ、ウクライナや北極圏、中央アジアやモンゴルに至るまで、散り散りに移送された日本人たち。なぜ日本人は抑留され、数年から十一年も帰国できなかったのか。飢餓・重労働・酷寒の“シベリア三重苦”とソ連の暴虐、そして冷戦下の東西対立の中で「人質」となった歴史の真相を徹底検証する。

著者プロフィール

長勢了治 ナガセ・リョウジ

1949年北海道生まれ。シベリア抑留研究者、翻訳家。北海道大学法学部卒業後、企業に勤めたのち退社し、ロシア極東国立大学函館校でロシア語を学ぶ。以後、ロシア側資料も踏まえ抑留問題を研究。著書に、『シベリア抑留全史』(原書房)。訳書に『スターリンの捕虜たち』(V・カルポフ著、北海道新聞社)、『二つの独裁の犠牲者~ヒトラーとスターリンの思うままに迫害された…数百万人の過酷な運命』(P・ポリャーン著、原書房)など。

書評

シベリア抑留の全体図を示す

保阪正康

抑留手記の特徴

 太平洋戦争の敗戦時に、シベリアに強制連行されて捕虜収容所に収容された日本の軍人、兵士、軍属、それに一部の民間人は、どれほどの数にのぼるのか、正確にはわかっていない。およそ六十五万人というのが、このところの数字とされているが、一説では百万人に及ぶのではないかとの推測もされている。
 この収容所に送られて強制労働に従事させられ、やがて日本に帰国した人たちは、多かれ少なかれ自らの体験を語っている。その回想記や回顧録を私家版で残している人たちとてかなり多い。これは私の推測なのだが、その数は千冊をはるかに超えるのではないか、と思う。私自身のもとにそうした私家版を送ってきたり、自らタイプ印刷しての冊子を届けてくれたり、というケースも多く、歴史に自らの体験を刻まなければとの彼らの思いの強さには心打たれるほどである。すべての書に目を通したわけではないが、そこには三つの共通点があるように思えるのだ。
(一)強制労働の苛酷さ、その辛さ。そして収容所で亡くなった同胞への追悼。
(二)収容所内で露呈した人間の醜悪さ。とくに赤化運動にみられるソ連への追従への怒り。
(三)そもそもこの強制連行はなぜ起こったのか。ソ連政府と日本の関連機構への苛立ち。
 この三点がどの書でも濃淡の差はあれ、ふれられている。私はこれまで抑留者百人近くに話を聞いてきたが、その中でこの収容所での体験が自らの人生にプラスになったと答えたのはわずか三人であった。彼らには先の三点とは別な意味での共通点があり、「自分は日本軍国主義をひたすら信じていた。それが誤りだと気づいた」と言い、「共産主義を知ることで、共産主義者にはならなかったが、歴史を見つめるのに科学的発想こそ必要だと思い至った」というのである。
 こうした見解を述べる者は少なくなかったにせよ、シベリア体験が自らの人生にプラスになったと答える者はほとんどいなかった。それだけに私には奇異な感じがした。

全体図を描く試み

 一九九〇年前後、ソ連の社会主義体制が崩壊したとき、私はモスクワやハバロフスクに赴いてシベリア関係の史料について調べたことがある。ソ連の史料収集とその管理がいかにも共産主義的な手法で驚いた。赤軍、KGB、共産党など国家の各機関が独自に史料を揃えていて、それぞれの機関の地方支部からあがってくる史料を独自に所蔵しているのである。加えて各地方支部は、上部機構にあげると、自分たちの失態がわかる、あるいは洩れるというときには決して伝えない。自分のところに隠蔽してしまうのである。
 そのようなからくりを知るに至って、ソ連・ロシアの史料を読みこなすには相当の時間が必要だなとの実感をもった。あるロシア人研究者は、このような状況をさして「われわれとて、たとえばシベリア抑留の全体図はわからない」と正直に答えて、自分はモスクワ近くで育ったが、そこにも日本人の捕虜が来ていて、日本人の捕虜はよく働くと聞いたことがあると洩らしていた。
 シベリア収容所の全体像について、これまで若槻泰雄氏の著作などもあり、まったく書かれなかったとはいわないが、近年の史料公開を踏まえてとなると目につく書はそれほど多くなかった。今回、新潮選書に収められた長勢了治氏の『シベリア抑留―日本人はどんな目に遭ったのか―』は、その全体図を描く試みの第一弾ということになろうか。第一章の「ロシアの領土拡張およびソ連共産主義――シベリア抑留の前史」から始まり、第八章の「長期抑留者は無実の囚人だった」までの目次を見ても、シベリア抑留の全体図そのものが、実は近代の日ソ関係の縮図として存在していることがわかる。
 この書を読んでいくと、著者の記述には二つの特徴があることが理解できる。その第一は、この抑留(私は強制連行という語を用いるが)は、ソ連の国家犯罪であると明確に訴えていること。そして第二は、収容所内の日本人捕虜の制約、生態をあからさまに書くことで、日本人論を展開していること。この二つは読み進むうちに理解できることなのだが、もとよりこの二点を支える立脚点は思想的、政治的立場にもかかわりがあるのは当然である。しかしそれを超えてなお、この書が現時点にあってシベリア抑留の全体図を捉えているのは、著者の「執念」ゆえだというのも容易に気がつく。私も著者の視点のすべてに賛意を示すわけではないが、この「執念」には敬意を表するし、さしあたりはシベリア抑留研究のトップランナーであることに変わりはないと認める。
 もともとシベリア抑留の全体図が語られている書には奇妙な弱点があった。それはシベリア抑留に至る「一九四五年の日本敗戦のプロセス」と「戦勝国の列にあわてて駈けこんだソ連の思惑」をどのように見ていくかの歴史的透視力に欠けているという点であった。それは無理もないことでソ連・日本の双方にこれに関わる史料が公開されていなかったり、焼却されていたりするからだった。それに加えて、抑留者たちの感情的な怒りが、歴史を透視するという、冷徹な目を阻害する役を果たしてきたのである。

ふり回された日本軍将兵

 大まかに歴史を俯瞰するならば、一九四五年二月のヤルタ会談でアメリカのルーズベルト大統領は、ソ連のスターリン首相に対して、「第二戦線」をつくるよう要求し、極東ソ連軍の北側からの日本攻撃を求めている。スターリンはこれを受けいれ、代わりに日露戦争で失った権益をとり戻すことなどを認めさせている。これがいわゆるヤルタ会談時の裏議定書といわれるもので、両者の間ではドイツ敗戦から三カ月をメドにして、ソ連の対日宣戦布告は発せられることになった。実際に八月九日午前零時にスターリンは、日本に対して宣戦布告を行って、極東ソ連軍をサハリンやクリール諸島(千島列島)に送りこみ制圧を続けている。さらにサハリンから北海道への侵出を企図もしている。八月十五日に日本が降伏を受け入れて以後、スターリンは北海道の一部を占領したいと申しでて、トルーマン大統領に拒絶されている。
 一九四五年八月十六日ごろから二十二日までの間の、米ソの電報のやりとりはそういうことを明らかにしている。スターリンは北海道占領をあきらめると同時に、自国の捕虜となっている日本軍将兵を千人単位で大隊を組むよう命じ、そのまま旧満州国からシベリアへと送りこんだのである。いわゆるこれがシベリア抑留といわれるのだが、これらの史実をなぞってみると容易に理解できるのは、日本は、そして日本軍の将兵はこのような戦略のもとでふり回されたという事実だ。近年ソ連側から発表される史料のなかには、関東軍の参謀がソ連側に提出した文書(本書でも紹介しているが、日本人の国籍は問わず、ソ連の管轄下に組みこんでもいいといった内容なのだが)などもあり、これをどう読み解くかが鍵になっている。
 一連のこうした動きのなかで、もとよりソ連の理不尽な行動(日本との中立条約の破棄などを含めて)はおおいに糾弾されるべきなのだが、日本側の一貫性のなさがなおのことその増上慢を促した面もある。こういった部分をいかに解釈していくか、これまでとは異なった全体図を構築していく歴史研究の誠実さが求められるのであろう。
 本書も当然ながらこのような一連の流れを丹念に追っている。そしてその枠組みを紹介している。ただ全体的に言えることはその点は、著者はさほど深入りしてはいない。たとえば日本人の国籍を移してもいいと申しでた一九四五年八月二十六日付の大本営参謀の朝枝繁春の起草による文書は重大な意味を持つが、たとえこれがニセであるのなら当時の状況を鑑みての検証が必要である。そうした点は、朝枝が自分が書いていないといった証言(実は朝枝の証言は二転三転している)や草地貞吾の証言をより深く確認すべきである。そのほかさらに検証が必要な点が幾つかあり、シベリア抑留の内実と当時の日本軍・関東軍の動きをより鮮明に対比させることが重要だと思う。こうした点を埋めあわせていくと、本書はシベリア抑留研究の決定版ということになるであろう。

世界史の枠組みの中で

 本書でも紹介されているが、収容所内での日本人の間における思想教育や共産党への入党勧誘、それにスターリンへの感謝決議署名などの動きはおぞましいほど日本人の未熟さがでている。反してドイツ人は……との論法はこれまでも各書によって語られてきたが、本書もその点は同じ手法での礼賛を行っている。ドイツ人のロシア人への軽侮感などがその背景にあるという指摘もまたこれまでと同様である。だがはたしてそれだけか。ドイツ人の収容所での態度の裏側に何があったのか、そういう近年の研究などもとりいれるとよりふくらみが増したのではないだろうか。
 本書によって、シベリア抑留の全体図が整理された。さらにこの問題のどこに本質が隠されているか、それも本書を読むとおおまかなことはわかってくる。「日本人はどんな目に遭ったのか」を世界史の枠組みの中で捉え直すことによって、私たちはシベリア抑留の次の時代への継承の方向性を確認することができる。本書はその点からも位置づけていくべきであろう。

(ほさか・まさやす ノンフィクション作家、日本近現代史研究者)
波 2015年6月号より

目次

まえがき
第一章 ロシアの領土拡張およびソ連共産主義――シベリア抑留の前史
1 西力東漸――アジアはヨーロッパの植民地だった
2 ロシアの東征と南下――樺太、千島、満洲、朝鮮へ
3 シベリアと中央アジアは囚人の流刑地
4 ソ連とは何か、共産主義とは何か
第二章 昭和二〇年八月九日、ソ連軍、満洲に侵攻す
1 第二次世界大戦中の日ソ関係
2 ソ連の宣戦布告、そして満洲、北朝鮮への奇襲攻撃
3 樺太、千島への侵攻
4 ソ連軍占領地における惨状と邦人の引揚げ
第三章 ソ連モンゴルへ移送せよ
1 スターリンの極秘指令九八九八号
2 「ダモイ」の嘘
3 拉致抑留と国際法
4 グプヴィと捕虜収容所
5 抑留者数と死亡者数
6 収容所への配置と死亡者の分布
第四章 シベリア三重苦(飢餓、重労働、酷寒)に耐えて
1 飢餓地獄
2 強制労働――働かざる者食うべからず
3 身も凍る酷寒(マロース)
4 捨て身の逃亡
5 悲惨な中での日常生活
第五章 貧弱な医療と杜撰な埋葬
1 貧しい医療と乏しい医薬品
2 抑留者の身体状況、罹病、死因
3 杜撰で冒涜的な埋葬方法
4 遺骨収容と墓参・慰霊
第六章 日本人を思想教育せよ
1 思想教育(洗脳)は主要任務のひとつだった
2 「日本新聞」とシベリア「民主運動」
3 吊し上げとサムライ
4 GHQによる思想教育とシベリア「民主運動」
第七章 夢に見たダモイ(帰国)
1 日ソ交渉と引揚げ第一船
2 送還を遅らせろ――引揚げの経緯
3 ナホトカと舞鶴
4 スパイを送り込め
第八章 長期抑留者は無実の囚人だった
1 「戦犯」の作り方
2 苛酷なる受刑生活
3 無抵抗の抵抗、ハバロフスク事件
4 無実の囚人の名誉回復
5 無実の囚人のダモイ
あとがき

担当編集者のひとこと

8月23日は何の日か知っていますか

 昭和20年の終戦から一週間後の8月23日、スターリンは極秘指令9898号を発しました。敗戦に打ちひしがれていた日本人には知る由もありませんでしたが、これこそ、「シベリア抑留」を決定づけた指令でした。日本人を拉致抑留して、ソ連の再建に使え――。北海道占領も本気で狙っていたスターリンは、対独戦で荒廃した国土復興のため、日本人を不当に使役することに何のためらいもなかったのです。ソ連にとって、捕虜は人間ではなく「戦利品」でした。
「ダモイ・トウキョウ(東京に帰す)」――。そうだまされて、兵士のみならず民間人までもが拉致抑留された「シベリア抑留」。ソ連支配地域にいた日本人は、広大なシベリアにちりぢりに移送され、徹底的に使役されました。著者の推計ではその数70万人。飢餓と酷寒と重労働で亡くなった死亡者数は10万人に及びます。
 なぜこのような悲劇が起きたのか。著者は、シベリア抑留研究者として、あまたある抑留体験記のみならず、ロシア側の新資料も読み込んできました。そして、ロシアの東方進出の野望と日露の長い歴史的相克をふまえ、東西冷戦下での日本人に対する「思想教育」を分析しつつ、悲劇の本質を徹底的に明らかにしていきます。
 十分な埋葬すらされぬまま、異国の凍土に捨て置かれた日本人たち。極限状況で強いられた「洗脳」の恐怖。人間をモノとしてしか扱わないソ連の暴虐を、著者はときに痛憤おさえがたく糾弾し、はるか凍土に眠る死者の魂に思いを寄せています。共産主義政権に抵抗したチェコの作家、ミラン・クンデラの次の言葉を本書に引用したのも、歴史研究家としての信念ゆえです。
「一国の人々を抹殺するための最後の段階は、その記憶を失わせることである。さらにその歴史を消し去ったうえで、まったく新しい歴史を捏造し発明して押し付ければ、間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになるだろう」
 夏になると、南方戦線の悲劇や戦争を考える記事があふれます。しかし、8月15日で戦争は終わったわけではなかったのです。
 シベリアに長期間抑留された人たちが最後に帰国したのは、昭和31年12月26日。同じ年、経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、翌年6月には東京タワーが着工されていきます。11年の長きにわたった抑留の記憶。それが薄れていく高度成長期とは、いったい何だったのでしょうか。


 歴史とは何か――。この問いには、さまざまな答えがあるでしょう。しかし、まぎれもなく言えることは、歴史とは「亡くなった人々の記録であり、記憶である」ということです。そして歴史へのまなざしには、忘却への抵抗と同時に、死者への鎮魂がなければならない。そう思います。
 毎年8月23日は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」が開かれます。抑留犠牲者の多くは大正世代で、いまの若者の祖父世代にあたります。より多くの後続世代に、この悲劇が知られることを願ってやみません。

2015/05/29

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